第9話 君のために、何でもする
医師の診察が終わると、再びベッドの横に千鶴がやって来て、鷹也にスマホを手渡した。
画面には『21:35』とあり、やっと現在の時間を認識する。
「どーでもいーけど……親達ももう少ししたら来るってさ。こんな時なのに、仕事場から距離あるから……ダメな親よね」
昔から、両親ともに仕事で家にいないことが多い小埜家。千鶴が親よりも兄に依存するようになった原因でもある。
もちろん愛情が薄いわけではなく、ふたりとも鷹也の元へ何とか駆けつけようとしていた。
が、鷹也は現在、両親が来る前に得るべき情報がある。
『病院まで、ほかに誰か来てなかった?』
鷹也は目の前の千鶴にチャットを打つ。
千鶴は自分のスマホを確認し、短く溜息をついた。
「ぴよ子のことでしょ? そりゃ居たよ。だって……あの女のせいで、おにーがこんなことになってんじゃん」
やっと不良らしい顔になり、憎々しげに唇を尖らせる千鶴。
陽代乃と千鶴が自分の知らない所で顔を合わせていたと判り、何を話したのか気にはなったが、それよりもまず陽代乃の無事が判明し、鷹也はホッとする。
『巻き込まれたのは確かだけど、あの人のせいじゃないよ』
「何よ……やっぱマジ惚れしちゃったわけ? あんな女やめなよ。有名Yo!tuberなんて、絶対いいことないって!」
『付き合うとか、そんなことじゃなくて……有名人だからって偏見はよくないよ。千鶴には、もっと優しい子でいて欲しいな』
「う…………っ」
妹が兄に依存していることを自覚していて、その上で本心を伝える。
鷹也は鷹也で、妹のことを無自覚に溺愛していた。
「わ、わかったよ。おにーがそう言うなら……」
『それに、相手が誰だったとしても……人を守るために動けたことは後悔してないよ。ちゃんと生きてるんだしな』
「……お人好しにも程があるよ。命かけるようなことして、少しは後悔した方がいい。もっと自分や……家族のことも考えて!」
『ごめん』
兄妹の信頼前提で、本心同士の会話。
それがひと息ついた時、ポコッと新しい着信の知らせがやって来た。
(ひよの先輩……!)
陽代乃の連絡が今になったのは、鷹也へメッセージを送る資格があるのか、自問自答していたからだった。
悩んだ結果、ちょうど鷹也が目覚めたタイミングに届いたその文章は――
『ごめんなさい』
『ありがとう』
2件のあまりにも飾り気ない言葉。それを送るのに、陽代乃は数時間をかけた。
そんな複雑な感情の揺らぎを無意識に感じ、鷹也は少し泣きそうになる。
『ついさっき、目が覚めました。ひよの先輩は何も問題無いですか? 俺の方は、なんとか大丈夫です。気にしないで……というのも変かもですが、ほんと大丈夫ですから!』
早く安心させたくて、思いつく言葉を全部打ち出し、焦って送信ボタンを押す鷹也。
(う……先輩が簡潔なメッセだったのに、ちょっと張り切りすぎに見えるかな。もう少し考えて送れば良かった……)
要らぬ後悔をしていると、1分ほどの間を空け、陽代乃の返信が届く。
『電話していいですか?』
『聞いてくれるだけでいいから』
文字で話すのが当たり前の時代だが、やはり、肝心な時に本当の気持ちは伝わらないと思うのか。
陽代乃は勇気を振り絞って、その提案を送っていた。
『わかりました』
鷹也のリプライから、コール音が鳴るまでまた1分。
『応答』のアイコンに触れると、いきなりしゃくり上げる涙声が聞こえてくる。
「ぐすっ……ふぐッ……」
(えええ……めっちゃ泣いてる! どうしよう……スピーカーにするわけにはいかないし、とにかく聞くことに徹するしかない)
声も文字も送れないのがもどかしい。鷹也はとにかく陽代乃の言葉を待った。
「あの……あらためて『ごめんなさい』と『ありがとう』言わせてね。小埜君のお陰で、私は何ともないよ」
(そっか……よかった。痛い思いしても、それだけで堪えられる)
「小埜君が気を失ってすぐ、乃村さんが入ってきてね。犯人を取り押さえてくれて。隣の部の人達も来て……救急車も来て……」
(部長、いいタイミングで来てくれたんだな。俺が気絶したまま、ひよの先輩がまた危険に晒されてたら……マジ無駄死にだった)
時折、言葉に詰まりながら、陽代乃は当時の状況を話す。
その声は、配信ではまず聴けないもので、イカンと思いつつ、鷹也は少しドキドキしていた。
「犯人は三年生で……元々、電網部に籍はあったって。がおー氏がいないタイミングを待ってて、私を尾行してたみたい。がおー氏には……めちゃくちゃ怒られちゃった」
(そういや……考えてみれば、ひよの先輩がウソついてまで部室に来たのは、俺がいたからってことになるんだよな。そもそも俺が電網部に入らなければ……)
「小埜君は……とってもいいひとだね。こんな目に遭ったのに、さっきも先に私の心配してくれてた。ああいうの、取り繕って出来るものじゃないと思うから……」
(そんなの……大したことじゃないですよ。いいひとなんかじゃ……)
褒められて、謙遜できないことがこんなにムズ痒いとは。心の中で悶えながら、次はどんな褒め攻めが来るのかと覚悟して待つ鷹也。
また少し勇気を絞り出す時間のような間があり、鷹也はスマホに耳を押しつけた。
「あのね…………私、君のために……何でもするから。何でも言って」
「ッ…………!」
(ヤバい、声が出そうに! 心臓が勢いよく打ち過ぎて……胸が痛い! 憧れの人が……何でもする、って?)
『御都合主義なエロ漫画でしか聞くことないセリフ』と思い、すぐに振り払うべく頭を振る。
少し、喉が痛んだ。