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異世界で喫茶なまずはじめました。  作者: カニスキー
第一章 始まりの物語
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012 アーサー、グラ嬢を連れて戻る

012 アーサー、グラ嬢を連れて戻る


 グラ嬢を抱えたまま、オレは息も絶え絶えに必死に元の場所へと戻った。  

 鎧は悲鳴を上げて軋み、体は限界を超えて悲鳴を上げている。

 だが、背後で繰り広げられているであろう神々の死闘を思えば、足を止めるわけにはいかない!

 一歩でも、半歩でも前へ!


 そして、再び開けた場所へたどり着いたオレは、目の前の光景に絶句した。

 状況は、オレが離れていたわずかな間に、さらに絶望的に悪化していた。


 龍は……信じられないことに、今や三つの首を持っていた!

 二つ首でも悪夢のようだったというのに、今は三つの長大な首がそれぞれ鎌首をもたげ、その全ての額には、地獄の業火を宿したかのように禍々しい光を放つ深紅の瞳が不気味に宿っている!  

 その威圧感たるや、先程の比ではない!

 空気が重く、粘りつき、呼吸すら困難だ!


 三つの龍の首は、まるで死へのカウントダウンのように示し合わせたかのように、アポロンとタモン様が展開している黄金色のバリアに、連続して頭突きを繰り返していた。

 ゴン! ゴン! ゴン! ゴン! と、重く、鈍く、しかし確実に破滅へと誘う一定のリズムを刻むその衝撃音は、まるで地獄の釜が開くのを告げる不吉な鐘の音のようだ。

 

 バリアの内側では、アポロンが顔面蒼白になりながらも、必死にその衝撃に耐えていた。

 タモン様もまた、鋼の表情に苦悶の色を浮かべバリアを支えている。  

 神々ですら、もはや限界寸前なのは明らかだった。

 バリアの亀裂は、もはや隠しようもなく広がっている!


 オレの姿を認めたアポロンの顔が、一瞬、闇夜に差す一条の光のようにぱあっと輝いた。

 まるで地獄で仏に会ったかのような、凄まじい安堵と期待の表情だ。


「アーサー君! 来てくれたか! 間に合った…!」

 その声に促されるように、オレはそっとグラ嬢を地面におろし、その小さな肩を優しく揺さぶった。

「グラ嬢、起きてくれ! 頼む!」

 これだけの騒音と振動だ、流石に目を覚まさないはずがない。

 グラ嬢は「んん……」と小さく身じろぎし、とろんとした眠そうな目でゆっくりと瞼を開けた。

 

 が、目の前に広がる光景――三つ首の巨大な龍が神々と死闘を繰り広げるという、現実とは思えない悪夢のような現実――を認識した瞬間、彼女の顔からサーッと一気に血の気が引いた。


「な、な、な、なんじゃコレはぁーーーーーーっ!?」  

 グラ嬢は腰を抜かし、完全にパニックを起こして叫び声を上げた!

 その小さな体は恐怖にわなわなと震えている。

 瞳は恐怖に大きく見開かれている。


「グラ嬢! 頼む、君の力が必要なんだ!」

  バリアの内側から、アポロンが必死に呼びかける!

 しかし、グラ嬢は首をぶんぶんと横に振り、涙目で叫び返した。

「嫌じゃ! 嫌じゃ嫌じゃ! こんなキモい化け物と戦えるわけなかろう! 無理じゃ! わらわ、おうちに帰る!! シモー! シモー! どこじゃー! 助けてくれー!」  

 完全にパニックを起こし、シモの名を呼びながら現実逃避しようとしている。


 まあ、無理もない。  

 この光景を見れば、大人だって逃げ出すだろう。

 ましてや子供だ。


 だが、アポロンは残酷なまでに冷静に非情な現実を告げた。

「グラ嬢、落ち着いて聞いてくれ! シモ君は……おそらく、あの龍の最初の一撃で……」

 アポロンの言葉は途中で途切れたが、その意味は痛いほど伝わってきた。

 オレの診療所の屋根を吹き飛ばした、あの破壊の奔流。

 そこにいたであろうシモが、無事でいるはずがない……。


 その言葉を聞いた瞬間、世界から音が消えたかのように、グラ嬢の動きがピタリと止まった。

 わめき散らすのも、涙を流すのも止まり、まるで魂が抜け落ちた人形のように虚ろな目で、先ほどまでシモがいたであろう、今は瓦礫と化した方角をただ、じっと見つめている。


 彼女の周りの空気が、急速に冷えていく。

 そして、次の瞬間。

 グラ嬢の纏う雰囲気が、がらりと変わった。


 先程までの怯えた少女の面影は完全に消え失せ、その小さな体から、冷たく、静かで、しかし底知れないほどの強大な気配が立ち上り始めた!  

 彼女の足元の影が、意思を持ったように蠢き始める。

 犬耳がピクリと動き、背中の小さな翼が不気味に脈打つ。

 その変化に、オレもアレクも、そしてバリアを維持するアポロンとタモン様すら、息を呑んだ。


 グラ嬢は、虚ろだった瞳に虚ろなの冷たい光を宿し、ゆっくりとアポロンを見据えた。

 その視線は、もはや子供のソレではない。

「……アポロン。シモは……本当に……死んだのか?」

 その問いに、先程までの軽薄さが嘘のように、アポロンは痛ましげに目を伏せ、重々しくゆっくりと左右に首を振った。

 肯定も否定もしない。だが、それが何より雄弁な答えだった。


「……そうか」  

 グラ嬢は、ただそれだけ呟いた。

 一切の感情が抜け落ちた平坦な声だった。

 だが、その声の奥底には、計り知れないほどの怒りと悲しみが渦巻いているように感じられた。

 

「ゴロス……ザタール……クトン……ヴェクス……ライラ……」

 聞いたこともない、異界の響きを持つ五つの名前。

 それが紡がれた瞬間、グラ嬢の足元から、どろり、と粘性の高い濃密な闇が噴水のように溢れ出した。

 それは急速に人の形を取り、先ほどオレが彼女の部屋で見た、あの禍々しい黒い影が五体、グラ嬢の前に絶対的な忠誠を示すかのように恭しくひざまずいていた。

 赤い憎悪の目が、じっと主の命令を待っている。


グラ嬢は、その影たちを一瞥すると、静かにただ一言、命じた。


「逝ケ」


 その言葉が合図だった。

  五体の影は、魂を凍らせるような甲高い、耳をつんざくような狂気と狂喜の金切り声を上げながら、一斉に三つ首の龍へと飛びかかっていった!

まるで黒い死のいなごの群れのように!


「■■■■ッ!?」

  龍も予期せぬ奇襲に驚き、その巨体からエネルギー弾を放ち、影を薙ぎ払おうとする!

  だが、影たちは怯まない!

  痛みも恐怖も感じないかのように!


  撃ち落とされ、体が千切れても、残った部位が、あるいは別の影が、執拗に龍の巨体にしがみつく!                        

 そして、龍の鱗に禍々しい爪を立て、あるいはその体にまとわりついた瞬間、影たちは再び金切り声を上げ、自らの体を爆弾に変えて炸裂した!


 ドゴォン!

 ドゴォン!

 悪意に満ちた連続する黒い爆発が、龍の巨体を絶え間なく打ち据える!

 五体の影が自爆し終えても、グラ嬢は止まらない。


 感情のない瞳で再び、新たな名を呟き、次々と影を呼び出し、龍へと消耗品のように突撃させていく。

 それはもはや戦闘というより、一方的な消耗戦。


 影たちの捨て身の猛攻により、龍の攻撃は明らかに分散し、アポロンたちへの圧力が弱まった。

「……行くぞ、タモン!」

  アポロンが叫び、タモン様と共にバリアを解く!

  そして、神々もまた、影の自爆が作り出した隙を突き、龍への反撃を開始した!


 ここから先は、もはや人間の理解を超えた領域だった。

 アポロンの放つ光の矢は、単なる矢ではなく、太陽の如き輝きを放つ神罰の光槍へと変化し、龍の硬い鱗を貫き、その肉を焼き焦がす。

  タモン様の拳は、振るわれるたびに空間を歪ませるほどの衝撃波を生み出し、龍の巨体を揺るがし、地面を砕く! 一撃ごとに山が動くようだ!


 そして、グラ嬢自身も動いた!

  彼女の小さな体に、呼び出した影とはまた違う、さらに濃密で禍々しい闇が、まるで生きた鎧のように纏わりつく!

  その姿はもはや可憐な少女ではなく、闇そのものが形をとったような異形の獣へと変貌していた!

 グラ嬢は、その異形の姿のまま、信じられない速度で龍へと跳躍し、その首の一つに獣のように食らいついた!

  影で形成された鋭い牙と爪が、龍の肉を容赦なく引き裂き、噛みちぎる!


  龍の絶叫が響き渡る!

「■■■■■■■■■ッッ!!」

 三つの首を持つ龍も、黙ってやられてはいない!

  その怒りは頂点に達したのか、さらなる変貌を遂げる!

  背中のひれが、まるで黒曜石の刃のように鋭く、そして巨大に発達し、不気味な光を放ち始める!  


 三つの口から吐き出されるエネルギーの光線は、以前とは比較にならないほど太く、強力になり、触れるもの全てを消滅させながら周囲の空間を歪ませて薙ぎ払う!

 さらに、その巨大な体のあちこちから、無数の禍々しい赤い瞳が、まるで爛れた瘡蓋かさぶたが開くかのように次々と開眼し、ギョロギョロと動き、戦場全体を狂ったように睨みつけている!


  まさに悪夢の具現!  それだけでは飽き足らず、三つの龍の頭には歪んだ神々しい光輪が現れ、禍々しいのか神々しいのか人間の理解を通り越した混沌の何かに変化した!

 龍の咆哮、影の金切り声、神々の攻撃、爆発音、空間の軋む音……。

 様々な音が不協和音となって入り混じり、目の前で繰り広げられるのは、もはや地獄絵図そのものだった。


 神と悪魔と龍が入り乱れて殺し合う、人智を超えた戦い。

 オレは……オレとアレクは、ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。


 消耗しきった体に、介入する力は残っていない。

 ただ、この終末を見届けることしかできない。


 助けを求めて連れてきた少女は、今やこの地獄の中心で異形の姿となり、冷徹に死の軍勢を指揮し、自らも牙を剥いている。

 目の前で繰り広げられる光景は、あまりにも現実離れしていて、まるで質の悪い悪夢を見ているかのようだ。

 オレは、ただ呆然と、その地獄の戦場を見つめていることしかできなかった。



今日の色々

なまず、第三形態


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