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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第二章 襲来
12/37

2 緊急信号

「賊?」

 比良が三角巾を外しながら問う。千束はがくがくと頷くが、言葉が出てこない。

 比良は息を切らして座り込んでしまった千束から、まったく息を乱していない由基に顔を向ける。由基は、どこか不思議そうに千束を見ている。


「由基も見ましたか?」

「見た。麓の道を登って来てる」

 それを聞いた比良は、まず手早く鍋の火を消した。


 由基が差し出した遠見鏡に、比良は「なるほど」と頷いた。

 由基が母親から譲られたという遠見鏡。比良も幾度か覗いたことがある。その倍率から巨木から見たという人間の位置に当たりをつけ、比良は唇を引き結んだ。

 そんな二人の横で千束は、まだぜーぜー言っている。由基が千束に水を手渡す。杯ではなく口の広い椀に注いできたあたり、よく気の付く子である。


「どんな人たちでした?」

「鎧着てた。先頭の何人かは馬に乗ってた。その後ろに何人か――何人いたかは解らなかった。靄がかかって、良く見えなかったんだ」

「そうですか」

「先生、今来てるのは悪い奴らなのか?」

 由基が問う。怯えより戸惑いが浮かんでいる。

「わかりません。そうでなければいいんですが」

 比良は一瞬思案した後、ごそごそと荷物に中から細長い棒を数本取り出した。

「せ、先生? なにを……?」

 目を丸くする千束の前を横切り、比良は外へ出ていく。

 慌てて追いかける千束と、よろめく千束に心配そうに手を貸す由基。


 朝靄はもう晴れていた。

 比良は棒をぐさりと地面に突き刺すと、先端の筒から伸びている導線に火をつけた。

 しゅっと音を立てて、何かが空高く飛んでいく。


 ぴいいいいいいいい


 鳥の鳴き声にも似た甲高い音を鳴らしながら鮮やかな黄色の煙とともに。

 そして、煙をたなびかせたそれは頭上でぱあんと弾け、黄色と黒の煙が散る。

 比良はそれを四度繰りかえすと立ち上がる。

 頭上でなった音が木霊となって、周囲に響いていく。


「えええええ!?」

 音が木霊するなか、千束の悲鳴が上がる。

「かっこいー」

 きらきらとした眸で由基が空にたなびいている煙を見つめている。

「せ、先生!?」

「緊急信号です」

「いえ! それは判ります。判りますけど!」

 こんな目立つことをして大丈夫なのかと千束は激しく動揺した。 


「ちなみに今のは里への侵入者を見つけたときに上げるものです」

 比良の教えに、由基がどこか興奮した口調で「すげー」と呟く。

「初めて見た!」

「ええ。私も初めて使いました」

 そんなこと千束も初めて知ったが、それどころではない。

「見つかったらまずいんじゃ……!」

 焦る千束が言いさしたとき、再び「ぴいいいいい……」という音が響き、頭上でぱあんと弾ける音がした。


「里の方からですね」

「緑色だ!」

 上空に残る煙を由基が目を真ん丸にして指差す。

「了解したという合図ですね」

「へええ~。初めて見た!」

「使うこと、滅多にありませんからねえ」

 危機感など全く感じさせない口調で比良が頷く。

「あ、また来た」

 由基は打ち上がった煙を追いかけていく。


「せ、先生……? こ、こんな目立つことしたらまずいんじゃ……」

「大丈夫ですよ。里長様からの指示で、不審者を見つけたら直ちに知らせるようにと言われていますから。これで、こちらに気づかれたと知って引き返してくれるといいんですが」

「そ、そういうもんなんですか!?」

 千束は頭上の、うっすらとなっていく煙を見つめる。

「そうだったらいいんですけれどね。まあ、どういう目的で来るのか解らないので何とも言えませんけど」

「え、でも……侵入者の合図って……」

「外からのお客様なのは確かでしょう?」

「そ、それは……はい」

「訊ねて来るには、少し非常識な時間ですし」

 千束はそこには強く同意して頷く。

「普通の商団だったらそれはそれで良いんですよ。ただ、もし彼らの目的が良からぬものだったなら、少なくとも備える時間は必要です」

「あ……」と千束は呟き、さっと面を赤くした。

「す、すみません」

 千束は恥じ入ったように小さく呟く。

 もし彼らが本当に里を襲うつもりなら、早めに知らせることで少なくとも避難が必要な者たちを逃がす時間が作れるかもしれない。そして、何も知らずに襲われるより、恐らくいい。


 恐怖ではない震えに小さくなっている千束に、比良は苦笑する。

「武装した人を見たら、慌ててしまうのは当然です。色々聞いているから、悪い方へ考えてしまうのも無理はありませんし」

 千束は首を振る。

「里の人たちのことを考えてませんでした――恥ずかしいです」

「大丈夫ですよ」と苦笑しつつ、俯いていく千束の頭を撫でる。

「そんなつもりじゃなかったことは判っていますから」

「姉ちゃん、どうしたんだ?」

 しょんぼりとしている千束に戻ってきた由基が首を傾げる。

「うん……ちょっと反省中……」

「そうなのか?」

「うん」

「よくわかんないけど、元気出せ。姉ちゃんの作る薬はすごいぞ」

「二人ともいい子ですね」

 比良がにこにこと笑う。

 比良に頭を撫でられて由基が面映ゆそうにし、それから照れたようにその手から逃げ出すと、くるりと千束の背後に隠れた。


「おや。逃げられてしまいましたね」

 くすりと笑う比良に、由基が少し唇を尖らせて早口で言った。

「そんなことより早く里に戻ろうよ」

「いえ。二人はここで待っていてください」

 比良の言葉に、千束と由基がぴたりと動きを止める。

 

 二人をここに残すか、三人一緒に里に戻るか。

 比良も迷った。だが、迷いは一瞬で、危険度を測る天秤は残す方へあっさり傾いた。

 この薬草園は里を通らなくては来ることができないからだ。

 子供たち二人を残すことに不安は皆無ではないが、里よりは安全だと考えた比良は首を振った。


「二人はここで待っていてください。里の様子は私が見てきます」

「嫌です!」

「嫌だ!」

 二人は口々に反対を述べ「一緒に行く」と見事に同時に発した。

「二人とも息ぴったりですね」

「先生!」

 重なった声に、比良が小さく吹き出すが、すぐに真顔できっぱりと拒否した。

「駄目です」


 由基がずいと前に出た。

「悪い奴らなのかもしれないんだろ!? 俺、知ってる! 今、薬師が襲われたりしてるって!」

 千束と比良の視線に、由基は声の勢いを落とす。

「父ちゃんに聞いたんだ。今、旅巡するのは危ないから、母ちゃんたちが戻るのはもう少し遅くなるだろうって。薬草とか持ってる薬師は危ないからって。ええと、里に来てるあいつらがなんなのかは判んないけど。でも、だから……」

「由基にはきちんと話しておくべきですね」

 必死に言い募る由基に、比良は小さく頷いた。

「薬草を持つ薬師が狙われたように、薬師の里が狙われることがあるんじゃないかと里長様たちは心配して、警備を強化しています。不審者がいたら、すぐ知らせるようにと言われていますので、緊急信号を打ち上げました」

「里を襲いに来たってことか!? やっぱり悪い奴ら……!」

 由基が理解できたと声をあげるが、比良は「うーん」とわずかに首を傾げた。

「千束は薬草を狙って里に来たのではないかと考えたようですが、今、里に来ている人たちが悪い奴らなのかはわかりません」

「なら、一緒に行っても……!」

 比良は少し困ったような笑みを浮かべながらも、やはり二人の要望をきっぱりと拒否した。


 結局のところ、二人は残ることに頷くしかなかった。

 元々、有事の際の取り決めとしても、千束と由基は非戦闘員枠にある。

 まずは避難もしくは退避。自身の安全確保を最優先とすることになっている。

 それを持ち出されてはぐうの音も出ないし、千束は体力面からみても自分が足手まといになるとほぼ確信できた。

 千束は嘆息するしかない。

 気負う様子もなく里に下りようとする比良に、それでも千束は不安で手を伸ばしかけ、由基の視線を感じて手を止める。

 自身の行動が、由基を不安にさせてしまうと、ぎゅっと拳を握りしめた。

「……先生、気を付けてくださいね」

「大丈夫ですよ。案外、薬草を買いに来た商人とその護衛かもしれませんし。今は薬草を扱う商人たちはかなり警戒しているでしょうから、護衛を増やしている可能性もあります。商人が里に直接買い付けにくることはありますし、こんな時間なのも、人目を避けたと考えることもできなくはないでしょう」

 そうだろうかと思いながらも曖昧に千束は頷くしかない。


「悪い奴じゃないかもしれない?」

 由基の問いに、比良が頷く。

「最悪、賊だった場合、撃退できれば、それが一番ですが、薬草が狙いなら渡してしまえば良いんですから」

「え……!?」

 目を剥いた千束に、比良が小首を傾げる。

「おや。そんなに驚くことですか? 里の人々が無事なら、里長様は間違いなくそうすると思いますよ」

 千束は迷いながら「でも、それだと……」と言葉を濁す。

「ええ。そうですね。それで済むとは思えません。今回一度きりで済めばいいですが、彼らのような人間は味を占めれば、何度でも繰り返す。どんどん要求も高くなっていくことは容易に想像できます。なので、そうならないように捕まえてしまわなくてはなりません。ですが、それはとりあえず今でなくても良いのです。敵わないのなら、今は被害を最小限に押さえることです」

 千束は比良の言い分は理解できるが、やはり納得はできかねた。由基はぎゅっと眉間に皺を寄せている。時折、戸惑うように千束に視線を向けるので、恐らくすべて理解はできていないのだろう。

「欲しいというなら渡して、さっさとお引き取り願うことが重要です。そのあたりは護士や里長様たち長老衆に任せておけば良いんですよ」


「先生、無事に帰ってくる?」

 由基の問いに比良が珍しく声を立てて笑った。

「もちろんです。わたしは以前、流しでしたからね。逃げ足には自信があります」

「……変な自信だなあ」

 由基の率直な感想に、「ふふ」と比良が笑う。


「由基、ここで一緒に待っていよう」 

 諦めたような千束の声に由基は一瞬泣きそうな表情になり、そしてこくりと頷いた。

 二人に念のため、山小屋の貯蔵庫を兼ねた地下室で待つように言い、比良はにっこりと笑う。

「戻って来たら、一緒に朝食を食べましょうね。今日の朝食は自信作ですよ」

 満面の笑みで言われ、千束と由基は顔を見合わせ苦笑する。


 そして、比良はそのまま里へ下って行った。

 里人から声を掛けられないうちは地下貯蔵庫から出ないように言い置いて。

 その表情が厳しく、その双眸に焦りが滲んでいることに二人が気づくはずもなかった。

 二人は手をつないで、その姿が見えなくなるまで見送って、やがてぽつりと「戻ろうか」と千束が言い、由基が頷いた。



 ◇◇◇



「里長様……!」

 館に飛び込んできた副長に里長が頷く。

「ああ。聞こえた。どこからだ?」

「上の薬草園からです」

 玄関口で行き当たった二人は足早に館を出る。

「先生か」

 続く緊急信号を目にして、里長が唇を引き結ぶ。

「なぜ上からなんだ……」

 巨木の存在を知らない里長たちは訝し気な表情になるが、すぐに気持ちを切り替えると指示を飛ばしていく。

 まずは緊急信号を了解した旨の合図を打ち上げる。

 そして、すぐに里へ向かってくる集団の存在を把握する。

「武器を持っているようです!」

 報告に俄かに慌ただしさが満ち、殺気立つ周囲。

「何者だ!?」

「数は!?」

「とりあえず、避難の誘導を!」

 ばたばたと走り回る足音が響く。


「これも外との繋がりを持った弊害か……」

 隠れ里が隠れ里のままで在り続けたなら、起こり得なかったかもしれない。

 だが、隠れ里から外との繋がりを求めた当時の里長の判断を責める気はない。それは必要な決断だった。こういった危険を孕むことは致し方のないことだ。


「目的はなんでしょう……」

 副長の問いに、里長は一瞬だけ瞑目した。

「さて……穏便にお引き取りくれればいいのだが」

 腕組みをして里長は、そう呟いた。


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