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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第二章 襲来
15/37

5 拘引 

 鈍痛と吐き気で千束の意識は浮上した。

「う…………」

 小さく唸り、身動きしようとして、ひどく身体が重いことに気が付く。

「……大丈夫?」

 不安そうな心配そうな声をかけられて、千束はうっすらと瞼を押し上げた。

「伊那……?」

「そうよ。なんで、千束がいるのよ……」

 伊那の声は震えている。

 驚いて顔を動かすと、床に転がる千束を覗き込むようにしている伊那がいた。

 伊那の顔は泣き出しそうで、そんな表情を見るのは子供の頃にもなかった気がして、千束は眸を瞬いた。


「どうしたの……?」

「どうしたのじゃないわよ。どうしたのは、こっちが言いたいわよ……」

 伊那の言葉の意味が解らず、顔が良く見えるように態勢を変えようとして、千束は呻いた。ぐっと吐き気を堪える。

「ねえ、大丈夫なの? ねえ、顔真っ青よ。どこか痛いんじゃないの?」

「……気持ち悪い。頭が割れそう」

 伊那が小さく飛び上がる。辺りを見回すが、助けなど期待できるはずもない。

「なんてもの嗅がせるのよ……配合、めちゃくちゃ……」

 切れ切れに千束が怨嗟を吐く。


 二人は比良に言われた通り、地下貯蔵庫に隠れるつもりだった。

 だが、貯蔵庫の扉を持ち上げることができなかったのだ。

 昨日までは異常はなかったのに、蝶番が壊れたのかなんなのか、千束と由基二人の力ではびくともせず、苦闘していたところに、男が現れた。

 突然、小屋に押し入ってきた男は太刀を持っていた。

 千束に手を伸ばそうとした闖入者に果敢に挑み、その男の足にしがみ付いた由基は引き剥がされて蹴り倒された。悲鳴を上げて由基に駆け寄ろうとしたところで千束は薬を嗅がされて――今に至る。


「由基、由基は……!?」

 伊那が首を振る。

「いないわ。ここには」

「ここ……? ここ、どこ……?」

「わかんない」

 身体を起こそうとするが、再び眩暈と吐き気に襲われる。身体を丸めて、なんとかやり過ごす。ぎゅっと瞑った目をあけると、やはり泣きそうな顔の伊那がいた。

「大丈夫。大丈夫よ。伊那は? どこもなんともない?」

「大丈夫よ! 人の心配している場合じゃないでしょ!」

 小さく叱りつけるような声に、千束は小さく笑った。そして、不安そうに自分を見つめている面々がいることに気が付いた。

「え……?」

 里の学び舎で机を並べていた里の娘たち。

 身体の弱かった千束は学び舎を休むことが多く、あまり交流は持てなかった。会えば挨拶はするくらいの間柄だ。

 その娘たちが五人固まって、少し離れたところから見ている。


 状況が分からず固まる千束に、伊那が耳元で囁いた。

「皆、里から連れてこられたのよ」

「連れて……?」

 千束は、まだ里が襲われたことを知らない。

「……なんで……?」

 千束の茫然とした呟きに、ぎゅっと伊那は眉間に皺を寄せた。


 ここまで全員、薬で――眠り薬の類だろう――意識のない状態のまま連れて来られ、千束が目を覚ます少し前に皆、気が付いた。

 そして、探りあいながら、少しだけ情報の交換をした。

 判ったのは少なくとも伊那以外は皆、不意を襲われて連れて来られていたということ。


 千束は伊那に助けられつつ身体を引き起こすと、壁に背中を預ける。胃の腑を押さえつけられたような吐き気と鈍痛に意識が持っていかれそうになる。

 呼吸を整えようと息を吐き、千束は周囲を見回す。

 里長の館の広間ほどではないが、それなりに広い部屋だった。天井も高い。だが、装飾品も家具も何もない。普段は使われていないのかもしれない。掃除が行き届いているとはいえない部屋だった。当然、扉には鍵がかかっており、窓はあるが嵌め殺し。窓から見えるのは雑木林。

 その伽藍洞とした部屋に、自分たちだけ。


 里が襲撃を受けたことを聞かされた千束は「え……」と呟いて絶句した。

 伊那は、自身が千束の代わりに連れて来られたことには触れなかった。

 千束が気にするのを避けたかったのもあるが、何よりも他の五人に知られたくなかったのだ。


 伊那はちらりと少し離れた場所でこちらを伺っている少女たちを見た。

 五人の中に、薬師の卵が三人。

 まだ彼女たちは調薬小屋を持てず、薬師として独立していない。

 そして、彼女たちが千束に対して好意的ではないことを伊那は知っていた。

 子供の頃はそんなことはなかった。

 恐らく同じ道に進んで生まれた、やっかみ――多分にそれがあると伊那は思う。

 不思議なことに薬師の卵たちは里の問題児の千種に憧れる者が多い。それに比例するかのように、千束に鬱屈した思いを抱く者が多い。

 中には千束が里長の孫だから優遇されているとか、千種の威光にあやかっているだとか――本気でそう思っているのなら頭は大丈夫かと言いたくなるが、そんな風に口さがなく言う者もいるのだ。


「ねえ」

 五人の少女の中で、一番しっかりと気を保っている少女――沙耶(さや)が二人に呼び掛け、膝歩きでにじり寄ってきた。他の四人も少しでも離れるのが恐いとでもいうようについてくる。

 壁に背を預ける千束。その隣に伊那。里の娘たち五人が千束と伊那を取り囲むように腰を下ろした。


「大丈夫そうなら話を聞きたいんだけど……」

 沙耶は警戒したような表情で千束を庇うようにくっついている伊那に苦笑した。

「別になにもしないわよ」

 ちらりと沙耶が後ろを見やる。沙耶も自身の後ろにいる友人たちが、千束に対して良い感情を持っていないことを知っているのだ。

 伊那と沙耶は同じ外商班に所属している。お互い見習いという立場だ。

「顔色が悪いわね。横になってた方が良いんじゃないの?」

 沙耶の言葉に、千束は首を振る。横になったら、そのまま意識を手放してしまいそうだから。

「そう? 話はできそう?」

 情報の擦り合わせをしたいと言い出す沙耶。伊那が自分が代わりに答えると言う前に、千束が頷いてしまう。外商班にいる人間は情報に貪欲で嫌になると、己を棚に上げつつ、伊那は内心で唇を噛む。


 沙耶主導で情報のすり合わせが始まる。

 そして、薬草園で千束が捕らわれたことを知った面々が瞠目する。

「あんな場所、普通、気づく……?」

「わかんないけど……でも」

 千束がここにいるのは事実である以上、沙耶の後ろにいる少女たちも困惑しつつも頷くしかない。

「由基が心配だわ……」

 泣きだしそうに顔を歪めた千束に、伊那が身を寄せる。

「大丈夫、大丈夫よ」


「薬で眠らされたといっても、そんなに里からは離れていないと思うのよね」

 自分たちがいる場所がわかれば――と言う沙耶に、後ろの少女たちが頷く。

「せいぜい半日かそこらだと思うわ」

 空腹も感じていない。薬で眠らされていたとは言え、そんなに遠くには来ていないはずと薬師の卵たちが口々に言う。

「……そうとも限らないと思う」

 わずかに首を傾げて言った千束は、薬師たちの卵たちから揃って鋭い視線を投げかけられてたじろぐ。それを見た伊那からじろりと睨み返されて、今度は卵たちの方が狼狽えたように視線を外した。

「なぜ、そう思うの?」

 沙耶の問いに、千束は薬師の卵たちの視線に少し怯えながら「私と他の人たちが嗅がされた薬が同じだったとしたら」と前置きしてゆっくりと呼吸しながら続けた。

「最近、発表されたばかりの薬なんだけど、感覚や意識そのものを眠らせることができて、投薬量でそれを調整できるものがあるの」

「それって、まさか仮死薬?」

 少し難しい顔で問うた伊那に、千束が頷く。

「治療の幅が広がるって注目されていたけど、副作用が一定数出ることもわかって、問題視されてきてるやつよね」

「そう、それ。なんか口の悪い人が呼んだ名前が定着しちゃったのよね」

 伊那の知識に「すごいね」と感心する千束。手放しで褒められたが、難しい顔のまま伊那は更に問う。

「副作用って?」

「個人差はあるんだけど、主に頭痛に吐き気。倦怠感」

 まさに千束を今、襲っている症状。

「どの程度眠らせておけるの?」

「二日でも三日でも可能ね。でも、お勧めはできないかな」

「……つまり、それが使われてたとしたら、かなり遠い場所まで連れて来られてるかもってことね?」

 沙耶の問いかけに、千束は少し申し訳なさそうな顔になる。

「移動距離を推測するのは、ちょっと難しいと思う」


「なんでそう言い切れるのよ!」

 沙耶の後ろから声が飛んでくる。

「私たち、どこもなんともないわよ!」

 副作用なんてないと言われて、伊那は片眉を上げた。

「だから、一定数って言ったでしょう」

 静かに伊那が言う。言外に「薬術を学んでいるのに」という響きを感じ、少女たちの頬に朱が登る。それを打ち消そうとするように一人の少女が激しい口調で声を上げた。

「で、でも! その薬だっていう証拠なんてないでしょ!」

 千束は緩く首を振る。

「私が嗅いだのは、その薬に間違いないわ」

「だから、なんでよ!?」

 薬師の卵たちの声に、千束は「嗅いだことあるから」と言う。

「しかも余計なものも配合されてた」

「は?」

 少女たちが目を丸くする。


「……あ!」と声を上げたのは伊那。

「まさか自分で試したのね!? ちょっと前にげーげー言いながらひっくり返ってた、あの時ね!?」

「あーうん。それ、かな?」

「それかな? じゃないわよ! 人体実験紛いなことはやめろと言ったでしょうに!」

「や、でも、自分で試してみないと効能とか……」

 伊那の剣幕にしどろもどろで応える千束に、他の少女たちが驚き、半ば呆れたような表情になる。

「そんなの恒矢あたりに盛ればいいのよ! あんたと違って頑丈なんだから!」

「え、それはちょっとまずいよ……」

「まずくない! 少しは自分の身体を考えなさい!」

 千束を叱り飛ばす伊那。沙耶が慌てて「ちょっと……」と助けに入る。最初の頃こそ声を潜めてやり取りしていたが、今はもうその配慮もなくなっている。

「で、でも、そんなそれで同じ薬だってわかるわけない……」

 薬師の卵の一人が言う。千束は首を傾げた。

「え? でも一度嗅いだから、わかるわ」

 断言されて、薬師の卵たちが顔を引き攣らせる。

「なるほど、確かに天才ね……」と沙耶は小さく呟き、振り出しに戻ったことに沈痛な面持ちで顔を歪めた。

「わかるわ! じゃないわ」

 伊那に頬を引っ張られ、千束は小さな悲鳴を上げる。

「ちょ、ちょっと伊那……」

 具合の悪い人間の頬を容赦なく引っ張る伊那に沙耶が慌て、「いふぁい……」と千束が弱々しく抗議するが、伊那の手は緩まない。


 沙耶の後ろで、ぐすりと鼻を啜り上げる音がした。

 半日、長くて一日として自分たちがいる場所を割り出そうとしても無理かもしれないことに、少女たちの表情が深く沈む。

「なんで、私たち連れてこられたのかしら……?」

 一人がぽつりと呟く。

「なんで私たちだけ……!」

「どうなるの私たち……」

「ねえ、私たちどうなるの……!?」

 沙耶の後ろにいる少女たちが声を押し殺して泣き始め、沙耶の口からも嗚咽が零れる。

 ぐっと不安を飲み込みながらも、千束は泣き出してしまった少女たちを慰めようと言葉を探すが出てこない。おろおろして伊那に視線を向けると、真っ青だった。

「伊那?」

 どこかが痛むのかと驚き声をかける千束に、伊那は緩く首を振る。

 伊那は逡巡していた。

 伊那はまだ自分が攫われた時の状況をわざと説明していない。

 この中で、里長の館の前にいたのは伊那だけだった。

 襲撃者は名指しで「千束」を求めた。

 襲撃者たちは誰も千束の顔を知らなかった。

 そして、日名宇の里から連れ来られたのは、千束と同じ年頃の娘ばかり。

 同じく加護持ちと言われる千種。その他の幾人かの薬師たちは、里を代表する薬師として里の外にも積極的に出ているため、その風貌は知られている。


 あの時、頭目は伊那に「いくつか?」と訊ねた。

 妙だなと、あの時も伊那は思ったのだ。

 性別と年の頃が同じだったから受け入れただけで、恐らく名乗りを上げた伊那を頭目たちは信じていなかったのだろう。

 だから、他にも同じ条件の少女を攫ってきたのではないか。そんな考えが伊那の中で慌ただしく、ずっと駆け巡っている。

 そんな雑な連れ去りなどあるものか、と思う一方で、それほどまでに千束を手に入れたかったということなのかと恐怖する。

 その理由など解りようもないが――目覚めて以来、思案し続けている伊那は暗澹たる気分に支配されていた。


「伊那?」

 伊那は、心配そうに見つめて来る友人を見つめ返し、緩く首を振った。

「大丈夫、大丈夫よ……」

 すすり泣く少女たちに、もしかしたら身代わりで連れてこられたのかもなどと言えるはずがない。

 恐怖に竦み上がる彼女たちに、「千束と思われて」などと言えばどうなるか――伊那は恐れた。その可能性に気づかれたくなくて、伊那は隠した。

「伊那、でも……」

 伊那は小さく首を振る。

「大丈夫。痛いところはないわ」

「本当に?」

「本当よ」

 そう答えながら、伊那は猛烈な勢いで思考を巡らしていた。

 もし彼女たちが千束と間違われて連れて来られていたとしたら、恐らくすぐに明るみに出る。

 自分たちを連れ去った者たちが現れたなら――伊那が千束ではないことは、きっと隠し通せない。

 千束がおらず、五人の少女がおらず、自分一人だったなら何とでもしたのに――打開策を見出そうと頭を掻き毟らんばかりに懊悩する伊那の前で、千束の身体が揺れた。


「千束!?」

 千束の顔色は真っ青を通りこして土気色。ずるずると壁に沿うように崩れた身体を伊那が受け止める。ゆっくり自身の膝に千束の頭をのせると、見守ることしかできないことに唇を噛みしめつつ、じっと目を凝らして千束を見守る。

 薬もない今、もし発作が起きたら大変なことになるのを知っているから、兆しが訪れないように必死で祈る。


「え……? な、なに?」

 沙耶たちが啜り泣きを忘れて、固まる。

「え……ちょっと大丈夫なの……?」

「やだ、なんなの?」

「さっき頬を引っ張ったから……」

「人聞きの悪いこと言わないで!」

 沙耶たちの言葉に苛立ちを感じつつも、伊那は呼びかける。

「千束、千束」

 うっすらと千束が瞬きをし、ほっと伊那は息をついた。

 しばらくそうしていると浅い呼吸も、ゆっくりと安定し始める。

「千束」

 そっと名を呼ぶと、千束がわずかに申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

 どうやら発作につながるものではなかったらしいと身体から力が抜けそうになるほどに伊那は安堵した。


「ごめん……」

「馬鹿ね。謝る必要なんてないわよ」

「うん……」

 伊那は千束の額に張り付いた髪の毛をそっとはらいながら言う。

「ほら、いいから、もう少しこのまま大人しくしてなさい」

「……ひどい薬よ。なんで皆、平気なの……?」

 ぼそぼそという千束に、伊那は苦笑した。危機を脱したなら、とりあえずは大丈夫。 長年の付き合いで伊那はよく知っているから、こんな軽口も叩ける。

「千束よりは頑丈だからかしらね。よっぽど薬が合わなかったのね」

「ん……。びっくりして思いっきり吸い込んじゃったのよ。吐きそうなくらい気持ち悪い」

「吐いちゃいなさいよ」

「これ吐いても駄目なのよー……」

 とにかく薬が抜けるのを待つしかないという千束に、伊那の額に青筋が浮かんだ。

 吐くという言葉に一気に少女たちは距離をとる。そんな彼女たちを軽く睨みながら、もそもそと起き上がろうとする千束を制し、まだ休むように言おうとしたとき、扉の鍵が開く音がした。


 部屋の扉が開く。

 軋みもなく扉を開けたのは、二人の男だった。



 ◇◇◇



 靴音を響かせながら入ってきた男二人に日名宇の少女たちは凍り付いた。

 一人は、自分たちを攫った連中を統率していた男――頭目。

 もう一人は、その前を歩く若い男――二十代半ばほどの男の髪は赤く、その眸もまた赤い。

 燃えるような鮮やかな赤。


「あ…………」

 誰かの口から声が漏れるが、それ以上の言葉にはならず霧散する。


 ゆっくりとした足取りで赤い髪赤い眸の男は、伊那たちの前までやってくる。

 男の纏う色に驚愕し固まる日名宇の娘たちを見下ろし、男が口を開いた。

「どれが薬師だ?」

「その娘です」

 頭目が伊那を示す。

「え……?」

 日名宇の少女五人の視線が伊那に集中し、伊那は舌打ちしそうになる。

 頭目の指先を視線で追い、男はちらりと頭目の顔を見やると、口角を釣り上げた。

「薬師は、そっちの娘だ」

 男は違わずに千束を示した。

 ぴくりと頭目の頬が動き、更に男は冷笑を浮かべて言を紡いだ。

「そんなに指先が奇麗な薬師がいるものか。薬師は、その娘だ」

 薬草を常に扱う千束の指先は、男が言うように草色が染み込んでいた。


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