050 アレク、アカリを見送る
050 アレク、アカリを見送る
血相を変えて飛び出していくアカリの後ろ姿を見送りながら、俺は思わず苦笑した。
(若いってのは、良いもんだな。エネルギーに満ち溢れてる)
テーブルに残された、アカリが飲みかけていた夕焼け色のカクテルを手に取る。
一口飲むと、甘酸っぱいフルーツの香りが口の中に広がった。
悪くない。
ふとアーサーを見ると、奴は顎に手を当て、何やら難しい顔で考え込んでいる。
たぶん、慌てて帰ったアカリのことを心配しているんだろう。
あいつはぶっきらぼうに見えて、女子供にはとことん甘いからな。
まあ、俺もアカリのことは結構気に入った。
あの真っ直ぐな瞳と、コロコロ変わる表情は見ていて飽きない。
そんなことを考えながら、俺はパーティーの後片付けを手早く済ませる。
グラスを洗い、散らかったテーブルを拭き、ゴミをまとめる。
そうそう、ゲームも回収しなきゃな。思いの外、盛り上がった。
特にリコリス嬢やアカリは、ああいうゲームの適性がありそうだ。
ククク、ゲーム仲間が増えるのは良いことだ。
次はどんなゲームを持ってこようか?
最近出た戦略シミュレーションか、それとも定番のパーティーゲームか。
絶対に逃がさん!美少女二人を俺と同じボドゲ沼に引きずり込んでくれる!
そんなことを考えながら、全ての荷物を大きな箱に手際よくまとめていく。
アーサーはまだ眉間に深いシワを寄せ、腕を組んで唸っていた。
よほどアカリの帰還方法が気になるらしい。
「おう、アーサー。俺、そろそろ帰るわー」
荷物をまとめた箱を軽々と担ぎ上げ、玄関へ向かう。
「おっと、言い忘れてた。俺、明日あたり向こうの世界に戻る日だからさ。こっちのことは、まあ、よろしく頼むわ」
軽い感じで挨拶すると、背後から「あぁ。わかった」と、アーサーのボソッとした声が聞こえてきた。
あいつはああ見えて、頼りになる奴だ。
気分よく鼻歌を歌いながら我が愛しの職場兼下宿先、バーネクタルへ帰る
ネクタルの扉を開けると、カラン、と軽やかなベルの音が鳴った。
そこには、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように、ヘベ様がカウンターで静かにグラスを傾けていた。
「お帰り、アレク」
「ただいまです、ヘベ様。何か作りましょうか?」
「いいわ。お酒の肴なら、もう目の前にあるから」
ヘベ様はそう言って、意味ありげに俺を見つめる。
「あなたが初めてこっちの世界に来た時のことを考えながら、飲んでいたのよ」
「……ああ」
異世界にやってきたアカリを見て、昔の記憶が蘇ったのだろう。
そんな女神様につられるように、俺も初めてこっちの世界に来た時のことを思い出していた。
俺がまだ本当にひよっこだった頃、現実の世界のうちの国には兵役義務があって、何の因果か、俺はエリートだらけの特殊部隊養成コースに紛れ込んでしまった。
そこはまさに地獄。
毎日泥と汗にまみれ、上官に理不尽に扱き使われ、いつしか眠る時だけが唯一の癒しになっていた。
そんなある夜、夢の中でこのバー「ネクタル」にたどり着いたんだ。
そこで、ヘベ様に「特別な一杯」を出してもらった。
あの時の、魂に染み渡るような美味さは、今でも忘れられない。
「あの頃に比べて、見違えるようにたくましくなって」
グラス越しに俺を見つめる女神の瞳には、あの頃のナヨナヨした俺が映っているに違いない。
「……まさか、私の秘蔵のお酒達を、飲みつくされる日が来るなんて、夢にも思わなかったわ」
あはは、まだ根に持ってらっしゃる。
声は穏やかだが、目が据わっている。
これはまずい。
俺はとっさに話題を変えるため、さっきのアカリが慌てて帰っていった話を切り出した。
話を聞き終わると、ヘベ様も先ほどのアーサーと同じように、眉間に深いシワを寄せて考え込んでしまった。
「……ちょっと、アレク。アカリがちゃんと帰れるように、あなたが何とかしなさい」
いやいや、無理ですって。きっとなまずが何とかしますって。
あいつ、神様なんだし。
「駄目よ!万が一ってことがあるでしょう!?何とかなるにしても、あなたが責任をもって対処なさい。」
あぁ、こうなったらヘベ様は止まらない。
よっぽどアカリ達のことを気に入ったらしい。
しかし、俺にはとっておきの切り札がある。
伊達に大統領として世界中の要人と渡り合ってきたわけじゃないんだ!
俺の百戦錬磨の交渉術をくらえ!
「申し訳ありません、女神様。実は明日あたり、こちらの世界からの帰還予定日なんです。非常に残念ではありますが、今回は……その、国際情勢が緊迫しておりまして、私が不在にすることで世界のパワーバランスが崩れる可能性が微粒子レベルで存在しておりまして、はい」
完璧な言い訳だ。
我ながら惚れ惚れする。
「大丈夫よ、アレク」
ヘベ様は、慈母のような微笑みを浮かべた。
「これは『長期ミッション』よ。しかも、無給で無休の、楽しい楽しい地獄のミッション。あなた、そういうの好きでしょう?」
絶世の美女神がムキュムキュ言ってるのに、全く萌え萌えしませんぞ!
止めて!最近、異世界オークションでヴィンテージもののボードゲームの新作を落札して、結構お財布が厳しいの!
ただでさえ、以前うっかり壊してしまった王都の歴史的建造物(の一部)の賠償金でカツカツなのに、これ以上収入を減らされたら!
抗議しようと口を開けた、まさにその時。
ヘベ様は、カウンターに空の酒瓶をドン!と置いた。
あぁ!アレは!先日、俺があのナマズと一緒にラッパ飲みしてしまった、ドワーフ族の秘酒中の秘酒、「ドワルゴンズ・ティアーズ 150年物」!市場に出回ることすら稀な、幻の酒!
「……おいしかった?」
ヘベ様の顔は笑っているのに、目が全く笑っていない。
その瞳の奥が、鈍く、黄金色に妖しく輝いている。
こわっ!駄目だ、この人には絶対に勝てない!!
俺は背筋を伸ばし、特殊部隊上がりらしい完璧な敬礼と共に、ヘベ様に任務開始を告げた。
「はいッ!アレク、明日早朝0600時より、アカリ嬢帰還支援ミッションを開始いたしますッ!!」
俺の異世界ライフ、まだまだ波乱万丈は続きそうだ……。




