姉上が英雄なんだけど働かないし意味不明なことを言うんだがどうしたらいいんだ
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広い廊下をセカセカ歩く青年がいる。少し前のめりで、まさに先を急ぐと動作で歩いている。左手には簡素なレイピア、瞳は怒りに燃えて鋭くなっている。
おどおどと見守る使用人を横目に進む青年はあの大きな扉の前に建つ。扉にはいつも通りの文字板がかけてある。『エリスの部屋 実験中 ノックしてから返事を待って入るべし』
この文字を態と無視して、というよりその文字に怒りをぶつける様にドアを蹴っ飛ばして開けた。
「……………………!」
その部屋には……ああ、中央の豪奢なベッドにはやはり青年の姉が寝そべっているではないか! それも、既に日が高く上り人々が昼食を食べ終えているような時刻に、寝巻のままで!
「ちょ……ノック! ノックしてって! もしもプライベートタイムだったらどうするの! 一生モノのトラウマになるよ! 結構グロいよ……グロいでしょ?」
「姉上、何故縁談を断られたのですか?」
「質問を質問で返さないって教わらなかった!? ほら、ね……アルもポテチ食べる?」
「何故縁談を断ったかって聞いているんです。王族との婚約がどれほどのものか姉上にも分かる筈です。これがどれだけシンフォニア家に意味があることか!」
「まあまあ白馬に乗った王子様ってわけじゃないんだし、そうやっきにならないの」
「だから……王子との縁談を何で断ったかって聞いてんだよ! 縁談がどれだけ父上への孝行になったかって、分かってんのか!」
「お、やっと調子出て来たね、アル。やっぱ畏まった感じよりそっち方がお姉ちゃんは好きだよ♪」
「何が英雄だ……この一族の恥晒が! ぶっ殺してやる!」
そう叫ぶと青年は左手のレイピアを鞘から一気に取り出し、何の躊躇いも無く『親不孝者の姉』へとレイピアを向け突進した。間違いなくそのレイピアは、親不孝者の体を貫通し、その罪への報いを与える事だろう。
「しねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!……って痛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
だが、その刃は彼女に当たる前に青年の手から飛ぶ……ああ、まるで大道芸人が投げたように綺麗な円を描いてレイピアが手を離れ中をくるくる回っているではないか!
レイピアはそのまま床に刺さる。
次に見えたのは、彼女の素足の裏である。手の辺りに真っすぐ伸びた足……すぐに青年は理解する。『足で青年の手を弾いたのだ!』
「残念だったわね、アルフォンス=シンフォニア! 私が全スキルをマスターした能力無限大の最強チート転生者だったことを後悔しなさい! 当然格闘技能もオールカンスト! 攻撃したら9999ダメージ! こんなレイピアくらいじゃ1しかダメージ与えられないわ! 倒したければエクスカリバーの百本をゲートから投げなさい!」
「スキルやチートやらまた意味の分からない事を……何処で格闘技術を学んだのか知らないが大人しく殺されろ、この穀潰しがっ。はしたないとも思わないのか、もっと貴族らしい自衛ってものがあるだろ」
「勝てばいいのよ、勝てば。どんなに言ってもユー、ルーズ。アルは負け組、やーい敗北の擬人化!」
「……駄目だ、落ち着け、俺……いや、私は貴族なんだ……姉上、まずは寝そべって食べているのは何ですか。百歩譲っても袋に手を入れず皿に出してフォークを使ってください」
「ん? 前にも言わなかったっけ? ポテチって言って魔法で元の世界に戻って買ってきた奴。大丈夫! お金は前世の私の口座から引き落としておいたからね! しっかし、銀行からお年玉が減っても気がつかないもんだね。アルも気をつけたほうがいいよ!」
「そうではなく、せめて上品に喰……いや、召し上がってくださいとあれほど言ってるじゃないいですか! それに散らばってる漫画という珍妙な本もすぐ処分しなさい! もしもシンフォニア家を……いや、我が国が誇る英雄エリスがこんな人間だと庶民に知られたらどう責任を取るおつもりですか!」
「大丈夫、大丈夫。こんなの身内にしか見せないし。大体どれだけ食べたって神の加護で容姿は保証されてるんだからノーカン、ノーカンよ!」
神の加護というのはエリスが生まれた瞬間から存在する奇跡である。様々な効果があるが、そのうちの一つ『美貌』は彼女の体系も肌は人間という枠から逸脱している。どんなに甘いものを食べようが徹夜を繰り返そうが彼女は決して太りもしなければ体重も増えず、化粧も必要がないくらいに肌荒れも起こさない。
「だからそういう問題じゃないって言ってんだろうが! いいからすぐにでもその餌だけ与えられてる家畜みたいな生活を改めろ! さっさと着替えて王子に詫びて婚姻を結び直して来い!」
「いーやーだー! こういうのめんどいから、もうさっさアルと婚姻結んでおいて。血繋がってないんだし、8番目の妻とかでいいから。これで全て解決! そういうことで、ね!」
「死んでも御免だって言ってんだろ! 婚姻を口実に今の生活を続けるつもりだってんのは分かってんだよ!」
「ついでにどうせアル程度の低レベルじゃレベルMAXの私をどうとも出来ないってわかってるしね。カンストしてレベルMAXよ! けど噛んだりしないから私はミニチュアダックフンドくらいのポジでよろしく!」
「……どうしてこんなのになったんだ? 3年前まではこんなんじゃなかっただろ……」
「まーた始まった。ナイーブになったらおしまい! 外部消音も解除しとこっと……あー! あー! クレア! 大丈夫、もう入っていいよー!」
「……失礼しまーす?」
いつの間にか閉じていた扉がそーっと空くと、本当に入っていいのか迷っているかのようにその隙間から一人のメイドがのぞき込む。エリスと同い歳のメイドのクレアである。
「大丈夫、大丈夫! クレアと私の仲でしょ!」
「いえ、そうではなくって……アルフォンス様が……」
「もう、クレアって優しい子なんだから!」
「あ……ありがとうございます」
扉の隙間から高揚した頬とモジモジとした動くがクレアが覗いている。大体クレアはこうやって喜んでいる間に部屋に入る事を忘れる。
「それでどしたの? 前の終わったの? 次のゲーム?」
「おい、もしかしてクレアにあの下賤な『ゲーム』を渡してるのか」
青年はその言葉を見逃さなかった。
「違う! 『エロゲ』はピンキリだけど泣けるのは普通の『ゲーム」より泣けるの! 大事なのは18禁だからこそ表現出来る表現の自由さで……」
「だから卑猥な『ゲーム』の話になると早口になるな! ……いけない、メイドの前で……貴族らしく、貴族らしく……それでクレア、姉上に要件があるのか?」
「あ……はい。先ほど連絡がありまして、当主様が国王陛下と婚姻の事で……夕方には屋敷まで戻られるそうなので……」
「お父様が?」 エリスは起き上がる。 「とりあえず着替えないと駄目そうね……クレア、後でいいから着替えるのを手伝って」
「あの……ではその前に簡単な食事を用意致します……それと、エリス様」
「何?」
「その……あの……アルフォンス様の、これが……これが『ツンデレ萌え』なのですね! キャッ! し、失礼致しました!」
バタン、と勢い良く扉が閉じると、パタパタと走る音が断端と小さくなっていった。
「……姉上、クレアに何を吹き込んだのですか? 『ツンデレ萌え』って、よく分かりませんが、ろくでもないことを教えたのでしょ?」
「分かってないわね……新しい境地、素晴らしい新世界、生きる者全て与えられた祝福、七つの大罪の集積物、何より美しく……そして尊い物を彼女は理解し始めたの!」
「理解したら駄目な物だというのは分かった、大罪の申し子が」
「ほら、気を抜くとエセ貴族がはみ出てるぞ☆彡 とにかく、父上が帰って来るんだからアルも準備いるでしょ? ほら、出た出た! じゃあ後でね! 弟下、愛してるぞー♡」
「ですから姉上に対して弟下なんて言葉は存在しないとあれほど……とにかくこの件に関しては父上が帰ってからにしましょう……」
部屋から出てとぼとぼと歩き出す青年。
年齢は今話した彼の姉であるエリスと同じ。
縁によって養子として幼少の頃に引き取られた生粋の凡人貴族というよりは底辺に近い貴族の青年。
英雄の義理の弟というまったく特殊な能力も祝福も無い青年、アルフォンス=シンフォニアには使命と言える目標は二つある。
「あの怠け者となってしまった英雄である姉の悪評が広まる前に『貴族のあるべき道』に戻す」
「もしくはシンフォニア家の栄誉の為に、あの『嫌いな姉』を亡き者をする」