#2.熱狂-3
「あれがモリノークの町ですかっ」
「まあ、とっても大きな町なのね」
モリノークの町が見えて来ると、荷馬車の上で母娘が感嘆の声を上げた。いつもは大人びた印象のアイちゃんも、この時ばかりは少し声が弾んでいた。
モリノークは田舎町でお城も防壁もないけれど、それでもこの青方で三番目に大きな町である。館から出た事のない母娘にとっては、とても大きく見える事だろう。
結局あの後、僕らは一旦館に戻って一泊する事になった。暗くなってから山を下りたところで、どうせ麓の村で一泊する事になるし、僕らはともかく母娘には準備も必要だったからだ。
そして翌日。早めに山を下りた僕らは、麓の村に預けてあった荷馬車に乗り込み、午後まだ日の高い内にモリノークへと戻って来たところだった。
「町を囲むように畑が広がっているんですね」
「うん、あの辺はみんな、教団の畑だね」
僕が右から左まで指差すと、アイちゃんは怪訝な顔をした。
「え? …ハルトさんのいる教団て、清貧な生活をするって団体ですよね?」
「うんまあ、普通はそう思うよね」
丁度話が出たので、この辺りで本部の説明もしておこう。清貧教団本部は元々、慎ましく自給自足の生活をしているだけの団体だった。けれどある時、近隣の村が不作になり、食べ物を分けてあげたのが全ての始まり。勘の良い人はもう分かるだろうが、ここから施療院と同じ事が起こるのである。昔の人が良かれと思って行動した結果、教団本部はモリノーク一の大農場となったのである。
僕らが借りた荷馬車も、収穫物を運ぶ為に本部が所有する内の一台だった。
「そんな訳で本部で働く人の中には、教団をただの農場主だと思ってる人もいるらしい」
「…清貧とは一体?」
町の入り口まで来たところで、本部に用があるから荷馬車も返しておいてくれるというカイルと別れる事になった。
「初めて外へ出て、長い間馬車に揺られたんだから、二人とも疲れてるだろ」
降りる時にカイルは、僕に向かって小さな声でそう言った。なるほど。そういう気遣いは出来るのに、どうして兎の解体処理は雑なのか。
しかし、ここは僕も気遣いの出来るところを見せた方がいいだろう。
「僕らはこれから施療院へ向かうけど、ややこしくなるから魅了うんぬんの話はしないでおこう」
「え、それだとハルトさんの奇行が…」
遠慮をみせるアイちゃんに、僕は力強く請け負った。
「僕は全く問題ない」
「…はぁ、ハルトさんがいいなら、いいですけど…」
ちょっと良い所を見せたところで、僕は意気揚々と施療院へ向かって歩き始めた。
町の細かい説明は後日するとして、施療院は大体町の中心近くにある。建築には当時の町の人たちが大勢協力してくれたそうで、今見ても中々立派な作りの建物だった。
「人がいっぱい来てるんですね」
「まあ用もないのに、ヘンリ爺さんに会いに来る人もいるからね」
続けてヘンリ爺さんの説明をしながら、建物の裏手へと回った。正面の入口は患者や冒険者が利用するものなので、僕らは普段裏口から出入りしているのだ。
この時も裏口から入って、旅神官用のいつもの部屋のドアを開けると、中には休憩中のセシルがいた。
「むぁ?」
少し遅い昼食だろうか。セシルは盛大に、焼き芋を頬張っているところだった。
ちなみに、東方と呼ばれていた頃から、この辺りで作られているのはもっぱら根菜類であり、僕らの主食は芋だった。
「んぐ………、今回は随分と早かったのね、何かあった?」
残りを一口で飲み込んだセシルは、大して興味もなさそうに聞いて来た。
「………」
今はまだ、彼女はアイちゃんの事を知らない。僕だけが知っていて、彼女は知らない。その事実に僕は、言いようのない優越感を覚えた。
「ふふふ…知りたいのかい? 良いだろう、教えてあげよう。今回僕は、運命の出会いをしたんだ」
「は?」
何も知らずに、怪訝な表情をするセシル。ああ、これが優越感と言うものか。
「僕は山奥の館で、一人の少女に出会った。この世界で唯一無二の、特別な…」
「ハルトさん、恥ずかしいのでそういう紹介は止めて下さい」
もう少し引っ張りたかったが、後ろからアイちゃんに押し退けられた。
「どうも初めまして、私の事はアイと呼んで下さい」
アイちゃんは前に出ると、セシルに向かって礼儀正しくお辞儀をした。
「初めまして、母のステラです」
続いてステラさんもお辞儀。
「はぁ、初めまして…、え? この人たち、誰?」
混乱しているせいかもしれないが、アイちゃんを見てもセシルに、これといった変化はなかった。まあカイルと同じで、魅了がなくてもアイちゃんに対して、普通に好意的だっただろうとは思うけど。
ついつい我を忘れそうになってしまったが、アイちゃんたちも疲れているだろうから、ここからはサクサク行こう。
「簡単に言うと、彼女は父親を探しに来たんだけど、その父親というのが赤方の人なんだ」
「は!?」
取り敢えず今回の事を、ケネス神官長へ報告して来ないと。その間、アイちゃんたちにはここで休んでいて貰えばいいかな。
「それじゃ僕はこれから神官長に報告して来るから、何かあったらセシルに…」
しかしそんな僕の予定は、セシルによって変更を余儀なくされた。
「いやいやいや、ちょーっと待ちなさい!」
「えーと、それじゃあこれから緊急会議を始めるわよ」
部屋にはセシルによって七人の人間が集められ、今まさに互いに名乗り終わって席に着いたところだった。まずは元々いた四人。僕とアイちゃんとステラさんとセシルだ。
「それで、これは一体どういった集まりなんだい?」
次に丁度巡回から帰って来たところを、訳も分からず連れて来られたトムとサム。
「むしろ私は、何で連れて来られたんですかね?」
そして最後の一人は、何も知らないまま連れて来られたラリー医師長だ。
「そりゃもちろん、もしもの時に責任を取る為の責任者が必要でしょ?」
「セシル君…」
「はい、それじゃあハルト! 今回の案件であった事を初めから説明して。もちろん分かりやすく、簡潔に!」
セシルの進行で、突然に会議が始まってしまった。
どちらにしても、施療院の面々には説明するつもりだったから、まあいいか。分かりやすくと言うなら、カイルと兎を追いかけていた辺りはいらないだろうから、僕は館を見付けたところから話し始めた。
「…と言う訳で、このアイちゃんは二つの世界の間に生まれた特別な子供なんです!」
僕としてはアイちゃんがいかに特別であるかを、ひとしきり語ったつもりだった。
しかし語り終えた頃には、アイちゃんのおでこに皺が寄っていた。彼女の期待には応えられなかったようだ。自分の語彙の無さを反省する。
「て言うか、何でみんなステラさんを見てるんですか? 僕は今アイちゃんの話を…」
そして不思議な事に、施療院の面々は誰もアイちゃんの方を見ていなかった。
僕が抗議の声を上げると、それを片手で制したセシルが重そうに口を開いた。
「…いや、赤方の人なら少々不思議な事が出来ても、まあ良いわよ。元々よく知らないんだし。子供が生まれていても、それはそれでおめでたい話って事でいいわ」
そこで一旦区切ると、セシルは改めてステラさんを見た。
「でもステラさんは、こっちの人でしょ? 世界がこうなる前から、東方の山奥に魔術で閉じ込められていたって。どういう事よ?」
あれ? そう言えば父親は魔術師じゃなくて、赤方の人間だった。と言う事は、あの館の持ち主はステラさんという事に。でも彼女は、あの館に囚われていた訳で?
別世界の不思議な話ではなく、自分の良く知る世界が内包する不可解に、僕は今更ながら違和感を覚えた。
「ごめんなさい、その辺りの事は私も知らないの。世話をしてくれていたばあやも、もう亡くなっているし…」
申し訳なさそうにしているステラさんを、アイちゃんが心配そうに見ている。
ここは僕としても何とかフォローをしたかったが、それよりもトムサムの方が早かった。
「まあまあ、その辺りは今はいいじゃないですか」
「ええと、それで外に出られたから、旦那さんを探しに来たんですよね? 場所は分かりますか?」
トムとサムはそう言って話題を変えた。ヘンリ爺さんに次いで旅神官らしい二人。人当たりの良さというか、当たり障りのなさはさすがだ。
「それが…赤い屋根の家、とは聞いているのですけれど…。具体的な場所を聞いても分からないし、もし外に出る時はあの人も一緒だと思っていたから…」
けれどこの話題にも、ステラさんは申し訳なさそうにそう言った。
確かに、こんな風に見ず知らずの他人と外へ出るとか、普通は考えないだろう。
「あーまあ、取り敢えず、ケネス神官長には黙ってた方がいいわよね」
何を言っても気まずくなると思ったのか、セシルは全く別の話題に変えた。
「う、うーん、本来なら報告すべきところだけど…」
「…うん、これはちょっと」
普段は生真面目なトムサムも、これには首を捻っていた。三人とも赤方案件を持ってやって来るケネス神官長を思い浮かべているのだろう。こんな特大のネタを渡してしまったら、一体どんな事を言い出すか分からない、と。
神官長はいつもワクワクしながら報告を待っているので、僕としてはちょっと可哀想な気もするけど。
「とにかく。みんな戻って来たし、施療院の方はもう平気よね。二人とも疲れてるでしょうし、今日のところは私の部屋へ泊めるわ。後の事はよろしくね」
セシルはそう言って立ち上がったが、僕らが住んでいるのは『清貧教団になら』と安く貸してくれる下宿であり、別に僕の部屋でも同じだった。
「同じ下宿なら僕の…」
「アンタは男でしょうが!」
しかし即座に却下された。そんな理由で、この大役を奪われる事になるとは。
「あ、お金なら持っているんですよ。いざという時の為にと、ばあやがくれた物があるんです。だから宿さえ教えて貰えたら…」
そう言ってステラさんが取り出したのは、見た事のない金貨だった。少し大きめの金貨に、銀や宝石で細工が施されている。
「…何これ? 金貨?」
僕らは頭を突き合わせて金貨を覗き込んだ。トムもサムもセシルも首を捻るばかりだったが、最後の一人だけは反応が違った。
「ローリクス金貨…」
責任回避の為か、微妙に気配を消していたラリー医師長が、呟くように言った。
「あ、ローリクスの金貨なんですか?」
ローリクスと言えば、西方三国の内の一つ。知の大国と呼ばれていた国だ。
ちなみにラリー医師長は医者側の責任者であり、ローリクスで本格的に医学を学んだ事のある人物だった。しかし医者は憧れる人こそ多いものの、職場となる病院の数が少なく就職難になりがちな職業らしい。ラリー医師長も就職難で東方へ流れて来たところを、ニコル教団長に捕まったという話である。
「いや、私も話でしか知らないが…。この金貨に描かれているのは、ローリクス王家の紋章だ。だとすれば、これはローリクス金貨としか考えられない」
ラリー医師長は何やら深刻な表情で話しているが、今一つ要領を得ない。一体それの何が問題なのか。
「それで、その金貨がどうかしたんですか?」
「いいかね? ローリクス金貨と言うのは、厳密に言えば金貨ではないんだ。ローリクス王家が金貨千枚分の価値を保証するという、いわば疑似通貨だ」
「金貨千枚!?」
そう叫んだのは誰だったか。
国家間で莫大な金貨をやり取りする時に、本当にそれだけの金貨を移動させるのは大変という事で、その代わりに相手へ渡すのがこの金貨だそうだ。
「ローリクス金貨は、個人が持っていていい物じゃない。そんな物を彼女の世話をしていた者が、もしもの為にと持たせたと言うなら、この金貨が保証するのは恐らく身分。つまり彼女は、ローリクス王家の人間という事に…」
自分で言いながら、ラリー医師長は頭を抱えた。
「…確かに、あそこには魔術学院がある。それに歴史の古い国だから、何かしら古い因習が残っていてもおかしくは…、ないのだろう…が、しかし…」
そのまま何やら苦悩し始めたが、それはもう僕の耳には入って来なかった。
ステラさんがローリクス王家の人間という事は、つまり…。
「え? それじゃあアイちゃんは、ローリクスのお姫様?」
大事なのは世界で一番特別な少女が、また一つ特別を積み上げたという事実だった。