第6話 彼氏じゃないもん
おとなしく一日の授業をこなし、早速、電網部部室へやって来た鷹也。
実際に今後この場で収録することを想定し、モニターにVtuber【Dr.ホーくん】を表示させ、同期テストを試していた。
「うん、問題ないな。マイクは……あー、あー」
フェイストラッキングを調整し、画面上の【Dr.ホーくん】に自分と同じく口を開けさせる。
あらためて鷹也は、その優しげなイケメン二次元キャラとにらめっこする。
「ひよの先輩は……このビジュと俺の声がセットになってることで盛り上がってくれるんだよなぁ」
(小埜鷹也よ、なに当たり前のことを口に出して確認してるんだ? キャラを演じて、ファンだと言ってくれる人を『ありがたい』と思ってたけど……実際その人に会ってみると、なんとも複雑な気分。声優さんがアニメイベントでファンサする時って、こんな感じなのかな。いや、そんなわけないか……)
普段【Dr.ホーくん】の配信でファンに呼びかける時も、ついつい照れが入ってしまう鷹也。
演者志望でない普通の高校生なのだから当然なのだが、声だけで気づいてしまった陽代乃という特殊な存在が、鷹也を迷わせていた。
「キャラ入れてやってるんだから……もっとやりきらなきゃダメだよな。そんな中途半端で、登録者が増えるわけないぞ?」
独り言をマイクに吹き込みながら、少しずつキャラへのチューニングやテンションを合わせていく。
まだまだ未熟とはいえ、続けてきた経験は嘘をつかない。
評価数もまだまだ少ないが、鷹也の目はほんのりプロっぽくなっていた。
「おおー! 同接1万人なんて、夢みたいだよ! みんな、ありがとう~!」
もしかしたら将来発するかもしれないセリフを言ってみる。
実際の同時接続数は50~100だが、夢は大きく見るものだ。
「だ…………大好きだよ~!」
「へあッ!?」
思い切って甘い言葉でファンサしてみたその時、入口のドアが開き、素っ頓狂な声が上がった。
170cmの長身がピーンと固まって立っていた。その人物はもちろん――
「ひ、ひよの先輩!?」
テニス部で練習にいそしんでいるはずの陽代乃だった。
大きな瞳をまん丸に開き、しばらく硬直していたが、フッと糸が切れたように崩れ落ちる。
「ちょ、あぶッ……!」
椅子から立ち上がり、陽代乃をなんとか抱き留める鷹也。
しかし、155cmの体格、雅桜のようにカッコ良くはいかず。
全身で抱きしめるような形になり、そのままドスンと床に転がってしまう。
「はわ……む、胸……ッ!!」
不可抗力。標準的サイズより少し大きめくらいの柔らかな胸を掴んでいた鷹也は、慌てて幸せな感触を手放した。
「す、す、す、すみませんッッッ!!」
両手を上げ、目を固く閉じる。ビンタが来ることも予想し、鷹也は歯を食いしばる。
「きゅう…………」
しかし、鷹也の上の陽代乃は黙して語らず。幸せそうな笑顔で気を失っていた。
(これ……俺の声で気絶した、ってことでいいの? 胸揉まれてショックで、なんてことだったら……本格的に俺、終わりだぞ)
なんとか陽代乃の体を運び、ソファに寝かせた鷹也。一気に力が抜け、そのまま床に座り込む。
憧れの有名人(制服姿)が脱力して横たわっている光景を前に、ゴクリ生唾を飲んでしまう。
(仲村先輩は仕事でいない…………イカンイカンイカン! 今がチャンスとばかりに凝視するな小埜鷹也! そりゃ、こんな間近で見る機会なんて今後まずやって来ないだろうけど!)
両サイドに天使と悪魔が現れるのを事前に吹き飛ばすかのごとく頭を振る。
(しかし……本当に綺麗&可愛いな。こんな状況、俺じゃなきゃ理性失ってイケナイコトしちゃうね。はは、ははは……)
クールぶって瞼を閉じる。が――
「ん…………ふぅ……」
「ぐふッ……!」
(なんて色っぽい吐息……ト、トチ狂うなよ小埜鷹也。この人はちゃんと彼氏がいる。俺は……ただの【ぴよ子】ファン。この人は……【Dr.ホーくん】ファン)
心の中で唱えると、少し冷静になる。
そもそも、そういう気持ちではなかったはずが、自分の気持ちの変化に鷹也は気づき始めていた。
(好きになんか……なっちゃダメなんだから)
胸の奥がズキンと締め付けられる。
(いや……ほんと違う! 動画でずっと観てきたから、この人のこと知った気になって。それでマジになるなんて……そんなのストーカーと変わらないぞ?)
そんな制御できない感情に、戸惑うしかなかった。
「ひよの先輩は……俺の声が好き、なんですよね?」
「ひゃはいっ!」
思わず声にした問いかけに、陽代乃は跳ねるように飛び起きた。
あまりにイイ反応だったため、実はすでに意識があったのではないかと思い、鷹也の顔は夕陽のように紅潮する。
「あ、あれ? 私……また気絶してた? ご、ごめんなさい! 迷惑かけて……」
「い、いえ……あ、っと……」
鷹也は声を発するのを寸前で抑え、あたふたとスマホを取りに行こうと立ち上がる。が――
「あ、ま、待って! 私、なんとか耐えるから……普通に喋ってくれないかな?」
ソファに腰掛け、おねだりするように手を合わせる陽代乃。そんなちょっとした仕草にも、鷹也はドキッとしてしまう。
「だ…………大丈夫ですか?」
「ひゅふ……っ! だ、だいじょぶ! いつまでも小埜君に手間かけさせられないし……」
くすぐったそうに笑いながら、陽代乃はスマホで時刻を確認する。
「よかった……ついでに寝入っちゃってたら、どうしようかと思った。あの……ソファまで運んでくれたの?」
「す、すみません! 咄嗟に受け止めて……ふ、触れてしまって」
「謝らないでよ、迷惑かけたのはこっちだよ。それとも……謝らなきゃいけないようなこと、した?」
「し、し……てません!」
(胸触ってしまったのは、仕方なかったのでありまして! 正直に言わない方がいいこともある……よな?)
ブンブンとブレインシェイクする鷹也に、陽代乃はクスクスと人なつっこい笑みを浮かべた。
「そうなんだ。男子って、我慢できないって聞くし。小埜君は紳士なんだね」
「ど、どうなんでしょうか。我慢できない系男子もいると思うので、気をつけた方がいいと思いますけど」
「あはは、がおー氏にもいっつも言われるよ。気をつけまーす」
有名人の自覚が今ひとつ無いのか、目を細めて無邪気な笑顔で答える。
そんな表情を見せられ、鷹也は困ったような笑みでひと息ついた。
「ひよの先輩……なんでひとりで来たんですか? 仲村先輩がダメだって言ったのに」
「えへへ、ウソついちゃった。どうしても、小埜君とふたりで話したかったから……」
鷹也の胸がチクッと痛む。奔放で明け透けな性格は、場合によっていけないこともある。
「それは……【Dr.ホーくん】と、ってことですか?」
「そ、そう、そうだよ!? あくまでファンとして……決してヘンな意味じゃなくて……」
目を逸らし、肩に垂らしたツーサイドアップの毛先を弄る。
そんな仕草は、まるで『ラヴ』を誤魔化しているかのようだったが、鷹也の中で、さすがにそこまでの可能性はそもそも除外されていた。
「あの……ファンだって言ってくれるのは本当に嬉しいです。けど、ふたりきりになるのは……やっぱり良くないですよ」
「あ、はは……そ、そうだよね。ごめん……」
冷静なトーンを心がけ、優しく諭すように説教する鷹也の声に……気持ちよくなりながらも、目に見えてシュンとする陽代乃。
鷹也の胸は申し訳なさでまた違う痛みを覚えるが……心を鬼にする。
「先輩には……誰もが認めるお似合いの彼氏がいるんですから」
ぼやかしていた言葉をハッキリと形にする。
それは鷹也が自分の中に芽生え始めた気持ちを消し去るためのもの。
「…………がおー氏は……彼氏じゃないもん」
「えっ?」
サラッと言い放たれた陽代乃の言葉。鷹也の中で、その意味は宙ぶらりんになった。