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歴史転換ヤマト  作者: だるっぱ
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⑯お金という神様

 現代と古代の社会形態を比べた時に大きく違う点をあげるとすれば、現代は過度に分業化された社会であるといえます。僕は中央卸売市場で仕事をしていますが、扱っている商品は果実になります。この果実についてどれだけの人々が関わっているのかを考えてみたい。


 まずは、何はともあれ農家の人々の世話がなければ果実は育ちません。林檎は秋に収穫されますが、農家の仕事は一年がかりです。商品として価値のある林檎を育てるために、剪定や摘果、農薬の散布や袋掛けといった農作業を一年を通して行っていきます。


 収穫された林檎は選果場に運ばれて選別が行われます。最初の選別は、品種ごとに分けなければなりません。ふじ、ジョナゴールド、王林、シナノスイート等、林檎だけでも100種類以上もの品種があります。商品として販売するためには、大きさ、色合い、糖度、果形の良し悪し、傷の有無を確認して更に細かく分けていきます。混ぜてしまうと商品としての価値がなくなります。この選別の精度が高いと商品としての価値が高まるのです。この作業に多くの人が関わっています。


 林檎の主産地の一つである青森県では収穫された林檎を冷蔵保存しています。秋に収穫された林檎を一年中美味しく食べることが出来るための工夫で、計画的に出荷されています。これらを管理するために多くの人が関わっています。


 青森で収穫された林檎は日本全国で食べられています。その為には輸送する必要がありました。商品化された林檎は10トンのトラックに載せられて、日本全国の中央卸売市場に運ばれます。昨今の流通事情は、ネット販売の流通量が増大したことで運転手が足りないくらいです。この輸送にも多くの人が関わっています。


 日本全国の都道府県には中央卸売市場があり、青果物や水産物といった商品が日本各地から運び込まれています。卸売市場の役割は大きく三つ。集荷能力、相場の確定、商品の分荷になります。僕はこのポジションで仕事をしていますが、卸売市場は一つの町といっても良いくらいに多くの人が関わっています。


 中央卸売市場には、大手量販店やスーパーマーケットといった小売業者が買い付けにきます。購入された商品はトラックによってそれぞれの店舗に運び込まれます。小売業者は、買い付けをする人だけでなく、パッキングやレジ打ちなど多くの人が関わっています。ようやく秋に収穫された林檎が店頭に陳列されました。消費者は近所のスーパーに出かけるだけで、青森県から運ばれてきた美味しい林檎を購入することが出来るのです。


 このように林檎一つが家庭の食卓に並ぶために、多くの人が関わり分業化されていることが分かります。この複雑な流通システムを円滑に機能させるために必要な媒体が「お金」になります。お金は、コインであったり紙幣であったり、最近では仮想通貨であったりするわけですが、僕たちはお金が価値あるものだということを信用しています。基本的には、お金は国が発行しています。国がデフォルトすると、発行しているお金も信用がなくなりハイパーインフレーションが発生します。つまり、紙くずになるのです。お金は、信用されるからこそ価値があります。


 では、古代の社会形態はどうだったのでしょうか。僕が勉強している飛鳥時代はまだ、お金が存在していません。出雲の玉作でご紹介しましたが、大陸との交易に玉を使っていました。この玉を使って求める商品は主に鉄になります。お金という概念がないので物々交換でした。しかし、そうした交易は国が行っており、庶民の生活にはあまり関係がありません。多くの庶民の生活は基本的に自給自足なのです。


 古代の人々は生きていくために様々な能力を習得する必要がありました。火を熾す、土器を作る、調理をする、家を建てる、米を育てる、鹿などの獣を狩る。現代と違ってそのような知識や能力は、自らが習得しなければ生きていくことが出来ません。教育はコミュニティの中で行われました。大人が子供たちに教えていくのです。


 このような世界観の中では、個人の価値というものは相対的に低い。現代的な人権という概念はありません。人権よりも大切なものは、コミュニティの結束を促すための神でした。この神を辱める行為が最も嫌われます。これまでに何度も紹介してきましたが、人類が社会的なコミュニティーを拡大させていった直接の原因は認知革命でした。認知革命の最たる象徴が神になります。自分たちは神に連なる子供たちであるという概念が、コミュニティーの結束を強くしました。


 時代が下っていくと、コミュニティの柱は神から親方様に代わりました。最近、ディズニープラスで、真田広之が主演・プロデューサーを務める「SHOGUNー将軍」を観ています。面白いですね。エミー賞18冠は伊達じゃない。当時の人々の生きざまが実に良く表現されていました。家の名誉の為ならば、切腹も辞さないという世界観になります。僕が子供の頃も「世間体」を気にする空気がまだ残っていました。それは、家柄を辱めないという意識の表れだったと思います。


 このように、古代社会はコミュニティの存在がとても大きかった。このような社会を封建社会と言いますが、人々は無理矢理に従わされていたわけでありません。一人一人がコミュニティの名誉を護ろうとする意識が強かったのです。自分の命よりも大切なものは、家の名誉。これは当時の思想であり哲学になります。


 ところが、近世になると西洋から人権という概念が生まれました。17世紀の哲学者であるイギリスのジョンロックは「自由主義の父」と言われています。彼はブルジョワジーの自由・平等、政治的権利を護ろうとしましたが、直接的には財産を護ろうとしました。財産とは、つまりお金です。


 資本主義社会は、お金によって様々な商品を流通させる仕組みになります。欲しい商品を手に入れたければ、お金があればいい。現代は、便利な商品や様々なサービスが巷で溢れかえっているので、生活で困ったことがあれば大体のことはお金で解決することが出来ます。家にいながらスマホを操作するだけで買い物ができるし、なんならウーバーで食べ物を運んでもらうこともできるのです。コミュニティーに守られて生きている私たちですが、コミュニティーに参画しなくても生きていける環境が整ってしまいました。


 このような現代社会において、個人主義の風潮が強くなっていくのは自然なことだと思います。会社組織のガバナンスが揺らぎ、自治会やPTAといったコミュニティーの存続が危ぶまれている昨今ですが、これは時代の潮流だと考えます。そうした意味で、前回は資本主義という世界観が個人主義を加速させていくと述べさせていただきました。しかし、このまま個人主義が強くなりすぎると、社会のあらゆる組織が崩壊していくと考えます。古代ローマが衰退したのも、個人主義が強まったことにより組織が維持できなくったのではないでしょうか。


 ――組織やインフラの維持は、AIやロボットにやらせればいいじゃないか。


 確かに、一定の効果はあるでしょう。しかし、事はそんな単純な問題ではないと思うのです。なぜなら、これは宗教だからです。「お金があれば幸せになれる」という宗教です。宗教の定義は様々にあるでしょうが、僕なりに解釈してみます。


 ――幸せになるための方途を示した思想、および同じ思想を共有したコミュニティーのこと。


 資本主義は、誕生してからたかだか200年ほどの歴史しかありません。アンチテーゼとして社会主義も生まれましたが、これも宗教だと考えます。過去においては、神様をトーテムとして様々な宗教が誕生しました。これは人々が生きていくために、そうした思想を共有することが有効だったから大きく発展したのです。そのような思想を人々と共有し始めたのが、たぶん今から7,000年前のことで認知革命と呼んでいます。


 資本主義がお金を神様と崇める宗教だと考えた場合、どのような教義になるのでしょうか。それは、人間が持つ欲望をエネルギーにして、経済活動を活性化させる思想だと考えます。際限なく生産して、際限なく消費していく。そうした経済行動を加速させた結果が、今日の環境問題を引き起こしたのではないでしょうか。


 神、宗教、法律、お金、科学、家柄、資本主義、社会主義、株式会社、ブランド……。これらは認知革命によって生み出された価値であり、人々に信じられることによって機能することが出来る概念になります。面白いことに、どれも実態はありません。実態はないけれど、人間の行動に強く影響します。ということは、これらは思想と考えることが出来るのです。


 人は幸せになるために、何かを信じています。ギャンブル依存症の人は、どんなに負けが込んでいても、一つの大勝ちで幸せになれます。差し引きで考えると損をしているはずなのに、いつかは巻き返すことが出来ると信じています。これも思想であり、宗教と考えることが出来ます。では何を信じれば、私たちは幸せになれるのでしょうか。これが、僕のテーマになります。聖徳太子が生きた時代は、古代から続くアミニズム的な神道世界に、大陸から仏教が伝えられました。仏教のエッセンスを端的に表現すると「諸行無常」になります。詳しい解説はしませんが、要約します。


 ――認知革命によって認知された価値では、人は幸せになれない。なぜならいずれ崩れ去るから。


 聖徳太子が受けたカルチャーショックは相当だったと思います。黒船の比ではなかったでしょう。僕は、そのような思想の比較にとても興味があります。

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