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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第三章 火の藩国
20/37

5 藩国の病

「火の藩国の人間の寿命は短い」


 火郷への悪感情が増し、苛立ちが冷たい塊となって腹の底に溜まっていくようで吐き気すら覚え、この場から今すぐに逃げ出したくなる気持ちを懸命に抑えて、自身の足先をただひたすら見つめることで耐えていた千束は、その言葉に眉間に皺を寄せた。


 そんな話はきいたことがなかった千束は、すぐに「ああ」と小さく口の中で呟いた。

 藩国の情報は表に出にくい――その言葉を思い出す。


 世の平均寿命が七十歳ほどの中、火の藩国では五十ほどで亡くなる者が増えている。それまで健康だった人間が不調を訴え、寝付いてしまう。その期間は人それぞれだが、その多くがそのまま還らぬ人となる。そして、それは庶民階級で顕著になってきていると火郷は言う。


「病、ですか」

 ぽつりと落としたような呟きを拾い上げ、火郷は首を振った。

「お抱え連中の見立ては病と言うより寿命だ、と」

「寿命……」

 お抱えが診断したのなら、そこにはきちんとした理由があるのだろう。当然、彼らも唯々諾々とそれを受け入れたりはしないだろうから、なんとかしようとし続けているのは想像に難くない。とはいえ、千束も「寿命」という言葉をそのまま受け入れることには抵抗があった。


「火の藩国は貧しい」


 当然、脈絡のないことを言いだした火郷に、いったいなんだというのか――口を突いて出そうになった言葉を千束はぐっと飲み込んだ。


「四藩国ではもっとも国力が低い」

 火郷の声音がわずかに低くなる。

 薬草園に視線を注ぐ火郷の表情は、千束から見ることができない。だが、淡々とした口調のなかに、これまでとは違う響きを千束は感じた。


 火郷の言葉を胸の内で反芻する。

 火の藩国が貧しい?――まさかと千束は瞬時に思った。


 神の加護を一身に受ける藩国はもともとが豊な国である。その藩国のなかで貧しいなどと言ったところで、一般諸国の国のものとは比べ物にならないはずだ。

 何より藩国に連れて来られてわずかな時間しか経っていないが、千束はそんなふうには感じられなかった。

 千束たちにはきちんとした食事が与えられたし、新品の衣服まで提供された。城内の規模に比べて、かなり人員が少ない感じはあるが、奇麗に維持されているし、藩主たちを始め、会う人すべて身なりに不足はない。華美ではないが、皆きちんとしていると思えた。

 日名宇の里から出たことがない千束には比較対象が里しかない。実のところ、日名宇の里は近隣と比べても裕福なため、千束のなかの基準も高めである。そんな千束でも、火の藩国が貧しいという印象はまったく覚えなかった。

 火の藩国の城内の印象を語るなら質実剛健だ。

 ただ豪奢な生活を望むなら、話は違ってくるだろう――目の前の男が贅を好むようには見えなかったが、見た目で判断できることではないのかもしれないと千束は思い直した。


「地には豊かな農地がある。風は酪農で有名だな。水は優れた銀細工を始め細工物で名を馳せている。火は土地はあるが、何もない」

 千束は眉間に皺を寄せたまま、少し視線を上げた。そのとき、薬草園に視線を向けていた火郷が千束の方を見、視線がかち合う。

「信じていない顔だな。別に与太話をしているつもりはないんだがな」


「……火は竹炭が有名だと思いましたが」

 何もないわけがない。そんな気持ちで千束がぼそりと呟くように言うと、火郷が意外そうな表情になる。

「よく知っているな」

「使うので」

 千束は薬草を育てるための土壌づくりに竹炭を用いたりする。良い竹炭はいい値段がするものだ。節約を兼ねて自身で作ってみようかと挑んだこともあるが、難しくて早々に諦めた。

「まあ、竹炭もあるな。あるが、特産にはなり得んものだ」

「鍛造技術があるじゃないですか」

 このやり取りを不毛と感じ、千束は話を打ち切りたくて嘆息混じりに言った。火の特産だかなんだか知らないが、それが不老不死薬を望むことになんの関係があるというのだ。嫌気がさし、本気で気分が悪くなってきていた。

 火の加護を一身に受ける藩国は鉄鉱石の産出でも知られ、火を扱う鍛造技術は他国の追随を許さない。火の藩国産の鋼は特別性だとすら言われている。

 千束は小さな引っ掛かりを覚えたが、火郷の声に思考が途切れた。


「……驚いたな。よく知っている」

 小馬鹿にした響きのない率直にも思える声音に、思わず千束は顔を上げた。火郷が体ごと千束の方に向けて千束を見下ろしていた。その表情に皮肉さはない。

 思わぬ反応をみせた火郷に、その衒いのない様子に、千束の方が狼狽えた。

 調薬や薬草園で使う道具に火の藩国の物があり、重宝しているから知っているだけだ。薬師には火の藩国で造られた物を好んで使う人間は多い。値も張るので、ちょっとした憧れの品という感じなのだ。

 それをしどろもどろになりつつ言うと、少しだけ火郷の眦が和らいだ。それを見て、千束はぽかんと口を開ける。


「職人たちは喜ぶだろう」

 そう嬉しそうに言ったのが幻だったかのように、すぐに火郷の表情は淡々としたものになる。

「だが、それが問題なのさ」

「問題?」

「そうだ。薬師殿、その道具は、どのくらいの周期で買い替える?」

「買い替え……?」

 千束はふるふると首を振る。

 滅多に買い替えることはない。優れ物であるから、早々に壊れることはないし、薬草畑で使う鎌や鍬など刃こぼれしたら砥ぎに出す。

「そういうことだ」

 唸るように火郷が言う。

「一度、買えば充分。そうだな、例えば、包丁。多くの人間が使うだろうが、人は一生のうちにいくつ買う? ――答えられないだろう?」

 そういうことだと火郷は言う。

「歴代の藩主たちには危機感がなくてなあ。そんな問題があることすら気が付いていなかったのではないかと思うほどの暗愚ぶりだ」

 千束は反射的に両耳を押さえた。その行動に、火郷がにやりと笑う。

「聞け」

 そう言うと、千束の両手を掴んだ。

「嫌です!」

 これ以上、踏み込んだ話など聞きたくなかった千束は必死で抵抗するが、火郷はにやりと笑うばかりだ。

「火の神の加護があるから問題ない。馬鹿の一つ覚えのようにそればかりだ。困ったときには助けてくれるなぞ、本気で思っているのだから、なんともおめでたい話ではないか。誰もかれも火の神など見たこともないくせに」

 千束は呆気に取られて、火郷を見つめた

 とても藩主が放つ言葉とは思えなかった。

「な……」

 なんということを言うのだろうか。もうこれ以上聞くのは耐えらず、千束は再び火郷の手から逃れようと暴れる。その時、火郷の腰にある剣に当たり、鞘が音を立てた。

 ぴたりと千束が動きを止め、まじまじと火郷が腰に佩く剣を凝視した。

「薬師殿はなかなか察しがいい」

 笑いを滲ませた声で火郷が言う。

 千束は先程感じた引っ掛かりを思い出す。

「そう。だから、剣を造ることにした」

 小競り合いなら、いつもどこかで起きている。需要は途切れることがない。生活用具より遥かに。


「さ、里の人が見たことのない剣、だったと……」

「ああ、そうだろうな。今は片刃が主流だからな。これは両刃だ」

 火郷は千束の手放してから半歩さがると、すらりと剣を抜いた。

「諸刃の剣……」

「そうだ。昔からあったが、なぜか片刃の剣ばかりだな、今は。これの利点は片刃の剣のように技量がなくても扱えることだ。力技が効く」

「は、藩国が武器を造るなんて……」

 唇を戦慄かせた千束に、途端に興覚めしたかのような火郷の冷たい視線が向く。

「親父殿やその側近連中も口を揃えて同じことを言ったな。藩国がそんなことをしてはならぬ、と」

 技術は以前より火の藩国にあった。だが、実際に造っていた期間は短い。先代藩主の考えのように、常に何らかの反対にあって鍛造が取りやめになったからだ。そんな造っては止め造っては止めを繰り返しているうちに、技術は廃れ、書物に記されるだけになっていた。火の大神殿の書庫から、それを復活させたのが火郷だった。

「それは……」

 それはそうだろうと千束は思った。

 藩国が武器を造るなど、考えられない。


 藩国は兵力を持たない。

 兵は存在しない。

 持ってはいけないと定まっている。

 特異な国だからこそ、他国への侵略を認めない。

 神の寵を一身にうける国だから、他国からの侵略は許されない。

 それ故に戦いの武力は必要としない。

 子供でさえ知っている話だ。

 だからこそ千束の混乱は極まった。

 藩国が武力を持ったわけではなく、他者他国に供給するならば、古からの約を破ったことにはならないのだろうか?

 千束の中で結論は出るはずもなく、ただただ小さく身を震わせた。


「なぜだ? なぜ、日常生活の鎌や鋸が良くて、太刀だとまずい?」

「用途が違いすぎます。鎌や鋸は人を斬るためのものではありません」

「やろうと思えばやれるさ」

「……そういう問題ではありません」

 火郷が判って言っていると、千束は半ば確信していた。

「そういう問題ではないこと、解って言ってますよね」

「薬師殿、逆に訊くが、その定めとやらは誰が創ったものなんだ?」

「は……? 誰って……」

「創世神話に書いてあるのは、もちろん知っているさ。だが、それが事実だと誰が証明する?」

 千束は愕然とした。自身の呼吸が、やけに耳に響く。

 藩国の藩主が――火の神の寵愛を一身に受けている、神の吾子の血筋である者が、真っ向から疑問を呈する姿が信じられなかった。

 火の神を崇敬する者が多い薬師の例に漏れず千束もそうであるが故に、火郷の言動は受け入れがたいものだった。

「ふうん。薬師殿の藩国に対する思い入れとやらは相当なものだな」

 思案気に呟く火郷の正気を、千束は激しく疑った。いや、そもそも不老不死を望む当たり、とっくに正気ではないのかもしれないと思った。

「わたし、が特別な訳じゃ……。皆がそうです!」

 藩国は崇敬の対象だ。藩主がいて、藩国があり、世界は神々の加護のなか、日々を緩やかに穏やかに享受しているはずなのに。

 そんな慄く様子の千束に、火郷がまるで追い打ちをかけるのを楽しむかのようににやりと笑った。

「藩主には加護があるというな? だが、そんなものを感じたことはついぞないぞ」

 千束は反論をと思ったが、言葉が出て来なかった。微かに開いた口から、呼気が漏れるだけ。


「それに――」と火郷の顔から笑みが消えた。

「それに、本当に火の神の加護があるなら、この国をこんな風にはしなかったろう」

 その急激な変化に、千束は知らず一歩下がっていた。

「火の国の土壌は良い作物が育たない。昔はそうでもなかったようだが、理由はわからんままだ。鉄鉱石が採れるのも一部地域だけだ。いつか、これも枯れるだろう。その上、人は早死にし、子供も生まれにくくなっている」

 出生率の低下――千束の意識が恐怖から浮上する。

 日名宇の里でも直面したことのある問題だが、日名宇の里と火の藩国では規模――領土も人の数も違いすぎる。狭い中で婚姻を繰り返してきたことによる弊害は考えにくいだろう。であれば、その他の原因が考えられると薬師の顔に戻り、千束は思案する。


「火の藩国は呪われているのではないかと思えて来るほどだ」

 土地は恵を与えてはくれず、生活の糧になろう手段は藩国だからという理由で潰される。人も急ぐように儚くなる。

 それを聞いて、千束はぎゅっと拳を握りしめた。何をどう言っていいのか解らなかったが、それでも不老不死を望むのは違うと思った。

「国を立て直すには時間がいる。親父殿を支持する連中も随分と大人しくなったが、今は大人しくなった振りだけだ。奴らを潰すにも時間はいる。おれ自身、いつ倒れるかはわからんからな」

 火の藩主は国を想う気持ちから不老不死を望んでいるようだが、千束には何の慰めにもならなかった。ただ国や同胞を想う真摯さに嘘はないように感じられ、それは少しだけ千束の気持ちを動かした。


 だが、それでも千束は不老不死――不死身を容認しない。

 誰だって病は得たくない。

 病は恐い。

 千束だって千種の薬が無かったら、今はなかった可能性が高い。日々、体調の悪さに怯え、皆と同じように外を駆け回ってみたいと何度思ったことか。死ぬかもしれない恐怖は常に身近にあった。

 老いず病も怪我をも跳ね返すせたなら、確かに、それはすごいことなのだろう。

 でも、駄目なのだ。

 人は、そんな風には出来ていない。

 病を治すために医者や薬師は邁進する。日々、研鑽を重ね、人々の中を駆ける。

 だからこそ不老不死は話が違う。

 そう――千束は思う。

 薬師だからこそ、ならば、その原因不明の病を克服する手立てを探すために求めて欲しいと切望する。そのためなら喜んで協力するのに。そう願い出てみようとした瞬間、火郷から拒絶の言葉が放たれた。

「医者も薬師も、もう必要ない。神も恃まん。作物が育たないのであれば、育つ土地を手に入れればいい」

 他国に攻め入ることを示唆する言葉に、千束は双眸を瞠る。

「や、病には必ず原因があります。薬師が、医者が必ず」

「必ず? それはいつだ?」

「それ、は……」

「お抱え連中も阿呆みたいに、そればかりだ。それに連中は寿命だと言ったんだぞ。多少の延命はできたとしても治すことはできんとな」

「…………」

 千束のなかで、本当に寿命だろうかという疑いが頭を擡げるが、確証のないことなので口にすることは憚られた。

「そうこうしているうちに、どんどん火の藩国の人間は死んでいくぞ。藩国の人間がいなくなったとき、果たして藩国はどうなるんだろうな?」

 火郷が再び皮肉めいた笑みを口元に刻んだ。

「それでも親父殿たちは、火の神の加護があるから大丈夫だと言う。やつらは阿呆か?」

 口調は淡々としているのに双眸には紛れもなく怒りが浮かんでいる。その眼差しで、ぎらりと睨まれて千束は息を呑んだ。


「祈りでなんとかなるなら、藩国で生活に行き詰る者も病も広がるまい。国として支援しようにも先立つものがなければ無理だ。それなのに、阿呆どもはただ耐えろという。武器を造り他者に売り渡すことは許されぬと言うが、自分たちのために造るのは構わんという。そんな言葉遊びのようなことを、平気で奴らは言う。ならば、そうすることにした。自分たちのために創り己のために使うと決めた」

「賊に渡したじゃないですか!」

「ああ。どの程度、使えるか有用性を試すためにな。それも自分たちのためだ」

「な……」

「剣を周知させるいい機会にもなった」

 千束は二の句が継げない

「火の藩国は藩国としての矜持を取り戻さねばならん。我らは武器を手にすることを躊躇わないが、戦いになれば負傷者は当然出るだろう。だが、そんなことで命を失わせるつもりはない。病からも怪我からも護るために不老不死薬は必要なんだ」

「い、嫌です」

「間違えるな。薬師殿に選択の余地はない」

 強い底光りした眼差しに、さらに千束が後退る。

「おまえには従う他の道はない」

 人を殺す手伝いをしろ――火郷が言うのはそういうこと。


 くらりと千束は視界が暗転するのを感じた。

 ふらつくなか、先生の声を思い出す。


『不老不死を求める為政者というのは定期的に現れますねえ』

 あれは薬師の歴史についての話をしていた時だった。

『彼らは時に自身の支配を絶対的なものとするために、あるいは死を恐れて。それを求めるんです』


 火郷の理由は過去の偉人達とは違うようで、千束の気持ちを揺らした。限りなく利己的な理由であるのに、なぜか心の底から相手を疎ましいと感じていないことに千束は動揺もしていた。


 ああ、まずいと思ったときには、千束の身体は傾いでいた。地面にぶつかる感触の代わりに、支える手があったが、もう千束には瞼を押し上げる力も残っていなかった。

「思っていたよりもちましたね。やはり加護持ちだからでしょうか」

 遠のく意識の中で、そんな声を千束は聞いた。

「どうだかな。ただの体質だろう。加護持ちを過信し過ぎだ」

 ふん……と鼻を鳴らし、どこか窘めるような響きを孕んだ火郷の声が聞こえた。

「ですが、充分使えることは解りましたね」

「ああ」

 耳元で、千束は鞘の鳴る音を聞いた。


『歴史は繰り返す』

 最後に再び先生の声が聞こえた気がして、千束の意識はそこでぷつりと切れた。




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