第六章「理と理」
火はまだ、健やかに燃えていた。
雨は相変わらず、軒を叩いている。だが、それはもう耳を刺すものではない。ただ、長い夜の隣にある呼吸のように、静かにそこにあった。
戸が勢いよく開く。濡れた風と共に、二人の男が現れる。
「おお、これは見事な焚き火だな。しかも、坊主と茶人のお出迎え付きとは。なんとも殊勝な夜じゃないか」
声の主は、武骨さの中に狡猾な笑みを湛えた中年の男だった。裾の汚れを気にする素振りもなく、囲炉裏へとまっすぐ進む。
「まったく……また貴殿はそうやって場を乱す。言葉にも構えを持たぬから、誤解を生むのだ」
その後から、やや細身で目の奥に理を潜ませた男が現れる。袴の裾に泥が跳ねているが、それすら整った身のこなしで気にかけず、歩く姿には律があった。
「真田昌幸殿、黒田官兵衛殿──どうぞ、お入りくださいませ」
利休が、静かに言う。その声に、火が応じたようにまた小さく弾けた。
昌幸は座布団に無造作に腰を下ろすと、靴の中から水を振るように足を伸ばす。
「雨の中を歩いてきて、この火のありがたさよ。策も戦も火には勝てんな。いや、火の使い方で勝敗が決まるというべきか」
「だからこそ、その火を乱すような言動を控えていただきたい。昌幸殿、常に言葉が先走る」
「先に言葉を出さねば、敵も味方もこちらを見んではないか」
「見せることがすべてではない。沈黙もまた策のひとつ」
ふたりは、まるで長年の対立をそのまま芝居にしたように、互いの理をぶつけ合う。
空海が、穏やかに数珠を鳴らす。
「言葉も策も、火に似ています。急げば燃えすぎ、抑えすぎれば消えてしまう。中庸こそ、大道なり」
「坊主殿、いきなり核心を突くな」
昌幸が苦笑混じりに言う。だが、その目には揺るぎない聡明さがあった。
利休が茶を点てながら、声を添える。
「策士が二人、同じ場に居れば火は賑やかになりましょう。しかし、火が跳ねれば器が割れます」
「その器が帝か?」
官兵衛が低く問うた。
「否、器は人々です」
利休は茶を差し出す。官兵衛が受け取り、静かに口をつけた。
「……温い」
「あえて、でございます」
「……好ましい温さだ」
昌幸が肩を揺らして笑う。
「冷えた心には熱すぎる火よりも、ぬるま湯が効くというわけか。いやはや、策も茶も奥が深い」
「策は生きてこそ。茶は命に沁みてこそ」
空海の言葉に、一瞬、場が静まる。
その沈黙の中で、雨がまた少し強まった。だが、火は揺らがず、ただ芯を燃やしていた。
「……して」
昌幸が囲炉裏に手をかざしながら言う。
「帝は、どこへ向かわれた?」
「風の先へ、とだけ申しておきましょう」
利休の言葉に、昌幸も官兵衛も何かを悟ったように目を伏せた。
「風の先、か」
「ならば、我らが見るべきは、その風が残した“ゆらぎ”だな」
ふたりの策士は、火を見つめる。言葉を交わすことなく、だが確かに、同じ問いをその胸に宿していた。
嵐はまだ遠い。だが、火の間にはすでに、策の種がまかれていた。