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薬師の娘  作者: 佐原万葉
第二章 襲来
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1 やってくる者

 朝靄の中、千束は冷えた両手に息を吹きかけた。

 少しずつ朝靄が薄れていく中を危なげなく歩きながらも、ぶるりと身を震わせ、首元に撒いた襟巻をぎゅっと強く巻き付ける。


 普段住まう里より標高の高い場所にある薬草園――ここに一年に一度だけ花をつける薬草を摘むために二日前から山小屋に滞在していた。

 今朝方には咲くと見込んでいたが、冷え込みがこれでも足りなかったようで開花には至らなかった。


 千束は霜の降りた地面をざくざくと踏みしめながら歩く。

 一緒に小屋に滞在している由基を探して。

 少年というにはまだ幼いが、母譲りの気性なのか齢六つの由基はとてもしっかりしている。そんな彼は里を見下ろせる巨木に上って眼下を見つめていた。


「由基」

 なんとなしに大きな声で呼ぶのは気が引けて、そっと声をかける。

「ご飯できたよ。降りておいで」

 由基は応えない。ただ遠くを見つめている。

 無視されたような千束だが、怒ろうとはしなかった。


 里長の館に呼び出されてから五日。

 すでに真静が提示していた十日を過ぎてしまった。

 相変わらず千種たちは戻らない。

 その後、「新種違い」だったとの定期連絡が真静から来た。ただ、その薬草が珍しいものであることには間違いなく、激しい折衝の上――真静の活躍による――薬草を手に入れることに成功したが、千種の調薬熱に火がついて、そのまま街の寄り合い所にある部屋を調薬室として占拠してしまったという。

 その連絡を受けた里長は、どこか遠くを見ながら「居所がわかっているならいい。いっそ、そこにずっと押し込めておけ」と返していたらしい。

 今度はどこの同業の里から苦情が入るか、どんな散財をやらかすかと痛む胃を押さえていた里長は、真静たちのお陰でなんとか穏便に済んだと密かに涙をぬぐっていた――という噂だ。


 だが、そんな大人の事情は子供には関係ない。

 由基は母を恋しがるような素振りを見せないが、まだ六つ。その心細さはいかほどか。

 父親は一足先に戻ってきていたが、由基の伯母の話では、日に日に言葉数が減っているらしい。夜にこっそり泣いていたこともあると聞いた千束は、その場で遠くの母を罵り倒した。

 年の割にしっかりしている由基は人前で寂しそうな様子を見せず、それがかえって周囲の大人たちの涙を誘う。千束は申し訳ない気持ちで一杯になる。申し訳なさが、順調に母への怒りに転換していく。


 だから、比良の発案で千束たちは由基を誘い――頑張っている由基の気が少しでも紛れればと――この年齢の子らであれば普通は連れてこない薬草園に連れてきていた。

 しかし、盲点だったのは薬草園から更に少し上った先に麓から里に続く道が見渡せる巨木があったことだ。


 なぜ、そんな木があるの。なんでそんな木を見つけちゃったの――と千束たちは天を仰いだものだった。

 けれど、登るなとは言えない。

 ましてや花も咲かないのに里に戻すわけにもいかない。

 由基はこの薬草園に来てから、暇なときはいつもここにいる。

 気を紛らわせることができればいいと思ってのことだったが、ここに連れてきたのは逆効果だったかもしれないと千束たちは後悔していた。

 花が咲いたら、さっさと里に戻るのに、花は咲かない。


「由基? 先生も待ってるよ」

 そっと声をかけると、由基がなんだか不思議そうな表情を千束の方へ向けた。

「千束姉ちゃん」

「なーに?」

「誰か登って来るよ」

 千束は眸を瞬いた。

「こんな時間に?」

「うん」

「誰かしら」

「わかんない」

 誰何したものの、里長の帰還命令に慌てて戻ってきた里人だろうと、特に千束は気にすることなく頷いた。

「そうよね」

 小さな里とはいえ、すべての里人の顔を見知っているわけではない。けして千束が調薬小屋に引きこもり気味だからではなく。

「でも、里の人じゃないと思う。馬に乗ってる人もいるよ。なんだろあれ、えーと鎧?」


 不穏な響きに千束はがっと巨木に足をかけると、幹に手を伸ばす。

 運動は得意ではない。ぜいぜい言いながら、なんとか由基のところまで登りきる。少し由基が残念そうな目をしていた。

「登れたわ……!」

「……姉ちゃん、大丈夫か?」

「え?」

「手、擦りむいてる」

 千束、初めての木登りである。両の手を見れば、あちこち擦りむいているが、あまり痛みは感じなかった。

 大丈夫だと答えると、由基は疑わしそうな顔をしてみせた。

 なんとか幹を背にして枝に腰を降ろした千束に、遠見鏡を渡して由基が言う。

「そのままじゃ無理だよ」

 朝靄が邪魔をし、千束は思わず目を細めるが、それでも下は随分朝靄が薄れてきている。その切れ目からのぞくそれは……。


「見えた?」

 武装した者たちの姿に、ひゅっと千束は息を飲んだ。

 武装した集団すなわち賊という図式が一瞬で脳裏に閃く。

 千束は混乱する。

 彼らが登ってくる道は里に続いている。

「里の人じゃないよな?」

 千束は答えを持たない。

 けれど、確かに里の人間とは思えなかった。


 里で武装すると言えば護士。

 護士は基本、二人一組で行動する。そして、護士は薬師あるいは外商部の人間と一緒に行動する。情報収集などで単独行動をする場合もあるが、逆にあんなふうに護士だけで集団で行動するという話は聞いたことがない。

 登ってくる彼らの中に、どこにも武装していない人間が見当たらない。

 なにより装束が違う。護士にしては重装備過ぎる。


 千束はどくどくと脈が上がるのを感じ、堪えられぬように息を吐き出した。

「なんだろう?」

 千束の様子に気づきようもない由基は、ただ遠見鏡の向こうの様子に首を捻っている。

「こんな朝早くに。なにかあったのかな」

 由基の疑問に、千束は「そうと決まったわけではない」と思いなおすが、思いついてしまった可能性が頭から離れず、身体が小さく震えだす。


 今、登ってくる者たちが里を狙っているかは解らない。

 彼らが里を襲いに来たとは限らない――。

 けれど、武装した連中が里を目指してくる理由が他に思い当たらない。


 千束が里長の館に呼ばれた翌日には、『薬師が襲われる事件が起きている』ことが公表された。

 すべての旅巡が延期され、今後の営業活動にも影響するため、隠しておくことは難しい。ならば、早めに周知させた方が良いという判断だったらしい。

 薬草不足に陥るという噂から薬師が襲われる事案が、そのうち薬師の里が狙われるのではないかという話にまで発展していると聞いたのは、それからすぐのことだった。

 同時に里の警備が強化された。

 中老衆・長老衆たちは里長の館に連日詰め、伊那も恒矢も情報収集やら里の警備強化やらで忙しくしている。

 

 里長たちの説明に、里が大きく混乱することはなかった。

 その方針に「少し考えすぎでは?」という声もあがりはしたが、元より里人の危機管理意識は高い。旅巡に出れば何が起こるかわからないという認識が浸透していることもあり、よその里だが過去に賊に襲われた事例があれば、里長たちの懸念に否やを唱える者はいない。

 実際に里の持つ技術や情報を狙った採集者が入り込むことは時折ある。いつもすべて平和裏に護士たちに叩き出されて終わっているが。

 それならそれなりに備えをしましょう――概ねそんな感じで受け入れられた。

 一方で子供たちがぴりぴりしている長老衆たちを恐がり、怯えるので困ると零す保護者もいて、今の里はいつもより少し慌ただしいけれど、緊迫感というほどのものはなかった。


 そんなふうに感じていた千束は、結局のところ不安を感じていなかったのだ。

 軽視していたつもりはなかったが、今なら判る。里が襲われることがあるなんて思っていなかった、と。

 少なくとも自分は本気で思ったことはなかったのだ、と。

 

 しばらく自分たちの家に来るように言ってきた恒矢の家族。一人で出歩くなと言った伊那。

 一人住まいの自分を案じていたことは解ったが、少し大袈裟だとも思った。その温度差が危機感の差だったのかもしれないと、千束は血の気が引く思いがした。


「姉ちゃん?」

 黙り込む千束に、不思議そうな顔を由基が向ける。

 その様子に幼い子供たちは、おそらく警備が強化された理由までは理解していないのだと思い当たり、言葉に迷った。

「うわ!? 姉ちゃん!」

 ぐらりと均衡を崩し木から落ちそうになる千束に、由基が慌てて手を伸ばす。

「びっくりした……! 姉ちゃん、どうしたんだよ。しっかりしろよ」

 咄嗟に幹にしがみ付き、落下を防いだ千束だったが、混乱の中で、とにかくこれを伝えなければと思った。

「由基。小屋に戻ろう。先生に伝えなきゃ」

「う、うん」

 千束に腕を掴まれた由基は圧されるまま頷いた。

 ずり落ちるように木から降りる。

 由基は千束が震えている理由をわかってはいなかったが、千束のいつもと違う様子に黙って従う。

 千束は由基の手を握り、小屋へと急ぐ。

 早く早く早く――と。

 小屋が見えた。

 うっすらと朝餉の支度のための煙が登っている。

 千束は転げる様に小屋へ駆け込んだ。


「先生!」

 驚いたように、小屋の中にいた比良が振り返る。

 お玉を握り、白い三角巾に割烹着を来た比良が飛び込んできた二人に目を瞠り、しかし千束の動揺した様子に何かを感じ取り表情を厳しくした。

「どうしました?」

「賊みたいな……! 武装した集団が里に……!」

 千束は悲鳴のように叫んだ。

 千束の横で由基がただぽかんと立っていた。


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