溺愛宣言
卒業パーティの予行演習のため、学園の全生徒がパーティホールに集まるなか。
「君との婚約を破棄する」
そう言って、王子殿下が抱き寄せたのは男爵令嬢のベロニカ・ペルシカさん。学園で王子殿下が見出した最愛だけれど、王族に連なるには身分が低すぎると王家に反対されている方。
けれど王子殿下の婚約者である私が爵位を失った今ならば、彼女を婚約者にすることも不可能ではないでしょう。
「そうですね。今や私は学園の温情で在籍を許されているだけの平民ですもの。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
私が公爵令嬢であったのは、お父様がご存命だった一昨日までのこと。
突然の訃報に驚く間もなく現れた叔父一家に爵位を奪われお母様と共に除籍され、今や私はただの娘でしかありません。幸いなことに学費は支払い済みでしたから、学園に在籍していられるため衣は制服、食は学生食堂、住は学園の寮が利用できます。
それも、卒業までのあと数日だけですけれど。
「パパが死んじゃって偉くなくなっちゃって、王子さまとの婚約も無くなっちゃうなんて……かわいそうなルリ様」
王子殿下の腕のなか、ベロニカさんが目を潤ませています。相手の身分に関わりなくファーストネームで呼ぶのは彼女の悪癖。私の場合は身分を無くしましたから、良いのですけれど。
「ああ、ベロニカは優しいな。彼女が婚約者の座を空けないせいで君には苦労をかけたのに」
「そんな、わたし苦労なんて……アキレギア様のとなりにいたいだけなんだもの」
王子殿下はその距離の近しさを好ましく思われたようだけれど。
婚約者の座に好きでいたわけではありませんし、ベロニカさんはせめてお名前に『殿下』か『王子殿下』をつけるべきではないでしょうか。
「俺のことはアークと呼んでと言っただろう、ベリィ?」
「アーク……」
必要無かったようです。おふたりは愛称を呼び合って見つめあっていらっしゃるのだから、それで良いのでしょう。
「お、お待ちください王子殿下! ナーサリーポット様とのご婚約は隣国との和平のためのもの。いくら殿下とは言え、王家の許可なく破棄なさるなど許されません!」
良くなかったようです。
ざわくつ学生たちの間から飛び出してきたのは、年若いマナー講師の方。王子殿下のお目付け役として在籍する彼がお顔の色を悪くしているということは、今の状況は王家の望むところではないのでしょうけど。
「私、ナーサリーポットを除籍されておりますわ」
そこまで言ったところで、窓の隙間からするりと飛び込んでくる白い影が見えました。ざわめき二つに割れた人垣の間を滑るように飛び、私の手のひらに舞い降りたのは人の形に切られた白い紙。
「たった今、お母様の生家の姓を名乗る許しがおりました。どうぞ、カラクサとお呼びくださいませ。ルリ・カラクサと」
告げて、皆様に頭を下げてご挨拶を。
学園で教えられた膝を曲げるものではなく、真っ直ぐ立ったまま行うお母様の祖国風にしたのはちょっとした意趣返し。
けれど息を飲んだのはマナー講師の方だけでしたから、王子殿下には通じなかったようです。
「では、ルリは隣国に帰るのか?」
喜色も露わにおっしゃるくらいですもの。通じていないのね。
婚約者だった者のよしみで教えて差し上げようかしら、そう思った時。
「ルリ嬢!」
人垣から現れた黒髪の青年が風を切る勢いで、けれど優雅さは損なわずに近づいて来られました。
「カラクサ姓を名乗られたところですまないが、貴女のご母堂は俺の父の籍に入ることが決まった」
大きな手のひらに乗せた小さな人型の紙を私に見せながら、うれしそうに破顔されたのは隣国からの留学生であり、隣国の王弟子息であるイブキ・サンヤ様。二学年上級生ですけれど、隣国生まれの母を持つ私に「同郷の縁があるから」と入学当初から目をかけてくださる優しい方。
その方からの驚きの知らせに目を瞬いているうちに見上げる位置にやってくる。その長身で王子殿下たちの視線から私を隠すように立ってくださっていると思うのは、私の願望なのかしら。
「傷心のご母堂が何にも脅かされることなく心を癒されることを俺の父は望んでいる」
「お父上……隣国の王弟が……」
「つまり貴女は俺の義妹になる」
「サンヤ様が、私のお兄様……?」
信じられない思いで目の前の方を見つめてつぶやけば、サンヤ様の目元が愛おしげにとろけた。
常にはその精悍さを讃えられる殿方の見せた思わぬ表情に、ご令嬢方のちいさな悲鳴がそこかしこで上がります。私は悲鳴こそ必死に飲み込んだものの、向けられた視線のあまりの甘さに身体が一気に熱くなる。
「王子との婚約が破棄されたとはちょうどいい。卒業式が終わり次第、国に帰ろう。俺の義妹になったからには溺愛させてもらう!」
力強い宣言とともに腰をつかんで軽々と持ち上げられて、くるくると回るサンヤ様に上昇する体温はとどまるところを知らないみたい。
「さ、サンヤ様! 下ろしてくださいませ、重たいでしょう!? ご無理なさらずにっ」
「ははは! 無理なものか。ルリは軽すぎる。俺の家に帰ったら毎日三度の食事に加えて、甘味を食べる時間を設けねばな」
笑いながら回り終えたサンヤ様は、私を優しく優しく下ろしてくださる。音もなく足が着いたせいで、自分が羽になったような心地。
ふわふわした気持ちのままぼうっと立っていると、サンヤ様の顔がぐっと近づいて。
「俺のことはイブキと呼んでおくれ。貴女もすでにルリ・サンヤなのだから」
「イブキ、様……イブキお兄様?」
耳元でささやく声の低く甘さにくらくらしながらもどうにか呼ぶと、くすりと笑う吐息が耳朶をくすぐる。
「それも悪くはないな。悪くはないが」
一度切って、そして続けられた言葉はさらに近く。唇がかすかに触れるほどの距離で告げられた。
「義妹というのは表向きのこと。婚約破棄後の冷却期間を経て貴女の許しが得られるなら、イブキの隣にルリの名を連ねてサンヤ姓になってほしい。俺の妻として」
もう限界でした。
過ぎた熱に頭がくらくらして、力強い腕に抱き止めらるのを感じたのを最後に私の意識は遠ざかってしまいます。
ですから、呆気に取られた王子殿下とベロニカさんの顔も見ていませんし、婚約破棄にまつわることは私が目を覚ましたときにはすべて終わっておりました。
お父様の訃報にまつわる叔父一家の処罰や国同士の和平に関する取り決めがどうなったのかも、お母様の祖国にとって良いようになった、という程度にしか知らされておりません。
調べようと思えば調べられたのでしょうけれど、私はサンヤ様……いいえ、イブキ様による甘やかしに振り回されてそれどころではなく。
「ルリ、何をしてるんだ。そろそろお茶の時間だから中庭に行こう」
「い、イブキお兄様、抱きあげないでくださいませ! 私、自分で歩けますっ」
「お茶が済んだら遠乗りに行くぞ。体力を温存しなければ、花畑の散策をこころゆくまで楽しめないんじゃないか? 丘向こうの花畑、見たがっていただろう」
「……イブキお兄様は、ずるいです」
「ははは! ルリは怒った顔もかわいいなあ」
楽しげに笑うお兄様の腕のなか、たくましい胸にこっそり顔を寄せてみます。
婚約破棄から間がない今は、まだ義妹という立場で隣にいるけれど。私がこっそり「イブキ様」と呼ぶ練習をしていると知ったら、イブキお兄様はどんな顔をなさるでしょう。
溺愛と呼んでも足りないくらいのお兄様の愛に包まれながら夢想する日々は、ひどく甘くて愛おしいのです。




