⑧出雲大社と米穀
縁結びの碑から更に歩みを進めると、鳥居の向こうに大きな拝殿が見えてきました。拝殿は、出雲大社に特徴的な左右非対称の木造建築になります。田の字型に大きな柱を9本立てた立派な社で、緩やかな傾斜の大きな屋根の右下に、同じ造りの半分くらいの屋根があります。この屋根の下に大きな注連縄がぶら下がっていました。長さは6.5mで重さは1tにもなるそうです。取り付けるだけでも大変そうです。ところが、この拝殿の注連縄よりもさらに大きなものが、神楽殿にぶら下がっていました。長さは約13mで重さは5.2tにもなるそうです。
この注連縄は、神聖な区域と外とを分ける結界になります。一説によると、この注連縄は2匹の蛇がねじれ合っている様子を表しているそうです。八岐大蛇もそうですが、出雲はなにかと蛇と縁がありました。そう言えば、奈良の大神神社は大物主を祀っていますが、こちらも出雲の神になります。以前にもご紹介したことがありますが、大物主と結婚した倭迹迹日百襲姫は、大物主の正体が蛇だったことに驚いてしまい、そのことが切っ掛けで箸が陰部に突き刺さり死んでしまいました。この物語からも、当時から出雲の象徴が蛇であったことが分かります。実際に出雲では龍蛇神を祀る風習が残っていて、旧暦10月10日の神在祭では全国の八百万の神々を出雲大社まで引率する役を龍蛇神が担っているとされています。深堀れば、出雲に関連する蛇の逸話はもっとあるかもしれません。
注連縄がある立派な拝殿を拝観したわけですが、ここは拝殿であって神様を祀っている社ではありません。この拝殿の更に北に本殿がありました。本殿は荒垣と呼ばれる塀で囲まれおり、この境内に主祭神である大国主が祀られています。境内には他に、大国主の后である須勢理毘賣命、大国主が亡くなったときに蘇生を行った蚶貝比賣命・蛤貝比賣命、大国主の妻で宗像三女神の一柱である多紀理毘賣命が祀られています。
世間の認識では、七福神の一人である大黒天は大国主とされています。元々、大黒天とはヒンドゥー教のシヴァ神の異名でした。時代の変遷のなかで大国主は「ダイコク」と読めることから習合されたそうです。同じような例で、八坂神社の牛頭天王は須佐之男命と習合されました。奈良時代以降にはじまった神仏習合の流れは、外来の仏教を日本に取り入れるための工夫だったのでしょう。ちょっと無理があるな……と、思えなくもないですが、万葉仮名からひらがなが生まれたように、これは当時の日本の智慧なのでしょう。
大国主が治めた出雲は、豊葦原の瑞穂の国と呼ばれています。この言葉からも想像できるように、出雲は田んぼが辺り一面に広がっている美しい国でした。大国主の仕事を一言で要約すると、「水田稲作」を伝え広げた人になります。いつの時代だと特定することは出来ませんが、弥生時代に活躍した人物なのでしょう。スーパーカブに乗って出雲入りした最初の感想は、奈良の明日香村に似ているということでした。日本の原始風景を感じさせるのどかな瑞穂の景色でした。
まだ読み始めたばかりなのですが、中村元先生が著した「聖徳太子」の始まりに、米の由来について次のような話がありました。米のことを「うるち」と言いますが、この言葉はサンスクリット語のヴリーヒから転じたものになります。意味は米穀になります。この事実が意味するところは、稲作はインドから出発して東南アジアに伝播し、そして日本にやってきた……と推測することが出来ます。「米」を意味する単語が諸言語を通じて似ているのです。
釈尊の父はスッドーダナという名前でした。意味は浄飯王になります。稲作に貢献してきたことを思わせる名前です。釈尊が活躍したのはインドになりますが、生まれはネパールでした。僕は行ったことがないのですが、中村元先生によると平野ではなくヒマラヤを背にした山麓にあります。以前に、水田稲作についてご紹介したことがありました。陸稲と違い、水田稲作は川上から段々畑を作り、上から水を落としていきます。つまり、山を背にした川上こそが水田に適した場所だったのです。奈良の纏向や明日香村もそうですが、大和王権の中心地は山麓ばかりでした。これは国家事業の主たる柱が、水田稲作だったことの証左だと考えています。ネパールと日本は、場所こそ違いますが似たような環境だったのです。
でね、ネパールってどんなところなんだろう……とグーグルアースで観光をしていました。するとカトマンズの北側にある「Jagadol Prabesh Dwaar」に、日本と全く同じ赤い鳥居があったのです。
――!?!?
驚きました。写真を見ただけで何も調べれてはいませんが、米つながりで鳥居もネパールからやってきたのでしょうか? 謎は深まるばかりです。
出雲大社は、案外と広かった。歩き回って広場で寛いで、色々と時間を潰していましたが、それでも時間が余っています。自然と足が向いて、島根県立古代出雲歴史博物館にやってきました。開館までまだ1時間も待たないといけません。仕方がないので、この博物館の庭に向かいます。この庭がとても良かった。奥の方に森があるのですが、その森をバックにして祈るような仕草の巫女の埴輪が立っていました。とても神々しい。もちろんレプリカですが、朝早くからたった一人で巫女と対峙できたことが良かった。今後の物語に生かせそうです。グルッと散策して、博物館の正面玄関にやってきました。開館までまだ少し時間があります。ベンチを見つけて、仮眠を取りました。