#1.不変-1
世界は変わらない。
そう簡単には変わらない。
子供の頃から、英雄物語が好きだった。
英雄的冒険者たちが異界を巡り、様々な怪物たちと戦う冒険作品。それらを読み漁り、登場する剣士や魔術師に憧れた。幼馴染のカイルと一緒に山の中を駆け回り、英雄ごっこに興じたりもした。
けれど僕は、山奥の村の子供。大きくなるにつれて、このまま村で一生畑を耕して生きていくのだろうと思うようになっていた。
そんな十六才のある日。カイルが村を出て冒険者になると言った時、僕は思わずそれに飛びついていた。
僕らの村から一番近くて、冒険者が多く集まる町はモリノーク。この大陸の東側、東方と呼ばれる地にあって、更に東寄りにある一番大きな田舎町だ。僕にしても元々親に付いて来たり、カイルと二人遠出した時などに遊びに来ていた場所で馴染みもある。
ただ問題なのは、冒険者という職業は別途技能を必要とする事だった。僕はあまり剣が得意ではなかったし、魔術を習うような当てもなかった。
そんな時に、カイルがたまたま口にしたのが『旅神官』だった。
とある教団に所属して医者のいない村々を回り、無償で治癒の魔術を施したり、時には冒険者に同行したりするという。実際、僕らの村にも定期的にやって来て、大人たちからも非常に尊敬されている存在だ。何しろ発熱くらいならその辺に生えてる薬草で何とかなるが、怪我となると大問題だ。数週間、下手をすれば数か月仕事が出来なくなってしまうのだから。その点、魔術なら怪我でもあっという間に治ってしまう。
魔術が使えて、冒険者の真似もする。それは決めかねていた僕にとって、実に都合の良いもののように思えた。それに、そんな旅神官になりたいと言えば、僕の両親も特に反対はしなかった。
そしてモリノークへとやって来て、無事旅神官になった僕は、今。
「はーい、それじゃ今日の分担を発表するわよー!」
ここは教団の施療院一階にある、旅神官が待機したり朝礼したり私物を置いたりする部屋だ。
施療院は二階建ての建物で、教団の医師と旅神官が共同で使っている。基本的に一階が僕らの仕事場で、二階には偉い人の部屋や薬の調合室がある。
教団そのものの説明は…、長いので一旦脇に置いておこう。
「いつも通りトムとサムは村の巡回。ヘンリ爺さんは待合室で応対。私は冒険者が来たらその対応。んでハルトはその他雑用ね!」
そう言ったのはセシル。良い男を探す為に山奥の村から出て来たという彼女は、僕のいっこ上でこの中では二番目に若いが、他がみんな大人しい性格なので大体彼女が場を仕切る事になる。
「はい、分かりました」
ヘンリ爺さんは最初の旅神官で、聞けば最初の頃は手探りで大変だったという話を延々してくれる。今はもう半ば引退しているようなものだけど、本人の希望で待合室に来たご老人の相手なんかをしている。
実際のところ、長年治癒魔術を施して来た爺さんは教団長より余程人望があり、爺さんがいる事で町の人達からの施療院の印象は凄く良くなっていると思う。
「うん」
「分かったよ」
トムとサムは僕より三つ四つ上の青年で、現在はこの二人が村々を回って治癒魔術を施している。二人ともヘンリ爺さんに憧れて旅神官になった人物で、性格も似ているからか、外見も割と似ている。僕は未だに、どっちがどっちだか分からなくなる時がある。
「…了解」
そして雑用係のハルトと言うのが、僕だ。
僕が所属する教団の名前は『清貧教団』。清貧の神の教えに従い、元々は清く正しく自給自足的な団体だった。
ただ、清く正しくと言うからには、困っている人を見捨てる事は出来ない。教団員には山奥の村出身の者も多くて、山で取れる薬草に詳しい人がそれなりに居た為、薬屋の真似事を始めたのが全ての始まり。
最初は無償でやっていたのだが、当時のモリノークには医者がいなかった事もあり、人々から求められるまま、昔の人が良かれと思って行動した結果が、現在の施療院である。
普通の病院に比べれば安価で医療が提供されているものの、僕らも特殊技能者としてそれなりの給料を貰っているし、最早清貧とはかけ離れた存在となっている。その為、施療院は本部とは半ば別組織となっており、施療院側にも教団長が置かれている。もっとも本部の方も大概なのだが、これも話すと長くなるのでまた別の機会に回そう。
ともかく施療院自体が本来の目的からすれば余計な存在であり、旅神官はそこへ更に後付けされた存在なのである。だから村々の巡回も二人いれば十分だし、冒険者への同行も一人いれば大概間に合ってしまう。村を出て早二年。僕は巡回も同行もした事はなく、医療費を抑える為に、薬の代用魔術を使う日々なのである。
待合室にある受付の端っこには、ひっそりと冒険者専用の受付がある。普段の僕は基本的にこの辺りにいて診察室から呼ばれるのを待ったり、セシルが出掛けている間は代わりに受付をしたりしている。
待合室に目を向けると早速近所のお年寄りたちが来ていたが、みんな受付には来ないでヘンリ爺さんを囲んでお喋りをしている。
「今日はどうしましたか?」
「それは一度先生に診て貰った方がいいでしょう。あちらでヒース君に尋ねてみて下さい」
「腰が痛いのですか? それでは治癒魔術をかけておきましょうね」
そんな会話を聞きながら、受付の後ろでボーッとしている。実に長閑だ。下手をすれば山奥の村より変化がない。まあヘンリ爺さんがいると受付に余り意味がない、というのもある。
僕はふと窓の外、遠く西の空を見上げた。清々しい程の青空は中央山脈を境に突然赤く変色している。
世界は変わらない。
そう簡単には変わらない。
今から十年程前に突然、世界の半分が見た事もない世界に挿げ替えられても、僕らの日常は変わらなかったのだから。