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歴史転換ヤマト  作者: だるっぱ
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⑦縁結びと覚悟

 僕の足はスーパーカブになります。出雲大社に行くにしても、どこかに駐車しなければなりません。出雲大社のお隣には、島根県立古代出雲歴史博物館がありました。そこの駐車場を利用することにします。現在の時刻は6時半ごろ。博物館の開館は9時からなので、出雲大社を2時間半かけて、ゆっくりと堪能しなければなりません。ちょっと長いな……。


 入り口にある勢溜の大鳥居にやってきました。国道431号線に面しており、300mほど南下すると出雲大社前駅があります。その周辺には多くの土産物屋や蕎麦屋、それに宿泊施設が並んでいました。朝が早いということもあり観光客は少ないだろうと思っていましたが、案外と皆さん早起きです。次々と参拝客が訪れていました。出雲大社の入り口の左右には大きな石灯篭があります。昨晩は火が点っていたせいで幻想的な空気感を醸し出していました。しかし、日が昇った今は存在感がかなり希薄になっています。何故なら、勢溜の大鳥居がその後ろに鎮座しているからです。鳥居の立派さもさることながら、僕が気になったのは足元にあるウサギ達でした。石に彫刻されたコミカルな姿のウサギの像があちこちにあるのです。大鳥居の周辺だけでなく、出雲大社の至る所で遊んでいました。走っている姿や、ひっくり返っている様、更には逢瀬を楽しんでいるカップルまでいます。数えるのが大変なくらいでした。子供と一緒なら、「ウォーリーを探せ」的に探し回ったから面白いでしょう。ちょっとしたアクティビティになります。


 大鳥居からなだらかな下り坂が続き、前方に細い川が横切っていました。橋を渡らずに左に寄り道をすると野見宿禰神社があります。野見宿禰は、日本書紀に登場する大相撲の元祖でした。強さ比べのために、大和の当麻蹴速たいまのけはやと相撲をとります。お互いに蹴りあった末に、野見宿禰は相手の腰を踏み折ったとされます。相撲と言いつつ、足技があるんだ……とちょっと思ってみたり。野見宿禰神社は開けた森の中にある小さな社で、隣には土俵が用意されていました。


 橋を渡って歩みを進めると、神様が通るとされる松の参道が拝殿に向かって伸びています。その脇を歩いていくと、縁結びの碑がありました。出雲大社が縁結びとしてご利益があるとされているのは、大国主が須勢理毘売すせりひめと夫婦になるために、様々な試練を二人で支えあいながら乗り越えて、最終的に須佐之男命に認められた故事に由来しています。ここでネットの「コトバンク」から縁結びについて引用してみます。


◇◇◇


 縁結びには超自然の意志が関係すると考えられており,各地に男女の縁を結ぶとされる神仏があって,良縁祈願がなされている。島根県の出雲大社は農耕神,福神としての性格とともに縁結びの神,仲人の神として知られている。また旧暦10月の神無月には全国の神々が出雲に集まるとされるが,その際,神々は男女の縁を結ぶといわれている。このことから結婚の仲だちをする人のことを縁結びの神ということがある。


◇◇◇


 大国主と須勢理毘売のお話は、夫婦が協力して困難を乗り切った話になります。縁結びというよりは、理想の夫婦像のあり方を提示していました。ところが、仲人的な縁結びの意味合いが付加されたのは、前回もご紹介した神在月に関係があったようです。全国の神様が集まり縁結びの神議りが行われると信じられたので、神様に良縁をお願いしたのでしょう。ここから「縁結び」という概念が誕生したと思われます。なんか夢のないことを書いてしまいましたが、僕にとっては、このような意味のズレや変遷こそが、知りたい内容になります。


 また脱線しますが、2024年1~6月の出生数が、8月30日に発表されました。前年同期比5.7%減の35万74人だったそうです。世界的には人口は増加傾向ですが、日本は減少の一途を辿っています。晩婚化もしくは結婚をしないという傾向は、今後も変わらないと考えています。その原因は日本という国が豊かで自由な国になったからで、人々の価値観が多様化したことによって、人生の目的のように捉えられていた結婚が、選択肢の一つに成り下がってしまった……的な話はよく聞きます。僕もそう思います。


 ただ、若者が恋愛をしないのかというとそうではありません。誰かを好きになるし、恋愛が上手くいかず苦しむこともあるでしょう。それこそ結婚に悩む若者たちが、神にもすがる思いで出雲大社に行ったりしているわけです。関心が無いわけではない。一昔前は、男女をくっ付けるお節介な仲人さんが居たものです。実は、お世話になっていた方の勧めで、僕は現在の嫁さんと結婚しました。恋愛結婚で成就するのであればそれに越したことはありませんが、僕は仲人さんにとても感謝しています。現代では、マッチングアプリなるものもあったりして「縁結び」には一定の需要があります。そうした意味では、今も昔もあまり変わらないのかもしれません。ただ、昔と今を比べた時に大きく違うのは、結婚に対する「覚悟の問題」があると僕は思うのです。


 繰り返しますが、大国主と須勢理毘売の物語は、二人で力を合わせて困難を乗り切る話でした。縁結びとか、好きとか嫌いといった話ではなく、二人で歩み続ける覚悟の物語なのです。収入が少ないから、自由な時間が無くなるから、仕事が楽しいから、相手が不細工だから……結婚をしない理由は色々あると思いますが、そうしたことは枝葉の問題です。覚悟とは自分が変わることです。変わるためには、自身の心に痛みが伴います。豊かになり過ぎた反動で、大概の事はお金で解決することが出来る世の中になってしまいました。その為に、現代では覚悟する力が弱くなったような気がします。


 偉そうなことを言いました。ただ、将来的に物語を創造していくうえでは、恋愛や結婚の問題は外せません。そんなことを思った次第です。

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