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静けさに問う  作者:
12/13

第十二章「雨の余白にて」

雨は、ほとんど音を立てなくなっていた。

軒先を伝う雫は、もはや静かな飾りのように揺れている。


囲炉裏の火はなお穏やかに、芯からゆるやかに燃えていた。


世阿弥は、その前に静かに立っていた。

舞台を去る者のように、足音を極限まで沈めながら。


「……私は、語りすぎました」


「それもまた、舞の一部でございます」


利休が微笑を含みながら応じる。


「言葉が空になることで、かたちが残ります。

あなたの言葉は、消えてゆくに足る“火”を帯びておりました」


世阿弥はしばらく黙っていた。


やがて、囲炉裏を一礼し、ふと目を伏せる。


「……舞台には、もう一人、最後の客が来る気がします」


「ええ。茶を、整えておきましょう」


それだけ言って、世阿弥は戸口へと向かう。

外には、細く、やわらかな雨。


そのなかへ、まるで霧のように彼は消えていった。


残されたのは、利休のみ。



火はなお、一定のリズムで揺れていた。

茶釜の湯は、小さく鳴っている。


利休は、ひとつ深く息を吸い、


  ゆっくりと、立ち上がる。


棚に並ぶ茶道具に手をかけ、ひとつひとつ、確かめるように、


  柄杓。


  茶碗。


  茶筅。


  そして、なつめ


動きに迷いはない。


だが、そこに急ぎはない。


一挙手一投足が、音を立てずに空間に沈んでいく。


  


  水を汲む。


    柄杓の音が、かすかに空間に浮かぶ。


  それを、茶碗に移す。


    湯気が、静かに立ち上る。


  


  茶筅を取る。


    利休の指が、まるで絹をなでるように持ち上げる。


  


  混ぜるのではない。


    点てるのでもない。


      ただ、茶と湯を、重ね合わせる。


  


  音がない。


  だが、時がある。


  


ひとつの流れが生まれ、消えていく。


湯気のむこうに、空が見えるようだった。


利休は、茶を一碗に整える。


  静かに置く。


それは、ただの所作でありながら、

どこか、迎える者への祈りのようでもあった。



そのとき――


外の木々が、ほんのわずかに揺れた。


雨は、もう止んでいた。


鳥が一声、遠くで鳴く。


そして、草を踏みしめる音。


はじめは迷うように。

やがて、確信を帯びて。


戸口の向こうに、ひとりの男が現れた。


肩には旅の埃。

眼には戸惑いと、消えぬまっすぐさ。


「……あの……失礼。道に迷いまして」


声には、まだ若さがあった。


だがその声の奥には、

何か、形になる前の“時代”が宿っていた。


利休は、微笑んで頷いた。


「どうぞ。お入りなさいませ」


男は深く一礼し、囲炉裏の前に歩み寄る。


名は、まだ語られていない。


だがこの旅人こそ──

将軍となる前の、徳川慶喜であった。

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