068 アーサー、アカリの特訓に付き合う
068 アーサー、アカリの特訓に付き合う
診療所の外へ出ると、アカリは「よし!やるぞー!」と拳を握りしめ、やけにやる気満々だった。
その姿は、これから初めての遠足にでも行く子供のようだ。
まあ、その意気込みは買おう。
「さて、アカリ。まずはお前がどこまで理解しているか、説明してみてくれ」
俺がそう言うと、アカリは「はいっ!」と元気よく返事をし、まるで模範解答でも発表するかのように、胸を張って話し始めた。
「えっとですね!私の体は神様に近いすごいポテンシャルを秘めていて、神力とかいうのを使えば何でもできるらしいんですけど、それはとっても危険なことだから、グラちゃんが安全な結界の型を私にインストールしてくれたんです!でも、その型を発動することができなくて、発動するには気合いが必要だって、アレクさんもなまず様もグラちゃんも言ってました!でもでも!こんなにも気合い充分なのに、どうして発動しないんでしょうか!?うぅ……」
最後の方は、大きな瞳を潤ませて、今にも泣き出しそうな顔になっている。
なるほど、だいたいわかった。呑み込みは早いようだな。
「ふむ、理解はしているようだな。上出来だ」
俺がそう言って褒めてやると、アカリは「えへへ」と嬉しそうに笑った。
現金な奴め。
さて、どう説明したものか……。
結界の発動は、理屈で理解できるものではない。
どちらかというと、感覚的なものだ。
「アカリ、お前は結界発動まで、あと一歩のところまで来ている」
俺がそう言うと、アカリの目が期待にキラキラと輝いた。
「だがな、俺たちの経験上、その最後の一歩が……まあ、なんだ、果てしなく遠いというか、崖から飛び降りるくらいの覚悟がいるというか……とにかく大変なんだ」
言葉で説明するよりも、見せた方が早いか。
俺は両手で地面を押し、勢いをつけて逆立ちをした。
そのまま片手を離し、残った手でバランスを取る。
さらに、その手の指を一本、また一本と地面から離していき、最後には人差し指一本で全体重を支えた。
アカリが口をあんぐりと開け、信じられないものを見るような目で固まっている。
うん、良いリアクションだ。
「俺は結界を開くまで、この修行を来る日も来る日もアポロンにさせられた。最初は両手での逆立ち、次は片手逆立ち、そして片手の指何本かで支え、最終的には片手の人差し指一本。この地味で過酷な修行を通して、俺が理解したことは二つある」
俺は逆立ちをやめ、トンッと軽い音を立てて地面に降り立つ。
「一つ、この世界の俺たちは、精神の力がすなわち肉体の力に直結しやすいということ。もう一つは、我々の精神――魂とでも言うべきか――は、自分が考えているよりもずっと深く、広く、そして複雑だということだ」
アカリの目が、真剣な光を宿して俺を見つめてくる。
「今のアカリの精神は、現実世界の時の感覚とほとんど変わっていないはずだ。精神の強さも、結界の型も、アカリの中に確かに備わっている。だが、それらを繋ぎ、発動させるためには、現実世界の固定観念を一度捨て、もっと自分自身の心の奥深くを探り、本当の自分と向き合う必要がある」
アカリが、そっと自分の胸に手を当て、何かを考えるように俯いた。
「心を認識する、とでも言えばいいのか……。現実世界にはない概念だから、説明が難しいな」
アカリが、助けを求めるような、すがるような目でこちらを見てくる。
どうやら、具体的なやり方が分からないらしい。
「教えてやりたいのは山々だが、こればっかりは個人差が大きすぎる。俺の場合は、そうだな……死ぬか生きるかの瀬戸際で、超獣に襲われた時、不意にチャンネルが変わったような感覚があった。アレクは、ヘラクレス様の地獄のしごきの最中に、何かを見つけたとか言っていたな。その点、虎子は元々武術の鍛錬で精神統一の修行を積んでいたからか、比較的すんなりとコツを掴んでいたようだ」
アカリの頭の上に、ポンポンと疑問符が浮かんでいるのが見えるようだ。
見ていて分かりやすい奴だな、本当に。
「正直に言うと、俺は3日で結界発動は難しいと思っている。なにせ、俺もアレクもまともに使えるようになるまで3ヶ月くらいは苦労したし、そもそも同じ事をやったからといって、お前が成功するとは到底思えない。才能の差というより、経験や精神状態、個々の特性が大きく影響するからな」
アカリの顔が「ええーっ!?3ヶ月もかかるんですか!?」と驚愕に染まる。
まあ、無理もない。
「まあ、そんなわけで、今日はまず『禅』を組んでみたらどうだ?虎子から聞いたが、お前のいた日本では、そうやって精神を統一し、自らと向き合う修行法があるんだろう?」
俺がそう提案した瞬間、腹の虫がぐぅぅぅぅ~と盛大に鳴った。いかん、昼飯がまだだったのをすっかり忘れていた。
「す、すまないアカリ。昼飯がまだだった。お前はどうしたんだ?」
「あ、私はシモさんのところで、アンギャーの丸焼きをご馳走になりました!」
アカリが、少し自慢げに言う。
「凄いな、昼間からアンギャーとは。シモも頑張ったな」
「そんなに凄いんですか?アンギャーって」
アカリが不思議そうに小首をかしげる。
「ああ。普通は滅多に市場に出回らない幻の食材だ。シモはハンターとして優秀だから、稀に手に入れることがあるようだが、そこらの貴族でも年に一度くらいしか口にできない代物だぞ」
アンギャーか……。
俺も最後に食べたのはいつだったか。
あの香ばしい皮とジューシーな肉を思い出すと、腹の虫がさらに大きな声で抗議し始めた。
よしよし、分かった分かった。アンギャーには程遠いが、昨日のパーティーの残りのスープならまだあったはずだ。
あれを温めてやるか。
「すまないアカリ、飯を食ったらすぐに戻る。それまで、少しここで待っていてくれ。まだ修行について伝えたいことがある」
アカリがこくりと頷いてくれたので、俺は一人、診療所のキッチンへと足を運んだ。




