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歴史転換ヤマト  作者: だるっぱ
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山に登って考えた

 急に寒くなりましたね。11月のはじめに大杉谷に向けて出発したころは、雨とはいえまだ暖かかった。例年とは違い残暑が長かった今年は、秋果実の収穫が遅れていますし、収穫量も大きく減少しています。このような暑さにシフトした気候変動が毎年続くと、果実の適正地域は北上せざるを得ない。中央卸売市場に身を置きながら、これまでに信じてきた常識やパターンで相場を読んでいると大きな損を食らうな……と漠然と感じています。


 先週、三重県の大杉谷渓谷から登っていき大台ヶ原にある標高1,695mの日出ヶ岳まで登りました。標高差は1,400mもあり、往復の距離は33km。山あり谷ありの登山道を歩きながら後半は「もう歩きたくない!」と思いました。しかし、今は登山のことばっかり考えています。反省として、基礎的な体力が圧倒的に不足していたことを感じました。呟きで「八経ヶ岳の双門ルート」を登りたい旨を紹介したことがあります。このコースは上級者コースなので、目標として来年の夏ごろに挑戦したい。それまでに足を鍛える必要があります。ただ、筋肉痛は落ち着いてきたのですが、膝の関節痛が治まりません。かなり負担をかけてしまいました。少しぐらいのジョグなら大丈夫かなと思ったのですが、無理でした。当分は休息する必要があります。


 まだ漠然としているのですが、関節痛が治まりトレーニングを重ねていったとして、挑戦したいことがあります。それは、六甲全山縦走です。須磨浦公園をスタートして宝塚に至る道のりは、おおよそ45km。一般的な徒歩で19時間。登山家の標準タイムで14時間。従兄の浩ちゃんが12時間切り。トレイルランナーで10時間切り。トップランナーなら5時間切り。仮に平地なら、僕のフルマラソンの最高タイムは4時間になります。挑戦してみたい。目標タイムは12時間。従兄の浩ちゃんに並んでみたいと考えています。来年の春ごろにでも挑戦してみたい。


 ところで、日本において原始宗教は、山岳信仰から始まったとの説があります。その根底には、様々なものに神が宿っているという八百神の考え方があったのでしょう。その頃の神とは、現代でいうところの人格神みたいなものではなくアミニズム的な精霊のイメージが強かったと思われます。目には見えないけれど、人間が生活しているこの世界に普通に存在している神。その中でも、より大きなものはより高位な神が住み着いていると考えられていました。100年200年と生きてきた巨木の周りには、社が建てられ村が出来ます。より大きな山はより高位な神の住みかと考えられました。


 奈良県桜井市にある大神神社は、三輪山を祀っています。この辺りは、大和川の上流でもあり、奈良における水田稲作はこの辺りから始まりました。水田稲作を国家事業として推し進めたのが大和王権であり、この桜井市周辺から前方後円墳の建造が始まりました。前方後円墳も山。大王が眠る陵墓はより偉大なものとして仰がれていたと考えます。


 今回、山に登ってみて、この山について考えてみました。現代であれば、大台ヶ原のように車で行くこともできますが、本来は自分の足で登らなければならない。この登るという行為は、高い山であればあるほど困難になります。山を登るルートというのは大きく二種類あり、谷を歩くルートと山の背を歩くルートがあります。今回の大杉谷であれば、谷のルートは大きな滝が7本もありました。どれも瀑布で峡谷は轟音が響き渡っています。単純に圧倒されました。山の背を歩くルートは、登山においては基本のルートになります。とにかく黙々と登らなければならない。大台ヶ原へ向かう急登は修行のようでした。でも、その先には頂があります。苦労して登った山頂からの景色は格別でした。畏敬の念が生まれるとともに、この世界と繋がることが出来たような充足感があります。現代もそうですが、古代においても多くの方が山を目指したのは、シンプルに感動が出来ることが大きかったと思います。感じるという心の作用は理屈ではありません。感じてしまったものはどうすることもできない。そうした感動に宗教的な修行が融合していったのは自然なことだったと思います。


 奈良の山には、真言宗の総本山である高野山がありますが、宗教的な山はそれだけではありません。NHKの大河ドラマ「光る君へ」では、御嶽詣が描かれましたが、あれは吉野川流域にある金峯山に登っていました。奈良の山を地図で見ると、宗教的な山が沢山あります。近畿最高峰の標高1,915mの八経ヶ岳は役行者えんのぎょうじゃが法華経八巻を埋納したことから名づけられました。同じ大峰山脈には、標高1,805mの仏生嶽、標高1,800mの釈迦ヶ岳、標高1779.9mの大普賢岳、標高1,779mの孔雀岳、標高1,546mの行者還岳、標高1,540mの大日岳、標高1,464mの地獄岳、標高1,376mの涅槃岳、標高1,282mの転法輪岳とどれもこれもが、仏教に由来する名前が付けられていました。古代において、よくあの深い山の中に入っていったものだと感心させられます。


 西洋の宗教は分かりませんが、東洋的な宗教は悟りに至るために「修行」というプロセスを大事にします。仏教においても修行というプロセスを大切にする宗派は多いのですが、始まりである釈尊は死にかけるような修行を放棄したのちに菩提樹の下で悟りを開いたとされます。そう考えると、仏教において修行が必要なのかどうか疑義が生じますが、ここでは問いません。今回は、体験的に山を登ってみることが重要でした。無理をしすぎて足が痛いですけど……。

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