4 藩主殺し
「その仮死薬の薬草、どんなものか解るかしら?」
行動に移るまでの間、情報がほしいという千種の声に神官長が頷く。
「絵で良ければ」
允路が慌てて立ち上がり、書棚から一冊の綴りを取り出す。
「あら、上手ね。君が書いたの?」
千種がぱらぱらと捲っていく。
「は、はい。その次の、それがそうです」
「これ、花の色が黄色なのは確か?」
「え? は、はい。き、黄色です」
千種の迫力に圧されるように允路が答える。
「黄色……。これって藩主殺し……?」
「は、藩主殺し!?」
不穏な言葉に、神官長が驚きの声を上げる。
「どう思う?」
神官長の狼狽に触れず、千種は比良に問う。綴りを受け取り真剣な面持ちで絵を見つめていた比良は小さく頷いた。
「……ええ。花の形、付き方、葉の形状、そのものです……」
真静と恒矢が立ち上がった音に、比良は難しい顔をしながらも皆に見えるように机上に綴りを広げる。
「ただ、色が違いますね……」
「本来の色は赤よね。亜種かしら?」
「可能性はありますね」
「土壌の性質で変わる可能性はどう?」
「なくはないと思いますが……」
「粘土質と言っていたわね、確か」
考え込む千種の視線を受けて、允路がこくこくと頷く。
「藩主殺しって、本当に? だって、とっくに根絶してるはずでしょう?」
半信半疑という表情の真静は、千種の応えに顔を強張らせる。
「実物を見たことがないから確実なことは言えないけど」
千種にしては珍しく曖昧な物言いだが、ほぼ確信している答えだった。同じく比良も否定する様子がない。すうと真静は背筋が冷えた。
「藩主殺しだったとして、毒性がそのままだとしたら……」
「まずいわね。ただ仮死薬で死んだという話は聞かないから、毒性は弱まっているのか、調合法で中和しているのか……。でも、そんなこと可能かしら」
最後は独り言のように呟く。
「副作用が結構あると聞くけれど」
真静の言葉に、難しい顔のまま千種が頷いてから嘆息した。
「そうみたいね。ちょっと新しい薬草を使っているかもとは思ったけど、これは予想していなかったわ」
想定外のものが現れて千種もひどく困惑顔だ。
珍しい、新しい薬草に目がない普段の千種なら見せる喜色が、一切ない。それだけでも異常事態と判断し、千束が試して、しっかり副作用が出ていたというのは言わない方がいいなと会話を黙って聞いていた恒矢が、そっと比良に尋ねる。
「根絶したというのは?」
「あまりに危険だということで、すべて燃やし尽くされたんです」
初めて聞く話に、恒矢が目を丸くする。
「それっていつ頃の話なんですか?」
「百年以上は前ですね」
「え……? そしたら、百年以上前の種から芽が出たってことですか? そんなことってあるんですか?」
ぱっと皆の視線が神官長に向く。だが、神官長とて答えを持っているはずもない。誰ともなく嘆息し、神官長の肩がぴくりと揺れる。
「普通なら無理でしょうね。ただ藩主殺しについては、ほとんど何も解っていないので……生命力が強かったというしか」
「生命力」と恒矢が繰り返せば、真静が頬に片手を当てて首を傾げる。
「冬眠みたいな感じかしら……」
いきなり千種が立ち上がる。
「やっぱり実物見ないと何とも言えないわね」
言うなり、すたすたと扉の方へ歩き出す。
「どこ行く気なの?」
慌てることなく真静が、すかさずその手を掴む。
「薬草園」
「どうやって? だめよ。朝になるまで待ちなさい」
にっこりと笑う真静の口調は穏やかなのに有無を言わさない圧がある。
深夜に城内をうろつけば、すぐに不審者で捕まってしまう。だからこそ、今、夜が明けるのを辛抱強く待っているというのに、すっかりそのことを失念させて興味の向くまま動こうとしていた千種は何かもごもごと呟いた後、おとなしく椅子に戻った。
両者の不可思議な力関係を目の当たりにして恒矢がぱちぱちと瞬きをする。
そのとき、神官長が悲鳴じみた声をあげた。
「あなた方は何の話をしているんだ!?」
「なにって。むしろ、なぜお抱え連中が気づかないのか不思議だわ」
怪訝そうに言う千種に馬鹿にする様子はない。
「いえ、お抱えだからかもしれませんよ」
再び、ぱらぱらと綴りを捲っていた比良が手を止めて言う。
「藩家を害する危険なものだからこそ徹底的に排除したのではないでしょうか」
「そのうちに、本当に忘れ去られてしまった?」
共に綴りを覗き込んでいた恒矢に、比良が小さく頷く。
「ええ」
「だから、説明を!」
焦れたような声を上げる神官長に、おろおろとする允路。
千種はぶつぶつと思考に沈み始めるし、比良も説明する気がないと目顔で訴えて来る。どうやらここは自分が説明をしないといけないらしいと真静は小さく嘆息した。
「これは藩主殺しと呼ばれる毒薬の元となることから、同じく通称藩主殺しと呼ばれている毒草です」
かつて、ある国に毒薬に執心する国主の子息がいた。その子息は、職業訓練と偽って、各地から子供らを集め毒薬を造らせた。薬師に成れば一生涯食うには困らない。自費を投じて子供たちに教育を受けさせる子息は慈善家として名を馳せ、誰一人として疑うことはなかった。やがて彼の元には毒薬造りに何も思わない子らが薬師として残った。そんな彼の元で「藩主殺し」が造られたと言われている。
その有用性を試してみたかったのか、子息は乱心した。それぞれの加護から対毒性を持っていると言われている藩家の人間に、それを用いたのだ。
「神官として、その国を訪れた火の方だったと伝え聞いています」
そして、偶然にも、その場に居合わせた薬師が日名宇の一族の祖だった。火の神を信奉していた彼らは、火の方を一目見ようと火の神殿を訪れていたのだ。
日名宇の祖らは解毒剤を造ることには成功したが、その時には幾人もの命が犠牲になった後だった。
「その子息と、彼の元にいた薬師は全員、処刑されました」
その効力に恐れ慄いた当時の人々により藩主殺しは燃やし尽くされ、その調合法も闇へと葬られた。
毒薬の藩主殺しは、その毒性の強さ故に禁忌とされ、子息の国は地図上から消えた。
しかし、解毒剤を造った薬師の頭の中には、藩主殺しに関する知識がある。原材料を失った藩主殺しは無理だとしても、その知識を生かして新しい毒薬を造ることができるだろうと、その優秀さに目をつけられた。それを手に入れようとする者は後を絶たず――当時はお抱えの薬師として仕えていた自国の王さえ、差し出すように迫った。
そうして、一族は身分と国を捨てた。
「わたしたち日名宇が在野になった理由でもあります」
「そんな話は初めて聞いた……」
茫然と呟く神官長は、どこか信じ切れていない様子だった。
「表立って伝えることは憚られたんでしょうね。あまりにも色々と問題が多いですから」
難しい顔の比良に、真静が小さく頷く。
亡国の子息の性癖がいかに特殊とはいえ、一般国が藩家筋を害そうするなど大醜聞である。
それ故に「なかったこと」にされ、それほどに「あってはならない」出来事だったのだ。
それに関わるものが何故、火の大神殿に残されていたのは、誰にもわからない。
「実際、日名宇でも里の成り立ちは皆教わるけど、藩主殺しという名称や姿形まで知るのは極一部ですものね」
真静の言う通り、知らなかった側の恒矢が少しばかり不満そうに尋ねる。
「知っているのって、どういう線引きですか?」
「里長様と長老衆は知っているわね。あと、薬草の採取をする人間。それと旅巡に出るときに薬師は必ず教わるわ。薬師は薬草のやり取りをするし、薬草の採取なんかもするから。万が一、藩主殺しを見つけた時に対処するためにね」
「対処というのは?」
「即焼却処分」
「なるほど。見つけるとしたら、里の外」
「そういうことね」
「真静さんが知っているのは?」
外商部の真静は、薬草の採取は専門ではない。
「うふふ」
笑顔を見せる真静に、恒矢は悟る。正規ではない方法で、見知ったんだなと。その辺りは情報を集めることに執心する伊那に通じるものがある。外商部の性というより個人の癖だなと恒矢が内心で頷く。
「おかしなこと考えちゃだめよ? 千種の御守をしているうちに、ね」
「はあ、そうですか」
「ただねえ、今まで見つけたという話は聞いたことがないのよね」
だから、根絶されたものと思っていた。
「薬術に関わる人間が知らないってのは本来、在り得てはいけないことなんだけれど……そのあたりの事情はちょっとなんとも言えないけれど、まさか火の藩国にあるとは思わないわよね」
理解を示しつつも、お抱えたちが知らないだろうことを憂う。神官長には反論する余力もない風情で、綴りを凝視していた。
「……そうすると、千束はまだ知らない?」
比良と真静が顔を見合わせる。
「なんで花の色が違うのかしら」とまだ思案気に呟く千種が、真静から名前を呼ばれ顔を上げる。
「なに?」
「あなた、千束ちゃんに藩主殺しのこと、教えた?」
「いいえ」
「でしょうね」
思わずというように、真静が額を押さえる。
当初の予定通り千束の旅巡が決行されていたとしても、千種一行とはすれ違いだった。
「普通、師匠が教えるものなんだけれど」
千束の師は一応、母親の千種である。実際は補佐役の同じ薬師である千種の母――里長の妻であり千束から見れば祖母が面倒を見ていたとしても。
「他に教える人、いないわね」
「ですね」
「ええ」
真静と恒矢、比良の視線に千種は少し怯んだような顔をした。
「悪かったわよ」
「その意識を最後まで持っていてちょうだいね。そして、くれぐれも目的を忘れないで」
「いくら私でも藩主殺しを優先するつもりはないわよ」
「嘘おっしゃい。じゃあ、さっきのはなんなの」
ぴしゃりと否定されて、千種がとぼけるように視線を逸らした。
「まあ、藩主殺しも何とかしなくてはいけないでしょうが、とりあえずは保護です」
日名宇の少女たちを保護して里に帰る。それが最優先事項。
比良が苦笑気味に場を取りなす。
本気で大丈夫でしょうね? とでも言いたげな真静の視線に、千種は顔を顰めつつ頷いた。
「とはいえ、早急に念のため仮死薬の流通をとめるべきですが、可能ですか?」
比良の言葉に、神官長は即答できない。
危険なものである可能性は、彼らのやり取りから十二分に理解できた。だが、それは神官長が手を伸ばせる管轄にはない。
「あまり在野の、薬師たちの情報網を甘く見ない方がいいですよ」
真静の言葉に、神官長が瞠目する。
「仮死薬の製造元は火の藩国ではないようになっていますけど、いつまでも誤魔化されるものではありませんから。今でさえ、副作用は問題になっています。販売禁止となるのも近いと思います。そうなったら、製造元は確実に割れますよ?」
「……善処する」
それでも確約を口にしなかった神官長に、真静は溜息を吐いた。
「あ、あの……」
恐る恐る恒矢が片手を上げた。
「千束が、その仮死薬、試してたんですが……」
「はあ?」
「なんで!?」
「本当ですか!?」
千種が「なにやってんのかしら」と呟き、真静と比良が血相を変える。
「自分で試してみたいって。がっつり副作用出てました……」
恒矢はその時のことを洗いざらい吐かされた。
「さすが私の娘ねえ」と呟いた千種は、本気で真静から叱られ、比良がげっそりしたように額を押さえる。
現れた副作用は、千束が体調を普通に崩したときと同様の症状だったため、服用を知らなければ気が付かなかったろう。
「なにか影響あるんでしょうか……?」
日名宇の大人三人が首を振る。答えは「わからない」だった。
「仮死薬で死んだという話はきいたことがないから……」
真静は先の千束の言葉を繰り返す。
「もう一刻も早く連れ戻さなくては」
珍しく比良が怒っている。
この後、里から娘たちを連れ去る際に使用されていたことを知った比良は静かに怒りを爆発させることとなる。
「向こう二十年くらい旅巡を禁止にすればいいわ」
母親はさすが娘が堪える方法を知っている。
「問題が増えましたね。彼女の危機感のなさは問題です」
比良が眉間を揉みながら、嘆息した。
白々と夜が明けていく。
少しずつ神官長の私室に朝日が差し込み、日が昇るのを待って日名宇の四人は神官長が招き入れた協力者たちとともに部屋を後にした。
部屋に残るのは、神官長と允路。
今の今までの喧噪が嘘のように静まり返った室内で、どっと脱力した二人はしばらく椅子から動けなかった。
わずかな時間の邂逅。
それだけなのに、一晩寝ていないとはいえ疲労感が物凄い。
混乱続きだったとはいえ、最初から最後まで己の言動を律することができなかったという思いが、更に疲労感を倍増させる。
彼らの焦りも相当なものだったはずだが、どこか飄々とした雰囲気なのは里の気風だろうか。終始、彼らの雰囲気にのまれていたと神官長は嘆息する。
「あ、あの……本当に大丈夫なんでしょうか」
泣きそうな顔になっている允路に、神官長は「ああ」と答えるのがやっとだった。
「いくら神官長様の命の恩人でも、その……今更ですけど」
しどろもどろに言い募る允路に、どう答えてよいのか神官長は逡巡する。
「大丈夫だ。きっと、これ以上、悪くなりようがないだろうから」
諦観も滲む言葉に、允路が意味が解らず首を傾げる。
「むしろ彼らの方が、よくこちらを頼ってきたものだ」
たった四人で乗り込んできた彼らは、騙されることを考えてもいないのか、引き合わされた協力者たちをすんなりと受け入れた。神官長が提供した城内地図も情報も、まるで疑いもしなかった。
「何故、ああも疑いもしないのか不思議に思うくらいだ」
神官長はもちろん騙す気などはないが、捕らえられない保証など彼らにはなかったはずだ。それなのに、よく彼らは乗り込んできたものだと、今更ながらに思う。
「それは、それだけ神官長様のことを信用しているということでしょう」
神官長のお人柄ですねと、どこか誇らしげに言う允路に、神官長は曖昧な微笑を浮かべた。
それは違うだろう――神官長は内心で確信をもって呟く。
二十年近く前に会ったきりの人間を信用できるだろうか。
神官長などという肩書なぞあてにはなるまい。
「神官長様、私は何を致しましょうか?」
どこか使命感を漂わせて問うてくる允路に、神官長は苦笑し「何も」と答えた。
「え!?」
「とりあえず、今しばらくは。常日頃と何かが違うと悟られたくはないからね」
「なる、ほど……」と呟き、允路は「確かにそうですね」と頷く。
「とりあえず、允路は少しばかり休みなさい」
「え!?」
「昨晩は一睡もしていないのだから」
「ですが……」
神官長は渋る允路を、隣室へ追い立てると、再び自身の私室に戻って腰を下ろす。
神官長は日名宇の四人が入ってきた通路の入り口に視線を向けた。
比良はなぜ、この隠し通路を知っていたのか……。
かつて死にかけていた神官長を救ったのは、ふらりとやって来た流しの医術師だった。彼によって一命を取り止め、周囲は奇跡だと口を揃えて言った。
その治療法と抜きんでた技術。優れた技量を持つ比良を、実は神官長はずっと探し続けていたのだ。といっても神官として神殿に入ってからの話ではあるが。
火の藩国人の短命に何か理由があるのではないかと思ったのが発端。それを明らかにするために助力を頼みたい、と。
比良は、ただの医術師ではないと知っていたから。
だが時折、比良らしき噂を耳にするも、ついぞ出会えず。
記憶を頼りに書かせた絵姿が色褪せてしまうほどの月日が経ち、もう近年は諦めていた。
それがどうだろう。
久しぶりに会った比良は、まったく面変わりをしていなかった。
それがどういうことなのか答えを見出せず、神官長は瞑目する。
それだけではない。
比良に見つめられたときに感じた強烈な「逆らうべきではない」という思い。
蘇る眼差しに神官長は自身の手が小さく震えていることに遅ればせながら気が付き、そっと手を下ろして、膝の上でぎゅっと拳を握った。




