085 フィリア、下着の心配をする
085 フィリア、下着の心配をする
私の名前はフィリア。
街外れの薬草屋で、優しい姉のルナリアと二人で暮らしている、しがないエルフの娘だ。
私たちエルフは、その尖った耳と、人間より少しばかり長い寿命のせいで、この街では少しだけ浮いた存在。
子供の頃は、それが原因で誘拐されそうなこともあった。
そんな時、いつも私を守ってくれたのは、たった一人の家族である姉さんだった。
「フィリア、アーサー様のところへお使い、そろそろ出た方が良いんじゃないかしら?」
姉さんが、カウンターの奥から顔を覗かせて言う。
その手には、丁寧に包まれた薬草の束があった。
今日のお昼に姉さんの超絶ファインプレーで、今夜アーサー様の家で夕飯をごちそうしていただけるようになった件だ。
アーサー様、という名前を聞いただけで、私の心臓が、トクン、と可愛らしい音を立てて跳ねる。
「は、はい!喜んで!」
声が裏返らなかっただろうか。
顔が赤くなっていないだろうか。
姉さんの前では、いつも通りの私でいなければ。
「あら、ありがとう。助かるわ。……そうだ、フィリア。せっかくアーサー様にお会いするのだから、この前新調した、あのレースの下着をつけていったらどうかしら?きっと、アーサー様も喜んでくださるわ」
姉さんが、悪戯っぽく微笑む。
もう!
お姉様ったら!
そんなこと、アーサー様に分かるはずないじゃないですか!
でも……もし、万が一、何かの拍子で、強風が吹いてスカートがめくれるとか、チンピラに襲われて服が破けるとか、そういうアクシデントで分かってしまったら……。
そして……もしかして…………。
一瞬、真夜中の暗闇の中、月影に照らされた微笑みかけてくるアーサー様の顔が脳裏に浮かんだ。
想像しただけで、顔から火が出そうだ。
「そ、そんな!お姉様!」
慌てて抗議する私を見て、姉さんは楽しそうに笑うだけだった。
ドキドキする心臓を押さえながら、私は薬草の包みを受け取り、お店の外へ出た。
アーサー様の診療所までは、歩いて十分ほどの距離。
その短い道のりが、今の私には、永遠にも一瞬にも感じられる。
アーサー様との出会いは、本当に突然だった。
あの日も、私はしつこく言い寄ってくる男たちに絡まれ、路地裏に追い詰められてしまった。
いつもなら、お姉様が追い払ってくれていた。
でも、その日に限って、お姉様は遠くの森まで薬草の採取に出かけていたのだ。
男たちの数は三人。
酒と汗の匂いをさせながら、下卑た笑みを浮かべて私を囲む。
「おいおい、エルフの嬢ちゃんよぉ、そんなにツンツンすんなって」
「俺たちと良いことしようぜぇ?」
抵抗しようにも、非力な私の腕は簡単に掴まれ、壁に押し付けられた。
恐怖で体がすくみ、声も出ない。
男たちの汚れた手が、私の服に伸びてきた、その時。
「――そこまでだ」
低く、静かで、でも有無を言わせぬ力強さを秘めた声。
振り返ると、そこにアーサー様が立っていた。
男たちがナイフを抜いて威嚇しても、アーサー様は眉一つ動かさなかった。
ただ、静かに、そして圧倒的な速さで、チンピラたちを伸してしまったのだ。
私は、あまりの出来事に声も出せず、ただその場から逃げ出してしまった。
情けないことに、お礼の一言も言えずに。
でも、見てしまったのだ。
それからしばらくした日、あの日のお礼を伝える為に勇気を出して訪れた診療所。
その診療所の裏手で、息を整えながら、あの黒い鎧の兜を脱ぐアーサー様の姿を。
街の英雄、謎のS級ハンター『黒騎士』。
その正体が、いつも薬草を買いに来てくれる、ぶっきらぼうで、でも優しい診療所の先生だったなんて。
運命だと思った。
この大きな秘密を、私だけが知っている。
その事実が、私の心を甘く締め付ける。
それからというもの、アーサー様がお店に来るたびに、私の心臓はうるさいくらいに鳴り響くのだ。
そんなことを考えているうちに、診療所の前に着いてしまった。
深呼吸をして、乱れた髪を整える。よし。
コンコン、と控えめにドアノッカーを叩くと、ゆっくりと扉が開いた。
「……え?」
そこに立っていたのは、アーサー様ではなかった。
陽の光を吸い込んだようにキラキラと輝く金髪、澄んだ湖のような青い瞳。
まるでお人形さんのように整った顔立ちの、見知らぬ美少女。 思考が、停止する。
誰?この天使。
その完璧な愛らしさに、私は自分の尖った耳や、少し癖のある銀髪が、急にみすぼらしいものに思えてくる。
これが……アーサー様の恋人……??。
美少女も、私を見て固まっている。気まずい沈黙が流れた、その時。
「あ!エルフちゃんだ!いらっしゃーい!」
奥から、元気な声と共に、黒髪の女の子がひょっこりと顔を出した。
今日のお昼、アーサー様の診療所の前で逆立ちしていた変な娘だ!
でも、活発な雰囲気で、子犬みたいに可愛い!
こっちもまた、違うタイプの魅力的な女の子!
「薬草、持ってきてくれたんだよね?ありがとう!ささ、入って入って!」
黒髪の女の子―に腕を引かれ、私はなされるがままに診療所の中へと入った。
どうしよう、強敵が二人もいる。
私の居場所、ある…?
「アカリ、騒がしいぞ。お客様が驚いているだろう」
奥の厨房から、アーサー様が顔を出した。その手にはお玉が握られ、胸には可愛らしい花柄のエプロンが!
ひゃっ…!エプロン姿のアーサー様…!
あまりの破壊力に、私の思考回路は完全にショートした。
「ああ、フィリアさん。すまない、今、手が離せなくて。もう少しで夕食ができるから、彼女たちと話でもしながら、待っていてくれないか?」
は、はい!
待ちます!
一生待ちます!
アワアワと頷くことしかできない私を見て、アーサー様は少し不思議そうな顔をしながら、厨房へと戻っていった。
それからが大変だった。
アカリと呼ばれる黒髪少女に「エルフなんだよね?耳触ってよい?」と妙にグイグイこられ、しどろもどろになる。
おまけに、アカリちゃんの腕の中には、なぜか魚類(なまず?)がいて、私に馴れ馴れしく話しかけてくる。
もう、カオスだ。
私は、両耳からアカリちゃんと魚類の質問に頭グルグルになりながら答えつつ、この娘たちが一体アーサーさまとどういった関係かを聞くために頭をぐちゃぐちゃにして考えていると、
また玄関のドアがノックされたのだ。
今度は、黒紫のボサボサ髪で目が隠れた、錬金術師のローブを着た女の子。
アーサー様がまた厨房から出てきて、同じように説明して、同じように去っていく。
私は、新しく現れた彼女の、ダボっとしたローブに隠されたダイナマイトなボディに戦慄した。
ボサボサの髪の間から見える、オドオドとしているがそれでも整った顔立ち。
強い……!この人も、とんでもなく強い!隠されているからこそ、その破壊力は計り知れない!
錬金術師の娘も鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして茫然としている。
何故だろう、この娘には私と似た何かを感じる。
夕食の準備ができたのか混乱の極致のまま、私たちは食卓へと案内された。
そこには、既におしとやかな大和撫子風の女性が座っていたけれど、その美しい目の周りには、痛々しい紫色の痣があった。
でも、それが逆に、彼女の妖艶な雰囲気を際立たせている。
酸いも甘いも知る、大人の女性。
これもまた、強敵すぎる……!
その女性を見ていると、ふと、目が合った。
ひっ、と無意識に私の喉の奥で小さな悲鳴が上がった。
目が合った瞬間、その女性の瞳の奥が、ギラリ、と捕食者のように光ったのを、私は確かに見たのだ。
それは、まるで飢えた獣が、生まれたての小鹿を見つけた時のような、歓喜と獰猛さが入り混じった、ぞっとするほど美しく残酷な眼差し。
彼女はただたおやかに微笑んでいるだけ。
それなのに、その瞳の奥で揺らめく光は、まるで巨大な蛇の舌そのもの。
私の素肌にぬるりと巻き付き、頭のてっぺんから爪先まで、ゆっくりと味見をされているかのような、抗いがたい錯覚に襲われてしまう。
私がテーブルの隅で小さくなっていると、また、ドアノッカーが鳴った。
今度現れたのは、両手に大きな紙袋を抱えた、太陽みたいに眩しい、超絶金髪美人。
部屋にいる全員が、彼女を「ヘベ様」と呼んでいる。神々しい……。
そんなヘベ様がアーサー様と親し気に話している。
なまず?喫茶店?誰も居ないからこっちに来てみた?
何かそんな会話をしたあと、アーサー様が少し疲れた顔をした後、自然な感じで超絶美人のへべ様をテーブルに誘った。
あんな美人を前にまったく物怖じしないアーサー様!
いったいどういった関係なの?
そのヘベ様が、席に着くなり、盗み見るようにしていた私と、バチリと目が合った。
そして、悪戯っぽく、片目をつぶってウインクしてきたのだ。
―――勝てない!
直感で悟った。この人には、絶対に勝てない。ラスボスだ。美の化身だ。
でも。
でも!
アーサー様を想うこの気持ちだけは、誰にも負けるもんか!




