#2.熱狂-2
館の中は思ったより、華美に飾り立てられてはいなかった。しかし調度品などは決して安物にも見えず、何というか全体的に質素かつ上品な印象だった。
そんな客間に招き入れられた僕らは今、テーブルに向かい合わせで座っている。
「………」
カイルの向かいには母と呼ばれた女性。どこか落ち着かない様子でこちらを見ている。
「………」
その隣には、先程の少女が。
「………」
そして、その隣が僕だ。
「いや、何でお前がそっちに座ってるんだよ。普通はこっちだろ!」
そう言ってカイルが自分の隣を指差したが、僕には席を移動しなければならない正当な理由が思い浮かばなかった。
「あの、ハルトさん? 話が進まないので、向こうへ座って下さい」
「はい!」
少女に名前を呼ばれた僕は、急いでカイルの隣へ移動した。
「えーと、それじゃ改めて。俺はカイル。こっちのハルトとは幼馴染で、俺の方はモリノークの町で冒険者をやってる」
カイルがそう切り出すと、自然と自己紹介の流れになった。
「母のステラです」
落ち着きを取り戻した女性が、にっこりと微笑んで僕を見た。よく分からないけど、彼女の母親なので愛想笑いを返しておこう。
「私は…、取り敢えず『アイ』と呼んで下さい」
そして肝心の彼女は、ややためらった後でそんな風に名乗った。
アイちゃんか、良い名前だ。僕は心の中で十回以上反芻した。そうこうしている内に、僕の番は飛ばされてしまったが。
「それでカイルさん。その…ハルトさんは元々こういう人なんですか?」
でもまあ彼女に、名前を覚えて貰えているので良しとしよう。
しかし何故、僕ではなくカイルに尋ねるのだろう。
「いやまあ、違うと言えば違うんだけどな。町に出てからは何か大人しかったし」
カイルの返事は、どこか歯切れが悪かった。彼からは、そういう風に見えていたのか。まあ僕もそれだけ大人になったと言う事だろう。
「あの、それなんだけど。多分、アイちゃんの魅了のせいじゃないかしら?」
そこでステラさんが、遠慮がちに口を挟んできた。
「え?」
「ほら、お父さんが前に言ってたでしょう? あなたには、魔術とは違う魅了の力があるって」
何だか僕としても興味深い単語が出て来たけど、当のアイちゃん本人も困惑しているのは何故だろう。
「確かに言ってましたけど…。てっきり父さんなりの『娘が可愛い』という表現なのかと…」
うん、それなら仕方ない。むしろ彼女の方が正しいとも言える。
そんな彼女に対して、ステラさんは苦笑しながら答えた。
「お父さんの言う事は難しくてよく分からない時もあるけど、基本的にいつも言葉通りの意味よ」
まぁ取り敢えず、特別な彼女に特別な力があるのはむしろ当然としても、その一方で疑問に思う事もある。
「でもそれなら、カイルさんは?」
彼女の疑問は、もっともだった。
そう、僕は一人で来た訳じゃない。けれど僕が見る限り、カイルに変化はない。
「俺は誰に対しても、大体こんなもんだよ」
これに関しては僕も頷く。カイルの事を昔からよく知っている、僕が保証する。
「お父さんが言うには、『初対面でも好意的に接して貰える』くらいの弱いものらしいから。ハルトさんの場合はこう…、変なところへ入っちゃったのかしら?」
謎の手振りを交えたステラさんの説明に、誰も言葉を返せなかった。
変なところって、どこだろう?
「ところで、そのお父さんと言うのは、魔術師なんですか?」
話が途切れたところで、僕は気になっていた事を質問した。魔術に詳しいらしい彼女の父親。と言う事は、ひょっとしてここは魔術師の館なのでは。だとすれば、こんな山奥にある事も何となく納得がいく。
「うーん…」
ステラさんは、ちょっと困ったようにアイちゃんを見た。
するとアイちゃんは少し考えた後、ゆっくりと話し始めた。
「先程は説明を省略しましたが。『アイ』と言うのは母さんが付けてくれた、こちら風の名前です。…父さんが付けてくれた、あちら風の名前は『ヴァイオレット』」
「ば?」
「び?」
僕とカイルは揃って聞き取れず、間抜けな反応をしてしまった。
「言い難いでしょうから、アイで良いです」
僕らの反応を予想していたのだろう、彼女はすぐにそう言った。
「あっちとかこっちとか、それってつまり…」
それは答えの予想出来る問いだったが、僕は改めて尋ねた。
「はい。私の父さん『ヴィンセント』は、赤方の人間です」
なんとケネス神官長が本当に当たりを引いていた。いや、それはどうでもいいか。
彼女は二つの世界の間に生まれた子供。やはり彼女は特別な存在だったのだ。
彼女の説明に寄れば赤方の人間は皆、生まれた時から体の中に魔力を宿していて、誰でも魔術が使えるらしい。その為、彼女の父親は彼女の特殊性に気付いたのだろう。
しかし、ここでまた疑問が残る。
「でも青方と赤方は、環境が違うんじゃなかった?」
赤方案件のお陰で、そっち方面の噂には割と詳しい方だ。でもマルニーク子爵の例に限らず、これまで半日以上滞在した人の話は聞いた事がなかった。
「父さんは明確な目的意識があれば、克服出来ない程の違いではないと言っていました。父さんは植物学者でもあったので、気候の違う別世界はとても魅力的だったそうです」
確かに赤イノとかもこちらへ入って来ているし、意外と違和感を覚えるのは快適さを求める人間だけなのかもしれない。
「それで、ええと、父さんならどうすればいいか分かると思うんですけど、生憎この前帰って来たばかりだから、次に帰って来るのは一月近く先になります」
どういった事情か分からないけど、一緒に住んでいる訳ではないようだ。
何を言うべきか迷っていると、カイルの方が先に口を開いた。
「いや、さっきはああ言ったけど。最近のハルトと違うだけで、昔は割とこんな感じだったよ。何しろ俺の思い付き、その全部に付き合ってくれたのはハルトだけだったし。だからまあ、別にこのままでも良いんじゃないか?」
「僕も全く問題ないけど?」
カイルの言葉に僕もすぐさま乗っかった。実際に僕自身、何も不都合は感じていないのだ。仮に彼女の力でおかしくなっているのだとしても、彼女が責任を感じる必要など全くない。
「いえ、私が原因なら、そのままという訳には…」
まだ何か気にしている様子のアイちゃんだったが、代わりにステラさんが名案を思い付いてくれた。
「それならアイちゃんが、ハルトさんと一緒にお父さんに会いに行って、治して貰ったらいいんじゃないかしら?」
それは大変素晴らしい提案だった。どこへ行けば良いのか分からないけれど、僕が喜んで案内しよう。
「それにお母さん、アイちゃんにはもっと外の世界を知って欲しいわ」
しかしそんな名案に対して、アイちゃんは難色を示した。
「その間、母さんはどうするんですか?」
「アイちゃんが戻って来るのを、ここで待っているわ」
「母さんを一人には出来ません」
またちょっと、よく分からない話になった。一体なぜ一緒に来ないのだろう。
ひょっとすると、お金の問題かもしれない。それなら僕の方で何とか出来る。
「お金なら心配いらないよ! 僕は旅神官として結構貰ってるから、モリノークの町で暮らすなら二人とも面倒をみる事くらい出来るよ!」
僕の力説に、しかし彼女は少し冷めた表情を浮かべた。
「…いえ、母さんは魔術に囚われていて、この館から出られないんです」
なんて事だ。そんな凄い魔術があるのか。
「父さんは母さんにプロポーズする時、かかっている魔術を解く事を約束したそうですが、かれこれ十年。今も月に数日戻る以外は、外へ出て魔術の研究をしています」
その言葉で先程の疑問は解けたが、新たな疑問が湧いて来る。
それってもう、完全に行き詰まっているのでは?
「私は急いでないからいいのよ。いつかきっとお父さんが解いてくれるわ」
そう口にするステラさんの顔は、夫への信頼で輝いていた。
しかもこれ、引くに引けないやつだ。僕は会った事もない彼女の父を哀れんだ。
「なぁハルト」
そんな事を考えていると、隣のカイルが小さな声で話しかけてきた。
「何?」
「ひょっとして、アレじゃないか?」
「アレって?」
「いや、何でお前が気付かないんだよ。ここに来る途中でお前が、止めるか壊すかした魔術の事だよ」
そんな事あっただろうか。
呆れたようなカイルの言葉に、僕はここに来るまでの出来事を思い返してみた。
「………あぁ、アレか!」
そう言えば館の外で、詳細の分からない魔術から魔力を抜いて止めたんだった。その後すぐに運命の出会いをしたので、完全に忘れていた。
「? …どうかしたんですか?」
不思議そうにこちらを見る彼女に、僕は立ち上がって宣言した。
「みんなで一緒に外へ出よう!」
「まあ、こんな事ってあるのね」
恐る恐る門から足を踏み出したステラさんは、目を丸くして驚いていた。多分、以前はそこに何かあって出られなかったのだろう。
あの後。僕の言葉だけでは伝わらず、結局カイルがもう一度説明をしてから、僕らは館の外へ向かった。気付けば外は夕暮れ時。この僅かな時間だけは、空が全て紫に染まり世界から境界が消える。
僕らは順番に門を通り抜け、そして今、四人とも館の敷地の外へ立っていた。
「あ、あの…、ハルトさん。ありがとうございます!」
弾む声で僕を呼んだアイちゃんは、初めて見る年相応の笑顔だった。
「どう、いたしまして」
それを見た僕は、この上なく誇らしい気持ちになった。