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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第三章 火の藩国
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3 薬草園

 翌朝、きちんと運ばれてきた朝餉を終えるのを見計らったかのように火郷がやって来た。

藩主自ら、薬草園を案内するという。

 昨日に引き続き、藩主に会うことになるとは思っていなかった二人は、自ら扉をあけ放って現れた男に粥の入った椀を抱えたまま、しばし固まった。


 返答を待たずに踵を返した火郷に、千束と伊那は朝餉を運んできた藩国の女性に慌てて椀を返して後を追う。

「ごちそうさまでした」

 千束と伊那が椀を返す際に言ったとき、藩国の女性はわずかに視線を揺らし顎を引いた。相手の見せた、ちょっとした反応がひどく千束と伊那に響く。千束と伊那は嬉しくなり、そっと笑いあった。

 目が覚めてから二人を取り囲む藩国の人は不敬と叫ぶか無表情に接してくるか――好意的とはいえない態度ばかりだったから、余計に嬉しい驚きをもたらした。


調薬室の外で火郷の他にもう一人――昨日の大広間で火郷の後ろに控え「不敬だ」と発した男――郭稚(かくち)が待っていた。火郷の腹心だという郭稚は火郷に礼を取り、千束と伊那を一瞥した後、伊那に向かって、自分についてくるように告げた。

 伊那が異議の声を発する前に郭稚が連れていた護衛官たちが有無を言わさず、千束と伊那の間に割って入る。


「伊那!」

 伸ばした手を、火郷が掴む。呆れた表情で、千束を見下ろしている。

「あの伊那という娘には別の薬草園に行ってもらう。薬師殿はこっちだ」

「でも! 伊那は助手で!」

「助手が必要なのは調薬の時だろう? 必要になれば呼べばいい」

「話が違うわ!」

 素直に従うしかないのは千束にも判っていたが、抗議しないではいられなかった。

 護衛官たちの手を振り払った伊那が、「大丈夫」というように頷いて見せた。縋るような表情をみせていた千束の顔が歪む。

「大袈裟な。なにも取って食おうというわけじゃない」

 呆れた顔の火郷。火郷が右手を軽く振って促すと、郭稚は軽く頷き、伊那を連れて行った。

「さて、そろそろ良いかな? 薬師殿」

 まるで子供に言い聞かせるような物言いに、千束は火郷をじろりと睨むが、火郷は気にする様子もなく、さっさと歩き出した。


「調薬室はどうだ?」

 追いついてきた千束を振り返ることなく、火郷が問う。

「不足はないか?」

「あり、ません」

 千束の息があがっていることに、火郷が足を止め振り返る。

 呼吸の乱れを隠そうとして隠しきれていない千束に、火郷の眉間にわずかだか皺が寄る。

 再び、無言で火郷は歩き出す。少しだけ歩調がゆっくりになっていることに、千束は気が付いた。

 ふうと息を吐き出し、千束も歩き出す。


「……立派な調薬室です。前、使っていた人はどうしたんですか?」

「随分、昨日と話し方が違うな? どうした」

 面白がる響きに、千束はむっとした。その様子に、火郷がくつくつと喉を鳴らした。

「藩主様ですから」

「思ってもいないことを言うのなら、もう少し取り繕うんだな」

「…………善処します」

 顔を強ばらせた千束に、「そうしてくれ」と火郷はにやりと笑う。

「それで、前、あの部屋を使っていた人は?」

「ああ。あの部屋を使っていたのはお抱えの薬師だ。死んだよ」

「しん……」

 原因はなんですか?――と尋ねるのは、さすがにまずいかと千束は迷う。

「そう心配せずとも、あの部屋で死んだわけじゃない」

「そんなことは気にしていません」

「そうか? 足りないものがあれば言え。用意させる」


 火郷に先導され、回廊を進む。

 どこからか風にのって音曲が聞こえてきた。

 そちらの方面には詳しくない千束には曲名は解らないが、どこかで聞いたことのある旋律だった。哀愁を帯びたような響きが緩やかに風に乗ってくる。

 足を止めて振り返った千束に、火郷が「ああ」と呟いた。

「藩妃だな」

 千束はぽかんと男を見上げた。一瞬、火郷の言葉が理解出来なかったのだ。目の前の男と妻という言葉が結び付かなかった。

 だが、すぐに思い出す。火の藩主は数年前、南でも一番と言われる大国の姫を正妻――藩妃に迎えたと話題になったことを。彼の国は文化大国として有名で、詩歌音曲が盛んだったはずと記憶を掘り起こす。

 ますます目の前の男と、そんな雅なお姫様が並び立つ様子が想像できなかった。


「……上手ですね……」

 何か言わないといけないような気がして、当たり障りがなさそうな言葉を選ぶが、火郷は少しだけ不思議そうな顔をした。

「そうなのか?」

 他人事のような言葉に、千束は戸惑う。

「……そう思いますけど」

「ふうん。そうなのか」

「……詳しくはないですが、奇麗だと思います」

「きれいねえ。わからんな。まともに聴いたことがないからな」

 控えめにみても拙い発言ではなかろうかと如実に非難めいた顔をした千束に、火郷がさらりと言う。

「藩妃とは婚礼以来、顔を合わせたことがないんでな」

 なんとも応えにくい言葉に、千束は困惑する。

 火の藩主と藩妃が不仲だという話は聞いたことがないが、世事に疎い自分が知らないだけという可能性は多分にある。そう思いはするが、昨日、伊那も何も言わなかったことから、もしかしたら機密事項なのではと少し慄く。

 藩国の情報は表に出にくい。悪い話なら特に――そう伊那は言っていた。


「でも、お子様……」

 火の藩主と藩妃の間には子供が一人いるはずだ。

 婚礼以来、顔を合わせていないとしても子供が居て、同じ城に住んでいて、顔を合わせないなんてことがあるのだろうか。そんな思いから出た呟きに火郷が何でもない様子で応えた。

「おれの子ではない」

 千束は足がもつれて、危うく転びかけた。

「はい?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。

「藩妃が産んだのは、父の子だ」

 なんと応えろと言うのか。千束は沈黙を選んだ。

 そういえば、藩国の慶事だというのに、子供の話はあまり耳にしたことがないなと気が付く。


「婚礼の夜、赤い目が恐いと泣かれてな。国から連れてきた侍女と共に部屋に籠城された。馬鹿馬鹿しくなって、それ以来、会っていない。そのうち藩妃が子を産んだ。赤い目の子だ。今、藩家の人間はおれと父だけだ。おれではないから、父の子だな」

「先代様も赤い目なのでは……?」

「ああ。おれほどは赤くはないが。建前にもならん言い分さ」

 火郷と藩妃の婚姻は、十年以上前には決まっていたのだという。そして、初めて顔を会わせたのが婚礼の日だったと事も無げに言う。

「素直に身内殺しと罵るのかと思えば、詩歌も音曲も解さない粗野な男は受け入れられんと――詩歌音曲を解さない野蛮人は許せんというのだから、さっぱり理解できん」

 どう思う?――と意見を求められても、千束にだって解らない。

 さらりと含まれていた物騒な言葉は、敢えて気が付かないふりをした。

 こんな踏み込んだ話は、伊那なら小躍りして喜ぶだろうが、千束には恐ろしいだけだ。

こんな話を聞かされて、秘密漏洩を防ぐために最後にきゅっと絞められるんじゃないだろうかと気が気じゃない。


 千束の周りにいる夫婦といえば、恒矢の両親や由基の両親。この二組の夫婦は仲睦まじいし、あの里長だって安高でさえ奥方の方がいささか――噂ではだいぶ強いと聞くが関係は悪くない。

 加えて日名宇の里の婚姻事情は少し特殊な面を持つ。隠れ里であった日名宇はかつて里の中だけで婚姻が繰り返され、子供が育つことが難しくなっていった。それが里が外との交流を持つことになった大きな要因でもある。そして、現在は里人同士での婚姻が約半数。その他は里の外から夫や妻を連れ帰ったり、連れ帰らなかったりする。

 千種の場合は連れ帰らなかった。だから、千束は自身の父親の顔を知らない。それなりに問題は生じるものの、だからといって尾を引くことは少ない。

 そんな日名宇の里に育った千束ではあるが、火の藩主夫妻の話は特殊すぎて、何をどう言ったらいいのか、まったく解らない。


 だらだらと嫌な汗を背中に感じて顔色を悪くしている千束に、火郷が口角を上げた。

「藩妃の本音は嫁いで来たくはなかったんだろうが、親父殿とは話が合うらしい。親父殿の趣味は詩歌音曲でな。もともと藩妃を娶るにあたって、あの国を選んだのも親父殿だ」

「……まさか、それだけで選んだわけでは……」

 藩妃の生国は文化大国で有名だが、国力も高く信仰心の篤いことでも有名だ。藩国と縁を結ぶに当たって、周辺国から文句を言わせないだけの力を持っていることは確かだろう。

「そのまさかだ。監視の目を盗んで、女の元へ詩歌音曲の手習いに日参していたのだから恐れ入るだろう? 手習い目的が、そのうちに藩妃自身が目的になったわけだ」

 もしかしたら端から藩妃も目的だったかもしれんが――と付け加えられて、千束は途方にくれる。何を応えても、拙いことは解った。

「本人は趣味人などと嘯いているが、おれから言わせれば、ただの無能だ」

 火郷は、ばっさりと切り捨てた。

 返答に詰まり、千束は相槌も打てない。

「今は面倒なので放っている。特に困ることもないからな」

 火郷には本当に気にしている様子がない。いっそ潔いほどの関心の無さが伺えた。

 子供はどう思っているんだろう――なんとなく千束はそんなことを思ったりした。


 二人は城内から外へ。城から続く緩やかな斜面を登って行くと、木製の柵が見えた。

 扉を護る護衛官が火郷へ礼を取り、恭しく扉を開けた。

「薬師殿、こっちだ」

 火郷は歩を進める。千束も数歩遅れて、その後に続いた。

 緩やかな坂を少し上り、登り切ったところで千束は目の前に広がる光景に息を飲んだ。


 眼前に広がるのは黄色の波。

 輝くような黄色の花が見渡す限り広がっている。

 日の光の加減だろうか。きらきらと輝いているようにも見える。そんな黄色の波の中に、ちらほらと赤い色が見える。火の藩国の人が立ち働いているのだ。

 坂を下り、薬草園に近づいていく。立ち込める匂いに思わず顔を顰めた。右手の甲で鼻を押さえる。

 嗅いだことのある匂い。これは、調薬室に残っていた匂いに似ているとすぐに気が付いた。


「匂いが気になるか?」

「はい。花としては、かなり強い匂いですね」

 鼻を刺激するような不快なものではないが、如何せん濃厚すぎる。噎せ返るような匂いというのは、こういうのを言うのだろうと思った。

「気分が悪くなったりはしていないか?」

「そこまでは」

 千束が首を振ると、火郷は「そうか」と思案する素振りを見せた。

 もっと近くで花を見ようと足を踏み出したところを、火郷に止められた。

「これをつけろ。念のためだ」

 渡されたのは口と鼻を覆う布。不思議に思っていると火郷が言った。

「この匂いで体調を崩すことがある。どうやら薬師殿は平気のようだが念のためだ」

 そう言う火郷には布を着ける気配はない。

「藩主様はいいんですか?」

 火郷は「ああ」と応じた。

「おれは耐性があるから問題ない」

 耐性――という言葉に、千束の表情がすっと真面目になる。


 見たことのない花だった。初めて目にする薬草だった。

 一輪一輪は大きなものではない。茎から複数の花柄が伸び、その先には丸みを帯びた花弁が筒状を成し数多揺れている。

 新種だろうか? 顔を一層近づけてみる。一息、鼻に吸い込む度に、わずかだが鼻の粘膜に纏わりつくような感覚を覚える。これは初めての経験だった

 頭の中で、薬草図録を忙しく捲っていくが、見覚えがない。新種だとしたら、すごいことだと胸が踊り始める。


「これの薬効は? 何を作っているんですか?」

「不老不死の薬だ」

「…………は?」

「不老不死の薬だ」

 聞き間違えではなかったと、千束は隣に立つ男をまじまじと見つめた。それから薬草園に視線を移す。

「薬師殿には、それを完成させて欲しい」

「お断りします」

 千束の中の高揚感が一瞬で叩き落され、代わりに言い知れない感情が沸き起こる。

 自分はどうやらがっかりしているらしいと気づく。一体、何に対して、こんなにもがっかりしているのだろうと千束自身でも不思議なくらいだった。

「というか無理です」

 虚無感の中に怒りが混じるのを覚えながら、きっぱりと千束は告げた。

 千束の双眸に浮かぶ強い光は、火郷を軽く瞠目させるほどのものだった。

 伊那と引き離されそうになれば取り乱し、つい先程までおろおろと気弱な物腰だったのが嘘のようで、一瞬、別人を見ているかのような錯覚に陥るほどの変化だった。

「そんなものは不可能です」

 それは薬師の領域ではない。人の領域を外れたものだ――千束は決然と言い切った。


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