5 容加
ひやりとした感触と喉の痛みに、千束の意識は浮上した。
「ああ。目が覚めたようだね」
聞きなれない声に、ぱちりと千束は目を開ける。声がした方へ首を巡らし、目に飛び込んできた赤い髪に千束は身を強ばらせた。
瞬時に警戒した千束の様子に、相手は戸惑いを見せ、すぐに申し訳なさそうな顔になった。千束の母と同世代だろう。どうやら氷嚢を取り替えてくれた直後だったらしい。衣服から医者だとは判ったが、千束の警戒感は和らがない。
「あたしは、ここの医者だよ」
広くもない寝台の上をじりじりと後退りし出した千束が見えていないかのように、容加と名乗った女性は穏やかに話しかけてきた。
「倒れたのは覚えている? ここはあんたが倒れた薬草園に併設された調薬施設にある医務室さ。水は飲める?」
千束はぴたりと動きを止めた。猛烈な喉の渇きを覚えたからだ。だが、差し出された水を飲むことを躊躇する。何が入っているかわからないと思ってしまったから。
「警戒するのも当然か」
容加は千束の前で差し出した水を飲んで見せた。そして、再度促されて、千束は恐る恐る水を口にした。水と思ってたのは白湯で、千束は夢中になって飲んだ。ちょっと容加の存在を忘れた。
ふうっと満足の溜息をついてから、千束は改めて容加を見た。
「私は、どのくらい眠っていたんですか?」
「丸一日だよ」
「一日」
呟いて千束は、青褪めた。与えられた部屋に一晩戻っていないことになる。伊那が、どれほど心配しているだろうか。
「も、戻らなきゃ」
「無理だよ! そんなに急に動いたら。まだ熱があるんだから」
案の定、千束は寝台から降りた途端にへたり込む。ほら、みたことかと容加によって寝台へ逆戻りさせられた。
「あの花の香にやられたのかと思ったけど……もともと、あまり身体が丈夫じゃないんじゃないかい?」
間違ってはいないので、不承不承、千束は頷く。
「薬に関しては、あんたの方が本業だろうから、言ってくれたら準備するよ」
思わぬ申し出に、千束は密かに驚く。
「あなたは、この国のお抱えですか?」
「違うよ」
ふっくらとした頬の右側にえくぼができる容加は「あたしが貴人階級に見えるかい?」と苦笑した。
「どう、なんでしょう……? 貴人と会ったことがないので」
「ええ? そんなことないだろ。火郷様や郭稚様は貴人だよ?」
倒れた千束を、ここに運び入れたのは火郷と郭稚だと言う。それを聞いて、千束は「ああ、そういえば」と倒れた時のことをうっすらと思い出す。
「そういえば、そうですね……」
呟いた千束に、容加は少し呆れたような驚いたような顔をした。
「あたしは下町の医者さ。ここの医者が足りないと言われて連れて来られたんだ」
「連れて……?」
「別に無理矢理とかではないよ。城に知り合いが勤めててさ、その伝手でね、話が来たんだよ。断りづらい話ではあったけど」
その様子から、断れなかったのは明白だった。
「お抱えの医者はいないのですか?」
医者が足りないという言葉に首を傾げた千束に、容加の顔が曇る。
「いるよ。いるんだけど、手が足りないらしい」
容加はそれ以上、それに触れようとはしなかった。
「あんたは……火郷様と親しいのかい?」
きょとんとした顔になった千束に、容加の方が困ったような顔をした。
「ええと。火郷様というのは、この火の藩国の藩主様なんだけど」
それはもちろん解っていたが、なぜそんなことを聞かれるのか解らず首を傾げた。
「火郷様が、あんたの様子を見に来ていたんだ」
千束は瞠目し、ぶんぶんと首を振り、小さく呻いた。
いきなり頭を振ったことで、くらくらと痛みを伴ってへたる。
「あんた、ちょっと迂闊だねえ。でも、そうか。知り合いというわけではないんだね」
「私は」と言いかけて、千束は喉の痛みに軽く咳き込む。水を差し出されたが首を振る。もう飲めそうにはなかった。
「私は日名宇の薬師です。ここには無理」
ぱしりと口を塞がれる。
相手がぐっと顔を近づけてきて、「しっ」と小さく囁いた。
「小さな声で。言葉にも気を付けて。誰が聞いているかわからないから」
耳元で囁かれて、千束はこくこくと頷く。
「無理矢理連れて来られた?」
千束は頷きを繰り返す。
「そうか……」
「私の他にもいるんです。一緒にいたんです。戻らないと心配させちゃう……!」
「あんた以外にも連れて来られた人がいるんだね」
涙目で千束は必死に頷く。
「私のほかに四人」
しどろもどろになりながら里が襲われ、連れて来られた経緯を話す千束。
藩国が里を襲わせたなどという話、信じて貰えないかもしれない。千束は「嘘を吐くな」と怒鳴られるかもしれないと思った。ここから叩き出されるかもしれないと思ったが、それならそれで好都合だと思った。
容加はそのどちらでもなかった。黙って耳を傾け、しばらく椅子に座ったまま身じろぎしなかったが、やがて小さな声で呟いた。
「その一緒に来た娘たちは、多分、第二薬草園にいる」
「え?」
「ここの他にも一つ、大きな薬草園があるんだよ。そこでは普通の、一般的なというのか、そういうのを育てているらしい」
「あ、の、信じてくれるんですか?」
容加はくしゃりと顔を歪めた。悲壮な面持ちで。
「信じるさ……。ここには、外から何人も薬師たちが来ているんだよ。でも、すぐに体調を崩していなくなっちまう。それでも途切れることなく、やって来るんだ。そんなのやっぱりおかしいって思うじゃないか」
「他にも攫われてきた人が?」
容加は小さく首を振った。
「さすがに今回が初めてだよ。でも、騙されたって言っていた奴はいたよ」
甘言を弄して連れてきたとしても、いつまでも続くものではない。綻びが見え始めているということなのだろう。
「あまり深くは考えなかったんだけどね……。城内が異様なのは気づいていたんだ。でも、まさかそんな……」
容加が顔を覆って呻く。
その悲痛に塗れた様子に嘘は感じられなかった。千束の方が信じることを迷っていた。千束の言葉を信じると言った容加も火の藩国人であることには変わりはない。項垂れた頭と同じ動きをする、ふわふわと柔らかそうな赤い髪を千束は見つめた。
「あんたを逃がしてあげたいけど……」
その力がないと詫びる容加に、千束は首を振った。
容加の身にまで危険が及ぶようなことをして欲しくはないし、伊那も里が動いているはずだと言っていた。それなら、恐らく、下手に動かない方がいいと思った。
「いいえ。その代わりじゃないですけど、私が無事だってこと、伝えて貰うことはできますか?」
容加は難しい顔で考え込んだが、やがて「やってみよう」と請け負った。そして、本当に伊那と連絡を取ってくれた。無事だと知らせることができた千束は、心の底から安堵して、結局、その後また熱を出した。
「ここにはどのくらいの薬師がいるんですか?」
焦っても仕方ないと腹を括った千束は貪欲に情報収集を始める。
「ここを取り纏めているのは? お抱えの薬師はいるんですか?」
「流動的だけど、今は八人だね」
思ったより少ない人数に、千束は軽く瞠目した。
「お抱えの薬師が三人」
調薬施設には大小の調薬室があり、お抱え以外の薬師は大調薬室で、お抱えはそれぞれに与えらた個室で調薬作業をしているのだという。
施設自体は、さほど大きなものではないと言うが、それにしても少ない。
「たったの五人?」
外からやって来た薬師がたったの五人という数に驚く千束の視線に、容加が視線を窓の方へと向けた。
「外の薬草園、あったろう? あの花の香りがね、駄目らしいんだよ。あたしらのなかにも、ずっと嗅いでると気分が悪くなる人はいるんだけど、外から来た人には合わない人が多いみたいで。来る人より出ていく人の方が多いんだ」
容加は観察するように、千束をじっと見つめた。
「あんたも薬草園で倒れたろう?」
千束は自身の喉元を右手で押さえる。確かに鼻腔から喉へ纏わりつくような独特の香りがしていた。火郷も、体調を崩す人がいると言っていたことを思い出す。
千束は鼻から一度、空気を吸い込んでみた。なんの香りもしなかった。ぴたりと閉っている窓のお陰だろうか。それとも、もう鼻が慣れて麻痺しているのだろうか。判断がつかなかった。
「今は平気です」
「そうみたいだね。この調薬施設では、あの薬草園の薬草を使っているんだ。だから、続かないんだよ」
体調を崩した人たちが、その後どうなったのか。千束は訊ねようとして止めた。
「出たり入ったりで、外から来た薬師は今は五人。お抱えは城内に調薬室を持っているから、前はそっちを使っていたらしいけど、今はここで寝泊まりしている。他の薬師たちも皆そうだよ」
「容加さんも?」
「ああ」
薬草園と施設の周辺は兵が警備しており、人の出入りは厳しく監視されていて、容加もここに来てから家には帰れていないという。
「ここで、何をつくっているのか知っていますか?」
「火の藩国人が、なんで短命なのかを研究しているんだよ。その治療薬をつくっているんだ」
ああ、なるほど――そういうことになっているのかと千束は胸中で頷く。
「もし、本当に治療薬ができたなら、どんなにかいいだろう。そう思っていたけど」
容加は藩都に近い地方の小さな町で医者をやっていた。町の人たちともそこそこ上手くやっていて、評判は悪くなかったと思っている。それなりに腕に自信があっても、容加を含め大多数の医者からすれば、お抱えは雲の上の存在で――藩主などは言うまでもないが――そんな彼らの言うことに間違いなどあるはずがないと思っていた。
だが、ここで過ごすうちに、何かがおかしいと思うようになっていた。本当に彼らの言うことは正しいのか。口が裂けても、そんなことは言えやしないが。
「お抱えの薬師に会えますか」
「ああ。ただ、すぐには無理かもしれない」
「……在野と話すのは、やっぱり嫌がるでしょうか?」
「いや、違うよ。今、調薬室に籠りっきりなんだ」
ああ、と千束は頷いた。とても理解できる状況だった。
「じゃあ、とりあえず、ここを見て回りたいです」
「それは構わないよ」
問題ないと頷いた容加だったが、すぐに非常に問題があるような顔をした。
「火郷様はどうする? 目が覚めたら知らせろって言われているんだけど」
「え!?」
「やっぱり心配だからじゃないのかい? うん、いや、そんな真顔でなんでという顔をしないでおくれよ」
「あと二日、体調が悪いということにしてください。私もここから出ません。その代わり、容加さん、色々と教えてください」
「いや、言っておくけど、本調子じゃないからね? まだ、微熱あるんだから」
俄かにやる気を見せる千束に、容加が呆れたように言う。
「この程度の熱なら慣れてます」
「慣れてますって……」
「大丈夫! 問題ないです。もし藩主が、会わせろと言って来るなら会います」
本当は会いたくないが、火郷は藩主だ。彼の言葉に逆らえるものは、いないだろう。
「そんなことより大調薬室は見れますか? あと、なんでもいいです。ここにある記録が見たいです」
医務室に籠るつもりの千束だったが、様子を見に来た郭稚に早々と知られてしまった。
すぐさま火郷に報告が行ったようだが、予想に反して火郷がやって来ることはなく、ここを取り纏めているというお抱えの長が代わりにやって来た。千束が望んだ、不老不死薬に関わる資料、携わる薬師たちが残した多くの記録を携えて。
すごい勢いで資料を読破し、どんどんと情報を吸収し、大調薬室の薬師たちとも同等に言葉を交わす千束に、容加はただただ驚嘆し、目を瞠りっぱなしだった。
「すごいね……」
その勢いに気圧されつつ呟いた容加に、大調薬室に詰めていた薬師の一人が少しばかり興奮気味の口調で答えた。
「さすが日名宇の薬師だよ。あそこは優秀な薬師が多いことで有名なんだ。彼女はそこの最年少薬師で、薬師たちの間ではちょっとした有名人なのさ」
「有名人?」
「そ。火と地の加護持ちってね」
「加護持ち? 藩国人じゃないだろう?」
眉間に軽く皺を寄せた容加に、薬師が「おっと」と呟いて己の口を塞ぐ仕草をした。お調子者の薬師は少し慌てた様子で続けた。
「あーえーと、薬師の加護持ちってのは、優れた腕前の評価というか称号というか、そういうやつなんだよ。……これ、別に不敬にはならないよな?」
不安そうに下から救上げるように見て来る相手に、容加は軽く嘆息した。
「そのくらいなら、大丈夫じゃないかい。別に。……そんなにすごい娘なのかい」
「彼女との会話は、なかなか刺激的だよ」
「普段は、普通の娘さんって感じなのにねえ。人は見かけによらないってのはこういうことかねえ」
いそいそと話の輪に戻っていく薬師の背を見ながら、容加は首を傾げて呟いた。




