088 アカリ、診療所の扉を叩く
088 アカリ、診療所の扉を叩く
「アーサーさーん!修行に来ましたー!」
喫茶なまずでの朝食を終え、みんなに見送られた私は、約束の時間通りにアーサーさんの診療所へとやってきた。
今日の予定は、壁の外へ出て、実際の怪獣や超獣を見学するという、ドキドキワクワクの社会科見学ツアー!
アレクさんから出された「三日で結界マスター」という無茶な宿題はまだ途中だけど、本物の怪獣を見られるなんて、テンションが上がらないわけがない!
今日の私は、昨日虎子さんに選んでもらった冒険者スタイル!
一見、実用性重視の長袖長ズボンだけど、実はこれ、異世界の特殊素材でできてる優れものなのだ。
『スパイダーシルク』っていう、超獣蜘蛛の糸を編み込んだ異世界生地は、驚くほど軽くて動きやすいのに、そこらのナイフじゃ傷一つ付かないんだって!
虎子さんが言うには、この世界の超獣や魔獣由来の素材には、まるで魔法みたいな優れた性質を持ったものがあるらしい。
この服はまだまだ序の口らしいから、これからどんな不思議アイテムに会えるか楽しみでしょうがない!
シルエットも意外とスタイリッシュで、体のラインが綺麗に見えるカッティングになってるのがお気に入り。
腰には、ボルガドン槌ノ助印の特製トマホークを革ケースに入れてぶら下げて、準備は万端!
これぞ、ファンタジー世界のリアル冒険者ファッションって感じじゃない!?
コンコン、と診療所の扉を叩く。
中から返事はなく、代わりにカチャリと小さな金属音がして、扉がほんの数センチだけ開いた。
隙間から覗いたのは、アーサーさんの険しい顔だった。
黒髪は少し乱れ、その切れ長の瞳が、まるで獲物を探す猛禽のように鋭く私を射抜く。
その首から下は、見慣れた漆黒の鎧に覆われている。
「……一人か?」
押し殺したような低い声。兜を被っていないせいか、その声に含まれた緊張感が、より直接的に伝わってきた。
「は、はい!アカリです!」
私が答えると、扉が素早く開き、黒い腕がにゅっと伸びて私の腕を掴んだ。
「っ!?」
有無を言わさぬ力で診療所の中に引きずり込まれると、背後で扉が閉まり、すぐにガチャン!バタン!と複数の鍵と閂がかかる重々しい音が響き渡った。
部屋は、まるで夜のように薄暗い。
待合室の窓という窓のカーテンは、分厚いものが隙間なく引かれ、外の光を完全に遮断している。
その徹底した用心深さは、まるでアジトに潜伏するスパイか、お尋ね者のようだ。
「声を落とせ。壁の向こうで誰が聞いているか分からん」
アーサーさんが、低い声で囁く。
その声は、いつものぶっきらぼうな響きとは違う、張り詰めた緊張感を帯びていた。
彼は、カーテンの隙間から、まるで獲物を狙う獣のように鋭い視線で、注意深く外の様子を窺っている。
その横顔は、いつもの気だるげな医者の顔ではなく、戦場の緊張を知る戦士のそれだった。
「アーサーさん……?一体、何が……?」
「いいか、アカリ。何があっても、俺が黒騎士だということは誰にも知られてはならない。もし黒騎士の事で何か聞かれたら、何も知らないで押し通せ。分かったな?」
その有無を言わせぬ強い口調と、真剣な眼差しに射抜かれ、私はコクコクと何度も頷くことしかできなかった。
アーサーさんは私を食卓につれていき座らせると、お茶を出してくれた。
「さて、今日はお前を壁の外へ連れて行き、怪獣や、運が良ければ超獣を見てもらいたかったのだが、、、少し状況が変わった」
アーサーさんが、苦虫を百匹くらいまとめて噛み潰したような顔で、一枚の新聞を私に差し出した。
それは、この街で発行されている『日刊モルゲン』。
その一面には、私の似顔絵?(メチャクチャ美化されてほとんど別人)がデカデカと掲載されていた。
【悲劇の姫君、アカリ様を発見! 太陽の都、復興への第一歩か!?】
「……は?」
意味が分からない。
太陽の都?姫君?私のこと?
記事を読み進めると、どうやら私は、十年前に魔獣の大群によって滅ぼされたという伝説の『太陽の都』の、生き残りの姫君かもしれないとぼかされているが、もうほとんど確定みたいな勢いで書かれていた。
「……いやいやいや!私、埼玉の女子高生ですけど!?」
「俺が聞きたい」
なんでそんな事になっているかという答えはすぐに分かった。
新聞の小説欄に目をやると、そこには『黒騎士物語・真実の愛編』なる、とんでもないタイトルの連載が始まっていた。
【第一話:禁断の兄妹愛、そして出生の秘密】
――漆黒の鎧に隠された彼の素顔は、なんと太陽の都の王子だった!生き別れの妹、アカリ姫との再会。二人の間に芽生える、許されざる愛の行方は――!?
もしかして私、新聞の掲載小説の設定で姫に仕立て上げられているって事?
「……アーサーさん、これって……」
「……ああ。どうやら、俺とお前は禁断の恋に落ちる兄妹らしい」
アーサーさんの声は、無だった。
完全に、感情というものが抜け落ちていた。
「……アカリ、お前はとんでもないことに巻き込まれたぞ」
アーサーさんが、深いため息と共につぶやいた。
その瞳には、憐れみと、ほんの少しの諦めの色が浮かんでいる。
「え、でも、姫様ってなんかカッコよくないですか?街のアイドル的な!」
私が能天気に言うと、アーサーさんの眉間のシワがさらに深くなった。
「……甘いな。その『姫様』というレッテルが、これからのお前の生活にどれだけの影響力をもたらすか、俺の経験から教えてやろう」
アーサーさんは、遠い目をして語り始めた。
「この前、行きつけの酒場に行ったら、メニューに『黒騎士のシャドウ・ステーキ』なるものが追加されていた。ただの焦げた肉にイカスミソースをかけただけなのに、値段は通常の五倍だ。俺は断固として注文しなかったが、周りの客はありがたがって何の疑問もなく喜んで食べていたぞ」
「ご、五倍……」
「次に、子供たちの遊びが変わる。最近、路地裏で『黒騎士ごっこ』をしている子供たちを見かけるが、このままだと、『禁断の許されぬ兄妹愛に苦悩し、物陰から妹(姫)をそっと見守るごっこ』になる、断言できる!」
「そ、それは……」
「極めつけは、ファンからの贈り物だ。ギルドには、俺宛ての、つまり『黒騎士様』宛ての贈り物が山のように届く。中身は、俺のイメージで描かれた肖像画(なぜか全員、金髪碧眼のマッチョだ)や、鎧の上からじゃ絶対に装備できない手編みのマフラー、そして、黒騎士様への熱烈な想いを綴った血文字の恋文だ」
アーサーさんの声が、だんだん弱々しくなっていく。
「いいか、アカリ。これは、顔も名前も誰も知らない、謎の英雄『黒騎士』の話だ。だが、お前は違う。顔も、そして『アカリ姫』という名前も、この街の誰もが知ってしまった。これからお前に起こることは、俺の比じゃないぞ」
アーサーさんの真剣な眼差しに、ゴクリと喉が鳴る。
「明日には『アカリ姫様御用達!太陽のパンケーキ』がアホみたいな価格で売り出され、朝昼晩関係なく変質者に監視され、そしてお前の元には……何とは言わないが、正体不明の体液が入った食べ物やアクセサリーが玄関や、下手したらお前の寝室に毎日届けられるようになるぞ!」
「いやあああああああ!それだけは絶対イヤですぅぅぅぅ!」
私の絶叫が、薄暗い診療所に虚しく響き渡った。
その時だった。
コン、コンコン、コンッ。
扉が、特殊なリズムでノックされた。
私の背筋が、鳥肌と共にゾワリと震える。
「え?もう変態が来たんですか!?」
オドオドと入り口を見つめる私に、アーサーさんは「安心しろ、このノックは味方だ」と、静かに言った。
彼は用心深く扉に近づき、小さな覗き窓から外を確認すると、低い声で問いかけた。
「本日の診療時間は終了です、どうかなさいましたか?」
「いえ、ただ風がないているだけです」
外から、聞き慣れた若い女性の声が返ってくる。
合言葉が一致したのを確認すると、アーサーさんはようやく複数の鍵を開け、客を招き入れた。
入ってきたのは、ギルドの受付嬢、アイさんだった。
その手には、まだインクの匂いがしそうな新聞の号外が握られている。
「アーサー様、アカリ様!大変です!状況はさらに悪化しています!」
アイさんはテーブルに着くなり、息を切らしながら号外を広げた。
「『黒騎士物語』、作者の先生の筆が乗りすぎちゃったみたいで……なんと、黒騎士様とアカリ様の間に、いつの間にか子供が爆誕してまして、その子と黒騎士様とアカリちゃんの禁断の三角関係が始まってます!」
「……は?」
私の思考が完全に宇宙の彼方へ旅立った。
「しかも、物語は太陽の都に眠るという神竜エレクトラム様を亡き者にしようとする悪の組織『シャドウ・サン』との戦いを描く新章に突入!三日後には緊急で新刊が発売決定だそうです!」
「さらに、昨日戦っていた六人の方々が『アカリ様ラウンド6』という新しいギルドを立ち上げて、元いたギルドが急な脱退は認めないって副ギルドマスターを挟んで一触即発の爆発寸前状態になっています!」
アイさんの報告を聞き終えたアーサーさんと私は、一言も発さず、静かにテーブルに突っ伏した。




