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異世界で喫茶なまずはじめました。  作者: カニスキー
第一章 始まりの物語
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005 なまず、異世界をのぞく

005 なまず、異世界をのぞく


 穴の先には、暗く湿った石造りの空間が見えた。

 古びた井戸の底か?

 そして、その円い縁から、こちらを覗き込む影。


 ん……? 目が、合った。

 金色の長い髪を雨に濡らした、人間の少女。

 年は十代半ばといったところか?

 薄汚れた服を着ているが、それを補って余りある整った顔立ち。

 驚きに見開かれた大きな青い瞳が、ワシの意識の先端を、まっすぐに捉えている。


 なんと、久方ぶりに見る生きた人間じゃな。

 なんか顔色はひどく悪いが、それを差し引いても人間基準なら相当な別嬪べっぴんさんなんじゃろうな。

 まあ、ワシはなまずなので、人間の美醜なぞよくわからぬが。


 ワシがしばしその儚げな顔に見入っていた。

 久しぶりの人間、というか、久しぶりの生き物じゃ。

 ああ、やっぱり動物は良いのう、癒されるわー。

 この乾いた心に潤いが……


 ワシが久しぶりの人間との邂逅に、ほんの一瞬、和んでいた、その刹那。

 突然、少女の瞳から光がふっと消え、まるで操り糸が切れた人形のように、その細い体がぐらりと傾いだ!


 まずい!無防備な体が井戸の暗がりへと吸い込まれてくる!

 む!? 意識を失ったのか?

 ワシの神気に当てられたとでもいうのか!?

 え?

 ワシのせい?

 いや、原因究明は後じゃ!

 このままでは、この穴に、ワシの目の前に落ちてくるではないか!


 まずい、まずい、まずい!

 このままではワシの意識の先に激突…いや、それどころではない!

 この穴は冷たい水で満たされている!

 少女が沈む! 溺れる! どんどん、こちら側へ、水の底へ沈んでくる!


 ええい、ままよ!

 なんという悪夢的な巡り合わせだ!

 久々の人間との邂逅がこれとは!

 よりによって目の前で溺れさせるとは!

 だが、このまま見殺しにはできん!

 見てしまったからには、ワシがなんとかせねば! ワシ、やるときはやるなまずなんじゃ!


 ワシは咄嗟に決断した。

 無理やりにでも、この穴を抜け、この世界へ渡る!


 本来、世界を隔てる理を越えるのは絶対的なルール違反。

 莫大な力と代償がいる。

 だが、今は構っておれん!

 ぐずぐずしている暇はない!

 刹那の時間すら惜しい!


 ワシは 無理やり覗き穴に向かって、力と意識を文字通り力任せにねじ込んだ!

 ゴギッ、メキメキッ…バリバリッ!!

 聞こえるはずのない、しかし確かに感じる、世界の境界が悲鳴を上げて引き裂かれるような、凄まじい感覚!


 次の瞬間、灼熱から一転、骨の髄まで凍るような水の冷たさが、ワシの意識を打った!

 穴の向こう側――井戸の底だ!


 目の前には、泡すら立てずに力なく沈んでいく少女の、頼りない姿!

 急がねば、本当に手遅れになる!

 もう時間がない!


 ワシはありったけの力で、この世界における仮初の体を瞬時に構築した!

 …む? なんだこの形は!? ぬるりとして、ヒゲがあって…ああ、そうか、元の記憶に強く引かれたか!


  瞬時に構築された体は、なんと、つるりとした、なまずであった!

 しかも、思ったより小さい!

 まあ、今は格好などどうでもいい!

 この体でやるしかない!

 とにかく今は少女を!


 ワシは再構築したばかりの、慣れないなまずの体で、水の抵抗にもがきながら、沈みゆく少女の薄い服の襟元を必死に咥え、水面を目指して尾を打った!


 重い!

 意識のない体は鉛のように重く、小さななまずの体では引き上げるのがやっとじゃ!

 必死にヒレを動かすが、水がまとわりついて思うように進まん!

 くそっ、力が足りぬ!


 ぷはっ!

 なんとか水面に顔を出したが、状況は絶望的だ!

 少女はぐったりとしたまま微動だにせず、濡れた金髪が死人のように青白い顔に張り付き、その肌は恐ろしいほど白い!

 この冷たい水が急速に、確実に彼女の命を奪いつつある!


 ええい、ままよ!

 一秒でも早くこの娘を安全な地面に!

 このなまずボディを無理やり神力で超緊急改造じゃ!


 ヒレをもっと大きく!

 水掻きのように!

 尾の力を爆発的に強く!

 もっと推進力を!

 ついでに、この異界の空気を吸うために肺呼吸も強制追加じゃ!

 代謝が変わる!

 消化器系も効率重視で再構築!


  …む?

 なんじゃ?

 妙に丸っこくなったような…なんじゃこの妙ちきりんな形は!?

 もはやなまずと言えるのか怪しい気がするが……うん、我、ギリギリなまず!

 多分、おっけー!

 きっと大丈夫!

 そう思わねばやってられん!

 今は細かいことを気にしている場合ではない!

 そんなことより急がねば!


 ふぁいとーーー! いっパーツ!!

 神の威厳などとっくに投げ捨てた掛け声を心で絶叫しながら、ワシは改造したヒレと尾を狂ったように、がむしゃらに動かし、少女の体を水際へと押し上げた!

  井戸の壁に体を打ち付け、ヌルヌルの体が擦り切れるような感覚にも構わず、最後の力を振り絞る!

 そしてどうにかこうにか、文字通り這々の体で、少女を井戸の縁の硬い石畳の上へと転がし出すことに成功した!


 ぜえっ、ぜえっ…危なかった……!

 本当に、危なかった……!


……ん?

 息も絶え絶えに体を休め、ほっとしたのも本当に束の間。

 地上に横たわる少女の姿に、ワシは凍りついた。

ぐったりと横たわる少女の、その小さな胸が……ぴくりとも、動いていない。


……まさか。

 嘘だろう?

 あれだけ必死に助けたのに?

 息を、して、おらぬのか!?


今日のまとめ

なまず、生き物をみて癒される

なまず、生き物を気絶させる

なまず、異世界へ渡る

少女、心肺停止

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