第2話 お前は文字で話せ
昼休みが終わり、午後の授業が粛々と執り行われていたが、いまだ鷹也はぼんやりと夢うつつ。
スマホでYo!tubeを表示し、【ぴよ子っこチャンネル】へ。
並んだサムネイルの笑顔を見ていても、もう昨日までのように見えなくなっていた。
(夢じゃ……ないんだよな。いや、Yo!tuberなんだから、ドッキリという可能性もあるか? いやいや、それこそマイナー配信者に仕掛けるわけない。俺の正体が事前に調べられていたって? そんな想定、よっぽど自意識過剰だろ……)
いつまで同じようなことを悩んでいるのか、と思うところだが、これが鷹也のリアル。
そういう思考を何周かして、ようやく大事なことを思い出す。
(そうだ……名刺名刺!)
ポケットに入れていた『仲村雅桜』の名刺を取り出し、QRコードをスキャン。
フォローの申請を送ると、すぐに承認される。さらに程なくして、『上高陽代乃』からの申請が届いた。
(うわーマジかー! 今まで学校行事用でしか女子のIDなんて登録なかったのに……いきなり超絶美女から申請を受け、それを俺が承認するのか?)
いやが上にも鼓動が高鳴る。震える指で承認ボタンをタップすると……すぐにチャットが動き出した。
『上高陽代乃です!』
『さっきはごめんなさい! 恥ずかしいところを見せてしまって』
(アカン……やっぱおかしいって! 有名配信者で……年上の先輩のはずですよね!?)
『いえいえ、こちらこそパニクってしまってすみません』
『いえいえいえ、初対面なのにグイグイ行っちゃって。本当にごめんなさい!』
(あ、これ、謝り合って何ターンも続くやつだ。めんどくさい奴と思われないよう、スマートに会話できる感を出さないと……!)
『それより、授業中に送ってすみません。こっちのことは気にしないでください』
『私は大丈夫です! でも、そちらの邪魔になってますよね……ごめんなさい!』
(ほら、やっぱ謝り合うやつ!)
そうツッコみつつ、鷹也の口角は自然と上がっていた。
その何でもないやりとりに、自然とキュンキュンさせられる。
(たとえドッキリだとしても……いや、それならなおさら、しっかり騙されないとだな……)
どんな展開になるのか想像もつかないが、鷹也は覚悟を決めた。
『本当に私、痛いホーくん様ファンで恥ずかしいんですが……今日の放課後、お時間ありませんか?』
『特に用事はないのでだいじょ……』
そこまで文字入力して、鷹也はハッと我に返る。
(電網部の部室へ行くって乃村先輩に言ったんだった。でも……ぴよ子ちゃんの誘いを断るのか? 部の方を明日にしてもらっても……)
2分ほど悩んだ末、鷹也は決断する。
「すみません。今日の放課後、電網部っていう部活に誘われて、部室に行かなきゃなんです」
真面目ぶるつもりはないが、鷹也はそう選択した。『浮かれるな』と自分を戒めるように。
『小埜さん、電網部に入るんですか? 動画配信やVtuberの部もありますよ。電網部はネット関連総合ではありますが……部員もほとんどいないって聞いたような?』
『そうらしいですね。人助け、というわけじゃないんですが、それで先輩が安心して卒業できるなら、と思いまして』
(作業スペース確保、という側面ももちろんあるけど……)
そのメッセージに既読がついて、5分ほど時が流れた。
何も問題ないはずだが、女子とチャットし慣れない鷹也の胸は、なぜかドキドキが止まらなくなる。
(授業中なんだ、ちょっとくらい時間がかかっても普通…………いや、しかし、万が一、さっきの発言が『カッコつけてる』と思われドン引き……なんてことは?)
考えないようにしなければと思えば思うほど、上高陽代乃という人物が今、何を考えているのか、鷹也は気になって仕方なかった。
(おい、小埜鷹也。そりゃ、気になるのはわかる。が……あらためて、頭を冷やせ。相手は有名人、しかも彼氏持ちの『美女』。勘違いするな!)
瞼を閉じ、大きく深呼吸。すると、ちょうど陽代乃のメッセージが浮かび上がった。
『電網部の部室まで会いに行ってもいいですか? なんか、必死でごめんなさい。痛いファンと思われてるでしょうけど、お願いします!』
(そう……どんな言葉が来ても、冷静であれ、小埜鷹也)
『そんなこと、思わないですよ。じゃ、用事が終わったら、ぜひ!』
* *
「はぁ~……緊張するよ~! ね、どこもヘンじゃない?」
放課後、3年生フロアと2年生フロアの境目になる階段踊り場。
雅桜と落ち合った陽代乃は、髪型や制服を何度も確認していた。
「どこもヘンではない。もういいだろう……ダルいな」
「『ダルい』って、ひど! がおー氏だって、アイドルの握手会行くとしたら、ビジュ気にするでしょ?」
「アイドルの握手会は、企業が企画するイベントだろう。それと比較すると言うのなら、ほぼ素性を知らないマイナー配信者に近づくのはどうかと思うがな」
不満を隠そうともせず、雅桜は『やれやれ』という顔でスマホを弄る。
彼氏なら、当然の感情表現。
だが、陽代乃はまるで引け目もないようで……それどころか、反発するように唇を尖らせる。
「いつも言ってるけど……『マイナー配信者』って別に下じゃないからね? 『大衆に見つかるムーブをしてないだけ』で価値ある人はたっくさんいるんだから」
「わかったわかった……」
何度も言われているセリフに、雅桜は短い溜息をつく。
本気でイラつくわけではないその表情は、まるで娘に対する父の顔つきにも見える。
「だがな、犯人の正体が判明していない現状、何があるかわからん。小埜鷹也がおかしな奴だと判明したら、俺の言う通りにしてもらうぞ」
「はいはい、わかってますよ~だ」
「本当の人格など、動画だけでは見えん。お前だって、出していない面がいくつも……」
「わ、わかってるってば! 余計なこと言わないで!」
雅桜の背中をスパンと平手打ちし、陽代乃はスタスタと歩き出す。
何の痛みも感じていなさそうな雅桜は、その後ろについていく。
『美男美女』から感じる信頼関係は、確かに他人が入り込めないものが感じられた。
* *
「『電網部』……ここだな」
帰り支度を整えた鷹也は、第2校舎、文化部部室の並びへやって来ていた。
(あらためて、すごい施設だなぁ。せっかく通わせてもらってるんだし、利用していかないと)
音声収録やダンススタジオなど、エンターテインメントに関わる設備も揃った第2校舎。
様々な部活動で、そして個人でも、それを利用する生徒達がやって来る。
「やぁ、小埜くん、早いね。どうぞどうぞ」
ちょうど同じ頃、乃村も部室前に到着。IDカードを使ってドアを解錠し、鷹也を部屋へ迎え入れた。
「これは……ひとりで使うの気が引けるようなイイ空間ですね」
こぢんまりとしたワンルームほどの部屋にデスクが3セット並び、タワー・ノート・タブレット、ひと通りのPC機材が置かれている。
奥の壁側には、リングライトやカメラのホルダーが向けられた撮影用スペースも完備されていた。
「まぁ、機材は最新ってわけじゃないけど。足りない分は個人で持ち込んでよ」
「了解です。自分は撮影関係は必要ないし、マイクさえあれば大丈夫……かな」
鷹也がデスクの上のマイクに触れてみたその時、ノックの音が響いた。
「誰だろう? 小埜くん以外に人が来る予定は……」
乃村がドアを開けると、そこに立っていたのは――
「こんにちは! 2年の上高です」
「3年、仲村だ」
「えええ!? き、君達……どうして?」
予想外の顔ぶれに、乃村は目を白黒させて問うた。
(先輩!? 用事が終わってからって話じゃ……)
驚いたのは鷹也も同じく。さっきのチャットに何か問題があり、怒られるのではないかと理由もなく思ってしまう。
「私たち、電網部に入部したいんですが……いいでしょうか?」
「え……は!? ど、どういうことだい!?」
混乱する現・電網部員ふたりの間を縫って、スタスタと入室した陽代乃は撮影スペースのソファに腰掛ける。
「結構ちゃんとしてますね。ここで撮ってもよさそう」
「上高さん、本気なのかい? テニス部の方は……?」
「掛け持ちの許可は取ってきました。こっちの部も、そんな厳密に出席しなきゃいけない感じじゃないですよね?」
「あ、ああ、登録だけで一度も来てない幽霊部員もいるし、全然構わない。けど……仲村氏もかい? 上高さんの付き添いって感じ?」
「何か問題があるか?」
「い、いや……別に問題はないよ」
乃村はパニクりながらも『美男美女』のため、入部手続きを準備する。
鷹也は何を発していいかわからず、ただ呆然と立ち尽くし、そのやりとりを見守っていた。
「と……こんなところかな。IDをかざせば鍵の開け閉めはできるから、自由に使ってくれていいよ」
「ありがとうございます、部長さん! ごめんなさい、急な話で……」
「いやはは、部員が増えてくれるなら嬉しいよ。僕自身は来ること少なくなると思うけど、わからないことがあれば連絡してくれれば。何か質問あるかな?」
「いえ、だいじょぶです。戸締まりもしておきますので、ご心配なく!」
【ぴよ子っこチャンネル】で見るような満面スマイルで、ハキハキ返答する陽代乃。
だが、どことなく、その裏に『もう外してもらっていいですよ!』とでも言うような圧力を感じ、乃村は身震いする。
これは、あくまで乃村が勝手にそう感じただけで、決して、陽代乃にそんな意識はないのだが。
(ええ……どうしてこうなった……?)
乃村が退室した電網部部室内。三人は無言のまま、それぞれデスクに着き向かい合っていた。
陽代乃はモジモジと俯き、雅桜は鷹也を睨みつけ、鷹也は視線を明後日の方向へ。
(俺が声を発すべき……か? 仲村雅桜氏が怖いんですけど……くっ、行くしかない!)
「あ、あの! 上高先輩!」
「ふにゃ……ッ!!」
久しぶりに発した鷹也の一声に、陽代乃の肩がビクンと弾ける。
ぷるぷると震えるその顔、見ようによっては、笑いを堪えているようにも、痛みに耐えているようにも見えた。
(俺の声を聴くと……上高先輩はフニャる? 本当にそんなことが!?)
「す、すみません! あの、俺、どうしたら……」
「小埜鷹也、お前はチャットで……文字で話せ」
「え?」
(チャットで……俺はもう声を出すな、ってこと?)
「ちょ、ちょっと、がおー氏! そんな失礼なこと言わないでよ!」
「陽代乃が対応できないのが悪い。それしかないと思うが?」
冷静に言われ、陽代乃は眉根を寄せて悩む。
そして、5秒ほどのあと、上目遣いで鷹也に向き直った。
「うう……ごめんなさい! 私、ほんっと痛いファンですよね。ホーくん様の声を聴くと、どうしても脳内にハッピーが溢れ出してしまって……」
(俺の声って……そんなヤバいクスリみたいなもの!?)
どうしても信じ切ることができない鷹也だったが、いつまでもパニクっているわけにいかず。
『それじゃ、チャットで失礼します。あの、まず敬語やめてください。俺、後輩なんですから』
可能な限りのスピードでスマホに文字を打ち、大急ぎで送信する。
スマホがポコンと鳴り、文章を確認した陽代乃は照れくさそうに微笑んだ。
「そ、そう、だよね。ごめんね、やっぱ痛いファンだよね……あは、あはは」
(これが……いつも動画で見てる【ぴよ子】なのか? 同一人物と思えない……)
「だったら、私もひとつお願いしていいかな。『ひよの』って……名前で呼んでくれない?」
「ぅえ!? そ、それは!」
「ひゃ……!」
思わず漏れた鷹也のヘンな声を浴び、陽代乃は電撃でも受けたかのように自分の肩を抱く。
鷹也は戸惑いつつ、おそるおそる雅桜の方へ視線を送る。
「小埜鷹也、なぜ俺の方を見る?」
(いや、見るだろ! 自分の目の前で、彼女がほかの男に名前呼びされていいのか!?)
「本人が『呼べ』と言うのだから呼べばいいだろう」
(マジか……この『美男美女』、信頼しきってるってわけですか?)
『文字だけ』とはいえ、鷹也にとっては無理難題レベルの話だった。
(アニメなんかだと、視聴者に名前おぼえさせるため、特に理由もなく名前呼びするけど……現実じゃ、そんなわけないし! 何の能力も無い普通男子が、そんなスカした空気感出せないって!)
スマホに文字を入力しては消し、しては消し。
目の前で返事を待たれているというプレッシャーが膨らみ、鷹也はまたパニクりそうになる。
「あは、あはは……重ね重ねごめんね! 『ファンです』のあとに『名前で呼んで』って……いよいよヤバいよね。名字で呼ばれるの好きじゃなくて……ってゆか、名前で呼ばれたい……ってゆか」
困らせているのを察し、陽代乃は苦笑いで頭を下げる。
鷹也には理解しがたいが、陽代乃に余裕がないのも事実であり、お互いがフルパワーで遠慮し合う面倒な状況が続いていた。
『じゃあ……ひよの先輩。結局、どうして入部することになったんですか?』
「あ、うん、えっと……部員少ないってことで、よく考えたら学内で作業スペースがあるのもいいかなって……」
(そっか……俺の考えることは、ほかの人だって考えるよな)
『なるほど、了解です。仲村先輩も忙しいでしょうし、ひよの先輩がひとりで使いたい時は言ってください。いつでも譲りますから。ふたりきりになったりしたら、まずいですもんね』
(ん? そういえばストーカー問題があるし、そもそもひとりはマズいか。じゃ、どっちにしろ仲村先輩が付いてる時しか来れないってことに……)
「あっ、そ、そうだよね! 私とふたりきりとか……気まずいよね。困っちゃうよね」
「へ? あ、いや、違うんです! そういうことじゃ!」
「はにゃあ……っ!」
またうっかり声を出てしまう鷹也。陽代乃は天を仰ぎ、身を震わせたかと思うと、デスクに額を打ちつけ『ゴンッ』と笑えない音を立てた。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「だ、だいじょぶ……ふわ~! イイ声ですねぇ~ッ!!」
追い打ちをかけられ、陽代乃はデスクの上で頭をゴリゴリと転がし悶える。
「おい、小埜鷹也! 喋るな!」
「す、すみ……ッ!」
ずっとドッキリをかけられているようなこの状況、咄嗟に声を上げるのは自然なこと。
動画の企画でもないのに、難しいルールのゲームを強いられている気分の鷹也だった。
(ううう……何なんだ、この状況! 誰か助けて……!)