023 アカリ、バキュームされる
023 アカリ、バキュームされる
さっきまでの、意識だけのふわふわした感覚じゃない。
体が、有無を言わさず何かに強く引っ張られる!
まるで、業務用の超強力な巨大掃除機に吸い込まれていくみたい!
「ちょっ……!? まだ心の準備が……! っていうか、服は!? 服はどうなるの!? パジャマのまま異世界とかマジ無理!」
私の悲鳴は、急速に遠のいていく意識の中に、虚しく吸い込まれていった。
次の瞬間、私は真っ暗な闇の中にいた。
いや、「いる」という感覚すら曖昧だった。
上下も左右も分からない、ただただ暗く、冷たいような、温かいような、ぬるいような、なんとも言えない不思議な空間。
そして、わけのわからない力によって、猛烈な勢いで「何か」の方向に引っ張られ始めた!
「きゃあああああああああっ!! 」
声にならない叫びが漏れる。
体が細長く引き伸ばされるような、逆に一点に圧縮されるような、まるで粘土細工にでもなったみたいな、訳の分からない感覚が襲う。
内臓とか骨とか、ちゃんと元の位置に戻るんだろうかこれ!?
大丈夫だよね?!
周りの景色……と言っても、ただの深海みたいな闇だったものが、ぐにゃぐにゃと歪み始める。
赤や青、緑といった毒々しい原色の光が、まるで腐った絵の具をぶちまけたように目の前を流れ、混ざり合い、気持ち悪いマーブル模様を描きながら渦を巻いていく。
目が回る! 吐きそう!
速い! 速すぎる!
ジェットコースターなんて目じゃない。
飛行機ですら、こんな速度は出さないだろう。
自分がどれだけの速度で移動しているのか、想像もつかない。
もしかして、光の速さ超えちゃってる?
相対性理論とかどうなってんの!?
時間という感覚すら、この空間では意味をなさないのかもしれない。
さっきまでの出来事が、遠い昔のことのようにも、ほんの一瞬前のことのようにも感じられる。
どれくらいの時間が経ったのか。
永遠のようにも、一瞬のようにも感じられたその時、遥か前方に、ぽつんと小さな光の点が見えた。
最初は遠くの星みたいに針の穴ほどの大きさだった光が、猛烈なスピードで近づくにつれて、急速に大きくなっていく。
出口……?
あれが、異世界への入り口なの?
思ったより小さい…っていうか、狭くない?
これ、通れるの?
まずい、このままだと、あの光に……あのちっこい穴に、猛スピードで突っ込む!
「うわっ! ぶつかるーーーっ!! 無理無理無理! 絶対入らないって! 潰れる! ペシャンコになる!」 避けようにも、この強制的な流れの中では身動き一つ取れない!
私はギュッと目を瞑り、全身に力を込めて衝撃に備えた。
せめて痛くありませんように…!
南無三!
―――ドンッ!
という衝撃は、しかし、予想していたものとは全く違った。
体全体がぶつかるのではなく、まるで、その光の穴に、私の右腕だけがスポンッ!と、吸い込まれたような感覚。
「え……?」
……あれ? 痛くない…? 衝撃も、ない…?
そーっと目を開けてみる…。
目の前には、さっきまでの闇とは違う、何か明るい空間が広がって…いや、広がってない!
右腕の先が見えない!
頭や体がこの空間に残されてるんですけどぉ!?
私の右腕だけ異世界に到着したようだった。
「え……?」
……って、腕だけ!?
右腕だけ異世界コンニチハ!?
嘘でしょ!?
体は!?
頭とか足とか、私の大事な本体はまだこの真っ黒な気持ち悪い空間に置き去り!?
右腕一本だけ異世界に到着って、そんなことある!?
どんな雑な召喚なのよ!
「ちょ、ちょっと! なんなのこれ!? 誰か説明して! ヘルプミー!」
パニックになって、とりあえず異世界に生えてる突き出た右腕をブンブン振り回してみる。
こっち側は真っ黒で何も見えないけど、
誰か! 誰か助けて!
ナマズ! 聞いてる!? なんとかしなさいよ!
すると、指先に何か、ぬるり、とした気色の悪いものが触れた。
え、なにこれ……?
ヘドロ?
スライム?
それとも…?
もう一度、恐る恐る手を動かしてみると、やっぱり、ぬめっとした、なんとも言えない気持ち悪い感触。 まるで、巨大なナメクジか何かの粘液に触れているみたい……。
うわっ、指にまとわりついてくる!
取れない! 気持ち悪っ!
まさか……このぬるぬるが異世界なの!?
そんなの絶対イヤ!
このまま腕だけ異世界で、体はこの闇の中……なんてことにならないよね!?
いやあああああ! そんなの絶対イヤ! 腕だけとかホラーすぎる!
恐怖で全身の血の気が引いた、その瞬間。
ぐっ!
突然、異世界に突き出た私の右手首を、誰かが思いのほか強い力で力強く掴んだ!
「ひゃっ!?」
びっくりして声が裏返る。
心臓止まるかと思った!
掴んだ相手は見えない。(こっちはまだ闇の中だし!)
でも、確かな力で、私を穴の向こう側へ引っ張り込もうとしてくれているのが分かる!
まるで「大丈夫、助けてあげる」って、声なき声が伝わってくるみたい。
温かくて、優しい感じの手だ…。
「お、お願い! 引っ張って! 早く!」
誰かは分からないけど、今はもう、この見えない誰かを信じるしかない!
私も必死で、掴まれた腕に力を込める。
見えない誰かと、光の穴を挟んで無言の魂の綱引きだ!
ぐぐぐ……っ!
穴の縁が、さっき触った粘液質の壁みたいに、ものすごい抵抗力で私を引き留めようとする。
ぬるぬるした感触が気持ち悪い!
だけど、負けるもんか!
この人と一緒なら、きっと抜け出せる!
頑張れ私!
頑張れ見えない誰かさん!
ぐっ、と相手がさらに力を込めたのが伝わる。
すごい力! この人、結構力持ちだ!
私もそれに合わせる!
言葉はないけど、心が通じ合っているような、不思議な一体感。
((せーのっ!!))
心の中で、同時に叫んだ気がした。
―――ぶちゅるんっ! ぐちょっ! べちゃっ!!!
まるで巨大なスライムか熟れたトマトが裂けるような、最高に気持ち悪い音と共に、光の穴が無理やりこじ開けられた!
抵抗していた粘液質の壁が四方八方に弾け飛び、私はその勢いのまま、穴の向こう側へ頭から転がり込んだ!
「……っぷは! げほっ、ごほっ! 最悪! なんか口に入った! ぺっぺっ!」
全身、ぬるぬるの謎の粘液まみれ。
最悪……。
お風呂入りたい…。
今すぐ入りたい…。
息も絶え絶えに顔を上げると、そこには―――
視界いっぱいに広がる、柔らかな光。
そして…。
肩のあたりで切りそろえられた、陽の光を吸い込んだみたいにキラキラ輝く金髪。
大きな吸い込まれそうなほど深い、澄んだ湖のような青色の瞳。
小さくて形の良い鼻と、薄いピンク色の、思わず見とれてしまうような唇。
まるで精巧に作られた西洋人形のような、息をのむほどの美少女が、私を掴んでいた手を離して、少し驚いたように、でも心配そうに私を見下ろしていた。
天使…? ここは天国…?
簡素だけど清潔そうな白いフリルのついたエプロンをつけている。
喫茶店の店員さん…?
そして、その天使のような美少女の足元には……
床にひっくり返り、真っ白でぷよぷよしたお腹を天に向けて、長いヒゲをぴくぴくと痙攣させている、巨大な……やっぱり、ナマズ?がいた。
…って、あれ? このナマズ、私がボコボコに殴って原型がわからなくなってしまったペカテウのぬいぐるみに少し似てる?
あの、ぼちゃっとつぶれた顔とか、え?
ペカテウの呪い?
そして、私、なんでこんなにスースーするの…?
まさか……。
そーっと自分の体を見下ろす。
…………。
服がない。
どこにもない。
生まれたままの姿。
つまり、全裸。
………………は?
そして、私、裸なんですけどぉおおおおおおおおおおおおおっっ!?!?




