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静けさに問う  作者:
8/13

第八章「静寂に舞う」

雨はまだ、静かに降っていた。

囲炉裏の火は少し落ち着きを取り戻し、空間にゆったりとした余白を作っていた。


官兵衛と昌幸が去った後、火の間には再び静寂が戻ってきた。

残ったのは、利休、空海、そして清少納言。

それぞれが思考を宿したまま、言葉を選びあぐねるような沈黙だった。


「……賢しらな男たちね、あのふたりは」


沈黙を破ったのは、清少納言だった。

茶碗を手に取りながら、半ば呆れたように呟く。


「策だの、理だの……挙げ句、春雨の音すらかき消すような声で、己の器をひけらかして」


「……策もまた、芸でございますからな」


利休がぽつりと応じる。


「芸? あれが?」


「“かたち”を作るという点においては、通ずるものがあるでしょう。完成ではなく、完成に至る“構え”を練ること……」


「ふぅん……」


納言は、器の縁を指でなぞりながら、やや不満げに眉を寄せた。


「結局、皆“かたち”に逃げるのね。美しさなんて、結局は中身よ。どれだけ言葉を削ぎ落としても、最後は――」


「……あの、失礼……雨宿りをさせていただけないでしょうか」


声が割って入った。


納言の目がすっと吊り上がる。


「……ええと、いま、話の途中だったのだけれど?」


戸口に立っていたのは、ひとりの男だった。

肩から濡れた布を下げ、傘も差さず、浅葱色の羽織に雨を滲ませたその姿には、どこか気配を消した者の佇まいがあった。


だが、声を発したその“間”には、舞の一歩目に似た、緊張と覚悟が滲んでいた。


「申し訳ありません……。雨音の向こうに人の声が聞こえて……つい、足が向いてしまって……」


世阿弥は深く頭を下げた。声は低く丁寧だったが、その目は、どこか怯えた小動物のように清少納言を避けていた。


納言は、唇を軽く噛む。


「なんなの、今日という日は。男たちは皆、人の言葉を遮るのが趣味なのかしら」


空海が苦笑し、利休が静かに戸口へと歩み寄った。


「どうぞ。火も、雨を嫌う方には優しゅうございます」


「……ありがとうございます」


世阿弥は頭を下げ、戸を静かに閉めてから囲炉裏の端へと腰を下ろした。

その所作に、思わぬ柔らかさがあった。


「お名前は?」


納言が、やや険のある声音で訊ねる。


「……ただの、芸に携わる者です」


「芸? 貴方が?」


問い返すその口調には、まだわずかに苛立ちが残っていた。

だが、彼女の目はすでに観察者のそれに変わりつつあった。


世阿弥は頷いた。


「舞を……。舞台の“かたち”を生きることで、己を削ってまいりました」


「へぇ。面白いわね」


納言の目が細まる。その口元には、興味と皮肉が同時に浮かんでいた。


「では訊くけれど、“舞”ってなに?」


唐突で、鋭い問いだった。

世阿弥の肩が一瞬、ぴくりと動いた。だが、答えはぶれなかった。


「……心を、かたちに宿すものです」


「ふぅん。私からすれば、心を言葉にした方がずっと早いけれど」


「言葉は……流れます。残るのは、受け取る者の解釈だけ。

舞は……かたちで残る。意図を沈め、形で語りかけるものです」


「かたちだけを残す? 傲慢ね。観る人間に、全部投げるってことじゃない」


「……はい。信じて、投げるしかできません」


世阿弥は、少しだけ声を落とした。だが、その目には揺るぎがなかった。


清少納言は、そのまなざしをしばらく見つめていた。


やがて、ふっと笑う。


「……なるほど。貴方、思っていたより根が強い」


「いえ……ただ、舞台に立つということが、それしか許してくれないのです」


「……面白い。舞とことば、どちらが人の心に残るのか、試してみたくなるわね」


囲炉裏の火が、音もなく燃えた。


空海は目を閉じたまま、微かに口角を上げていた。

利休は、静かに湯を注いだ。


雨はまだ、続いていた。

だがその音は、不思議と静かに聞こえた。


芸が火を囲む夜。

沈黙と声が、ひとつの舞台の上で交わろうとしていた。

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