第32話 そちらは、したくないですか?
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クレープ当たり屋事件のあと、ゲームセンターと雑貨屋を少しだけ見て回り、デート気分を補完した鷹也&陽代乃。
すっかり暗くなった中、ふたりは大きな車道の脇、街灯の下で向かい合う。
陽代乃はこれから業界関係の会食の予定があり、タクシーで向かうことになっていた。
「今日はほんとにありがとね。守ってくれて……嬉しかった」
「あの時は、先輩のこと『この子』なんて言っちゃってすみませんでした。身長は低いけど、少しでも自分を大きく見せようとしたんですね……」
「すっごい破壊力だったよ。私もやられてたけど、相手もタジタジだったもん」
思い出しフニャりそうになるのを堪え、陽代乃は照れ笑う。
「でも、もし暴力で来られていたら、守れなかったかもしれないです。あんなハッタリだけじゃ……」
難しい顔で俯く鷹也。
正面に立ち、陽代乃はその両手を掴んだ。
「君は……まだ自分のスゴさを理解してない。あの時、確かに、君自身の力が私を守ってくれたんだよ」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。だから自信持って、私の彼氏でいてね?」
繋いだ手から伝わってくる温度に、鷹也の胸はギュッと締め付けられ、泣きそうになる。
『こういう喜びの連続なんだ』と再確認し、目の前の陽代乃がますます大切に感じられた。
「了解です。でも、もっともっと自信が持てるように、さらにバージョンアップしていきたいですね」
鷹也の前を向いた言葉に、陽代乃はウンウンと頷いた。
「あと……鷹也くんは絶対いい声優さんになるよ。人気が出すぎるのも複雑だけど……」
「な、何ですか急に。お芝居の勉強もまだ何もしてないのに……」
「いいの、私にはわかるの! だから、そっちも楽しんで進んでいってね」
「は、はい。なんか……言い出したばかりの夢だし、そこまで言われると気恥ずかしいですね。あはは」
『運よく相手が引いてくれた』と本人は思っているが、陽代乃とあの【男A】だけは、鷹也の迫真の啖呵が特別なものだと知っていた。
もちろん、声優の仕事はそんな単純なものではないだろうが、陽代乃には鷹也が芝居をするイメージがハッキリ感じられた。
「それじゃ、そろそろ……バイバイするね」
「はい! くれぐれも気をつけて……」
お開きのニュアンスを醸しだしながらも、陽代乃は名残惜しそうにモジモジと体をよじる。
暗くてわからないが耳まで真っ赤にし、なかなか出てこない次の言葉を絞り出した。
「あ、あの……ヤバい女って思われたくないから、こんなこと言ったらダメなんだけど……」
「はい?」
何の予想もついていない鷹也の顔を見ていると、自分が異常な気がして、また言いよどんでしまう。
が、それを押し切ってしまうくらい気持ちが抑えられずにいた。
「バイバイのキス……欲しい……です」
「えっ?」
聞き返されてしまって、陽代乃はますます顔を火照らせ俯く。
「け、けっこう人も通ってますし……マズいんじゃないですか? 身バレだけは絶対避けないと……」
「そちらは……したくないですか?」
大柄な身を精いっぱいかがめ、本来見ることのない上目遣いを鷹也に向ける。
その攻撃に鷹也はガツンと脳を揺らされ、よろめきそうになるのを何とか踏ん張った。
「あ、やっ、したいですよ!? それはそうだけど、心配が先に立ってしまって……」
(しまった……バレることばかり考えすぎて、俺、今、女心わかんない感じに? 言ってることは正論だけど、少しは勇気も見せないと……)
「ひよの先輩、ちょっとこっちに!」
「えっ? は、はい!」
陽代乃の手を取り、街路樹のそばへ移動すると、鷹也は車道側を背にして幹に壁ドン状態で立つ。
走行中のクルマからは、おそらく判別できないだろう。
「すみません、余裕ないことばかり言って。俺も……同じ気持ちです」
「う、ううん! 私がワガママ言ってるから。ごめんね」
「先輩から言わせちゃわないように、また次の時は俺がワガママ言いますね」
ふたり照れ笑いながら、目を細める。
そして、不意を突くように陽代乃のマスクをずり下げ、鷹也は少しだけかかとを上げた。
「あっ……ん!」
ファーストキスよりはしっかりと、隙間なく唇を合わせる。
ふたりとも相手に鼻息を当てないよう息を止めるが、どんどん鼓動は速くなり、息が苦しくなってくる。
「ふは…………ッ」
まだまだ勝手はわからないものの、5秒くらいに記録を伸ばしたふたり。
静まらない胸を押さえつつ、お互いにお辞儀し合う。
「えへへ……ありがとね。それじゃ、今度こそ。バイバイです!」
「はい、またLIMEしますね」
いつまでも離れられなくなるのを振り切るように、陽代乃はブンブンと手を振り、2歩3歩離れる。
そして、タクシーを捕まえ、もう一度ブンブン手を振ってから乗り込んだ。
「…………はぁ~……」
緊張が解け、鷹也は街路樹に背中を預けて大きく息を吐く。
(なんとかやり切ったぞ。今日はふたりきりじゃないと思ってたから、油断してたよなぁ……)
心地よい疲れに、自然と笑みがこぼれる。
「やっと……先輩がカノジョだって現実味を感じられるようになってきたかな」
(いや、まだ自信は伴ってないけどさ。もっとしっかりしないと……)
夜空に浮かぶ月を見上げ、気合を入れる。
とともに、グッとかかとを上げ、背伸びしてみる。
(中身を頑張るのはもちろんとして、背の方は……頼みますよ、神様)




