第13話 たった1人への生配信
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ストーカー襲撃事件から1週間ほどが経ち、ようやく小埜鷹也退院の日がやって来た。
(やっとだ。1週間……めちゃくちゃ長く感じたな)
病院の玄関を出た鷹也は、眩しい陽光に目を細めた。
ぽかぽかといい陽気の春日和。
心なしかすれ違う人々の顔も朗らかに見えた。病人なのだから、そんなこともないのだろうが。
(友達もまだ全然いないこの時期、見舞いに来てくれたのは家族と乃村先輩くらい。それも、声が出せず文字で話すしかなくて……なんだか気を遣わせてたなぁ)
バスまでまだ時間があり、この病院のシンボルのように立つ大樹の側のベンチに腰掛ける。
芝生の緑多い玄関前の広場は、『この病院でよかった』と思える心安らぐ要素だった。
(医者には『もう声は出せるはず』と言われて3日経った。結局、怖くてまだ声を発せずにいる……)
大樹の緑と空の青、その境目をぼんやりと眺める。
(もし……声が変わっていたら? あの人は……どんな顔をするんだろうか)
今はまだ現実味なく、ただ空を見上げる鷹也。
その横顔に、彼女は少しうわずってしまう声で呼びかけた。
「小埜君!」
ハッとして振り返る。
その視線の先には、春らしいタンポポ色、ゆったりワンピース姿の陽代乃。
「退院おめでとう! 突然ごめんね。お見舞いにも行ってないくせに……」
鷹也は首を振り、慌ててスマホを取り出した。
その間に、大柄な体をちょこん(?)と彼の隣に置き、陽代乃は自分の膝あたりを見つめる。
程なくして、陽代乃の手の中のスマホが鳴った。
『あの日、電話してくれて、ありがとうございました。あの時、先輩に言われた言葉を、入院中ずっと考えてました』
届いたテキストを噛みしめるように読み、陽代乃はひとつ深呼吸してから切り出した。
「あ、あの……私、気絶しないように踏ん張るからさ。声、出してくれていい……んだよ?」
鷹也は少し困ったような笑みを浮かべ、またスマホ画面に向かう。
『ひよの先輩には文字で話しても不自然じゃないかと思ったんですが、誤魔化せないですね』
『実は俺、あれからまだ一度も声を出してないんです。治ったとは言われてるんですが、怖くて……』
鷹也の返事を読み、陽代乃は一瞬、泣きそうな顔になる。
が、悟られないよう、グッと堪えて優しい笑顔を作った。
「う、うん、無理して出さない方がいいよね。また声聴けるの……待ってるね」
その言葉をファンのものとして受け取り、鷹也も笑顔を作った。
『俺の声、どうなってるかわからないから……期待しないでください』
「えっ?」
『もし声がおかしくなっていたら……。ひよの先輩をがっかりさせたくないです』
そのメッセージが入ったスマホを握りしめ、結局、陽代乃は我慢できずにボロボロと涙を溢れさせた。
「がっかりなんてしないよ! いや……でも、そんな風に思わせたのは私だもんね。ごめん……」
ペコッと頭を下げ、少しためらった後、意を決した表情で鷹也の瞳を見つめた。
「こんなif、言いたくないけど! もし君が『私に声を聞かせたくない』って言うなら……私、誤解が解けるまで言い訳します。でも、それより私は……声が変わったとしても、その声が、私は聞きたいの」
早口で、焦るような言葉。
それを受け、割と冷静でいられた鷹也は、ゆっくりと画面に指を滑らせる。
『先輩は、俺の声を好きになってくれた。それだけで、俺はすごく嬉しいんです。身を守ったことで俺自身を特別にしようとしてるなら、少し冷静になった方がいいかもしれないです』
そこまで読まされて、陽代乃はもうなりふり構わず、長い腕をパタパタと羽ばたかせた。
「違うもん! 私、ただ声が好きなだけじゃないもん!!」
これだけ身長が違うのに、座って目線があまり変わらないという反則なスーパーモデル体型。
そんな高身長『美女』が子供みたいにジタバタするのを見て、鷹也は少し呆気にとられる。
「ホーくん様の……対戦格ゲーの実況でさ? 自分のミスから出た技で勝っちゃって、めっちゃ落ち込んで。何度も謝ったりする人柄が好きだよ」
(う……確かに俺、よくやるけど!)
「ホラゲーで超ビビリなのも可愛いし。でも、少女の幽霊の過去が可哀想で……号泣プレイになっちゃってさ。敵なのに『倒せない』って……あれ、キャラでやってたわけじゃないよね?」
(うぐ、そんなのまで見られてんのか……って、記憶力すごいな先輩!)
「リズムゲーで……罰ゲーム賭けた企画の時は『甘い言葉100連発』やらされたよね。最初は照れまくって誤魔化してたけど、だんだん演技が真に迫ってきて……私はモニターの前で爆死してたよ」
オタク特有の熱を持った早口というやつで、陽代乃は【Dr.ホーくん実験室】のハイライトを語り続ける。
それは確かに『声だけのファンじゃない』という主張だったが、この流れでの反論になっているかは、甚だ疑問であった。
「とにかく! 私はホーくん様をずっと見てきて、少なからず君の人格に触れてたと思ってる。だから……声だけ好きな生ぬるいファンだと思わないで!」
あまりの熱量に気圧されていた鷹也は、どう返していいか判らず、とりあえずコクリ頷いた。
「ふぅ……ぶっちゃけたら、ちょっとスッキリしたかな。じゃあ、本題! の……前に……」
陽代乃の鼓動が急加速していく。
『同接云万人』の前で喋る時には感じることのない、『たったひとりの好きな人』に向かって生配信する緊張感。
「小埜君……君は私に隠してたこと、あるよね?」
鷹也は一瞬考えるが、すぐにテキストを打つ。
『千鶴のことですか?』
「ウチと同じ秘密があったとはねぇ……。ま、君が入院してるうちに、千鶴ちゃんとは何度も会ってて、すっかり仲良しなんだけど」
「っ!?」
鷹也は目を見開いて動揺する。まったくの予想外な状況だった。
(妹であることは何らかの線で知られてるかと思ったけど……千鶴は何も言ってなかったぞ? なんで? すっかり仲良しなら、教えてくれてもいいはずだよな?)
鷹也が余計な情報に気を取られている隙に、陽代乃は最後の深呼吸。
バンジージャンプを飛ぶくらいの気持ちで、切り出した。




