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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第三章 火の藩国
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4 薬術の書

「薬創初書というのを知っているか」

 いきなり話が飛んだように思い戸惑うが、すぐに違うと気が付いて千束は身構えた。

 発言を否定され、怒りを向けられても火郷の様子は変わらない。淡々とした口調で、その視線は真っすぐに薬草園へ向けられている。

 千束は、そんな火郷の様子に薄気味悪さを感じ、こんなところからさっさと去りたいと思いながら、渋々応じた。

「知りません」

「だろうな」

「……では、訊かないでください」

 ふっと火郷が笑った。

「薬師殿は存外短気だな」

 千束は返答する気にもならず、ふいっと視線を薬草園へ向けた。


 正気の沙汰じゃない。黄色の波の中に見え隠れする赤い髪を見ながら思う。

 一体、藩国のお抱えは何をしているのだろうか。まともな医者や薬師なら、まず取り合わない話だ。藩主の妄想に振り回されているならば気の毒だが、本気で取り組んでいるとしたら藩国丸ごと狂っている。


「知りませんが、里を襲った連中が欲しがっていたのは聞きました」

「日名宇の里にある可能性があったからな」

「え?」

 千束は眉間に皺を寄せ、火郷を見上げた。

 里が襲われた理由の一端を知り、燻っていた怒りに新たな火種が放り込まれ、千束は気を静めようと大きく息を吸いこみ吐く。

 花の香が喉に絡みつくようで、息苦しさを感じる。その一方で、どこか頭の芯が揺れるような感覚を覚え、千束は軽く頭を振った。


「どういう、意味ですか」

「日名宇の里は、かつて火の藩国にいた薬師たちが祖だ」

 さらりと答えた火郷に、くらりと千束は眩暈を感じた。心境は「そんな馬鹿な」である。

「……確かに日名宇の里は、ある理由から国を捨てた薬師たちが作った里です」

 別に秘されていることではない。隠れ里を形成する理由としてはありがちなものだが、千束は慎重に言葉を選びながら紡ぐ。


 国を捨てた後、流しとなったが、常に移動し続ける流しの生活は過酷な事も多い。故に定住地を望み、在野となった。簡単に日名宇の里の地に辿りつけたわけでもなく、定住地を探す中で同じような立場の人々が合流することもあったかもしれない。

 だが、日名宇の祖に火の藩国の人間がいたなどということは一度も聞いたことがない。


「伝え聞いている話では里を拓いた人たちは別の人たちです」

「どこの人間だ?」

「…………」

「国を追われたの間違いじゃないのか?」

 千束の態度が気に入らなかったのか揶揄するかのような言葉を発した火郷に、千束は「そうかもしれませんね」と応えるに留めた。

 里の祖は国を「捨てた」のだろうし、為政者側からすれば「追い出した」のだろう。多分、立場の違いで言葉は変わるから。どちらにせよ、千束たちは国を捨てた祖を誇りに思っている。


「ある理由とはなんだ?」

「さあ。そこまでは……」

 日名宇の祖が国を捨てた理由を問われ、千束は言葉を濁した。

 日名宇の里の祖は、毒薬づくりを命じられ拒み、拒んだことで命を狙われ、国を捨てた一族だ。その国も今はもうない――そこまで説明する義理はないし、もっと大事なことがある。


「それが日名宇となんの関係があるんですか?」

「かつて火の藩国を追われた連中が、薬創初書の一部を持ち出した」

「…………は?」

「薬創初書は火の藩国に伝わる薬術書だ。数年前、火の大神殿の書庫で見つけた」

「薬術書……」

 大神殿の書庫にあった――その言葉に、じわり、千束の胸に不安が広がる。

「そうだ」

 藩国の大神殿は英知の宝庫。それは膨大な数に登り、書庫には未だ手がつけられていないまま埋もれている古書が多くあるという。

 見つけたのは火郷。探し物をしていた際に偶然見つけたのが『薬創初書』だった。


「肝心の調薬方法が記された箇所がいくつも抜き取られていた。お抱え連中は抜き取られたのではなく、元よりないのだと主張したが」

 すなわち、調合方法を確立できなかったのだ――と。

 だから結局、何も記されなかったのだ――と。

「連中はやたら否定したがっていたが、不自然に紙片が足りないのは明らかだ。以来、足りない部分を探している」


「……持ち出したのが日名宇の里の祖だと?」

「ああ」

「日名宇に神色を持つ里人はいませんよ」

 どの程度、血が薄まれば神色が失われるのかはわからない。果たして、失われるのかも判らないけれど、神色を持つ人間がいるかどうかは調べれば判る。それなのに、なにが里が襲われる理由になったのか理解したくもなくて、千束は苛立ちを露わにした。


「別に持ち出したのが火の人間だとは限らんさ。かつて火の藩国にいた人間だというだけなら、神色を持っていなくても何らおかしくはない。言っておくが、火の藩国には他国から移り住んだ者もいるぞ。藩妃などがそうだ。藩妃の連れてきた侍女たちも当然、神色は持っていない」

「それ、確かめようのない話ですよね」

 今更、議論したところでどうしようもないと千束がばっさり言えば、火郷は少し鼻白んだ顔で「まあ、そうだな」と答えた。


「日名宇が最有力候補だった。日名宇のほかに、あと二ヵ所ある」

 火郷は二つの里の名前を上げた。

 臥加(がか)甫多(ほた)

 臥加は良い薬草を育てることで知られ、甫多は規模は小さいが優秀な薬師を抱えていることで有名だ。

 は……と千束の口から苦し気な吐息が漏れる。

 どちらも日名宇とは交流のある里だ。薬術を生業としている里。日名宇と同じく主を持たない在野の里である。

 その里たちも襲うつもりなのか。

 千束は震える右手を左手で握りしめる。止める手立てがないことに、己の無力さに脱力しそうになる。


「なんてこと……なんで……」

 小さく呟いた千束のなかで不安が明確な形を取り、思わず身が震えた。

「まさか、不老不死の霊薬の調合法が書かれていたとでも言うんですか」

 火郷が怪訝そうな顔を向けた。

「不老不死の霊薬?」

 はっと千束は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 失言というほどのものではないと思いつつ、千束は声が震えないように堪えながら応えた。

「不老不死の薬を、わたしたち薬師はそう呼ぶんです。不可能の代名詞として」

「不可能。不可能、か」


 薬術に携わる人間にとっては『不老不死の霊薬』は不可能を示すと同時に、迫害の過去を語る言葉でもある。

 不老不死に憧れる思想が古今東西、存在することは千束だって知っている。

 そして為政者のなかには長生きを望み、不老不死の手立てを――不老不死の霊薬を本気で探す者がいた。

 やがて彼らは、命じる。

 不老不死の霊薬を探し出せ――と。

 その時にまず、そして最も矢面に立たされるのが薬師だった。

 憑りつかれたように求めた為政者たちは、不可能を可能にせよと薬師たちを追い詰め、使い潰し、或いはできぬと聞けば殺した。

 そういう歴史が本当にあった。だから忌避感も強い。それが刷り込みのようなものだとしても。


「お抱え連中も口を揃えて同じことを言ったな」

 それはそうだろう――千束は大きく頷きたくなるのを堪えて、無言を保った。

 良かった。さすが藩国のお抱えだけあって、彼らは至極真っ当な薬師たちだったのだと安堵する一方で、千束の胸には新たな疑問が沸き起こる。

 恐らく、お抱え連中が断ったことで藩国の外の薬師たちに目が向けられることになったのだろう。

 では、断ったお抱え連中は? 彼らはどうなったのだろうか?

 千束は自身に与えられた調薬室の元主が既に亡くなっていることに、ぞくりとする。 


「薬創初書には不老不死の薬の記載があった。だが、調合方法が欠落していた」

「……ふっ」

 千束が失笑した。

「なぜ笑う……」

 火郷が初めて不愉快そうに眉根を寄せ、顔を伏せ表情を隠そうとしている千束を咎めた。

「……不老不死の霊薬の調合法が書かれた薬術書って、けっこうあるんですよ」

 明らかに怪しげなものから、一見まともそうなものまで。それだけ人の関心を集めるものだという証なのかもしれないが、本物はない。

「効能の高い疲労回復薬だったなんてことも稀にありますけど、酷いものでは摂取すれば確実に健康を損ねるものまであるんです」

 薬師たちの間でも幾度となく問題提起されている事柄だ。なんとかして取り締まれないかという動きもあるようだが、うまくはいっていない。


 そして、それが火の大神殿にあったというのは重い。

 それでも千束は、それが本物だとは微塵も考えなかった。

 脳裏に響くのは「神殿にあるものは玉石混交ですからねえ」という先生の声。


 火の大神殿にある書物を見たいのだが、なかなか許可が下りない。やはり在野では無理なのだろうかとぼやいた里人に、「身分は関係ないと思いますよ」と応じたのは比良だった。

「神殿には、けっこう紛い物も多いんです。なので、神官たちは研鑽を続けるわけです。けれど、量が量ですからね。全部は当然、追いきれないと言いますか……早い話が、神官たちの興味を引かなかったものは放置されているわけで、おいそれと表に出せないものが多いんですよ」

 千束たち含めて、その場に居合わせた全員が目を丸くしたが、積極的に発言を疑う声があがらなかったのは、比良の人徳だろう。

「結局のところ、すべてに門戸が開かれているというのは建前で、わたしたちがちょっと資料を見せてくださいと言っても、大抵門前払いになってしまうのは、そういう理由があるからで、普通のことですよ」

 やたらとにこやかに言い切った先生に、皆は一様に唸ったものだ。

「ええ? そしたら一度断られたら、望みなしということですか?」

「神殿、色々まずくないですか?」

「確認が取れていない事柄はおっかなくて出せませんからね」


 そんなやり取りを思い出しながら、千束は今まさに紛い物に取り込まれた男に視線を向ける。 

 千束の中で火の藩主が崇敬の対象から転落していく。

「つまらんな」

 そう言った火郷は本当につまらなさそうな顔をしていた。

「お抱え連中と同じようなことを言う」

 千束は火の国のお抱えがまともだからですよ、と胸の内で呟く。

 火の藩主が不老不死に固執する理由は非常に気になったが、なんだか憐れだなと思った。だが、それも一瞬で千束の中に沸々と怒りが湧いてくる。

 そんな理由で里は襲われたのか――この気持ちをどう表現したらいいのか、どう相手に伝えればいいのか解らずに言葉を探していると、火郷が言葉を続けた


「一緒にいくつか植物の種が保管されていた。育つとは思っていなかったが、試しに植えてみれば、こうだ」

 目の前の薬草園を指し示した火郷が千束を見た。その視線に気圧されそうになり、千束は思わず腹に力を込めた。

「これでも、ないと主張するのはおかしいのではないか」

「おかしいもなにも……」

 肝心の調合方法がないのだ。目の前の薬草と不老不死の霊薬を結び付ける根拠は無いに等しいではないか。

「その薬創初書にはいくつもの調薬が書かれていたんですよね? だったら、これが不老不死の薬の元になるとは限らないし、そもそも薬効が望めるものか、わからないではないですか」

 呆れを強く滲ませる千束を、火郷が見やる。どことなく憐れむような視線に、千束は身じろぎする。


「仮死薬、を知っているか? 巷で話題だろう?」

「……わたしたちを連れ去るときに使っていましたよね」

 火郷が双眸を瞠る。

「ほう……。驚いたな、わかるのか。さすがと言うべきか?」

 千束はむっつりと黙り込む。

「原料だ」

 火郷が、目の前の薬草園を指差す。

「え…………?」

 千束は薬草園を凝視し、火郷を振り仰いで叫ぶ。

「あの薬を調合したのは別の国の薬師はずです。火の藩国の名前なんてなかった……!」

「名前を出すと面倒なことになると言われてな。適当な薬師の名前をかませた」

 ああ、そうか――と千束は思った。

 多くの薬師が調合方法を探ろうとしても解らないはずだ。新種の薬草を使っているなら突き止められるはずがない。

「強すぎるらしい、あの薬は」

 よくわからん理屈だが――と火郷はさらりと言う。


「あとは、これが不老不死薬の原料だからだ」

「は…………?」

 千束は絶句した。

「仮死薬の調合方法は残されていた。ならば、作るだろう? 成果は見ての通りだ。そして、不老不死薬は同じ薬草を使うと記してあった。それ以降が残念ながらなくてな。歯がゆいことだ」

 面倒だが第三者を間に挟んだのは、そちらの理由が大きいな――と火郷は言い、千束は足元が揺らぐ感覚に必死に両足に力を込めた。


「どうやら薬創初書の方は空振りに終わりそうでなあ。まあ、随分と昔のことだから、期待はできないと思っていたが」

 千束はこれ以上ないほどに双眸を瞠り、火郷を見上げる。

「…………薬創初書、は見つからなかったんですね?」

「ああ」

 残りの二つの里も襲われた後だと理解し、千束はひりつく喉から絞り出すように紡いだ。

「なら、もう無理でしょう……」

 肝心の調合方法が記されたものは見つからなかった。もう失われてしまったのだ。不老不死薬をつくる手立てはないと言う千束に、火郷が呆れたような顔をした。

「なんのための薬師だ?」

「は……?」

「なんのための薬師だと訊いている。新しい薬をつくる。薬師の役務だろう」

 火郷が求めていることを改めて示されて、千束は身体を戦慄かせた。

「素材はここにある。望む効能も明確だ。ならば、できぬはずはないだろう?」

 最後の悪あがきとばかりに、千束はゆるゆると首を振った。 

「無理です。確認、するには時間がかかり過ぎます」


 不老不死薬を調合して、その後――その効能をどうやって知るというのか。

 霊薬を飲ませて、寿命が尽きる日が来るか否か。十年二十年、それを追う。そんな悠長な話を実行するつもりだろうか。

 火郷が怪訝そうな顔をし、「時間?」と呟いた。

「ああ。認識の違いか。これも、お抱え連中と一緒だな」

 その言葉に、千束は青褪める。一瞬で血の気が引いていくのを感じた。

 ここにきて、自分が勘違いをしていたことに気が付く。

「普通、不老不死と言えば老いて死なず、病にも怪我にも侵されぬことだろう?」

 

 千束はぐらりぐらりと足元が揺れるような感覚に、ぎゅっと双眸を瞑った。

 それは不老不死で間違いないが、より正確に言うならば不老かつ不死身であることだ。

 不老不死と不死身。死なないという意味では同じだが、薬師たちは両者を厳密には別個のものとして認識している。

 不老不死は老いでは死なないが、すべての外的要因による死を払えるわけではない。不死身はそれすらも退ける。

 そして火郷が望むのは後者――不老であり絶対的な不死。

 かつて不老不死を望んだ為政者の多くがそうであったように、世間一般で言うところの不老不死はそういうものだと知っていたのに、薬師としての意識に引っ張られていたことに眩暈すら覚える。

 それを知覚した瞬間、千束を襲ったのは恐怖だった。


「冗談じゃないわ!」 

 千束は叫んでいた。

 仮死薬をつくるのとでは話が違う。

 仮死薬も危険性はあっただろう。だが、不老不死薬の比ではない。

 火郷の言うところの不老不死薬を調合し、どうやって、その効能を試せというのか。

 治験のために、人を瀕死に追い込めというのか。

 命の危険に晒すのか、人を。

 何人殺せば、薬が出来上がるのか。

 それを千束に――薬師たちにやれと言っていると本気で理解しているのか。


「なぜ……?」

 千束はぐるぐると思考に振り回され、えづきそうになる。

「それを手に入れて、どうしようと言うんですか……」



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