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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第一章 薬師の里
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1 千束



 壁一面を覆いつくすように並んだ薬草棚。乾燥中の薬草が天井を覆うように吊るされている小屋で二人の少女が揃って首を傾げている。


 天井の明り取りから差し込む光が淡く、吊るされた薬草たちの間から床へ影を落としていた。喚起のために開け放たれた戸口からの風が、その光を時折揺らし、揺れる度にふんわりとした薬草の匂いが強くなる。

 そんな室内に鎮座する大きな調薬台で蒸留を終えたばかりの容器からコポコポと小さな音が聞こえてくる。


「薬草の値段が上がってるね」

 調薬の作業が一段落着いたところで腰を下ろした、この調薬小屋の主――千束(ちづか)が綴られた数字の羅列を不思議そうに指でなぞる。


 少し赤味のある栗色の髪、紺碧の眸。今年で十八になったが、小柄なせいか実年齢より幼く見える。だが、千束は最年少で薬師の資格を得、すでに専用の調薬小屋を持つ。調薬に関しての才には定評があり、ゆくゆくは里の五本の指に入ると言われている実力者だ。


 ここは薬師の里。

 調薬調剤に携わる薬師のみならず、薬草の栽培から始まって品種改良、採集――そういった薬に関わる諸々の人々で構成される里。

 名を日名宇ひなうといい、山の斜面に張り付くようにしてつくられた小さな里だ。


「そうなのよ。といっても、この辺り――南の地域だけの資料だから限定的なんだけれどね」

 資料を持ち込んだ千束の友人――幼馴染の伊那いなが調薬台に頬杖を突きながら、反対の手で天井を指差した。

「これ、今のうちに売っちゃったら儲かるかもよー?」

「そうかもね」

 この里に於いて個々人で薬草を売る販路はない。軽口だと解っているから、お互い適当に流す。

「何か理由があるのかしら?」

「そうねえ。天候不順だという話も聞かないし……。なんらかの不測の事態で薬草畑が枯れとか?」

 伊那がにやりと笑い、千束がうっと言葉に詰まる。その不測の事態とやらに心当たりがあったので。


 伊那は薬師ではなく、外部との交渉を請け負う外商班に所属している。経験値が物を言うので、まだ見習いという立場だが、こうやって情報を持ってやって来る。

 伊那曰く「時々でも外の情報に触れさせないと、まったく世間から切り離されちゃうから」とのことらしい。

 だが、見習いでは知り得ないような情報に、千束が困惑することも多い。

 なんにせよ、調薬に夢中になるあまり小屋に籠りがちな千束を心配して、よく足を運んでくれる良い友人である。


「……全体的に値段が上がっているじゃない。あちこちでそんな不測の事態が起きること、あんまりないと思う」

「まあそうね。そんな大規模に枯れたっていうんなら、耳に入るだろうしねえ」


「薬草が上がっているから、薬も上がっているのね」

 知らず千束の眉間に皺が寄る。急騰というほどではないが、このままじりじりと上がり続けていくようなら問題だろう。

「なんでかしら……」

 千束の呟きに、手持無沙汰にくるくると薬草の一葉を回していた伊那が周囲を憚るように声を潜めた。

「これは先輩たちが話してるのをこっそり聞いたんだけど」

 千束は紙面から顔を上げる。釣られるように声を落とす。

「こっそりって……」

 つまりは盗み聞きかと眉をひそめた千束に「大丈夫大丈夫。ばれるようなへまはしないって」と伊那は悪びれる様子もなく手を振った。

「薬草を買い占めている人がいるらしいの」

「――買い占め?」

「理由は、よくわかんないのよねえ」と残念そうに伊那は言う。

 熱心といえば熱心だが、いささか見習いという立場から逸脱しているようで、千束は本当に案じてしまう。

「時々、あるじゃない? ほら、最近だと千束の作った肌が白くなる塗薬とか――。うん、わかってるって、そんな顔しなくても」

「あれは手荒れに効く塗薬です」

 千束が珍しく強い口調で反駁する。


 少し前に千束が作った肌荒れ用の薬が人気を博した――美白効果があるとして。

 本来の用途外で評判になったことは言うまでもなく、皆が手に取りやすい価格に抑えていたのに間違った解釈により、本来必要な人たちの手に届くかなくなったことが千束は許容できなかった。


 思った以上に千束が気に病んでいるようで、伊那は素直に謝った。

「うん、ごめん。――つまり、わりと間違った情報でさ、買い占めが起こることもあるってことよ」

「私を例え話にしないでよ」

「ごめんごめん。まあ、真面目な話だと、今年の冬は流感が流行るらしいとか――そんな話が出回って解熱薬を備蓄しようとする商人がいたり」

「でも、それって薬でしょう? 薬草そのものって、どうなのかしら?」

「あるわよ。ほら、今年は雨が少ないかも――で薬草が不作になりそうっていう噂が出回って、薬草の取り合いになったり。多分、そんなところじゃないかって話みたいだけど」

「そんな話、出回ってるの?」

 伊那は「私はしらない」と首を振る。自身がその情報を持っていないことを悔しがっている様子が透けて見える。


「先輩たちが情報収集してるわ」

「そう……。全体的に上がっているのが気になるけど……これ、続くのかしら?」

「どうかしらねえ。もちろん里長様たちにも報告はしてるけど、特になにも言っていないから、まあ心配する必要はないんじゃない?」

 里を統括する里長様と里長を支える長老衆・中堅たちで形成される中老衆の人たちが問題視していないのなら、今のところ大丈夫なのだろう。

「ただ、そのうち増産の依頼はくるかも」

 千束は小さく頷く。そこまで影響が出るようなら問題だな――と思いながら。


旅巡(りょじゅん)に出たら、色々見てきてよ。私、しばらく里を出る予定ないのよねー」

「うん。もちろん。その頃には落ち着いているのが一番だけどね」


 千束は三十日後に初めての旅巡――薬師らが里を出て各地を廻りながら患者に薬を処方したり治療したり、薬を商ったりする遍歴の旅を控えていた。

 ずっと願い出ていた旅巡なのを知っている伊那は、この話になると声を弾ませ嬉しそうに眸を輝かせる千束を見て頬を緩ませる。千束は笑うと更に幼い印象になり、そんなふうにはしゃぐ様子が実に可愛らしい。


「けど、それまでに千種(ちぐさ)さん戻ってくるかしらね? 下手したら行き違いになるんじゃない? まだ戻りそうにないでしょ?」

 伊那が口にした母の名前に、千束の眉間にぐっと皺が寄る。


 千束の母・千種は今、旅巡に出ているが、戻りの予定からすでに七日が過ぎている。まだ戻る気配はない。


「さすがにそれまでには戻ってくるとは思うけど……。どうして毎回毎回、旅程を無視するのかな。真静(ましず)さんたちに迷惑ばっかりかけて」

 母の同行者たちに申し訳ないと、千束がしょんぼりと項垂れる。

「でも、新種の薬草を見つけたって話なんでしょ? 本当ならすごいことじゃない」

 千種は新しい薬草の話を掴んだといって、情報主を追っかけているらしい。

「本当ならね」

「本当でしょう。あの千種さんよ?」

「本当だとしても、新しい薬草を、他の里の薬師に簡単に渡さないでしょう? 薬師の里で改良された物か天然物かは判らないけど――教えてという方が無茶よ」

「それもそうねえ。品種改良されたものなら時間もお金もかかっているわけだし、天然物でも労力がかかっていることには変わりないものねぇ。よそとの差別化は武器だものね」

 千束は大きく頷いた。

 この里だって品種改良した薬草や新しい調薬方法や薬効は当たり前に秘匿する。 


「そうなると……千束、旅巡に出た時、千種さんと親子って言わない方がいいわね、やっぱり」

「……やっぱりそこまでなの?」

「千種さんは良くも悪くも有名だからねえ。名乗るのは色々危険だわ」

「いやよ、面倒ごとは」

 正直な伊那の言葉に、げっそりとしながら千束は溜息を吐いた。

 

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