3 呼び出し
その時、戸口から訪れを示す鐘が鳴った。
子供たちが一斉に振り向く。
「あ! 恒矢兄ちゃん!」
わあっと子供たちが、戸口から顔を覗かせた青年に駆け寄って行く。
こげ茶色の髪に同色の眸。ほんの少し目じりの下がった青年は笑うと、とても人懐っこくなる。面倒見のいい兄貴分として、子供たちにも人気がある。
「ねえねえ、良いって言うと思う!?」
飛びついてくる子供たちを受け止めながら、青年――恒矢が「なにが?」と問えば、子供たちがまた一斉に説明しだす。
「ふーん。頼んでみたらいいんじゃないか?」
「良いっていうかな?」
子供たちを纏わりつかせながら、恒矢が笑う。
「それはわかんないけど、やってみたいって言うのは悪いことじゃないだろ」
「そうかな? そうだよね」
「お願いしてみようよ!」
子供たちは頷き合う。
気の早い子が「今から行こうよ!」と声を上げ、子供たちの中であっという間に話が纏まったらしい。もう身体が小屋の外を向いている。
「千束姉ちゃん、見せてくれて、ありがとー」
「伊那姉ちゃん、あんまり仕事さぼってると怒らるよー」
「失礼ね! 今は休憩時間よ!」
「姉ちゃん、兄ちゃん、またねー」
子供たちは競うように調薬小屋から駆け出して行った。
と、皆と駆け出して行った男の子が一人、足を止めて振り返り戻ってきた。
「姉ちゃん、元気出せよ?」
「え?」
千束はきょとんとして、戻ってきた男の子――由基を見下ろした。
「千種さんが戻って来なくて心配かもしんないけど、おれの母ちゃんも一緒だし。母ちゃんが出かける前に言ってたんだ、十日の延長は想定内って」
「想定内の意味がわからなくてさー」とぶつぶつ言う由基の前で、千束はぱかりと口を開けた。
真静は由基の母で、今回の旅巡で千種に巻き込まれている被害者だ。
「まだ七日だろ? 想定内ってやつだよ。だからさ、ちゃんと食べないと駄目だぞ? 叔母ちゃんが姉ちゃんの分の夕飯も準備してくれるって言ってたから、あとで持ってくるからさ! 寂しかったら、叔母ちゃんのとこで一緒に食べるか?」
今回、運悪く両親の里外の仕事が重なってしまい、由基は両親不在の間、叔母の家に預けられていることは当然、千束も知っている。
伊那と恒矢が揃って顔を背けた。由基との会話を邪魔しないように後ろを向いて笑いをかみ殺しているのは、二人の優しさだろうか。
まったく笑いは隠せていないが。
「――ありがとう。ちょっと手の離せない調薬があるから、持ってきてくれると嬉しい、です」
千束は動揺しながら言う。急ぎの調薬などはない。
「そう? 寂しかったらいつでも来ていいからな!」と由基は力強く請け負ってから、ほかの子たちの後を追って駆け出して行った。
思わぬ言葉にがっくりと肩を落とし「……ええ……?」と呟く千束に、伊那と恒矢の笑い声が弾けた。すぐに恒矢は口元を抑えて笑いを堪えようとする様子を見せるが、伊那はそんな素振りもない。
「あはははは! なに!? 千種さんが心配で食事も喉を通らないの!?」
大笑いしている伊那には何を言っても無駄なので放置し、千束は恒矢に物申す。
「笑いたいなら、ちゃんと笑ってよ」
「い、いや……なんだ、千種さんの帰りが遅くて寂しいとか初めて聞いたな」
「ものすごい誤解だわ……」
「あははは! 由基にああ云われちゃ立つ瀬ないわね!」
「なんか、すごい嫌!」
「でも、心配で飯も喉を通らないんだろ?」
「違います」
「違うの?」
「違うのか?」
ほぼ同時に言う伊那と恒矢。
「……ちょっと調薬の手が離せなくて、食べ損なっただけよ」
食を後回しにするきらいのある千束の言葉は、今回が初めてではないだけに尻すぼみになる。
恒矢が嘆息した。
「飯はちゃんと食え。約束したろう? 薬師だって体が資本だぞ」
「……はーい」
三人は幼馴染だが、恒矢は二人より一つ上。特に千束とっては幼馴染というより兄みたいなものだ。
千種が旅巡に出ている間のみならず調薬に没頭している間、恒矢の家に預けられ、恒矢の両親の元、兄妹のようにして育てられた。
千束が薬師として自立した今でも何くれとなく気にかけてくれている。恒矢の家族には足を向けられないし、恒矢の母には特に頭が上がらない。
また元々面倒見の良い恒矢は、薬師たちが商いや治療の遍歴に出る際に護衛を務める職――護士に就いてから、更にそのあたりのことに厳しくなった。
「ちゃんと食ってるか、見に来るからな」
「信用ない」
「自業自得」
「本当にね!」
目尻に溜まった涙を拭いながら伊那が同意する。
千束は友人二人の言葉に軽く落ち込み、まだ笑いの収まらない伊那を嘆息しつつ見る。
「もう休憩時間終わるんじゃない?」
慌てて伊那が立ち上がる。
「薬はまた後でとりにくるから! お腹空いたからって、薬草で誤魔化しちゃだめよ!」
「してません!」
片目を瞑って笑いながら、伊那は笑いながら帰って行く。
伊那の笑い声が聞こえなくなったあたりで、恒矢の問いが響く。
「また薬草で誤魔化してるのか?」
千束がぶんぶんと首を振る。
「してないよ! 本当に! 今回は本当に偶々! ちゃんと気を付けるから。ほら、頼まれてた薬は作り終わったし」
恒矢の背後に恒矢の母の影を見る。恒矢の母は怒ると怖いのだ。恒矢だけでも十分おっかないのに、二人がかりで来られたら震え上がるしかない。
千束は今しがた作り終えた薬を指し示す。
まったく信用できないという表情をしていた恒矢だったが、やがて小さく息をついた。
「由基にも心配かけるなよ?」
「うん。それはうん、すっごい複雑な気分だけど、わかってる。多分、由基の方が不安だと思うのに、あんなふうに心配させちゃうのは反省した。――本当はちょっと不安だったの。帰りが遅くなってるのは絶対、うちの母のせいでしょう? だから、由基が怒ってるんじゃないかって」
恒矢は、千束の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「千束のせいじゃないだろ。だいたい七日くらい、よくある話だ」
「う、ん。そうなんだけど……由基に申し訳なくって」
しょんぼりとする千束に、恒矢は苦笑する。
「千種さんも真静さんも大人なんだ。ちゃんと二人に由基に謝らせたらいいさ」
「真静さんは巻き込まれただけだもの。母については怪しいと思うなあ。大人ってところは」
真顔で千束が言う。
「ははは。それよりも千種さんのことが心配で心配で飯も食えないって里中に広まらないように気をつけろよ?」
絶望的という表情に一瞬で変わった千束に、恒矢が吹き出した。
「――相変わらず見事なもんだな」
なんとか笑いを収め、出来上がったばかりの薬を見て、恒矢は素直に褒めた。
薬師ではないが、里の子たちは皆、幼少より薬師の術を学ぶので、基礎知識はきちんと持っている。
「今日はいつもよりうまく出来たみたい」
手際よく道具を片付けながら、千束は笑う。
「それで恒矢は? どうしたの? なんかあった?」
「里長様たちが呼んでる」
訪いの理由を告げた恒矢に、「ええ?」と千束は目を瞠った。