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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第三章 火の藩国
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6 追う者たち

 ばたばたと近づいてくる足音に、比良は小さく嘆息した。

「先生……」

 戸惑う恒矢の声に、比良は苦笑いを浮かべる。

「気づかれてしまったみたいですねえ」

 比良が言い終えると同時に、扉がばんと音を立てて開いた。

 里長が肩で息をして立っている。その後ろでは副長が慌てた顔で、里長が蹴り開けた反動でまだ揺れている扉を抑え、がくんとずれた扉の蝶番がひとつ壊れているのを見て、ぎょっとしていた。


「里長様、その腕で走ってはいけませんよ。いつまでも治りません」

 比良が手を骨折している里長を咎める。

「というか、よく走れましたね。そうとう痛いのでは?」

 恒矢が呆れたような驚いたような顔で言った。

 呼び鈴も鳴らさず比良の家に飛び込んできた里長がくわっと双眸を見開いた。

「それどころではない!」

 普段なら比良にも丁寧な口調を崩すことのない里長が吼えた。

 しかし、比良は怯む様子もなく、「おやおや」とばかりに苦笑した。


「その旅装。どこに行くおつもりで?」

 厳しさを孕む声音に、恒矢が比良の横で身を竦ませる。

「火の藩国まで」

 さらっと応えた比良に、里長の面が一気に強ばった。

「了承しかねる!」

「さ、里長様。ちょっと抑えてください」

 副長が慌てた様子で割って入る。

 里長はふーふーと呼吸を繰り返し、吼えた。

「先生、認めませんぞ! そう言ったはずですぞ!」

「ええ。でも、私も行きますと申し上げたかと」

 にこやかに、しかしきっぱりと言う比良に里長は言葉を詰まらせた。けして強い口調ではないが、こんなふうに己の意見を押し通す態度の比良を見るのは初めてで、里長も副長も恒矢ですら驚いた。


 里長は、同じく旅装の恒矢をぎろりと視線を向けた。

「おれは自分の意思でついていきます」

 里長が口を開く前に、恒矢が軽く右手を上げて示した。

「お前たちは……! 自分たちが何をしようとしているのか判っとるのか!?」

「もちろんです。日名宇の名前は出しません。これは私が勝手にやったこととして処理ください。これを機に流しに戻ります。恒矢は」

「先生、駄目ですよ。残りなさいと言われても、おれは勝手に先生の後ついていきますから」

 負けず劣らずにこやかに言った恒矢に、比良は諦めを滲ませて苦笑しつつ頷いた。

「……今更ですかねえ。連れていくことは心苦しいですが、恒矢の身の安全だけは守るとお約束します」

「そんなの必要ありませんよ?」と言う恒矢の前で、怒りを抑えた唸り声のような声が里長から迸った。

「そういう危険の話ではない! だいたい先生あなたは、もうこの里の人間だ! 里の人間が危険を冒そうとしてるの看過できんと言っとるんです!」

 比良が軽く双眸を見張り、それから頬をわずかに緩ませ「ああ、だから……」と小さく呟いた。その呟きは本当に細やかで誰の耳にも届かなかった。


「さ、里長様!」

 怒りを爆発させた里長を副長が必死に宥める。

「なんだ!?」

「ここではまずいです……! 場所を、場所を変えましょう……!」

 副長の必死の面持ちに、里長の頭が少し冷え、周囲を見回す余裕が生まれた。そして、自分たちを恐る恐るあるいは好奇心を滲ませて見ている視線があることに気が付いて、思いっきり顔を顰めた。


 ここは比良の家。里の学舎に隣接した小さな家である。

 最初、これで充分と学舎の空き部屋に住みついた比良に、「せめてきちんとした家に!」という里人たちの懇願で建てられた家である。

 大きな家を欲しなかった比良だったので、結果、窓を開ければ中の声も筒抜けになるこじんまりとした家になった。しかも里長の怒りの声は非常によく響く。

 ただでさえ、里長が血相を変えて走り、副長が慌てて後を追う光景に何事かと思うだろう。わらわらと里人たちが集まってくるのは当然だった。

「とりあえず、里長様の館に戻りましょう」

 周囲を見渡して提案した副長に、比良が諦めたように頷いた。



 ◇◇◇



「せめて、もう少し出発を遅らせられませんか?」

 落ち着きを取り戻したらしい里長が沈痛な面持ちで問うが、比良はにこやかに撃ち落とした。

「無理です」

 こんなに強気――周囲との軋轢を気にせず発言する比良の姿を見たことがない面々は驚きつつ戸惑っている。

「臥加と甫多が襲われた」

 新しく得た情報を里長が、比良と恒矢に開示する。


 里を襲った連中が火の藩国に入国したことを見届けた日名宇の里の追尾隊が齎した情報に、里長含め長老衆・中老衆は一様に青褪めた。まさかそんなと狼狽えるなかで突きつけられた現実に、日名宇の里はこれからどうするかの方針を打ち出せず、話し合いは踊りに踊っていた。

 同胞を見捨てる選択肢はない。里長は明言した。明言はしたが、そのためにどうするかが決まらない。確実に救い出す手立てが見つからない。

 そうこうしているうちに、藩国が絡んでいることに怯む者が出始めた。少し時間が経ち、頭が冷え考える時間を得たことで惑いが生じたのだ。

 徐々にその流れが強くなっていることに、内心で一番頭を抱えているのが里長だった。 

 日名宇は独裁制ではない。里を統べるのは里長だが、長老衆会議で話し合いが行われるのが基本。相反する意見を里長の権限で押し切ることは可能だが、今だ動揺の残る里で強硬手段を取ることを良しとしなかったことが裏目に出た格好だった。

 そんな彼らの注進を里長は額に青筋を立てて聞きながら、火の藩国への入国できないかを探る追尾隊からの連絡をじりじりとしながら待っていた。

 火の藩国への入国は常であっても厳しい。それが今では、ほぼ一見の人間の出入りを遮断しているのだ。

 相手が藩国が故に果断の里長も判断を下せず、そんな中で業を煮やした一部の里人たちが行動し始め――里は今、分裂を始めようとしていた。

 その独自に行動を起こそうとした内の一人が比良だった。

 身の危険もさることながら、比良の里での立場も悪くなりかねない。比良の行動が呼び水となり、里の分裂に拍車がかかる可能性もある。

 まさかの伏兵に、里長は顔色を変え、比良の家へ飛び込んだのだ。


「甫多はほぼ全滅だったそうだ。日名宇より前に襲われたようだが、情報が表にでなかったのはそれが原因だろう」

「……相手の要求は同じですか」

 恒矢の問いに、里長は小さく首を振った。

「甫多に関しては正確なところは判らん。が、薬師が何人か居なくなっているそうだ」

 辛うじて生き残った里人と旅巡から戻ってきた里人。彼らからの聞き取りで、そこまでは確認が取れていた。

「臥加については同じだった」

 そこで里長は、比良へ懇願の視線を向けた。

「今、動くのは危険が多すぎます。今少し堪えては下さりませんか」

 比良は申し訳なさそうに、わずかに首を傾げた。

「里長様たちが、私を惜しんでくださっていることは判ります。ただの食客に過ぎない身には光栄すぎることです」


「先生!」と比良の言葉半ばで里長が、机を拳で叩いた。

「言っておきますが、儂らは先生を日名宇の人間だと認識しとります。食客などと言って欲しくはない。連れ去られた娘たちと同じ、里人の身の安全を図るのが里長としての役目なのです」

 ふわりと比良が微笑み、頭を下げた。

「ありがとうございます。ですが、里長様、繰り返しますが、わたしは時間が惜しいんです。これだけのことをやってのける相手です。しかも藩国絡み。恐らく外にいては何も掴めないままでしょう。潜入するのなら私以上の適任はいないはずです」

 比良は流しの時代に、数度、火の藩国に足を踏み入れている。街の造り、城下の様子を知り、土地勘を持つ。日名宇の中で、火の藩国を実際に知るのは比良だけだった。

 幾人か知人もいるということで、平時であれば「さすが先生」と日名宇の面々は言い、こぞって藩国内の様子を訊ねただろうが――。


「先生が火の藩国に居たことがあったと、今、初めて聞きましたぞ」

 一番切り捨てるにも都合の良い人物と己を認識している比良が、里長たちに罪悪感を抱かせないために、そんな風に装っているのではないかと、呆気にとられた後、里長たちは疑惑の目を向けた。

「そうでしたか?」

 その指摘に、比良は首を傾げる。

「別に隠していたわけではないんですが……。話したこと、なかったかもしれません確かに。いえ、藩国のことなので、おいそれと話せないというわけではなくて……さほど特筆すべきこともなかったというか、赤髪の人が多いくらいで普通の町でしたから」

 藩国に対しての畏敬の念、皆無の言葉に、里長たちは何とも言えない表情になる。

「ただ、まあ赤い髪の人間が多いので、それ以外は悪目立ちすると言いますか……追尾隊の人達を行かせるよりは、確実に私の方が良いと思います」

 言外に無理を押して追尾隊を火の藩国に侵入させるのは悪手だと比良が言えば、「むう」と里長は唸った。

「流しには流しの纏う空気感がありますから」

「しかし先生も今は違いますから、目立つという意味合いでは同じでは?」

 どちらの言い分も理解できるが故にどちらの肩を持つこともできず、沈黙していた副長の問いに、比良はにっこりと笑った。

「長年培ったものはそうそう消えてなくなりはしません。それに追尾隊の人達には、藩国内で協力を求めることが出来る伝手、ありませんよね?」

 日名宇の里に居付いた年数より、流しだった年数の方が長いと言われて、「むう」と再度、里長が唸った。

「それに、特に千束には体調面の不安があります。とにかく連れ去られた娘たちの安否を探らなくては、なにもできません」

 比良の言葉に、広間にいた面々の表情が一段と重苦しくなる。

 連れ去られた娘たちが、どんな扱いを受けるのか。

 いつまでも平行線を辿り続ける話し合いに焦れた恒矢が拳を握る。とにかく決断してくれと口を開こうとした、その時――。


 広間の外から騒めきが聞こえてきた。何かを必死に止めるような声に、近づいてくる足音。

「なんだ?」と里長たちが扉の方へ顔を向けた時、広間の扉が大きな音を立て開いた。


 千種が立っていた。旅装も解かずに。

 少し赤味のある栗色の髪、紺碧の眸。千束とまったく同じ色味を持つ千種は両手で広間の扉を押し開けた格好のまま、広間に視線を巡らし「あら」と呟いた。

 一斉に広間に居た人間の視線を浴びても、まったく動揺する様子はない。


「……声くらいかけんか」

 比良の家の扉を蹴り破った里長の言葉を奇麗に受け流し、千種は広間に足を踏み入れた。

「随分とお早いお帰りだな」

「ええ。切り上げて帰ってきたわ」

「皮肉に決まっておろう!」

 額に青筋を立てて里長が言う。

「ならそう言えばいいのに」

 不思議そうに言う千種に、里長の額にもう一筋血管が浮かび上がる。

「おまえは……」と言いかけて、真静もいることに気が付き、里長は口を噤んだ。

「真静も一緒か。よく戻った。大変だったろう? 本当にすまなんだ」

 里長から頭を下げられ、真静は困ったような表情を浮かべたが、大変だったことは否定せずに黙って里長の言葉を受け入れた。それに、少しばかり不服そうな表情を見せたのは千種だった。

「それは何に対する謝罪?」

「お前の面倒をみさせたことに決まっておろう!」

「由基のことじゃなくて?」

 場が静まり返る。一瞬で場の空気が緊張感を孕んだ。若干、怒りを内包して。

「それで雁首揃えて、皆で何をしているの?」

 まったく周囲に頓着する様子もなく、長旅の疲れた様子もなく千種が尋ねる。

「……おまえは今、戻ったばかりだな?」

 里長が低い声で問うと「そうよ」と千束は答えた。

「ここに来る前に、里の中を見て回ったけど。私の調薬小屋が滅茶苦茶になっていたわね」

 賊の襲撃の時に里におらず、その蹂躙の場を見なかった千種の言葉は、確かに周囲からの苛立ちを引き出した。

 千種の言動に怒るのはいつものことであるが、さすがに今回は、その物言いが里長の逆鱗に触れかけた。


「外であらかた話は聞いたわ。藩国が絡んでるから方針が決められないんですって? もともと日名宇の里は貴人に逆らった薬師が造った里じゃなかったのかしら。薬師としての矜持を護ったと、それを誇れと教えられてきたような気がするのだけれど」

「一貴人と藩国を同列にするな」

「何が違うの? 貴人であることには変わりないじゃない」

 本気で不思議そうに首を傾げる千種が首を傾げに、里長の表情が更に不機嫌さを増す。

「日名宇の里は貴人階級に阿らないのが売りでしょう?」

「だから、一貴人と藩国を同列にするな」

 火の藩国の人間が絡んでいることは疑いようもないのに、どうしたって藩国に対する畏敬の念が二の足を踏ませる。世界の護りとも言える藩国に敵対的な行動を取ることを思いきれないのだ。未だに、どこかで何かの間違いではないかと思う部分さえあった。


「だから、なぜ?」

 その場にいる者たちが顔を顰める。

「藩国でも貴人は貴人よ。恐れているのは、火の藩国の貴人の後ろに藩主がいるかもしれないと思っているからでしょう。神の愛し子である藩主の怒りを買うのを恐れているだけだわ」

「藩主が絡んでいるという証拠はないと聞いたわよ?」

 狼狽する長老衆たち。このままでは話が進まないと真静が問いを挟んだ。

「これだけ派手にやってるのよ。実際に賊は藩国に入って行ってるし、まさか藩主が全く知らないなんてことあるかしら。だから、少しでも情報を得ようと先生は動こうとしているんでしょ。なのに、老人どもが邪魔してて。どういうつもりなの」

 長老衆たちの幾人かが「な……」と呟き、顔を真っ赤にする。非難の声が上っても千種はどこ吹く風だ。

「なら、なんで藩主に訴え出ないの? そんな伝手があるかって? 信じて貰えなかったとしても訴状ぐらい出せるでしょ。出したの? 火の神殿だってあるじゃない」

 じろりと千種が周囲を見渡す。

「できない理由なんて必要ないのよ」

 言葉に詰まった広間の面々。怒りの空気は未だにあるが、随分と勢いは薄れ、広間に動揺が生まれる。

「いったい、どんな情報が必要なの? どんな情報が入ったら動くつもりなの?」

 千種の言葉に、気まずそうに視線を迷わせる者が続出する。


 答えを待つことなく、千種は里長に宣言した。

「私は私の娘を助けに行くわ」

 千種が娘の千束に対して明確な言葉で情を示すのを、聞いた覚えがない里長は一瞬呆けた。それは、この場にいた者たちも同様だった。

「なんとまあ……」と里長は知らず呟き、その声音にはっと周囲が我に返る。

 里長が千種の顔を見つめ、そして気づく。その双眸に紛れもない怒りがあることを。娘が、こんな風に怒りを見せたのは、記憶にある限り里長にとって初めてのことだった。里長の中にもあった怒りも行き場を失う。


「か、勝手な真似は許されんぞ!」

 後はお好きにどうぞとばかりに言われて、叫んだのは長老衆の一人だった。

「おまえの軽率な行動で、里全体を危険に晒すかもしれんのだぞ! 今までの無茶とは話が違う!」

 千種の奇行に悩まされてきた長老衆。焦ったように叫ぶが、千種は鼻であしらった。

「賊に襲われて、もうとっくに危険には晒されているわ。もう一度、襲われて、里に撃退する力があるの?」

 千束は、もうこれ以上は長老衆たちの相手をする気はないとばかりに、完全に彼らを無視して比良に身体ごと視線を向けた。

「先生。以前、火の藩国に行ったことがあると言ってたわね」

「ええ」

 千種は知っていたという事実に、広間の面々はざわつく。

「私を火の藩国に連れて行って欲しいの」

 だから、里長の館にいると聞き、迎えに来たのだ。でなければ、里長様の館に来る理由はない。

 率直な言葉に比良が数度瞬きをし、迷った表情を見せて、里長を見る。

「時間が惜しいわ。是か非で答えて」

 ちらりと里長を見やった比良は迷うことなく「是」と答えた。

 恒矢が背嚢を持ち上げ、背負う。


「待て」

 この期に及んでまだ言うのかと千種が鋭い視線を向けた先で、里長が観念したように溜息をついていた。

「どうするつもりだ?」

 その声音に、もう反対の色はない。

 比良がわずかに双眸を見張り、千種が里長をまじまじと見、その後ろでは真静がやれやれとばかりに息を吐いた。

「そうね。売り込んでみようかしら」

「なに?」

 千種の言葉に、里長が眉間に皺を寄せる。

「何を売り込む気だ」

「私を」

 千種が自身を指差す。

「優秀な薬師を探しているんでしょう? 売り込めばいいのよ。二百年に一人の天才薬師だもの。売れるわ」

「自分で言ったら色々台無しだわあ」と真静がぼやく。

「なんでよ。皆、言うじゃない」

「そりゃ他人が言う分にはいいけど」

 緊張感のない二人のやりとりに、里長が拳を震わせる。

「あー……里長様、あんまり力込めない方が……」

 恒矢が控えめに声をかける。

 ふう……と里長が息を吐いた。

「……それで、先生、どうするおつもりで」

「千種さんの方法もありだとは思いますが、まずは火の国の知人に連絡を取ります」

「……大丈夫、でしょうな?」

 里長としての問いに、比良が少し首を傾げた。

「そうですねえ。恐らく大丈夫かと」

「恐らく……?」と戸惑うように里長が呟く。

「まあ大丈夫だと思います。清廉潔白が売りの御仁ですから」

「……どういった方で?」

「神官長です」

 周囲がしんと静まり返った。


「え……と、その神官長というと火の大神殿の長の?」

 ぽかんとした面々に代わり、真静が問う。千種は特に驚いた様子もなく「へえ」と呟いた。

「ええ、そうです」

「す、すごい方とお知り合いなんですね」

「流しの時にちょっと」と比良は微笑む。

 その笑みに、なんだか触れない方が良さそうだと直感した真静もにっこりと笑い返した。

「是非ともご紹介頂きたいです」

 外商班に所属する真静が眸をきらきらさせている。千種が首を傾げた。

「え? 真静も行くつもりなの?」

「もちろんよ」

「え? 駄目でしょ。由基どうするのよ。せっかく帰ってきたんだから一緒にいてあげないと」

「まあ! 千種から、そんな言葉を聞くとはね」

「あのねえ」

「いいのよ。頼まれちゃったのよ、千束姉ちゃんを助けてって」

「……頼まれちゃったの?」

「ええ」

「そう……。責任感じているのかしら」

「多分ね」

「由基の責任なんて、これっぽっちもないのに」

「ええ。でも、やっぱり目の前で連れて行かれたのはね、重いわよ」

「そう……。なら、さっさと行きましょう」

 ほら、早くと促された比良が苦笑する。


 さっさと広間を出ていく千種。里長たちに一礼して、千種を追いかける真静。同じく一礼して出ていく比良。素っ気ないほどにあっさりと広間を後にする大人三人に、恒矢は戸惑うように里長たちを見る。それから慌てて頭を下げて、比良達を追いかけた。

 ぽかんと四人を見送り、はっと里長が我に返る。

「路銀を……!」

 里長の声に、副長が飛び上がるように席を立ち、ばたばたと広間から駆け出していく。

 里長の口から長い溜息が漏れ、しばらくそのままだったが。やがて里長は残された者たちをゆっくりと見回した。

 里長の視線に、気まずそうに身じろぎする者たち。

「さあ。儂らに出来ることを話し合おうじゃないか」

 建設的な話し合いをしよう――そう静かに告げた。



 ◇◇◇



 霞む目が痛みを訴え、神官長は書物から顔を上げた。

 いつのまにやら私室に明かりが灯っていた。恐らく彼の侍従が灯したのだろうが、まったく気が付かなかった。

 そんな自分に苦笑が漏れる。

 神官長の集中力が切れる頃を見計らったように、扉を軽く叩く音がした。

 応えれば、彼の侍従がお茶を運んできた。

「ありがとう」

 そう言うと、年若い侍従は笑顔で首を振る。

「随分と熱心にご覧になっておいででしたね」

 神官長が私室に入るのは寝る時ぐらいのものだ。神殿にいるのが常だが、今はそうできない事情があった。

「気になることがあってな」

「ですが、もう夜更けです。そろそろお休みに」

 神官長が、侍従の言葉を遮った。右手を軽く挙げ、言葉を制する。

 一瞬、戸惑った顔をした侍従だったが、すぐに異変に気が付いた。

 ざわざわとした音が聞こえる。次第に人の声になる。

 耳を聳てていた侍従は姿の見えない声に狼狽するが、それでもすぐに神官長をお守りせねばと動こうとする。

「神官長様」

 その時、がたんと神官長の私室の壁が動いた。


「酷い目にあったわあ……」

「うわっ、眩し」

「く、空気が美味しい……!」

 女性と青年と女性の声。

 もうもうと埃が舞って、声がする壁の周囲一面が霞むほどのあり様である。

 ぱかりと口を開け、誰何の悲鳴を上げようとした侍従の口を神官長がさっと押さえた。

神官長の行動に面食らい声は何とか飲み込んだが、どうすることもできずに侍従は視線を迷わせる。

「思ったより酷い道でしたねえ」

 新たにのんびりとした若い男の声がした。

 埃が舞い落ちると、薄汚れた四人が立っていた。

 四人のうちの若い男が、神官長と侍従に気づく。

「御無沙汰しています。お元気そうですね」

 悪びれる様子もなく、にこやかに挨拶をしてくる相手に神官長の目が零れ落ちんばかりに丸くなる。神官長のそんな顔を見るのは初めてだと侍従はこんな時だというのに、そんなことを思った。 

 

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