#2.熱狂-1
「それにしても。久し振りだな、赤方案件」
ここはモリノークの南に位置する山の中。あの後すぐにカイルを捕まえた僕は、教団本部で荷馬車を借りてその日の内に麓の村までやって来た。そこで一泊して翌日。今僕らは問題の山中を当てもなく歩き回っていた。
「今回から報酬を、神官長が捻出する事になったからね」
ケネス神官長は以前の案件の時に、次は自分で何とかするようにとニコル教団長から言い渡されていた。恐らく神官長に、金勘定を覚えさせる為の課題に使われたのだろう。
「それで今回は、『村もないような山奥で怪しい人影を見た』だっけ?」
「…今回も、だけどね」
前を歩くカイルは今日も楽しげだった。セシルたちには不評な赤方案件だったけれど、カイルはいつも面白がって付き合ってくれた。多分いずれ彼は、誰に頼まれなくても赤方へと旅立つだろう。
同じ村で育った幼馴染のカイル。彼を一言で表すなら『何でも出来る男』だ。
興味の赴くままに行動する彼は、納屋で眠っていた祖父の剣を持ち出して剣の練習をし、木こりの父親からは斧の扱いを仕込まれ、手作りの弓で兎を追いかけ、木に登り、川を泳ぎ、時には大人の邪魔をして馬車の扱いを覚えた。
剣の腕前で言えば、まあ普通にユーリの方が強いだろう。しかし冒険者としてなら、カイルの方が頼りになると僕は思っている。
「まぁ、せっかくここまで来たんだ。ただ歩き回るのも芸がないし、久し振りに狩りでもやってみるか?」
カイルは、いつも持ち歩いている短弓を見せてにやりと笑った。
子供の頃に弓の練習と称して、カイルと二人山の中を駆け回った記憶が蘇る。たまには童心に帰るのも悪くない、かな。
それから数時間後。
一つしかない弓を交代で使いながら、僕らが山の中を駆け回る内に、気付けば太陽は赤い空へと移っていた。いつの間にか半日以上が過ぎている。少々童心に帰り過ぎてしまったようだ。
「やっぱり弓下手だな、ハルトは」
そう言って屈託なく笑うカイルの戦果は兎二羽で、僕の戦果はゼロだった。
ちなみに、その兎は既に僕らの腹の中だ。こう言うと、それもカイルのお陰と思われるかも知れないが、兎の解体処理は僕の数少ない特技の一つだ。こういう作業になると、カイルの思い切りの良さが雑さに繋がってしまうのだ。
「あれだな。どうせなら攻撃に使える魔術とか、あればいいのにな」
「…なるほど」
それは考えた事がなかった。リサ先生に頼んだら、何とかなるだろうか。
「しっかしこれだけ走り回っても、結局人間は一度も見かけなかったな」
確かに。僕らが山に入ってから、これまで誰にも会っていない。麓の村で聞いた話では、この山の中に村はないそうだから、もし誰か居れば噂の通りなんだけど。
「あ」
そんな事を考えていると、前を歩いていたカイルが不意に立ち止まった。何事かと思って身を乗り出してみれば、木陰で老人が腰掛けているのが見えた。
「あ」
それを見て僕も、カイルと同じ反応をする。
見たところ冒険者にも見えないし、恐らくは麓の村の住人だろう。
「これは、あれかな?」
「多分、あれだね」
僕らは顔を見合わせ頷き合った。どうやら考えている事は同じのようだ。
つまり、今回も空振り。
「よう、爺さん。こんな所でどうしたんだ?」
まずはカイルが近寄って老人に声をかけた。
なかなか人の良さそうな老人だ。ちょっとヘンリ爺さんに似ているかも知れない。
「うぅ、薬草を取りに来て足を…」
よく見れば爺さんは足から血を流していた。これは数少ない僕の出番だ。僕は怪我治療の魔術を使った。
「…怪我してしまって、え?」
何か言いかけていた爺さんは、押さえていた足を曲げたり伸ばしたりしながら、目を丸くしていた。
「もしかしなくても、この爺さんが噂の元、だよな?」
「だろうね。怪我は治したけど放っても置けないし、今日はこれで山を下りようか」
切り上げるにはちょっと早いかなと思っていたところで、実に良いタイミングだった。いやこれは人助けだから。別に職務放棄とかじゃないから。
「ま、待ってくれ! お前さんら一体、何でこんな山奥に居るんじゃ?」
我に返った爺さんが、今更そんな事を聞いて来た。言われてみれば僕らも、村もないような山奥を歩き回っている怪しい人間には違いない。
ひとまず事情を説明すると、爺さんは納得の顔になった。
「まあ多分、爺さんの事だと思うけど…」
「…いや、それなら儂も心当たりがある。薬草を探して歩いている時に、この先で見た事もない立派な館を見付けたんじゃ。儂はもうびっくりしてな。お前さんらが探しとるのは、そこの住人に違いない」
何だか爺さんが、余計な事を言い出した。
「儂なら足を治して貰ったから、もう大丈夫じゃ。気にせず行ってくれ。お前さんらは、その為にこんな所まで来たんじゃろう?」
それはまぁ、そうなんだけど。僕としてはもう、すっかり切り上げる気になっていた訳で。とは言え僕も、ここで聞かなかった振りをして帰れるほど図太くない。
「…行ってみる?」
「…まぁ、一応?」
カイルも気になりはするが、半信半疑といった様子だ。
この辺りは結構走り回ったけど、僕らは何も見かけていない。その上で本当にそんな館があるのだとしたら、十分過ぎる程に怪しい。ひょっとしてケネス神官長が、とうとう当たりを引いてしまったのだろうか。
僕らは爺さんに別れを告げると、爺さんが指差した方角へ進んでみる事にした。
「…本当にあるな」
「この辺りは散々、走り回ったはずなんだけどね…」
爺さんが指した方向へ進むと、問題の館は思いの外あっさりと見付かった。
木々の間を抜けて現れた館は、不自然なほど高い壁に囲まれていた。まるで中のものが出て来ないように、閉じ込めているかのようだった。
「取り敢えず、行ってみるか」
そう言って一歩踏み出したカイルに僕も続こうとしたが、次の瞬間には彼の腕を掴んで引き留めていた。
「…カイル。今、『風』吹いてる?」
「いや、吹いてない」
カイルは首を横に振るが、ここには確かに『風』が吹いていた。僕だけが感じる『風』が。
魔力の扱いは個人の感覚に寄るところが大きい。目には見えず触れる事も出来ないとされる魔力だけど、僕はある条件下でなら感じる事が出来る、と思っている。セシルに言っても首を傾げていたので、僕の気のせいかも知れないが。
その条件とは、魔力が動いている事。即ち魔術が発動している時だ。
もしこの『風』が館をぐるりと囲んでいるとするなら、それはもうどうやってるのかも分からないくらい、とんでもない規模の魔術だ。そんなもの僕は、英雄物語の中でしか知らない。
「多分ここ、魔術がかかってると思う」
どう伝えたものかと迷いながら、恐る恐るそう口にしてみた。自分で言っていても、胡散臭いなと思う。物語の読み過ぎだと笑われてしまうだろうか。しかしカイルは、あっさりと納得してくれた。
「ふーん、なら状況的に考えて、侵入者をどうこうするヤツってのが定番かな?」
そう言えばカイルも、英雄物語の愛読者だった。やはり持つべきものは、同じ趣味の友人である。僕は安心して話を続けた。
「多分ね」
「で、解除は?」
「もちろん出来ない。でも止める事なら出来る、と思う」
魔力は止まっていたら、ただそこにあるだけの空気と一緒だ。人の意志で動かして、初めて魔術になる。
僕は取り敢えず、魔力の流れに横道を作ってみた。
すると川が決壊したみたいに、そこから魔力がドッと溢れて来る。出て来た魔力は別にいらないのでそのままにすると、周囲の魔力と混ざってすぐに感じられなくなった。
「ん、いけそう」
その状態をしばらく維持していると、次第に魔力の流れは弱まっていき、やがて何も感じ取れなくなった。
「…止まった」
「よし、じゃあ行くか」
僕が小さく呟くと、カイルは確認の言葉すらなく館へ向かって踏み出した。彼からすれば、僕が何をしたかも分からないだろうに。相変わらず思い切りが良い。
でも彼のこういうところは正直、僕も格好いいと思っている。もしもこの世界が英雄物語だったとしたら、きっと主人公はカイルのような人物なのだろう。
近くまで寄ってみると、改めて壁が高過ぎだった。
離れていても館の屋根くらいしか見えなかったけど、近くまで来ると本当に壁しか見えない。侵入防止と言うより、何かを封じていると言われた方がしっくりくる。
「魔王の城にしては、少し小さいかな」
カイルの呟きに、僕もちょっと考えてみる。
「吸血鬼の館とか?」
「あー、その辺か」
もちろん全て英雄物語の話である。
そんな話をしながら壁沿いに歩いて行くと、反対側に大きな門があった。頑丈そうな格子状の鉄扉だ。
「………」
僕らは一度顔を見合わせた後、そっと格子の隙間から中を覗き込んだ。
そして次の瞬間、僕らの目に飛び込んで来たのは、鮮やかな色彩だった。
「花畑…じゃないよな。菜園?」
格子の向こう、館の前庭には立派な家庭菜園が広がり、おっとりとした雰囲気の女性が色とりどりの野菜に水をやっていた。
場違いなくらいに長閑な光景。山奥と高い壁と鉄扉と菜園、そして水をやる身なりの良い女性。全てがちぐはぐだった。
「………」
僕らは揃って言葉を失い、ただその光景に見入っていた。
一体どのくらいの間そうしていたのだろう。やがて中の女性が僕らに気付いた。
「まあ、お客さんなんて珍しい」
するとその声に反応して、もう一人が野菜の間からひょっこりと顔を出した。
「どうしたんですか、母さん」
その時の気持ちを、どう表せば良いのだろう。
野菜畑から現れたのは幼い少女だった。年の頃は僕の半分くらいだろうか。母と呼ばれた女性とは反対の、しっかりとした印象の少女。
その姿を見た時、僕は不思議な高揚感に包まれ、胸の奥には確かな火が灯った。
「?」
僕らの存在に気付くと少女は首を傾げ、母親の代わりにこちらへやって来た。そして扉越しにこちらを見上げてくる。
「あの、どちら様ですか?」
そんな少女に対して僕は自然と跪き、溢れ出る思いをそのまま言葉に載せた。
「僕の名前はハルト。清貧教団で旅神官をしている。僕は今日、君と出会う為にここへやって来たんだ」
※この世界はファンタジーなので、空はドームの天井が半分赤いくらいのイメージです。太陽は正午に赤と青の境界を越えます。