2 日常
「それよりさあ、もう我慢できないって感じよ?」
伊那が気を取り直すように、小屋の入口の方を示す。
少し前から開け放した小屋の戸口の両端から、お行儀よく六つの見知った顔が並んでいる。
里の子供たちだ。
子供たちは未来の薬師の卵たち。彼らの全員が全員薬師になるとは限らないが、このくらいの年頃は薬師を目標にする子が多い。
目の前の齢六つから八つの子たちは、まだ調薬を行うことを許されていない年齢。それ故に憧れも強い。近くで調薬を見たいが、危ない薬草を使うこともあるし、特に火を扱う調薬の時は軽々しく近づいてはならないときつく言われているので、無断で小屋の中に立ち入ることはしない。
ちゃんと我慢して、小屋の主からの許可を待っている。
千束と伊那は顔を見合わせて、そんな子供たちのそわそわしている様子にくすりと笑う。
「どうぞ。入っていいよ」
千束の声に、子供たちが駆け込んでくる。
それでも調薬台に突撃したり、むやみに周囲の物に触れるようなことはしない。
「あんたたち良い子ねえ」
きちんと人一人分の距離を取って、調薬台の前に並んだ子供たちに伊那が苦笑しながら褒める。
「何言ってんの、当たり前だよ!」
「ちゃんと決まりは守らなきゃいけないんだよ!」
「そうだよ、伊那姉ちゃん、調薬台に近づいちゃいけないんだぞ?」
口々に反論されたばかりか、調薬台に頬杖をついている伊那に対して非難めいた――そんなことも知らないのかとばかりの視線を向けられて伊那は「わあお」と呟き、千束は吹き出す。
「千束姉ちゃん、これはなに?」
一人の子が調薬中の容器を指差すと、もう一人の子が右手をあげる。
「わたし、わかる。これ、肥料薬でしょ」
日名宇の里の薬師は薬と名が付くものはあらゆる分野を学び、処方できることで同業者の間では有名だ。無論、得意不得意はあり、技量の個人差から割合的には人相手だけに的を絞る方が多いが。
「正解」と千束が笑うと、先に訊ねた子が頬を膨らませる。
「わかってたもん! 確認だもん!」
うんうんと千束は頷き、「二人ともちゃんと確認できて偉いね」と笑う。
その笑顔が本当に嬉しそうなので、ちょっと睨みあっていた子供たちの雰囲気も柔らかくなる。
「はーい。私の依頼品でーす」
伊那が手をあげるが、子供たちの反応は「へー」だけだった。
顔も向けてこない子供たち。
「わあ。すごい温度差じゃない?」
嘆く振りをする伊那に、千束は苦笑しきりだ。
「子供たち、感謝しなさいよ。私が依頼したから、見ることができるんだからね」
「へー」
皆、生まれた時から知っている謂わば親戚みたいなもなので、血の繋がりはなくても、子供たちは上の子たちを「姉ちゃん・兄ちゃん」と呼ぶ。そのためか、割と扱いに遠慮がない。
「この反応!」
大袈裟に嘆く伊那に笑いをかみ殺しながら、千束は手元の容器の粗熱がとれたことを確認をする。
「そろそろ良さそう」
お行儀よく並んだ子供たちが食い入るように見つめている。
その視線の先――蒸留を終え粗熱が取れた液体に、ゆっくりと透明の液体が注がれていく。最後の一滴が落ちた途端、それまで薄緑色をしていた液体が劇的に鮮やかな赤紅色へと変化を遂げた。
「わあ…!」
子供たちから歓声があがる。
「すごいすごい」
「千束姉ちゃんのが一番きれい!」
子供たちの無邪気で衒いのない言葉に、千束は恥ずかしそうに笑う。
「きれいね~」
子供たちが瞳を輝かせて、千束の手元をみつめている。
「千束姉ちゃん、すごいねえ」
千束が調薬してみせていたのは、畑に撒く栄養剤だ。
薬種を煎じ、整えて製薬する。
鮮やかな赤紅色になればなるほど効能が高く、鮮やかな赤紅色が少しずつ薄れ、最終的には半透明色になる。
手順としては初歩の調薬だが、劇的な色の変化が子供たちに喜ばれる。
「いいなあ。私も千束姉ちゃんみたいになれるかなあ」
子供たちが瞳を輝かせて口々に言う。
「千束ねえちゃんみたいに火の加護が貰えるかな?」
「姉ちゃんは地の加護もあるんだろう? 姉ちゃんが世話した薬草は、すごく良いんだって母ちゃんが言ってた!」
「姉ちゃんの作る薬草がすごいから薬もすごいんだろ?」
「違うよ! 薬草だけじゃないんだって! 同じ薬草使ってても、違っちゃうんだよ!」
子供たちが顔を見合わせ「格好い~」と声を揃える。
火の加護持ち、地の加護持ちといわれる実力もさることながら、いつも快く自分たちに応じてくれる千束を子供たちは慕っている。
薬草に薬種。
薬草から有効成分を取り出したものを薬種といい、その過程はいくつもあるが、煎じ・蒸すにおいては些細な火の加減が効能に影響される。薬草をそのまま使う場合もあるが、だいたいは加工し複数の薬種を掛け合わせ、調整していく。その過程で火を用いることは多く、その加減がうまいのが優れた薬師の条件のひとつとされている。
そして、そういった優れた才を持つ者を薬師たちは「火の加護を持っている」と表現したりする。
地の加護も同様で、薬草栽培に優れている人を薬師たちはそう表現する。
子供たちの羨望の眼差しに面を赤く染め、千束は軽く咳き込んでから応える。
「いや、私、そんなにすごくないからね? ええと、とりあえず毎日、色々やってみるしかないかな」
加護は経験と努力の証。あとはほんのちょっとの天賦の才――里の先人たちの言である。 経験と努力あってこそ――と言い切る先人たちを素直に尊敬しているので、子供たちに尋ねられたら、いつもそう答えるようにしている。
「水やりをさぼったり? 雑草を放っておいたり? しないで、ちゃんと毎日手をかけてあげるのは大事かな」
千束の言葉に、「う」と言った子が一人二人三人四人。
それを見て、千束は小さく笑う。
まだ幼い子たちである。やっぱり遊びたいという気持ちが先に立って、手を抜いたりさぼったりすることはままあること。それは千束にも解るから、別に叱ろうとは思わない。それに叱る役目は、だいたい子供たちの親が実践ずみだから。
「ちゃんと世話をしてても日照条件――天気とか土の状態とかもあるし、色々な条件でうまくいったりいかなかったりするから。もう本当にね、色々やってみるしかないっていうかね。……この前、私、一畝枯らしちゃったし」
伊那が『不測の事態』と評した出来事だ。
思い出して頭を抱えそうになりながら嘆息すると、子供たちから「ああ~」という声が上がり、伊那が「ぶふっ」と吹き出した。
「あれ、すごかったねえ」
「千束姉ちゃんの悲鳴、すごかったよね。みんなびっくりしたよね」
「うちの母ちゃん、鍋ひっくり返しそうになったっていってた」
「うちもー」
「あははは!」と耐え切れなくなったらしい伊那が笑い声を上げる。
しかし「すわ、一大事か」と鍬鎌持って駆け付けようとしていた人たちも、悲鳴を上げたのが千束だとわかると「ああ、もしかして?」と頷きあい鍬鎌を仕舞ったという。
新薬を試す過程で見誤り、過去にも枯らしてしまったことがあったからだが、さすがに一畝という被害に千束は里長からこっぴどく説教をくらった。
「あの時はごめんね。いやもうびっくりしちゃって」
早朝の畑で絶叫してしまった千束は嘆息する。
これでは地の加護があるとは口が裂けても言えないと思っているが、子供たちの羨望の眼差しは曇ることがないらしい。
「調薬はねえ、火を使うのが多いからね。今はまだ色々勉強して覚えるしかないかな」
座学を頑張るしかないという千束の言葉に子供たちが一斉に抗議の声をあげる。
「もう飽きたよ!」
「ずーっと本ばっかりじゃん!」
「もう覚えてるよ!」
子供たちの主張はどこかで聞いたことのあるものばかり――自分たちも言っていたなと千束と伊那は顔を見合わせて苦笑する。
薬学の教本は膨大だ。里の歴史でもあるし、随時更新されていくから、終わりなどないのだが――。
「そうだねえ。うーん。じゃあ、火を使わないのを、今度やってみたいってお願いしてみたらどうかな」
子供たちの顔が輝く。
「いいって言うかな?」
「母ちゃんは駄目って言いそう。薬草の世話が先だーって」
「あ、わたし、薬草を挽く手伝いはしたよ!」
女の子が胸を張ると、羨望の眼差しを子供たちが向ける。
「えー、いいなあ!」
「先生にお願いしてみたらいいんじゃない?」
子供たちの師の筆頭は親だが、里には子供たちを集めて教える学舎がある。各家庭での独自の方法があるので、知識の偏りを防ぐためだが、子供同志の交流を図る目的もある。そこで教鞭をとっているのが「先生」と里の人々から慕われる人物だ。
伊那の提案に子供たちが顔を見合わせる。
「いいって言うかな?」
子供たちは不安そうに首を傾げた。