第8話 戻らない声
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! 私がここへ来たから!」
『先輩のせいじゃない』
そう言いたかったが、鷹也の喉からは咳しか出なかった。
「どうしよどうしよどうしよ! 551! じゃなくて! 115! 違う!」
慌てふためく陽代乃を少し心地よく感じながらも、『声のことだから余計に心配してくれるのかな?』と、ふと思ってしまう。
そんな自分のネガティブさに呆れていた鷹也だが、その気配にハッとして、ヤツの姿を確認すべく視線を投げた。
「うあああああぁあぁぁあああぁああぁぁあぁあああああッッッ!!!」
ナイフを構えた佐崎が陽代乃に向かって突っ込む映像が目に映る。
アニメで見たような光景。鷹也の脳裏に『まさか、死? 転生?』と一瞬よぎる。
あくまで一瞬。その葛藤が生まれるより早く、鷹也の体は動いていた。
「きゃうッ!?」
鷹也に突き飛ばされ、陽代乃の長い手足がそこらの機材をガシャガシャと叩き落とす。
転がった先、床の上で顔を上げる。
その時、陽代乃が見た光景は、鷹也が佐崎のアゴを掌底で打ち抜く場面だった。
「えっ? えっ? 私、また庇ってもらっ……」
陽代乃の言葉を待つことなく、鷹也は小さな呻き声を吐きながら、ゆっくりと膝をつく。
「だ、だいじょぶ? 早く保健室へ……」
まだ状況が判らない陽代乃は、慌ててハイハイ状態で鷹也に近寄る。
その目に映ったシャツの腹部は真っ赤に染まり、突き立ったナイフを伝った赤い雫がいくつも床を叩いていた。
「あッ…………イ、イヤァ――――――――――ッ!!」
* *
「うあ――――ッ! うあ――――ん! おかーさ――ん! おにーちゃんが――ッ!」
(ああ……千鶴が泣いてる。近くの公園、1本だけ立った柿の木の下。無様に落ちて、うずくまってる俺。そう……体中痛い……)
鷹也は千鶴に呼びかけようとする。が、体が重く、頭が上がらない。
(確か……手首の骨にヒビが入ってて。あんまり千鶴が泣きわめくから、近所の人が来るんじゃないかって……恥ずかしいから自力で起き上がっ……)
「ぅ…………ふ……?」
瞼を開いた鷹也の視界が、白い天井で埋まる。
そこには点滴パックが吊られるレールが走り、自分の周りはカーテンで囲まれている。
記憶を辿ろうとするが、頭の中はボーッとして靄がかかったようだった。
(病院…………そうだ、俺、刺されて……気を失って……)
「おにー!?」
声の方へ、ゆっくりと顔を向ける。そこには、夢の中と同じように瞳を潤ませる妹が立っていた。
「あ、頭大丈夫? 違う、意識……うっ……うあ――――ん!!」
抱きつく5cm前で思いとどまり、千鶴はシーツの端に顔を押しつけ泣きじゃくる。
妹の頭のつむじを眺めながら、鷹也はほかに誰もいないことを確認。
妹だけでも付いててくれる人間がいてよかった、と心の中で苦笑いした。
(窓が見えないけど……だいぶ時間が経ってるのか? あのストーカーを殴って……ナイフ刺さってるの見て『前に倒れられない』と思って、なんとかゆっくり後ろへ……あ、そうだ……ひよの先輩が受け止めてくれて……)
思い出しながら、ハッとする。意識が途絶えたそのあと、どうなったのか――
「ぢ…………ぐッ!」
「声出そうとしないで! 今、医者呼ぶから……」
千鶴は慌てながらも呼び出しのコールを押した。
すぐに医師と看護師がやって来て、ベッドの上半身部分を起こし、鷹也にタブレットPCを手渡した。
「小埜鷹也さん、声は出さないで、とりあえず聴くだけにしてください。言いたいことがあれば、文字入力してくださいね」
医者の念押しに、鷹也はコクリと頷く。
薬のせいか甘苦くなっている自分の喉がどんな状態なのか、想像して、今は飲みづらい固唾を呑む。
「まず、おなかの方ですね。不幸中の幸いですが、臓器の大きな損傷は見られず、深刻な後遺症はないでしょう。点滴で痛み止めを入れてますが、痛みが出たら教えてください」
(痛み……怖いな。だけど、刺された分には、まだ運が良かったってことなのか)
「喉の方ですが……炎症の処置はしましたが、しばらく声は出さないようにしてください。どういう薬品だったか確認中ですが……患部の状態を見た限り、2・3日でまた声を出すことができるでしょう」
(アイツ……自分で作った薬品だとか言ってたっけ。不完全な出来だったのかな……)
「ただ、もしかしたら、少しかすれた声に変わるかもしれないですね」
医師のその言葉を聞き、鷹也の眉が数mm動く。
そして、初めてタブレットに文字を入力し、医師に見せた。
『前と同じ声に戻らない、ということですか?』
「最初はそうかもしれませんね。それも時間が経てば、普段会話する人にはわからないくらいの変化になると思いますよ」
(声が……元の声じゃなくなる? それって……)
100万人が認める陽代乃が、認めてくれた声。
少し自分に自信が持てそうな、人生の転機になりえるような、大事なものを失ったかもしれない。
鷹也の中に、そんな喪失感が湧き起こる。
(いやいやいや、自分のことなんかどうでもいい。ひよの先輩が無事なら……)
もちろん、それも本心だった。が、鷹也の中で、名状しがたい不安が渦を巻いていた。