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異世界で喫茶なまずはじめました。  作者: カニスキー
第三章 ゴタゴタ新生活
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077 アーサー落胆する

077 アーサー落胆する


 理解不能な事態、という言葉では生ぬるい。

 昼食を終えてから、わずか四時間。

 なまずたちが、街の宝石店を半壊させ、あろうことかこの地域を統治する黒爵閣下と事を構えたという。

 しかも、髭を付けていたとはいえ、よりにもよって俺の姿でだ!


 黒爵アルマン・ビスマライト。

 この付近でその権勢を知らぬ者はいない。

 彼の家系は神竜ビスマライトより名を賜った特別な存在であり、彼への敵対行為は、間接的に神獣の威光を損なうに等しい。

 ……眩暈がした。もはや、この街で平穏に暮らす道は閉ざされたのかもしれない。


 目の前の偽物――もとい、なまずの口から語られるのは、武勇伝などという生易しいものではなく、純然たる破壊活動の報告だった。

 宝石店のショーケースを叩き割り、護衛の騎士たちを完膚なきまでに叩きのめし、金塊を投げつけながら逃走したという話だ。

 経済的な損失云々の話ではない。

 人的被害は、本当に出ていないのだろうな。


 一連の報告を終えたなまずが、俺の顔で「どうだ」とばかりに胸を張る。

 あぁ、これが殺意か。

 純粋で、冷え切った殺意が腹の底から湧き上がってくるのを感じた。

 ワナワナと震える手で、挑発的に動くカイゼル髭を掴み、引き抜こうと力を込める。

 だが、それは悪質なゴムのように伸びるだけだった。

 パチン、と小気味よい音を立てて元に戻った衝撃に、なまずが「んほっ」と奇妙な声を漏らす。


 殺意のボルテージが限界を突破した。


 どうやってこの愚かな存在を排除すべきか。

 三枚におろすか、それとも蒲焼きか。真剣にその方法を思考していると、服の裾が控えめに引かれた。

 視線を落とせば、リコリス嬢が不安げな、捨てられた子犬のような瞳でこちらを見上げていた。

 その潤んだ瞳に「ごめんなさい」という光が灯っているのを見て、頭に上っていた血が急速に冷えていく。


 そうだ、このなまずの暴挙も、元はと言えばリコリス嬢を助けるための行動だったのだ。

 ……結果として、俺の平穏が犠牲になったのだとしても。

「ふぅ……」

 重いため息とともに、心の内に渦巻く黒い感情を意識的に吐き出す。

 心配そうに見上げてくるリコリス嬢の頭に、不器用に手を置き、優しく撫でた。

 この子の髪に触れていると、荒んだ心が浄化されるような、不思議な感覚に陥る。


「ガノス、メンテナンスに出していた俺のハンドガンを頼む」

 銃工房の店主であるガノスに声をかける。

 平素の彼なら「また物騒な仕事か?」などと軽口の一つも叩くところだが、今日は妙に口数が少ない。

 カウンターの下を漁り、黙って鉄製のケースを差し出してきた。

 まあ、俺の複製体(髭付き)が犬耳の少女と床で駄々をこねるという狂気の光景を目撃した後では、無理もないだろう。

 その瞳の奥に「お前も偽物ではないだろうな?」という疑念の光が宿っているように見えるが、今は無視を決め込む。


「なまず、グラ嬢。これをやる。だが、弾は渡さん」

 銃を掲げると、いつの間にか元の姿に戻っていたなまずとグラ嬢が、子供のように目を輝かせて飛び跳ねた。

「おおっ!早くよこせ!」

「ワシからじゃ!」

 神や悪魔という存在への認識を改める必要がありそうだ。

「いいか、これはパイモンとやらへの土産だ。決して弾を自作したりするなよ」

「分かっておる!構えるだけじゃ!」

「ワシから!ワシから!」

 先ほどとは質の違う頭痛を感じる。

 一抹の不安を胸に、銃をグラ嬢に手渡した。


「うひょー!重いのう!」

「ワシにも貸せ!」

 銃の取り合いではしゃぎ回る二柱を見ていると、本気で自身の診療所を訪れる悪童たちの方が、まだしも理性的に思えてきた。


 呆然自失のガノスに向き直り、本来の用件を切り出す。

「閃光玉を1ケース、アレクの銃弾を2ケース。代金は俺とアレクの口座から折半で」

「おう。だが弾は今1ケースしか在庫がない。それでいいか?」

「構わん。それと、護衛を頼みたいのだが、『魔弾の射手』のジェットか、『硝煙の魔女』のキャシディとは連絡がつくか?」

「両名とも大きな仕事で不在だ。『幸運』のリックではどうだ?」

「実力不足だ。他にはいないか?」

「おいおい、リックが実力不足とは、ずいぶんと贅沢な話だな。一体どこへ攻め込む気だ?帰らずの森でもあるまいし」

 ガハハ、とガノスが豪快に笑う。

 俺が真顔でいることに気づくと、その顔から笑みが消え、「……本気か?」と引きつった表情になった。


  「……お前も苦労するな。そうだ、これを持って行け」

 憐れみの籠った視線を向けられ、カウンターの下からクッキーの袋を差し出された、その瞬間。

 残像。

 部屋の隅で銃で遊んでいたはずのなまずとグラ嬢が、野生の獣のごとき速度でクッキーを強奪し、再び部屋の隅で貪り食らい始めた。


「……本当に、大変そうだな」

 ガノスの呟きが、妙に心に響いた。


 弾丸の在庫はなく、夕刻、診療所まで届けてもらうことになった。

 ついでに携帯食もつけてくれるという。

 断ろうとすると、ガノスは「うちの錬金術師が届ける。よければ飯でも食わせてやってくれ」と、妙に食い下がってきた。

 あの、いつも前髪で顔が隠れている娘か。

 まあ、構わんが。

「若い女性を夜分に歩かせるのは問題がある」

 そう言って断ろうとすると、

「ならば泊めてやればいい!明日は休業にしてやる!」と、親指で下品なサインを作り、卑猥な笑みを浮かべた。

「……承知した。食事をさせ、責任をもって家まで送る」


 ガノスはたまに下品な冗談を言う。

 これさえなければ、一流の職人なのだが。


 工房を出た後も、なまずたちを放置するわけにはいかず、近くの薬草屋に寄ることにした。帰らずの森へ向かうにあたり、医療品の材料が心許なかったからだ。


 店の扉にかかったカウベルが、カラン、と乾いた音を立てる。

 むせ返るような薬草の香りに混じって、ふわりと花の蜜のような甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 店内はエルフの姉妹が営むだけあって、清潔で、整然としている。

 昨日、アポロンの使いで訪れた時と変わらない。


「あら、アーサー様。いらっしゃいませ」

 カウンターの奥から現れたのは、姉のルナリア。

 銀色の長い髪を緩やかに編み込み、落ち着いた物腰の女性だ。

「こんにちは、ルナリアさん。『癒しの葉』を5束と、『目覚めの根』を10本。それから『マンドラゴラの悲鳴』を瓶で一つ」

 俺が注文を告げると、ルナリアは「かしこまりました」と優雅に微笑んだ。

 その視線が、俺の後ろにいるリコリス嬢の腕の中のなまずとキラキラした目で店内を見つめるグラ嬢に向けられ、面白そうに細められる。

「……あらあら、今日は随分と賑やかですのね。可愛らしいお客様もご一緒で」

「ああ、連れだ。騒がしくてすまない」


 その時、店の奥から、何かが棚にぶつかるガタン!という大きな音がした。

「フィリア、大丈夫?」

 ルナリアが奥へ声をかけると、「だ、大丈夫です、お姉さま!ちょっと、薬草の束が崩れただけで……!」と、慌てたような声が返ってきた。


 そういえば、アカリが逆立ちしていた時も、店の前からこちらの様子を窺っていたな。

 ここでは静かに買い物をして帰りたかったのだが、案の定、なまずがカウンターに置かれていた、青白く発光するキノコに興味を示した。

「おお、これは美味そうなキノコじゃのう!光っておるぞ!」

「待て、それは『幻惑ダケ』だ!一口食えば三日三晩、幻惑にうなされる猛毒だぞ!」

 俺の制止も聞かず、なまずがキノコに顔を近づけた瞬間、店の奥から「それには触らないでくださいっ!」と、甲高い声と共にフィリアが飛び出してきた。


 長い銀髪を揺らし、その白い頬は怒りで上気している。

 だが、俺の顔を見るなり、その勢いは急速にしぼみ、「あ……あ、アーサー様……」と、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「フィリア、落ち着きなさい。アーサー様が驚いていらっしゃいますわ」

 ルナリアが、くすくすと笑いをこらえながら妹をたしなめる。

 フィリアは、もじもじしながらも、必死に俺から視線を逸らし、なまずに向かって言った。


「そ、その『幻惑ダケ』は、とてもデリケートなのです!乱暴に触ると、胞子が……!」

「ほう、胞子がどうかなるのか?」 なまずが、わざとキノコにヒレを近づける。

「ひぃっ!や、やめてくださいっ!」

 フィリアが悲鳴を上げた瞬間、バランスを崩してこちらへ倒れ込んできた。咄嗟にその華奢な体を支える。腕の中に収まったフィリアは、茹でダコのように真っ赤になって、かすかに震えていた。


「……大丈夫か?」

「は、はい……!も、申し訳ございません!」

 ふむ、顔が真っ赤だな。

 もしかしたら、風邪かもしれない。

 俺は本職である医者の本能がうずき、フィリアの額に手を置いて熱を測ろうとした


「ヒィッ!」

 俺が額に手を伸ばそうとするとフィリアは体を硬直させて、びっくりした子猫のように身をひねって、俺の手からするりと抜け出し姉のルナリアの後ろに隠れてしまった。


「あらあら、勿体ない」

 ルナリアがそんなことをいってニコニコ微笑んでいる。

 ん?どういう意味だ?


 ルナリアが言うには癒しの葉が倉庫にあるらしい、後で診療所にフィリアが届けるから、良ければ夕食でもごちそうしてくれとの事だった。

 なんだ?さっきの銃工房でも同じことを言われたぞ、偶然とはあるものだな。


 用件を済ませ、奴らを家に送り届けようとしたが、今度はなまずとグラ嬢が「ギルドへ行きたい」と騒ぎ始めた。

 もう好きにしろ。まるで俺は地獄保育園の引率教官だ。

 こんな精神状態で、明後日、本当に帰らずの森へ向かうのか。

 九割九分九厘の不安を抱えながら、俺は騒がしい神と悪魔をギルドへと引率するのだった。


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