鉄と船と漢字
朝起きて出勤しようとしたら、僕の愛車スーパーカブの前輪がパンクしていました。いつもなら、アクセルを回せばビューンと走っていけたのに、自転車のペダルを漕いで会社に行きました。久々の運動です。息が苦しい。40代はマラソンに挑戦していましたが、今は時間があればパソコンの前に座っています。体力が落ちていることを感じました。そう言えば、お腹周りの肉付きが少し豊かになってきています。
最近読んでいる本は、長野正孝さんが著作した「古代史の謎は海路で解ける」です。著者の詳しい経歴は調べておりませんが船に関する造詣が深い方です。古代史に関する著作をいくつも出版されておりますが、彼の主張は学者界隈からすると少し異端になります。日本の古代史を論じるとき真っ先に取り沙汰されるのが、邪馬台国は何処だ論争です。邪馬台国は日本の資料には無く、中国の史書「魏志倭人伝」で紹介されています。
邪馬台国は、一般的には「やまたいこく」と読みます。しかし、これは当て字なので「やまとこく」と読むことも出来ます。大和国は奈良県の纏向遺跡が発祥とされていますので、邪馬台国は奈良にあったとの主張があります。ところが、もう一方の主張は九州北部地域になります。何故なら、当時の日本において朝鮮半島の交易は最重要の国策でした。その窓口として、九州北部地域が栄えていたからです。交易される商材の主役は「鉄」でした。
「鉄」は、古代の日本ではまだ発掘されていない鉱物でした。朝鮮半島の南に鉄の産出地があり、「鉄」を手に入れるためには輸入に頼るしかなかったのです。古代の世界を一変させた産業革命は「農業」でした。農業の発展は、国を富まし王を誕生させます。初期の農業は、木を削った鋤や鍬で農作業を行いました。しかし、木は農作業の道具としては弱い。鋭利に尖らせることが出来ませんし、耐久性もありません。農作業がはかどらないのです。農耕の道具である鋤や鍬に鉄を使うことで作業が劇的に楽になりました。生産量のアップも期待できます。誰もが鉄を欲しがりました。
そうした「鉄」の輸入は、船が使われます。船は木で作るので、遺跡として発掘されるケースは少ない。少ないながらも資料はあります。この間、また大阪歴史博物館に行きました。展示物のなかに強大な船の埴輪が展示されています。当時の船は、帆船ではありません。手漕ぎ船でした。風を操り船を進ませる技術は、まだなかったのです。長野正孝さんの説明によると、朝鮮半島まで手漕ぎだけでは船はたどり着けません。潮の流れと風の流れを読んで、任せるしかないのです。当時の、船による交易が如何に困難であったかが、想像できると思います。
そうして日本にやって来た「鉄」ですが、国内の運搬も船を使いました。国内では、完全に手漕ぎによる輸送になります。手漕ぎだと、移動する距離は著しく短くなります。朝鮮半島から遠い奈良という地域で、交易が十分に行えたとは考えにくい。長野正孝さんの推理を辿っていくと、邪馬台国は奈良ではないような気持にさせられます。なら九州北部に邪馬台国があったのかというと、長野正孝さんの主張は違いました。意外な結論に導かれるのですが、ご興味のある方は書籍を購入してみてください。
この本を読んで新鮮だなと思ったのは、歴史を推理する際の切り口でした。考古学の研究は、一般的には遺跡の発掘や残されている文献を探っていきます。それらは基本となる作業です。ところが、同じことの繰り返しは視野が狭くなる場合があります。時には、古代史を新しい視点で見つめる変化は必要だと思います。違う世界が見えてくるかもしれません。最近の古代史は、新しい切り口の推論が話題になったりします。美術史観から古代史を見る学者がいますし、DNAの解析から人類の変遷を探る方もいます。そんなことを考えながら、ふと思いました。日本人が文字を使い始めたのはいつごろからだろうと……。
1968年、埼玉県にある稲荷山古墳から鉄剣が出土しました。その鉄剣には115文字の漢字が彫られており「獲加多支鹵大王」という文字が読めたのです。これは日本から出土した最古の漢字の使用例になります。現在では、この大王は雄略天皇とする説が有力だそうです。雄略天皇は仁徳天皇の孫で、それまでの連合集権だった大和王朝を力によって一つにまとめ上げ、専制君主として君臨した大王だとされています。活躍したのは5世紀の後半になります。
一説には、弥生時代から古墳時代の移り変わった4世紀の後半に、漢字が日本にやって来たと考えられています。つまり、大和王朝の歴史は、漢字の使用をはじめた歴史だと見ることが出来ます。話し言葉はあっても、文字がなかった古代日本。奈良の纏向遺跡を発祥とする大和王朝は、文字を使うことによって国を強くしたのかもしれません。
ここで、文字が持つ破壊力について考えてみたいと思います。前方後円墳の分布範囲は、そのまま大和王朝の勢力範囲と見ることが出来る……そうした話を以前に紹介しました。あの強大な前方後円墳を作るためには、かなり高度な技術が必要になります。農耕の土木技術が古墳の建造技術に転用されたのでしょうが、それだけではあれだけの強大な古墳は建造できません。正確なシンメトリーの構造を、空から俯瞰したわけでもないのに、どうやって表現したのでしょうか。更には、古墳を建造する仕事を全国各地で再現しているのです。その数16万基。
古墳の建造には多くの人が駆り出されたはずです。一日に1000人の労役夫が駆り出されたとして、何年間も彼らを従事させる必要があります。その労働時間の管理や養うための食料の確保、それらを取りまとめる組織の構築は絶対に必要です。場当たり的な取り組みでは絶対に成しえない仕事ですし、更には測量する技術は数学的な知識が必要になります。つまり、そうした一切合切を管理するためには、どうしても「文字」が必要です。「文字」は、情報を記録するだけでなく、他者とその情報を共有することが出来ます。組織が巨大になればなるほど、「文字」の必要性が増したでしょう。
古代の日本には、100からなる小国が乱立していたそうです。それらの小国を従えていった大和王朝は、大陸の先端技術である「漢字」をいち早く導入したと考えられます。その「漢字」から、大陸が持つ技術や帝王学的な思想も学んだでしょう。文字を知らなかった当時の人々からすれば、「漢字」を扱う大和王朝の力は、それこそ魔術に見えたかもしれません。そんなことを考えると、とても夢があります。
明日は雨が降るそうです。今日は家に帰ったら、是が非でもスーパーカブのパンの修理をしなければなりません。手漕ぎならぬ、足漕ぎ自転車は嫌です。ついでにオイル交換もやってしまおう。




