#1.不変-3
キーツに薬を渡して戻って来ると、受付に一人の冒険者がやって来ていた。
「えっと、今欲しい薬草はこの辺だそうです」
「ふむ。…今の時期、この辺りなら用意出来るな」
セシルが応対している相手はハーンと言う中年冒険者で、山に詳しい事を武器に薬草の採取なんかで生計を立てている人だ。
冒険者への同行と言うのは、よその冒険者に頼まれて同行するのではなく、教団の依頼を受けた冒険者へ確認と、もしもの治癒の為に同行するものだった。この辺りは僕も、教団に入るまで勘違いしていた。
昔はモリノーク周辺にも大型の野生動物が降りて来る事があったので、旅神官による巡回も護衛の冒険者を雇った大掛かりなものだったそうだ。そうすると、ついでに害獣も倒して欲しいと言われたりもする。
さすがに、それはもう普通に冒険者へ依頼して下さいと断っていたそうだが、とある旅神官がやらかして結局受ける事になってしまったと言う。
最近では道も整備され、護衛を雇う必要がなくなったので、代わりに何かあった場合は教団が別途冒険者へ依頼を出している。
そこまでして未だに冒険者への依頼を止めないのは、現状これで利益と清貧のバランスを取っているからとか、そんな理由らしい。
「それで、やっぱり同行は…」
「必要ない。穴場を知られる方が困るからな」
ハーンは、ひらひらと手を振って出て行った。彼はいつも一人で山へ入り、もしもの時にタダで治癒してくれる旅神官の同行も、貴重な薬草の場所を知られるの嫌って毎回断っていた。
しばらくして次に現れたのは、赤イノ討伐隊の面々だった。
赤イノと言うのは赤いイノシシではなく、赤方からやって来たイノシシっぽい野生動物の事で、それなりに腕の立つ冒険者でなければ倒すのは難しい。
と言うのも、まずデカイ。何なら牛よりデカイ。そしてノシノシ歩く。極めつけに、草食動物とは思えない咆哮を上げる。その鳴き声を聞いた者は、余程腕に自信がない限り飛び上がって逃げ出すと言う。
ただ、それ故に希少価値があり、肉も毛皮も良い値段で売れる。僕は食べた事ないけど、結構美味いらしい。
赤イノ討伐隊は十分な人数と、倒したイノシシを運ぶ立派な荷馬車を持っている専門チームである。
「やあセシル、今日は依頼があるかな?」
屈強な男たちを従えるのは、意外にもセシルと同じくらいの歳の女性だった。
彼女の名前はユーリ。かつて西方でも有名だった剣豪の娘らしい。彼女自身も相当な剣の使い手で、今は修行も兼ねてこの辺りで最も凶暴な赤イノの討伐をしているらしい。
後ろの男たちは父親の門下生と言うが、どう見てもボディガードである。
「げ、ユーリ…、まぁあるけど」
何より彼女は英雄物語の愛読者であり、気の置けない同性の相棒に憧れを抱いている人物だった。しかし彼女が背中を預けられるような女性冒険者など、そうそういるものではない。
そこで彼女が目を付けたのが、セシルである。治癒魔術の使えるセシルが相棒になってくれるなら、自分が二人分戦えばいい、とか何とか。
まぁ言ってる事は格好いいし、同じ愛読者として相棒という存在に憧れる気持ちは分かるけど、その相手が良い男を探しに来たセシルというのはどうなのか。
「えーと、たまにはハルトを連れてったらいいんじゃない?」
「いいや、セシル。君を指名させて貰おう」
「うち、指名とかないんだけど…」
「それでも、冒険者へ同行するのは君の仕事だろう?」
これでユーリが男だったら丸く収まるんだろうけど。いや、同性の相棒という事はその場合、僕が指名される事になるのか。やはりどうにも噛み合わない関係だった。
冒険者の最大の相手はドラゴンではなくイノシシ。それなりにいい金になるものの一攫千金には程遠い。これが日常。手の届くところに未知の世界はあるけれど、別世界過ぎて人の往来が全くない。これが現実。英雄譚など所詮は夢物語だ。
「おーっ、ハルト君。新しい依頼だぞ!」
そこへ一枚の紙を片手に、屈強な中年男性が現れた。
ケネス神官長は旅神官側の責任者であり、例のやらかした旅神官でもある。
神官長は今の教団長がどこかから連れて来た、治癒魔術の使える元冒険者だった。西方と行き来できた頃には、そういう人もそこそこ居たらしい。
まぁその頃の癖が抜けなかったのだろう、巡回中勝手に討伐依頼を受けていた事が発覚した。
その後、人も増えたところで諸々の責任を自分で管理するようにと、責任者へ押し上げられた人である。
「あ、やっぱり赤イノは私が行くわ! それじゃあとよろしくねハルト!」
神官長が現れた途端、セシルは手の平を返して受付を出て行った。
と言うのも、ケネス神官長はモリノークの人にしては珍しく、赤方に関心のある人だった。
そんな神官長が持って来る依頼は『赤方案件』と呼ばれ、赤方に関係のありそうな噂話を調査する仕事なのだが、そのほとんどは『山奥で怪しい人影を見た』程度のものであり、基本的に空振りである。その為、みんな行きたがらないので、いつも一番下っ端の僕に回って来る。
まぁ僕には、気兼ねなく付き合わせる事の出来る冒険者の知り合いがいるし、気分転換にもなるのでそう嫌ってはいない。多少面倒だとは思うけど。
「…ケネス君、ちょっといいかな?」
「ニ、ニコル教団長!」
ケネス神官長が気を付けの姿勢になって、後から現れた人物に道を空ける。
ニコル教団長は、ヘンリ爺さん程ではないが結構な歳で、施療院が大きくなり過ぎた頃に、元々の教団長がどこかから連れて来た金勘定に強い人である。
「こ、これはちゃんと報酬も支払う正式な依頼で、教団長も許可を…」
「うんうん、仕事としてやらせる以上、彼らにはきちんと報酬を支払うべきだ。…でも君、その報酬を捻出する為に、薬の購入量を減らしたよね?」
「! …で、ですがそうしないと報酬が…」
一見すると人の良さそうなお爺さんだが、教団長は責任ある立場の人には厳しい。僕は下っ端で良かった。
「確かに薬を全て魔術で賄えば、費用を減らすのは簡単だ。でもね、医師たちも旅神官がいなければ治療も出来ないようでは困ります。それに患者に持たせる薬は、魔術で代用出来ないでしょう?」
「そ、その辺りは一応…」
「では商人たちは? 儲けにならないのに薬一瓶から、はるばる運んでくれる訳じゃないんですよ。だから現状の体制を維持する為には、おのずと購入しなければいけない薬の量は決まってくる。その辺りは考えましたか?」
「う、それは…」
一瞬、神官長が盛り返しそうになったが、すぐに上から被せられて萎んでしまった。
「君にはもう一度、金勘定というものを一から叩き込む必要がありそうですね」
「…はい」
すっかり項垂れてしまったケネス神官長を引き連れ、ニコル教団長が二階へと戻って行く、と思われたがそこでふと足を止めた。
「ああ、ラリー君も一緒に来なさい」
「え!?」
何の騒ぎかと顔を覗かせていたラリー医師長も巻き込まれた。
「いやその、私には患者さんが…」
「実務ならもう、トニー君とスノー君の二人で十分回せるでしょう?」
「そうですね、あの二人は優秀ですから!」
教団長に追従するケネス神官長の顔は、道連れを見付けて輝いていた。
「それに神官長の方が余裕があるだろうと思ってケネス君に教える事にしたけど、本当なら施療院の金勘定は、医師長であるラリー君が知っているべき事だよ」
「…はい」
結局、金に関する話で教団長に勝てるはずもなく、責任者二人は教団長の部屋へと連れられて行った。
こうして僕の手には、一枚の依頼書だけが残されたのである。