#3.嫉妬-2
外から見た彼ら
あるいは
高雅教団モリノーク支部長ハンスの日常
「支部長。清貧教団のヤツラ動き出したっすよ」
ただの診察開始を、芝居がかってそう報告してくる連れに、俺は辟易とした。
「…コリン。恥ずかしいから、そういうのは止めてくれないか」
俺たちは今、よんどころない事情で施療院の張り込み中だった。
「何が恥ずかしいんすか、ハンスさん。オイラたち高雅教団のスパイじゃないっすか」
「それが恥ずかしいと言っているんだ!」
そう、正にそれが問題なのだ。
俺のこの状況を説明するには、一体どこから始めればいいか。
まずは高雅教団の説明から始める必要があるだろう。
高雅教団。通称高雅楽団は女神を讃える為の楽団だ。
その歴史は古く、ハイコースト王の宴へ初めて高雅の神が降臨した時に、演奏をしていた楽団が祖だと言われている。以来ハイコースト王の後援を受けて、国中に支部を作り音楽の得意な者を広く集め、女神へ最高の演奏を捧げる為に日夜練習を続けている。と言うのが、今から十年程前までの話だ。
現在の教団は非常に困窮している。何しろ今のこの世界には、教団のマルニーク支部しかない上に、金を出してくれていたハイコーストの王様がいないのだから。
それでも国を挙げて信仰していた女神を讃える為の教団だ。マルニーク子爵も一応金を出してくれてはいるが、子爵自身はまだ女神にあった事がなく、余り熱心ではないらしい。そんな訳で、我らが上司である支部長改め本部長は、資金繰りに日々頭を痛めているという訳だ。
資金繰りに困った本部長はまず、中央山脈を挟んだ南側、商業都市ウルカへ人をやった。目的はもちろん、教団に金を出してくれる人間を探す為だ。
ウルカは元々西方三国の内の一つ、商人の国ミットラントの東方支部のような町だった。職人たちも多く住んでいて、今この青方においては最も大きな町だ。しかし商人というのは、金にならないものに金を出すような連中じゃない。
すげなく断られ続ける中、教団で興行をしてはどうかという話を振ってきた商人もいた。俺からすれば渡りに船といった話だが、女神のお目にかかった事もある敬虔な教団員である本部長は、激怒してこの話を蹴ってしまった。
とまぁ、そこまでなら下っ端団員にとって、それほど大きな変化ではなかったんだがな。残念ながら、この辺りもまだ二年程前までの話だ。
そして八方塞がってしまったある日の事、とうとう本部長はご乱心召された。
突然モリノークへ支部を作ると言い出したのだ。その目的は清貧教団の監視。清貧を謳いながらも金回りの良い彼らには、何か秘密があるに違いない。その秘密を探り、あわよくば自分たちも…とは言わなかったが、まぁそういう事だ。
実際、本部長が清貧教団を羨む気持ちは分かる。何しろあちらの教団は、モリノークとその周辺の医と食を牛耳り、ウルカの商人たちにまで強い影響力を持っている組織なのだから。
問題は、その貧乏くじを誰が引くかという話だが、元々音楽がやりたいだけで女神への敬意に欠けていた俺が、満場一致で選ばれたとそういう訳だ。
ついでに出世という形を取る為に付けられた部下は、何か面白そうという理由で教団にやって来た小さな村の芋農家の三男。楽天的なうえ粗食に強く、愚痴の相手にもならないときてる。
馬鹿げた話だ。実に馬鹿げた話ではあるのだが、いい歳して音楽以外に取柄のない男ではそうそう転職も出来ない。俺に拒否権などなかった。
「あ、ハンスさん。教団のヤツラ出て来たっすよ」
見れば施療院の裏手から、四人の人間が出て来るところだった。前を歩く二人には見覚えがある、教団の若手旅神官だ。だが後ろの母娘には見覚えがなかった。
「何か怪しいっすね」
「どこがだ」
いつもの乗りだけの台詞かと思ってそう突っ込んだが、意外にも答えが返って来た。
「何かお金持ちっぽいっす。本部長も言ってたじゃないっすか。きっとあの人たちが清貧教団にお金を出してるんすよ。たぶん」
「………」
まぁ俺もマルニーク領の生まれだ。それなりに貴族も見て来た。あの母娘は確かに、育ちが良さそうに見える。
それにだ。今のこの青方で、治癒魔術の使い手というのは貴重だ。分かっている限り清貧教団にいる七人のみ。まだ引退した旅神官はいないから、本当にこの七人のみだ。その旅神官が二人も付いている。これでただの母娘という事もないだろう。
まさか本部長の妄執が当たりを引き寄せた、と思っている訳ではないが。それでも少しだけ、俺も興味が湧いて来た。
俺たちは気付かれないようにしながら、四人の後をつける事にした。
すると連中は、段々と町の北側へ向かって歩いて行く。
「…妙っすね」
いちいち突っ込みは入れないが、まぁ言いたい事は分かる。
モリノークは区画整理もろくにされていないが、それでも酒場や宿屋といった施設は町の北側へ集まっている。夜遅くまで人の出入りがある為だ。近隣住民との揉め事を避けようと思えば、自然と住み分けがされる訳だ。
しかし母娘は余り、そういった場所に縁があるようには見えなかった。
結局、連中は冒険者が多く集まる酒場の前で立ち止まった。
「これはアレっすね。接待っすよ、接待」
「女子供相手に朝っぱらから酒盛りか? そんな訳ないだろう」
そう言いながら俺も、連中が何をするのかちょっと気になっていた。
俺たちが固唾を飲んで見守っていると、連中は酒場に入るでもなく路上で立ち話をしていたと思ったら、やがて来た道を戻り始めた。
…一体何がしたかったんだ? あいつらは。
連中の目的が全く見えて来ない。正直なところ、清貧教団の旅神官二人と育ちの良さそうな母娘が、目的もなく町をブラブラしている…、ようにしか見えない。
俺が頭を悩ませている間にも連中は来た道を戻って行き、次に立ち止まったのはパン屋の前だった。
「今度こそアレっすね。視察っすよ、視察」
「何の視察だ」
一応突っ込みを入れると、コリンは目を輝かせて自らの空想を語った。
「多分ここは清貧教団の息のかかったパン屋なんすよ。ヤツラはパンで荒稼ぎしてるんす。パンは贅沢品っすから」
荒稼ぎも何も、この辺りでパン屋はここ一件しかないし、余り繁盛しているようにも見えないが。
むしろ小麦で荒稼ぎしてるのは、マルニーク領なんだがな。世界異変によってマルニーク領は結構土地が減っているのだが、他では手に入らない小麦の希少性を盾にして何とか以前の水準を保っている訳だ。
しかしそう考えると、小麦の希少性が失われるような事があれば、俺たちとしても死活問題だな。
そんな事を考えながら様子を窺っていると、連中はパンを買って店先の長椅子で食べ始めた。
…いや、本当に何がしたいんだ? あいつらは。
昼にはまだ早い時間。連中が何をしているのか、俺にはさっぱり分からなかった。むしろ、その後のコリンの台詞の方が余程共感できた。
「それにしてもあの人たち、オイラたちより良い物食ってるっすよね。オイラたちの方が、よっぽど清貧な生活してるっすよ」
「…それは言うな」
そう言えば俺も、モリノークへ来てからは芋ばかりで、一度もパンを食ってなかったな。
やがて日が傾いて行き、夕暮れのほんの僅かな時間だけ、世界が全て紫色に染まる頃。俺は酒場へ向かって歩いていた。目的はもちろん演奏をする事だ。最近手に入れた、俺のささやかなる憩いの時間。好きなだけ演奏をして、わずかながら金も貰える。更に客の機嫌が良くなれば、タダ酒にもありつけるときた。
結局あの後も、連中の意味不明な行動に振り回されただけで、今日一日が終わってしまった。連中が一体何をしていたのかは、最後まで分からないままだった。
しかし冷静になって考えてみると、少々コリンに乗せられた部分があるとは言え、真面目にスパイ活動をしていたのが急に恥ずかしくなってくる。
旅神官はきっと、今日は暇だったんだ。あの母娘もどうせ、たまたま上品に育った田舎の母娘とか、そんなところだろうさ。
とまぁ、そんな風に思っていたんだがな。この時までは。