2 会談①
「このような時間に申し訳ありません。危急でして」
神官長の手が離れる。やはり叫ぶべきだろうと侍従が思ったときに、神官長がゆっくりと相手へ頭を下げた。
比良へ最上の礼を静かにとった神官長に、侍従は目を丸くする。そんな侍従の様子に、頭をあげた神官長が少しばかりの笑みを浮かべた。
「……以前、命を救ってもらった事があるのだよ。比良殿の治療が無ければ、私は助からなかっただろう」
大丈夫、知り合いだと言って真夜中の闖入者に対応する神官長に、まだ少年といっていい侍従の視線が神官長と闖入者たちの間を行き来する。神官長の言葉を疑うつもりはなくても、壁の向こうから現れた四人の正体に不安を覚えないではいられなかった。
真っ青な顔で震えている侍従に、比良がにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ。この部屋は防音性が高いんです。密談にはもってこいの部屋なんですよ」
「そういうことじゃあないと思いますよ、先生」
苦笑気味の恒矢の声に、比良が「え?」と首を傾げ、真静が申し訳なさそうに言う。
「そうよね。急にこんなとこから出て来られたらびっくりしちゃうわよね」
「あ、苔」
「うわ、止めてくださいよ。千種さん。仕舞わないで」
「うるさいわね、恒矢。もしかしたら調薬の材料になるかもしれないでしょ」
「なりませんよ。泥だらけのふつーの苔でしょう、それ。仕舞うんなら、自分の鞄に締まってくださいよ。なんで、おれの鞄にいれるんです!?」
「え……あの……?」
「なぜ知っているのかは秘密です」
不審者を見る目から毒気を抜かれたような顔になった侍従へ比良は笑顔を向けるが、神官長へと視線を移すと、その顔からは笑顔が消えた。
「あの頃もきちんと休息は取ってくださいと言いましたのに、相変わらず無理をされているようですね。隈、すごいですよ」
比良が自身の目元を指差すと、神官長が己の目元を撫でる。
「つい……」
「それでは侍従の方も心配が尽きないでしょうね」
神官長が眉毛を下げる。
いつも自分が神官長にお願いしていることを指摘した比良と、素直に反省を示す神官長の表情に戸惑いながら、侍従はとりあえず叫ぶことはやめることにした。
「あ、あの……本当に?」
大丈夫なのかと視線で問いかけると、神官長は小さく頷いた。
「こんな再会の仕方をするとは思っていなかったがね。………なんでそんなところから」
「隠し通路の一つです。一番安全な道を選びました」
比良の後ろにいる日名宇の三人が微妙な顔をした。安全性は十分でも条件はすこぶる良くなかったことは、汚れた出で立ちから見て取れた。
「聞きたいのはそういうことでは……いや、なんでそんな通路を知っているのか、色々聞きたいことはあるが……」
神官長は言葉をそこで言葉を切り、戸惑いを深くした。
「危急とは……? 後ろのお三方とは初めてお会いしますな」
比良の背後に控えてる三人の様子に何かを察した神官長は、四人を部屋の中央の椅子へと促した。それから、侍従の方へ視線を向けると「お茶を入れてくれるか」と言った。
神官長の言葉に反射的に頷いた侍従を、やんわりと比良が止めた。
「お構いなく。持参していますので」
それは敵陣で食物を口にする危険を避けるためでもあった。神官長はそれを悟ったのか黙って頷いた。
◇◇◇
長机を囲んで神官長の対面の二人掛けの椅子に比良と千種が座り、真静と恒矢がそれぞれ両脇の一人掛けの椅子に座る。
比良は日名宇の里に身を寄せていること。その日名宇の里が狼藉者に襲撃され負傷者が多数出て、その襲撃者たちは若い娘たちが攫い、この火の藩国に入ったことを淡々と説明した。同じような襲撃が少なくとも他に二つの里で、そのうち一つはほぼ壊滅状態であること、襲撃者が振るった業物ともいえる剣のこと、そして、襲撃者の裏に火の貴人――藩主が少なからず関わっているのではないかと疑っていることを告げた。
説明を聞く神官長の顔色は徐々に蒼白になっていき、後ろに控える侍従に至っては口を半開きにして立ち尽くしている。
比良が説明を終えた後、重い沈黙が場を支配した。
「君、座った方がいいわ」
真静の侍従を案じる声が、そっと重い沈黙を破る。
その声にぱっと神官長が振り返り、侍従の様子を見て激しく後悔した。神官長は侍従を部屋に帰そうとしたが、侍従が拒んだことと、人を呼ばれては困るという比良達の考えから同席させたが、やはり無理矢理にでも帰すべきだったと。
さっと恒矢が立ち上がり、侍従の手を引く。まるで幼子のように手を引かれ、促さられるままに神官長の横に侍従は腰を落とした。
神官長の侍従となってから、齢十二より遥かに大人びた振る舞いを身に着けざるを得なかったが、今は迷子のような顔で助けを求めるような顔をしている。
やがて、比良が口を開く。
「神官長殿は、どの程度把握しているのでしょう?」
視線を揺らした神官長は千種の視線にぶつかり固まった。攫われた娘の母親である千種の視線に捕らわれる。
「火郷様たちが……薬草を、薬草園を造ったことは知っている。薬師を集めていたことも知ってはいる。だが……だが、薬師の里を襲ったなどと、薬師たちを攫っているなどと……それは本当なのか……?」
神官長の言葉に態度に嘘がないかと見定めるかのように四対の眸が見つめるなか、呻きにも似た声を漏らした神官長は意図せずに、藩主が薬師を集めていることを吐露していた。
「証拠はない、ですか? 例えば、里を襲った人間が持っていた剣。あれは両刃の剣でした。あれだけのものを鍛える技術を持つ国は限られています」
「それだけでは証拠にはならない」
視線を揺らしながらも拒絶した神官長に、比良は「そうですね」とあっさりと首肯した。
「かつて火の藩国で造られていたことがある剣だとしても根拠として薄いと言われればそうかもしれませんね。ですが、今、あなたが仰った。藩主が薬師を探していると。それだけで十分です」
指摘されて、神官長の顔が固まる。
「い、いや、待ってくれ。確かに火郷様は薬師を探してはいたが、その賊らと関りがあるとはいうことには」
「いささかそれは無理な主張かと」
「世間で高額報酬をちらつかせて、薬師に声を掛けて回っているのも火の藩国でしょうね」
「私たちが知らないだけで、けっこうな数の薬師が連れ去られているかもね」
比良の言葉に、真静と千種が続く。三人の言葉に、より神官長たちが蒼褪める。
「……神殿は関知していないということですか?」
真静の問いかけに、神官長がぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「………いや、いや。解らない。少なくとも私は知らなかったとしか言えない」
「あらまあ!」と千種が鼻を鳴らした。
「な……」と反応したのは、侍従だった。そんな侍従を神官長が片手で制す。渋々という様子で、侍従が上げかけた腰を下ろした。
「私はこの部屋から出ることができないのだよ。外との接点は、この子――允路頼みだ」
「ここは歴代神官長の私室だと思いましたが」
私室を目指してやって来た比良が、わずかに首を傾げる。
「そうだ。早い話が私室に軟禁というやつだ」
「なぜです?」
慮ることなく訊く比良に、允路が目に険を浮かべ、神官長は苦し気に顔を歪めた。
「火郷様に苦言を呈したから、だな。火郷様が藩主の座につかれた時、神殿の上層部も一掃したことは知っているかな?」
日名宇の四人が頷く。
「その時に神官長を命じられたのが私だ。なぜか? 本当になぜだろうな。……火郷様に問うたら『お前なら自分の邪魔はしないだろうから』と言われた」
もともと出世意欲は薄く、出世街道からは完全に外れていた。そもそも神殿に入ったのも好きなだけ学べるからと考え、己の探求心を満たすために火の藩国内を始め各地を巡察する役職につき、大神殿にいることの方が少なかった。藩主による大粛清が行われたときは、それが幸いして断罪されることはなかったが、代わりに神官長という地位が転がり込んできてしまった。
藩国内の政変に慌てて大神殿に帰任したときに「神官長」を押し付けられた。拒むという選択は許されなかった。
「つまり、お飾りの神官長ということですか?」
「そういうことだ」
比良の言葉に、もともと重んじられていないという神官長は真面目に頷く。その意向に反したため見限られたようだと、あっさり言う。
「どんな苦言を?」
「やり方が強引すぎると言った」
「その一言だけで、ですか?」
比良が双眸を見張る。
「そうだ。……火の藩国を懸命に良くしようとされているのは解かっているが、火郷様は急ぎ過ぎる。事情はわからなくはないのだが……」
神官長は用心深く言葉を選ぶように、世界が謳う火の藩国の内情がけして良いものではないとゆっくりと語りだした。
先々代、先代藩主の国政への無関心さ、それを取り巻く側近ら貴人の専横。神殿の腐敗。彼らと現藩主火郷との確執から現在に至った経緯を。
「火郷様のなかにあるのは敵かそうではないか、それだけだ」
「なぜ、それが許されているのですか?」
斜め横の真静からの問いかけに、神官長が二度ほど眸を瞬かせた。まるで、その存在を思い出したかと言うように。
「力だ。火郷様は兵を組織している。火の藩国には護衛官はいても、兵団は存在したことがない。火郷様は自ら剣を持ち、優れた統率力と兵力で一瞬で城内を制圧した」
兵と言う言葉に、日名宇の面々に緊張感が走る。小さな騒めきに、允路がきゅっと身を縮めた。
「藩主の目的はなんなのでしょうか?」
「富国強兵だ。一言でいうなら」
比良の問いに即答した神官長に、日名宇の面々はそれぞれに唇を引き結ぶ。
「以前、火郷様は火の藩国を『腐っていく国』と言っていた」
それぞれに驚きを示した日名宇の面々。その視線を恐れるかのように允路が俯く。
「ここ近年、火の藩国で食い詰める者たちが増えてきている。……この允路が生まれ育った村もそうだった」
允路は口減らしに捨てられた。神官長に拾われなければ、遠からず獣に襲われるか飢えるかで死んだだろう。
確固たる身分階級があるなかで平民が訴え出ることができる場はないと言っていい。最後の砦として神殿に頼ろうとしても、その神殿が機能不全をおこしていた。末端になればなるほど目が届かず、腐敗がひどかったのだ。それは神殿に限ったものではなかった。
「火の藩国でよもや……という思いもあろうし、もともと他国と比べても藩国が恵まれているのも事実だ。だから、貧しいと言ったって大したことがないだろうと言う者もいる。先の藩主様すら、それはたまたま、一時的なものだと考えていたようだ」
神官長は疲れたように笑った。
「火の神の加護を持つ、この国でそんなことが起きるはずがないと皆信じていた」
神官長も允路も赤い髪をしている。生粋の火の藩国人。
そんな二人を、日名宇の四人はなんとも言えない面持ちで見つめていた。
「そんな中で、火郷様が兵を挙げられた」
「兵……」
恒矢が小さく繰り返す。その呟きに潜む感情に、神官長は視線を落とす。
「そう、兵だ。藩国が武器を武力を持つなど言語道断、前代未聞だろう。だが、歓迎した者も多かったのだよ……。それに先に火郷様を排除しようとしたのは先の藩主様と火郷様の兄上様だった」
ただ、神官長はその時、その他多くのように手放しで歓迎する気持ちにはなれなかった。実父と実兄が仕掛けてくる前から、火郷が入念に準備していたと思ったからだ。でなければ、あれほどの兵団は組織できない。
「血生臭い話ね。なんら普通の国と変わらないのね。権力争いがあって、今の藩主が勝った。そういうことでしょ? それで、国は豊かになったの?」
とてもそんな感じじゃないけど、と千種が言う。
「以前よりましにはなった」
神官長の言葉に、允路が小さく頷いた。
貴人らの搾取が減ったこと、火の神殿が生活に困った人々を一時的に受け入れることで改善の兆しはみえている。だが、劇的に変わるかと言えばそうではない。
ふっと千種が笑った。
「結局、憂いているとは言うけど、あなたは何もしていないってことじゃない」
期待外れと千種が言う。
「お飾りの神官長で、なんの権限もなくて? 神殿やら貴人やらが少しはまともに動くようになったって、それをさせたのは藩主達ってことでしょ。うだうだ言うわりに藩主を擁護してるし。ここに籠ってれば、食うに困らない生活は保証されるのだもの。別に外のことには興味ないんじゃない?」
これ以上、ここにいても時間の無駄だわと言い放った千種に、神官長の顔色が変わり、「言い方」と真静が嘆息する。
席を立とうとした千種を、比良が宥める。
「まったく同感ですが、多分、軟禁されているというのは嘘ですよ」
「そうなの?」
小首を傾げる千種に、比良は迷わず頷いた。
「ですよね?」
「なぜ、そう思う?」
神官長の声が固さを孕む。青褪めた顔の中に、ぴしりとした厳しさが浮かんでいた。
「簡単なことですよ。先程、あなたは外との連絡は彼――允路さん頼りだと仰った。允路さんは十代前半でしょう? 十二歳? そうですか。神官長の侍従とはいえ、なんの権限も持っていないだろう允路さん頼みにしては、あなたは色々と詳しすぎる。見た感じ冷遇されている様子もありませんし、その書物、最近出た物ですよ。神殿という特異性はあるとしても、そんな専門的な書物が手に入るんですから外部との伝手があるはずです」
神官長の文机に置かれている本を、比良が指差した。
ぴくりと神官長の眉が揺れた。
「当然、私たちを警戒しているんだろうとは思いますが、正直なところ、私たちも時間が惜しいのです。里の娘たちが攫われているんです。そのうちの一人は健康上の問題を抱えている。一刻も早く取り戻したい」
「賊もなんとかしないと」
恒矢が双眸を細めて、言葉を挟む。
「やつら、必ずこれからも里を襲いますよ。日名宇は次に襲われたら持ちこたえられない。火の藩国が在野の里を襲っているんだ」
神官長が両手を組み、その手が白くなるほど握りしめていた。
「藩主が兵を組織するのも前代未聞だけど、その兵が賊なんだから火の神もびっくりでしょうよ。救いなんてどこにもないわね」
「まさか!」
千種の言葉に、神官長が弾かれたように顔を上げた。
「まさかってなに? 人が死んでるのよ。殺されてるの。話、聞いてた?」
「千種」
わざと煽るかのような物言いをする友人を、真静がそっと窘める。
「違う!」
鋭く叫んだ神官長だが、静かな四対の眸に気勢を削がれて顔を歪める。
「違う。火郷様が組織したときは火の人間だけだった」
「だった? 今は違うってことでしょ」
「火の兵に外の人間は……そんな話は……」
「つまり汚れ役だけは外の人間にやらせているってことね」
「それくらいにしときなさい」
真静に言われて、千種がそっぽを向く。
「言い訳になるのは承知だが、薬師の里を襲ったという話は本当に知らなかった」
表情が抜け落ちた神官長が覚悟を示すかのように頭を下げた。
「私の詫びなど必要ないかもしれんが……。一つだけ教えて欲しい。貴方たちは四人だけで来たのか?」
「ええ。そうです」
比良の応えに、神官長は「そうか」と呟いた。
「そうか……。攻め込むつもりはないのだな?」
「藩国にですか? 無理でしょう。太刀打ちできませんよ。あんな武器を持っている連中ですよ」
「……ああ、そうか武器。そうか。そんな感じなのか」
己に言い聞かせるように、神官長が呟く。
「先生先生、そこは藩国に攻め入るなんて畏れ多いって言わないと駄目なんじゃないですかね。武器とかじゃなくて」
困ったように言う恒矢に、真静が頷く。
「え? ああ、そうですね。ええと、ではそんな感じで」
藩国を軽視するともとれる返答に允路がぱかりと口を開け、神官長ががっくりと肩を落とした。
「そうか、いや、そのつもりがないんならいいんだ」
「藩国に攻め込むつもりだったら、なんだっていうの?」
千種の言葉に、更に神官長が眉尻を下げた。
「理由はどうあれ藩国に攻め込めば、世界各国から誹りを受けるのは確実だ。そんなことはさせられまい。それに無駄死にと判っていて、行かせるわけにはいかんよ」
「ふうん。無駄死にかどうか決めるのは私たちだと思うけど」
「なるほど」
火の藩国に逆らうことに大して抵抗を感じていない様子に、これも時勢の変化かと神官長はどこか自嘲気味に笑った。




