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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第五章 望み
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7 罪の所在②

「養分……」

 ぽつりと言ったのは千種だった。

 その言葉にすぐさま反応したのは日名宇の里人たちだった。

「……そんなまさか」と真静が呟きを漏らす。

「冗談きついですよ……」

 恒矢が首を振りながら言う。

「……つまり、あなたは神域に藩主殺しがあることを知っていて、先代藩主の血肉を養分としようとした?」

 比良の言葉に、千束はくらりと身体を傾がせた。慌てて恒矢が支えなおす。

「じゃあ、さっきの悲鳴みたいのって……?」

 まさかそんなという響きを含んだ伊那の呟きは、思いのほか、よく響いた。

 誰も何も言わなかった。神域であがった悲鳴だったとして、あんなふうに響き渡るはずがないのは誰もが解っている。だが、神域という特別な地が皆を揺るがせる。何があっても不思議ではないと思わせる。


「は……?」

 些か間の抜けた声をあげた火郷は比良から郭稚へ視線を移した。

 視線を受けて肩を揺らす郭稚。郭稚を見つめる火郷の中に疑念を始めとした様々なものが生まれていくのが見ていてもわかるようだった。

「そうか、おまえは……おまえたちは藩家をそんなふうに使うのか」

 郭稚が惑うように眸を揺らした。主の言葉の意味を量りかね口を開くのを迷っているうちに、火郷が言葉を続けた。


「…………火の大神殿に薬創初書を仕込んだのはおまえか」

 藩国を立て直す手立てを探して奔走していた頃、誰が火の大神殿の書庫を探してみようと言ったのか――火郷は記憶を探るが思い出せなかった。

 ただ、火の大神殿は叡智の宝庫。そこを頼るのは自然な流れだった。誰かに提案されるまでもなく、それは火郷の念頭にあったはずだ。

「郭稚、答えろ」

 鋭さを持った静かな声に、郭稚が気圧されるように跪いた。

「…………はい」

 薬創初書は郭稚の祖母が持っていたものだという。

「祖母も大神殿の書庫で見つけたと言っていました」

 だから、火の大神殿にあったものであることには間違いないと郭稚は苦し紛れの様に呟いた。欠落部分は当初からのもので、探し続けたが見つかっていない。


「お前一人の案か?」

「……父には相談しました」

 是とも否ともつかぬ答えに、一拍の後、火郷が息を吐いた。

「……父親はどうした?」

 折から体調を崩していると聞いていた。

 藩国の病だと――そう聞いていた。

 火郷の乳母である郭稚の母には、体調を崩した夫の看病とやらで、もう久しく会っていない。もともと火郷のやり方を強引だと快く思っていない乳母とは距離が出来ていて、顔を合わせることがなくなっていたから、特段何も思わなかった。郭稚の「元気にやってますよ」という言葉を額面通り受け取っていたが、それは果たして――。

「郭稚」

「生きています。ただ、もうあまり長くはないでしょう」

「神域の、薬草もお前たちか?」

「はい」

「なぜ、黙っていた?」

 火郷の双眸に新たに怒りが宿る。

「必要がなかったからです」

「なんだと?」

「あれは本当にただの毒にしかならないものです。ですが、不老不死薬を作るには、あの薬草を使うのは確かで。けれど、そのままではとても使える代物ではなくて。なので、恐らく、もっと毒性を弱める必要があるのだろうと。成功したら、きちんとご報告するつもりではいたのです」


 だが、郭稚の一族だけでは完成させることができなかった。火の藩国の筆頭貴人の一門である郭稚の家にもお抱え薬師たちはいたが、不老不死薬に携わらせることができる人材は限られていた。それでも一門の中で薬師を育て、それぞれに優秀だったはずなのに誰一人辿り着くことができなかった。

 彼らは次々と例外なく体調を崩し、藩国の外から薬師を招き入れることも容易ではなく、従事させることができても成果は上がらず――唯一できたのは『藩主殺し』の毒性を薄めたことぐらい。

 毒性を薄めた黄色い『藩主殺し』を使っての『仮死薬』ですら、郭稚たち一門は造り上げることができなかった。端佐と自分たちの元にいた薬師たちとは何が違ったのだろうか? 端佐たちが完成させたと聞いた時、郭稚たち一門を襲った落胆は言葉では言い表せないほどのものだった。


「なんということだ……」

 呻くように呟いた端佐が頭を抱えてうずくまっている。藩国の薬師の頂点に立ち、薬術に関する事柄はすべて掌握していてはずなのに、その足元でこんなことがまかり通っていたことに打ちのめされていた。


「だから、それは紛れもなく正しいのよ」

 恐らく、薬創初書そのものが毒薬の薬術書だったのだ。だから、仮死薬も本来は毒薬だったのだろう。

 毒薬ばかりを集めた薬術書は存在する。紛い物も多いが、闇市などで取引されている実例はある。

「それを書き残したのは薬師よ。薬師が言う不老不死薬は毒薬なの」

 もう、このやり取りを何度繰り返したらいいのかとうんざりとした顔で千種が言う。

「薬師が書き残した調薬通りに不老不死薬を作ったなら毒薬が出来上がる。なにも、どこもおかしなところなんてないわ」

 それを勝手に取り違えたのは、郭稚たち。

 言葉通りの「不老不死薬」の存在を信じ、藩主殺しの存在を知り、ある薬師が書き残した不老不死薬の調合方法を手にした彼らは突き進んだ。

 そこに大きな齟齬があるとも知らずに。


「藩主殺しの改良に成功したことに、むしろ驚くわ……」

 毒薬の藩主殺しを――どう曲解したのか。強すぎる毒性をなんとかすれば、なんとかなるのではないかと思ったとはいえ、原料である薬草の方を改良しようというのは、薬術の知識がある人間であれば普通考えない。

 携わっていた薬師たちの正気を疑うが、不老不死薬に関わる時点でその程度だったのかもしれないし、上からの命令でどうにもならなかったのかもしれない。

「同情はしないけど」

 千種の言葉に、薬師の里人は強く頷いた。


「おまえたちが神域に出入りしていた理由はそういうことか」

 その言葉に、郭稚が目を丸くする。

「何を驚いている。なぜ、お前たちがこそこそとやっていることに気が付かんと思っていたんだ?」

 ここは、色々と目が行き届かない領地ではない。

 それでもまさか、この薬草とここまで関りがあるとは思ってもいなかったし、薬創初書まで仕込みだったと知った今は、さすがに業腹ではある。


「な…………」

「なぜ、言わなかったとお前が言うな」

 郭稚の屋敷に薬師や医者が多く出入りしていることは知っていた。ただ、財力のある貴人が薬術や医術に力をいれるのは珍しいことではなく、特に家長が藩国の病に伏していると聞けば、その数が多いとしても怪しいとは言えなかった。

 火郷が疑いを持ったのは、郭稚の一門に連なる人間が神域に出入りしていることを知ったためだ。

 郭稚が神域に出入りしている形跡はなかったが、それがその人間単独の行動なのか、一族ぐるみなのか。郭稚の一族は揃って慎重で決定的なことを掴ませることがなかったが、藩家に対する忠誠も表面上は陰ることがなかった。

 郭稚たちの真意がいずれにあるにせよ、望む理由に違いがあったにせよ、目指すものは火郷と同じもの。ならば、利用すればいいだけの話だ。無論、それを口にするつもりは火郷にはない。それでも本音が零れる。

「腹の立つ話だ」

 火郷の呟きに、郭稚の双眸に怯えが宿る。

 だが、知ったところで利用はしただろうから、火郷はそれ以上の怒りは堪えた。


「いつからだ?」

 火郷の問いに、郭稚が言い淀んだ。

「始まりはいつだ?」

「…………祖父が領地にある村で見つけたそうです」

 家督を息子に譲った郭稚の祖父であれば、領地に籠りっぱなしでも支障はなかった。だが、郭稚の父の代になり、当主が領地から出て来ないというのは都合が悪かった。また、なかなか成果が出ず、苦肉の策とばかりに環境を変えることを試みた。

 そして、その危険性を解っていたためにから屋敷内ではなく、人目に触れない場所で育てることを選んだのだと言う。

「うまく根付かず苦労したと、聞いています」

「そこで神域を選ぶか。罰当たりなことだな」


 その後のことは概ね日名宇の人々が推測した通りだった。最初は郭稚の一族の領地で、それから藩都の屋敷で密やかに不老不死薬の研究は行われ、藩主殺しを改良するなかで突然、強い匂いを持つようになり、いかんともしがたくなり隠すことを諦めたという。

「もともと我が家門だけで行うことにも限界を感じつつありました。ですが、他家のお抱えを頼ることは反対意見が多くて」

 お抱えであれば――否、薬師であれば正しく反対するに決まっている。その当たり前のことが理解されていたことに。更に、体調を崩した者たちについて郭稚が触れることはなかったことに日名宇の人々は重苦しさに顔を顰めた。


 顔色を失っている端佐が呻くように言った。

「郭稚殿の祖母君は、先々代藩主の異母姉君だったな」

 身分的にも相応しい婚姻だが、こうしてみれば、その婚姻にはまた違った意味があったようで端佐は己の考えに眩暈がした。

「祖母君は関わっていたのか?」

「わかりません。すでに亡くなっていますから」

 藩家の姫君が降嫁した家。藩家が藩主殺しを知っていたか、否か。関りがあるのかどうかなど解かりようもないが、郭稚の答えに端佐は震えた。


「なぜ、おまえたちは報告しなかった?」

 火郷は腕組みをして、建前の答えなどはいらぬと郭稚を睥睨し、再度問う。

「不老不死薬を独占するつもりだったか」

「まさか!」

 郭稚が飛び上がった。信じ難いという驚愕の表情を貼りつけて。

「すべては藩国の権威を取り戻すためです!」

「不老不死を手に入れて、おまえたちが藩主となるためにか?」

 その当時であれば、血は近かった。

「先々代藩主は兄弟仲が良くなかったな?」

 藩国の歴史に詳しい神官長が視線を受けて、頷く。


 先々代藩主――火郷の曽祖父には藩妃の他に幾人もの側室がいた。藩家の血筋は多ければ多いほど良いとされているからだ。藩家の人間が三人しかいないという今の方が異例だった。だが、後継者候補が多くなればなるほど、争いも多くなるのは自明の理でもあった。


「とんでもありません! 父も私もそんな考えは毛頭ありません!」

「口ではなんとでも言えるな」

 その突き放したような物言いに、郭稚の顔が傍目からでも判るほどに青褪めた。

「それが臣下の務めだからです! あなたほど藩主に相応しい方はおられない! 例え、泥の中を這い回ることになろうとも、相応しいものをあなたに差し出すのが我々の役目です」

 郭稚が火郷の足元に縋るようにして言い募る。

「ですが、今の藩国はどうです? 有象無象の国たちに舐められ――真っ先に忠誠を誓うはずの藩妃は藩主を侮り、その生国は我々を見下し続けている。火の神の寵愛を失ったなどと言う輩まで出る始末です。こんなことがまかり通っていいはずがないのです!」

 郭稚が大きく息を吸い、立ち上がる。日名宇の人々をまるで仇のように見渡す。

「我々は火郷様以外の藩主は認めません。それは信じていただきたい。幼き頃から語りあってきた藩国のために、我が一門は完璧なものを用意するつもりだったのです」

 火郷には人為的な物とは知られないままに不老不死になって欲しかった。

 なぜなら、火の神の血を最も濃く継ぐ初代藩主は不老不死だったと言われているからだ。


 火の藩国人も同じく長命だった時代。神の力か、老いもゆっくりとしたもので、藩国人は長じても若さを保っていたという時代。

 藩国の輝かしい時代の始まり。

 藩国が藩国らしさを取り戻すために。

 優れた藩主は既にいる。だが、それを世界に知らしめるには、力が足りない。ならば、火郷が初代藩主に並び立つ者になればいいのだ。


 だが、不老不死薬は遅々として成功せず、改良の過程でとんでもない匂いを放つようになってしまった。

 ここで、火郷にすべて打ち明けるか一族は悩んだ。それなりに怒りは買うかもしれないが、そこまでのことではないと踏んではいたが、秘したまま、このすべてを火郷の手柄として渡すことを選んだ。藩国の病を抑え、不老不死となる道を自ら示した藩主という箔を与えたかった――そんな施しのような真似は、火郷の嫌うところであることを重々承知しながらも。

「これは私の欲です」

「……………………なるほどな」

 長い沈黙の後、火郷は頷いた。

「随分と馬鹿にされていたようだな。おれは道化だったわけか」

 郭稚の面が強ばる。

「そのようなことは、けっして!」

 郭稚の反駁を、火郷は手を振って遮った。

「理由はどうあれ、おまえたちはおれを軽んじすぎた。それは肝に命じろ。言いたいことは色々あるが、おまえたちは最初から打ち明けるべきだった」

 火郷から怒りの色は消え失せてはいなかったが、荒ぶる激情は通り過ぎたようだった。

「だが、まあ得心はいった」


「な、なぜ放っておかれたのですか……?」

 神域に出入りしていることを掴んでいながら放置していた火郷の真意が解らず、郭稚は問わずにはいられなかった。

「政治的判断だ」

 そう火郷は嘯いた。だが、それも嘘ではない。

 一族取り潰しの必要性を思案しながらも火郷が実行しなかったのは、取り潰す方が不都合が多かったからだ。神域への侵入が露見すれば大問題だが、実にうまく立ち回っており、人目に触れるようなことがなかったことが大きい。あとは神域に入ってもなんら神罰など下らないと彼らが実証した功績のため。


 郭稚の取り繕うことを忘れた茫然とした表情を、呆れたように火郷は見下ろす。

「お前は阿呆か? 親父殿が神器を隠したかもしれないとすれば、真っ先に思い浮かぶのは神域だ。藩家の人間ですら安易に立ち入れない場所は、隠し場所にはうってつけだと考えるだろう。まあ、あの親父殿に神域に足を踏み入れる勇気があるわけがなかったがな」

 無駄足だったと小さく笑う火郷に、郭稚が茫然としたまま問う。

「で、では、あの薬草のことも……?」

「あの赤い花か? もちろん知っていた」

 ただ、薬術の知識がない火郷には、ただの赤い花。あの赤い花と、目の前の薬草の関りなど判りようもなかった。類似に気が付かなかったのは迂闊に過ぎよう。そんな風に自嘲気味に火郷は内心で苦笑する。


「ふ、触れたりは……」

「するわけがなかろう。神域のものに触れたり、持ち出したりすることは許されてはいない。それを守るくらいはする」

 お前たちと一緒にするなと火郷の放った皮肉に、郭稚が眸を瞬いて、俯いた。

 神域に神器があったなら、迷うことなく持ち出したくせにと千束が呆れていると、火郷がにやりと笑った。

「自分の物を持ち出すだけだ。問題ない。顔に出ていたぞ」

 解りやすいと言われて鼻白んだ千束に、皮肉めいた一瞥をくれてから、火郷は再び郭稚へ目を向けた。

「最初からお抱えをかませておけば良かったものを。無駄な寄り道で時間を無駄にした。お前たちの最大の罪だな」

 余計な苦労をするだけだったではないか。

 そんな感情さえ見える言葉に、千束を始め日名宇の里人と端佐は愕然とした。

「親父殿も最期の最期で、藩国の役に立つならば本望だろう」


 千束は言葉を見失った。

 一瞬、火郷も色々と振り回されていた側かと思ったが、そんなはずがない。

 事の発端が郭稚の一族だったとしても、火郷は容認していたのだ。

 その思惑など千束には解りようもないが――。

 もうどうやって歩み寄ればいいのか解らない。

 それは他の日名宇の面々も同じだった。

「これ以上は無理だ」

 恒矢に耳打ちされて、千束は苦渋の表情で小さく頷いた。

 そうなれば、速やかにここから逃げるほかない。

 千束の視界の端で真静が、比良が動くのが見えた。恒矢の手が焦燥に駆られかけた千束の意識を引き戻す。


 皆の意識がそれぞれに逸れていた。


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