表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で喫茶なまずはじめました。  作者: カニスキー
第二章 新しいお友達
35/101

035 アーサー、アポロンに貸しを作る

035 アーサー、アポロンに貸しを作る


 事態は一刻の猶予もない。

 目の前の少女アカリと、その腕の中のナマズ殿の尋常じゃない慌てぶり、そして虎子の普段の冷静さが嘘のような表情から、リコリス嬢の身にただならぬ事が起きたのは明らかだった。

 すぐに飛び出して探しに行きたい衝動に駆られるが、同時に、頭の隅で、いつも優雅に紅茶をすすりながら面倒事を押し付けてくるアポロンの顔がチラついた。


『焦って解決するなら焦るべきだ。そうでなければ冷静になるべきだよ、アーサー君』


 ……くそっ、イメージの中ですら的確なことを言ってくる。

 俺は店外へ飛び出そうとするアカリと虎子を腕を掴んで制止した。


 この手だけは使いたくなかった。

 絶対に、何があっても使いたくなかった。

 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 リコリス嬢の安全が最優先だ。


 俺は覚悟を決めて、地獄の底まで響くような重いため息をつきながら、左手に嵌められた銀色の腕輪に手を当てて呟いた。

「……貸し一つだ、アポロン。助けてくれ。」

(クソッ…! 言ってしまった…!)


 瞬間、目の前に小さい光の粒子がチラチラと現れ、甘い香りと共につむじ風のように巻き上がる。

 光量は徐々に増し、目が開けられないほどの眩むほどの光が収まると、そこには、いつものように完璧な笑顔を浮かべたアポロンが、くるり、と無駄に優雅に現れた。


 突然の神の顕現に、アカリは「ヒッ!」と悲鳴を上げてカチンと固まり、抱いたナマズをぎゅっと抱きしめた。

 抱きしめる力が強いのかナマズは「むぎゅっ」という音を立てて上下でちぎれそうになっているが、もはや何も言うまい。


「やあ、アーサー君。 ちょうど今、すごく良いところだったんだけど。君って、もしかして僕のお母さんか何かかい? タイミングが絶妙すぎるよ。」

 アポロンは、悪びれもせずにそう言った。

  (ああ、そうだな。母親というのは、いつも絶妙なタイミングでノックをしてくるものだ。何が絶妙かはさておき。) 俺は内心で毒づく。


「ふむ」

 アポロンは状況を一瞥し、すぐに事態を把握したようだった。

「なるほどね。リコリス嬢がいなくなった、と。」

 彼は優雅な仕草で店内を見回し、掛けられた服や試着室に検分をはじめた。


 虎子が何か言いかけたが、俺はそれを手で制した。

 こういう時のアポロンは、下手に口出ししない方がいい。

 おそらく、既にこの場の誰よりも状況を正確に掴んでいるはずだ。


「ふむふむ、この残り香…複数の人間のものだね。犯行は複数犯、目撃した人物が居ないとなると…手際が良すぎる、なるほど、協力者は既に…」


 アポロンがブツブツと小声で考えをまとめている、その横顔すら絵画のように美しい。

 アカリの腕にさらに力が入ったのか、ナマズは破裂寸前の風船のようにパンパンだ。

 もはやナマズの原型を留めていない。俺はあえて突っ込まずにいた。


 アポロンはふぅ、と一つ息をつくと、店の隅で怯えている店員(ウサギの耳を持つ亜人の男だ)を手招きした。

 店員は、突然現れた輝くような男(神)に明らかに怯えながらも、引き寄せられるようにのろのろと近づいてくる。


 アポロンは、怯える店員を一瞥すると、ニコッと慈愛に満ちた男でも見惚れそうな笑顔をこぼす。

 そして、まるで貴婦人の手を取るかのように、自然な動作で店員の右手を取ると―――次の瞬間、その小指の爪を優しく摘まんで、まるで花占いの花弁を抜くように、躊躇なくプチっと抜いて床に落とした。


 一瞬の完全な静寂の後、店員の鼓膜を突き破るような絶叫が店内に響き渡る。

 爪を剥がされた本人でさえ、一瞬何が起きたか分からなかったようだ。


「ぎぃやあああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」

 が、遅れてきた脳髄を焼くような激痛に全身をねじ切らんばかりに身をくねらせて、アポロンから離れようとする。


 だが、アポロンは店員の手を離さない。

 その美しい顔には、一片の表情の変化もない。


 今度は、薬指に手をかけ……。


「おい! アポロン! やめろ!」

  流石に俺は慌てて止めに入った。

 いくらなんでもやりすぎだ。

 こんなことをしなくても…!


「おや、なんだいアーサー君? 邪魔しないでくれたまえよ。あと一枚くらいえぐってから、ゆっくりお話を聞こうと思ったんだけど? ……まあ、いいか。僕の手が汚れちゃうからね。」

 アポロンはそう言うと、握っていた手を開く。


 店員は跳ねるように床を転がり、剥がれた爪のあった指を押さえて脂汗を流し引き攣った呼吸を繰り返しながら呻いている。

「さあ、正直に話してくれるかな? リコリス嬢はどこに連れて行かれたのかな?」


 アポロンの声は、絶対零度の響きで揺るぎない確信と威圧感をまとっていた。

 その声だけで、魂が凍りつきそうだ。


 店員は一瞬、視線を左右に泳がせたが、アポロンの全てを見透かすような凍るような視線に射抜かれ、すぐに諦めたようにボソリと呟いた。


「……み、南区の……第三倉庫……です……そこへ連れて行けと、言われただけで…私は…」

「ほう、南区第三倉庫、ね。ふーん、素直でよろしい」

 アポロンは笑顔で店員の肩をポンポンと叩いた。

 だが、その目は全く笑っていない。

 むしろ、獲物を見定めた蛇のようだ。


「君のズボン、裾が泥で汚れているね。古い汚れと、新しい汚れだ」

 その場にいる全員が、アポロンの言葉の意味を測りかねて、疑問符を浮かべた。(泥? それが何だというんだ?)

「これは同じ種類の泥だ。西地区か北地区の川の近くの物だね。」


 男の顔がギョッとする。

「古い方の汚れは何度も何度も同じ泥がついて染みになっている汚れで、新しい方は今日ついた汚れだ、ここ数日雨は降っていないから、雨が降らなくても濡れている場所という訳だ。つまり、君の生活する環境にはそんな場所が近くにあるというわけだね。」


 そう言うと、アポロンは新しい汚れを指でグリグリと、まるで虫でも潰すかのように押し潰した。

「この泥の渇き具合からすると、この泥がついて一時間くらいだね、ここから一時間くらいだとすると……君の家は西地区の道路が舗装されていない少し奥の方に有るのかな? 娘さんの学校も、その近くだったりして?」


 さっきまで赤かった店員の顔がみるみるうちに青くなる。

 冷や汗が滝のように流れている。


「このハンカチ。稚拙だが心を込めて刺繍してあるイニシャル……君の娘さんのプレゼントかな? この刺繍は本当に小さいころからよくお手伝いをしている一生懸命な刺繡だ、良い子みたいだね。こんな可愛い娘さんがいるのに、悪いことに手を染めるなんて、感心しないなぁ」

 アポロンはいつの間にか店員のポケットからハンカチを抜き出して、優しく撫でながら検分する。

 その手つきは優しいのに、言っていることは恐ろしく冷たい。


「な、なんで、それを……娘のことまで…」

 店員の声が震える。


「君の手を見させてもらったよ。指のタコの位置からして、10年くらい前に武器を持つ事をやめているね。荒事からは足を洗ったつもりだったのかな? その後、娘さんが生まれて……あぁ、 もしかして奥さんが亡くなっているのかい? 爪が綺麗に手入れされている。料理を頑張っているんだね。娘さんは良いパパをもって幸せだねぇ。その幸せを、自分の手で壊すなんて、馬鹿なことをしたものだ」

 アポロンは淀みなく続ける。

 まるで、店員の人生を全て読み取ったかのように。


 店員は口をパクパクさせながら、呼吸かうめきかわからない声を出している。

 もはや恐怖で言葉も出ないのだろう。


「ごめんね、ちょっと尋問に時間をとらせてしまって。じゃあ、僕らはとりあえず南区の第三倉庫に行くとするよ。大事な家族を助けに行かないと」

  アポロンはそう言って、店員に背を向け、ズンズンと歩き出そうとした。


「それにしても、君が正直に話してくれて良かったよ。もし嘘をつき続けていたら、ほら、そこにいるナマズ君が君の脳から直接情報を引き抜こうとしていたからね。そうなったら、君の脳みそ、ぐちゃぐちゃになってたかもしれないし、残された娘さんが、どうなっていたか……想像もしたくないねぇ?」


 アポロンがちらりとナマズを見ると、ナマズは待ってましたとばかりにニヤリと口の端を歪めた。

 その頭部がメキメキと音を立てて真ん中から左右にぱっくりと割れ、中から粘液にまみれた無数の鋭い牙と、うぞうぞとおぞましく蠢くおびただしい数の触手が割れた壁面にひしめいていた。

 その中から二本の特に太くてぬめぬめした触手がゆらゆらと店員のもとへ延ばされる。

 ヌトヌトと粘液に濡れた触手は、ユラユラと店員の目の前で数回揺れたあと、ゆっくりと耳の穴を探すように店員の顔の周辺を這い回り始めた。


 アカリは、立ったまま気絶しているようだ。

 白目を剥いて泡を吹いている。

 賢明な判断かもしれん。俺も気絶したい…。


「ひぃっ! わ、わかった! 言う! 言いますから! 本当です! 今度こそ本当ですから! 北区にあるバー『黒猫の髭』です! そこに連れて行きました! だから、それ、その触手をしまってくださあああい!」

 店員は、ナマズの恐るべき姿を見て完全に心が折れたのか、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら絶叫した。

「あれ?さっきと言っている事が違うなぁ、困った子だねぇ。今回も間違いだったらどうしよう、ナマズ君に味見してもらおうか?」


  店員が絶望の顔で固まる。

 なまずの触手が店員の涙の跡を味見する舌のようにゆっくりと下から上へなぞった。


「あぁ・・・なんでもします! 本当です! 信じてください! 娘のもとに返してください、お願いします、お願いします、お願いします」

 もはや店員の目には正気の光は無かった。

 壊れた機械みたいに同じセリフを繰り返す。

 完全に心が壊れてしまったようだ…。


「ふむ、『黒猫の髭』ね。それで? ただのバーじゃないんだろう? 中の見取り図は? 敵の数は? 武器は? リコリス嬢はどこにいる? 無事なのか? 傷つけられてはいないだろうね? もし、僕の可愛いリコリスに何かあったら……君の可愛い娘さんがどうなるか、分かっているんだろうね?」

 アポロンは、先程とは打って変わって冷たく、ねっとりとした声で畳みかける。

 その美しい顔には、もはや笑顔の欠片もない。

 ただ、獲物を嬲る捕食者のような、残忍な光が宿っている。


 店員は完全に戦意を喪失し、ガタガタと震えながら、知っている情報を洗いざらい吐き出した。

 バーの裏口、地下への隠し階段、見張りの数はおそらく5人、剣やナイフで武装していること、リコリス嬢は地下の一室に閉じ込められているがおそらく無傷であること、そして、誘拐を指示したのはこいつらのボスで、リコリス嬢を『黒爵』に献上しようとしていること……。


 あっという間に、突入に必要な最低限の情報は揃った。

 アポロンを呼び出して15分くらいしかたっていない、まったく、えげつない神様だ。


「ふむ、最初からそう言えばよかったのに。手間をかけさせないでほしいな」

 アポロンは満足そうに頷くと、俺たちに向き直った。

「さあ、アーサー君、虎子君。行くよ。リコリス嬢を迎えにね。少し洋服が汚れちゃったかもしれない、綺麗にしてあげないと」

 その顔には、いつもの自信に満ちた、そして少し楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 まったく、食えない神だ。

 こいつを敵に回したら、本当に終わりだな…。


 俺は気絶しているアカリを抱え上げ、虎子といつのまにか普通に戻っていたナマズと共に、アポロンの後を追って店を出た。

 目指すは北区のバー『黒猫の髭』。


 リコリス嬢、無事でいてくれ……!


きょうのまとめとか


アポロン、名推理

アーサー、この事件がきっかけで、現実世界のほうで…

虎子、指をくわえてみてた

なまず、アドリブで変身

アカリ、たったまま気絶

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ