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歴史転換ヤマト  作者: だるっぱ
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雪山登山①ー動機

 2月の厳冬期、近畿最高峰である八経ヶ岳の登頂を試みました。標高1915mの八経ヶ岳は、奈良県天川村から登ることが出来ます。相棒のスーパーカブに跨って天川村に向かったのですが、トンネルを抜けると雪国でした。最低気温はマイナス6度、道路には雪が積もっています。二輪のスーパーカブのタイヤに、極太の結束バンドを巻いただけでしたが、何とか走ることが出来ました。両足を道路に設置した補助輪走行でしたが……。


 何とか登頂を試みたのですが、結局のところ途中で断念して、雪山で一泊して帰ってきました。登山の様子については、僕の文章力の練習として随時綴っていくのですが、冒頭は「なぜ雪山に登ったのか?」という、動機についてご紹介したいと思います。


 昨年の9月に大台ヶ原に登って以来、11月も大台ヶ原、12月は山上ヶ岳、2月は高見山に登り、八経ヶ岳は未踏に終わりました。登るたびに山登りに対する興味が高まってきているのですが、最初の動機は小説の為になります。前々から聖徳太子の小説を書くと宣言していますが、その時代の登場人物の一人に捕鳥部万ととりべのよろずがいました。彼は物部守屋の配下で、職業は名前の通り鳥専門の狩人になります。彼の詳細は分かりませんが、山に分け入り弓矢でもって、鳥を射ていたのでしょう。そんな彼の生き方を少しでも理解したいがために、僕も山に登ってみようと思い立ちました。


 当時は原始宗教として、山岳信仰がありました。代表的なものとして日本最古の神社の一つとされる大神神社は、桜井市にある三輪山をご神体としています。また、当時は人は死んだら山に赴くとも考えられていました。神にしろ死者にしろ、現実とは違う世界があると考えられていたのが山の上になります。狩人である捕鳥部万は、そうした山岳信仰を強く信じていたと考えられます。ただ山岳信仰は、民間伝承で伝わっており文献的なものが少ない。関係する書籍を購入してはいますが、現在のところまだ積読。読めばもう少し理解が深まるのでしょうが、今は山に登るという体験ばかりに意識が集中しています。


 ところで山岳信仰の思想的特徴は、山と自分とを分けて認知していることになります。同じ山にいても、鹿や熊は山と自分とを分けて認知しません。人間と動物には、ここに大きな違いがあります。そもそも「分かる」という言葉は「分ける」を語源としています。神の住居である山の上の常世とこよと、人間が住む現世うつしよと分けて考えるところから、人間の認知革命は始まったのかもしれません。


 人間が「理解する」という行為は、この「分ける」という作業を延々と繰り返していきます。人間であれば、男と女、大人と子供、妻と愛人、友達と敵といった感じで分けていきますし、体の部位も、頭、胸、手足、心臓、肺、血、肉、骨と様々に分けて認識することが出来ます。神話に出てくる神様にしても、太陽、月、雷、山、海、穀物、酒というように、人間社会に必要な概念のシンボルとして分けて神格化されました。そうした「理解する」という行為は、「対象に名前を付けていく行為」と見ることも出来ます。また多様化する概念は、科学、数学、国語、音楽、芸術と専門的に仕分けされ学問としてまとめられました。このように俯瞰してみると、山岳信仰は人間の営みにおいて原始的な認知革命の始まりであると推測できるし、コミュニティーの中で同じ神を信奉する信仰として発展していったのであろうと考えています。


 ここで宗教について少し考えてみたいと思います。日本は無宗教の国と評されますが、宗教的祭事に対する需要はかなり強い。正月の初詣に始まり、2月の節分、お花見、七夕、お盆、秋祭り、クリスマス。これらは宗教的な儀式ではありますが、そこに信仰心はあまりない。どちらかというと資本主義という社会構造と融合して、イベントとして商業的に利用されています。


 仏教には、お釈迦さんが亡くなった後の時代を3つに区分した考え方がありました。これを正法・像法・末法と言います。詳細は語りませんが、正法とはお釈迦さんが説いた仏教の本質が継承されていて結果が出ている時代です。像法とは、本質を理解する人が居なくなり儀式や戒律だけが残され結果が出しにくい時代です。末法とは、本質を理解する人は居ないし、儀式や戒律もお座なりになり、仏教というタイトルだけが残っている時代になります。


 この時間的な変化の流れは、仏教に限ったことではありません。現代社会には法律がありますが、これも似たような現象を起こしていると思います。法律を制定するときは、明確な問題解決の意図があります。ところが制定された法律の運用が始まると、法律の意図を無視したり拡大解釈をする方が現れます。終いには、治安維持法のように法律そのものが人を抑圧するためだけに運用された歴史もありました。


 これらの例から宗教を分解していくと、信仰という心の部分と、儀式や戒律という形式の部分に分けることが出来ます。宗教において真に大切な部分は信仰という心の所作になります。儀式や戒律は、この心を育てるための道具もしくは装置になります。ところが時間の流れと共に、信仰心よりも儀式や戒律ばかりに比重が傾き、心の所作が忘れられていきました。これを仏教では本末転倒と言います。


 このような複雑な宗教に対して、山岳信仰はとてもシンプルでした。高い山であればあるほど、登頂に辿り着くのは困難になります。しかし、登り切れば誰でもこの世界に対して畏敬の念を感じることが出来ました。

 ――素晴らしい!

 この純粋な心根が山岳信仰の根幹であり、登るという行為が儀式になります。また、登りきるためにはそれ相応の体力的な鍛錬が必要で、これは成長する喜びを感じることが出来ました。


 僕が考える宗教とは、この世界と繋がるための行為だと考えています。原始宗教である山岳信仰は、山を通じてこの世界との繋がりを確認しました。仏教も、この世界と繋がろうとする宗教になります。その繋がる究極の形を「悟り」と表現しました。ただ、そのアプローチが山岳信仰と仏教では全く違いました。


 山岳信仰においては、先ほども述べましたが、山と自分とを分けて考えます。山を理想と捉えるなら、自分は現実と置き換えることが出来ます。山に登るという行為は、自分を理想の高みに近づけていく行為と捉えることが出来るのですが、理想と現実をきっぱりと分けています。


 仏教も、理想と現実を解いているのですが、その理想を山ではなく、自分の心の奥底に求めます。その法理の一端として「依正不二」と表現しました。「依」とは自分を取り巻く環境であり、「正」とは自分になります。概念的に2つに分けることが出来るけれど「不二」、つまり分けることが出来ないという意味になります。


 認知革命以降の人類の歩みは、この世界を細分化して理解しようとする行為でした。全てのものを分子レベル原子レベルにまで細分化して、この世界の真理を見つけ出そうとしています。しかし、仏教的なアプローチは、この世界を細分化しない。この世界と自分とを分けるのではなく、複雑に融合した不二の存在と既定したうえで「悟り」という境涯を目指します。これ以上の話は山岳信仰とは関係がないので割愛します。


 長くなりました。色々と難しく考え込んでいる僕ですが、今はシンプルに山岳信仰に浸ってみたい。捕鳥部万というキャラクターを生み出すために、実地で体験してみたいのです。次回は、雪山登山に向けての準備のお話になります。登山初心者の僕が、雪山登山に挑戦するにあたり、何に苦労したのかをご紹介していきます。

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