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異世界転生録  作者: TEMP
2/5

はじまりの話

――聖救世せんとりりーふ歴四十八年


 混沌とした時代、世界は悪と欺瞞に満ちていた。


 人々は互いに憎み争い合い、弱き者は強き者に虐げられ、隙あらば騙し騙され、妬み、恨み、殺し、搾取する者達で溢れかえっていた。

 誰も信じることなどできず、親兄弟でさえいつ裏切るかわからない。この荒れ狂った世の中に、平穏という二文字は存在しなかった。


ただ一人を除いて――。


――


「う~ごしゅじんさまぁ~、そんなにはやくあるかないでくださいよぉ~」


「あぁ、悪い悪い。昼間の姿じゃあまり速く飛べないんだったね」


 僕は歩みを止めて後ろを振り返った。少し離れたところからふわふわと飛びながら小さい女の子が近づいてきた。


「そうですよぉ~わたしにもっとちからがあれば、ひるまでもむっちむちのぼいんぼいんになって、みちゆくおとこたちをかたっぱしからほねぬきにしちゃうんですからぁ~」


「むっちむちのぼいんぼいんってなんだよ……もうちょっと良い表現はなかったのかよ」


「えぇ~? でもでもぉ~ごしゅじんさまはそういうのすきじゃないですかぁ~」


 女の子はぷくーっと頬をふくらませる。その様子を見て僕は軽く苦笑した。


 僕の名前は山下卓也。普通の元高校生だ。「元」というのには理由がある。それは交通事故で死んでしまったのだ。


 そして後ろからふわふわとついてくるのが、僕の使い魔のレイチェルだ。ぱっと見では蝙蝠の羽根がついた幼い女の子にしか見えない。しかし夜になると、男に性欲を与え、代わりに精力を吸い取る悪魔、サキュバスに変貌を遂げる。

 彼女とはこの世界に来てからの付き合いになる。


 僕が元高校生であること、そして彼女との出会いについて説明するには、転生をしたときの話をしなければならない。


――


 いつもどおりの放課後、僕は本屋に寄り道をしてから帰宅する途中で交通事故に巻き込まれてしまったのだ。突然のことに何が起こったかわからなかった。

 気がつくと、真っ白な空間の中で初老の男性と向かい合って立っていた。


「突然のことで驚いていることだろう。無理もない。君は放課後の帰り道で、居眠り運転をしていた車にはねられ三人揃って亡くなってしまったらしい。お悔やみを申し上げる」


 男性は少し寂しそうな目で僕を見つめた。そうか、僕はやっぱり死んでしまったんだな。


「それで、僕はこれからどうなるのでしょうか」


「君は若くして命を落とした。まだまだこれから活躍できる年齢だ。とても惜しいことだと私も思う。――そこで、神のような立場にある私から君に、もう一度活躍できる機会を与えてあげたいと思う」


 それから神様は僕に異世界転生のことを説明し始めた。どうやら異世界は、ライトノベルでよくあるような剣と魔法の世界らしい。人々は凶悪な魔物に日々を怯えながら生活しており、他の街へ行くことすら困難だそうだ。そこで異世界から勇者の素質がある者を転生させているのだろう。まさか僕がそんな立場に立つことになろうとは死んでも思わなかった。もう死んでいるのだけれど。


 一通り説明を終えると、神様は僕をこの世界、フォグナルタへと転生させてくれた。

 あの時のことは今でも覚えている。見渡す限り青く澄んだ空、流れる白い雲、コンクリートに覆われていて排気ガスで汚れた空気ばかりを今まで吸い込んで生きていたので、とても空気が美味しく感じた。

 ビルも電柱もない、広がる平原を目の前にして、僕は異世界に来たんだと心を踊らせた。


 ただし楽しいことばかりではなかった。

 残念なことに、言葉が通じなかったのだ。物語では話すことが翻訳されたりするのが当たり前だったので、まさか日本語が通じない異世界があるなんて誰も考えないだろう。

 言葉が通じないので、食べ物もろくに買うことができなかった。わけのわからない言葉で話しかけてくる見知らぬ若者に対し、店員は嫌そうな顔をして睨んできた。ひどいときには突然胸ぐらを掴まれて店から投げ出されたこともある。


 僕は何も知らなかったのだ。人は異物を排除したがる。魔物で溢れ、恐怖に怯える日々を送っているのだからなおさらだ。自分の身の安全を確保するためには得体の知れない存在を排除しようとするのは当然の行いだろう。それが彼らの生き残る知恵なのだ。


 僕は何も食べることができないまま丸二日が経った。

 胃の中が空っぽになり、一歩も歩くことができない。路地裏の薄暗いところでぐったりとしていた。日もすっかり落ちて家々の窓からこぼれ出る明かりをただじっと眺めていた。


 このまま僕は死ぬのだろうか。せっかく異世界に来て新しい人生が始まろうとしたところだったのに――


「縺翫>縺雁燕! 縺薙s縺ェ縺ィ縺薙m縺ァ菴輔@縺ヲ繧九s縺�!!」


 そんなことを考えていると、眼の前に柄の悪そうな男が現れた。僕は横になったまま顔だけそちらを向けた。


「陦後″蛟偵l縺�。縺薙%縺ッ蟾・莠狗樟蝣エ縺�、蜊ア縺ェ縺�◇!」


 何を言っているか全くわからない。男が大股でこちらに近寄ってくる。


――助けて、くれないかなぁ。


『……ぶ』


 人というものは不思議なもので、瀕死の状態になったときはどんなに柄の悪そうな人間にも助けを求めてしまうものらしい。


『……ょうぶ』


 どこかから声が聞こえた気がした。目の前に男の声ではない。とても澄んだ曇りのない声だ。


『だいじょうぶ』


 はっきりと聞こえた。その瞬間、頭上から木材が大きな音をあげて落ちてきた。

 僕は突然のことに頭が真っ白になってしまった。降ってくる木材をただ見上げる事しか出来ない。死の間際は時間がゆっくり流れるとか、走馬灯が見えるとか言う人はよくいるが、そんな余裕さえなかったと思う。


 木材が地面にぶつかる音、そして転がる音が聞こえた。あたりが元あった静寂に戻り、数秒経ってから僕は目をつむっていたことに気付いた。


 ゆっくりと目を開いてみると、足元には木材が転がっていた。先程いた男の姿はどこにも見当たらない。


『すぐに人が来るわ。そこのパンを手に取って早くこの場を去って。お腹がすいてるでしょう?』


 木材に紛れて大きなパンが転がっていた。フランスパンのような細長い形をしたものだ。僕はパンを手に取ると、フラフラとその場を立ち去った。


――


「あのときあたしがこえをかけなかったら、ごしゅじんさまはいまここにいないんだからね! かんしゃしてよね!」


 フンス、とレイチェルは小さな胸を張って見せた。今はこんな見た目だけど、夜に見る姿は美しいものだ。


「あの時のことは感謝してるよ。ーー今こうして立派に勇者が出来ているのは、君が助けてくれたおかげだ。有り難う」


 レイチェルには感謝してもしきれない。その後も彼女には様々なアドバイスを貰った。心が挫けそうになったときにはやさしく励まして貰ったりもした。


 にへへ〜、とレイチェルは顔をにやけさせる。


「あたりまえでしょう! ごしゅじんさまはあたしのごしゅじんさまなんだから! あんなところでしなれたらあたしがでてきたいみがないもの!」


「そうだね。本当にありがとう」


 僕は再び感謝の言葉を述べた。

 感謝はとても大事なものだ。人は助け、助けられながら支え合って生きていく生き物だ。絶対に一人では生きていけない。それはこの世界に来て強く思ったことだ。


 この世界の人間はそんな当たり前のことが出来ない。すれ違う人は揃って嫌そうな目で睨んでくる。先程も少し肩がぶつかっただけで聞こえよがしに舌打ちをされた。隣を歩いた女性はこちらに目を合わせないようにそっぽを向いた。


 しかしこれも、今のこの世界が悪いのだ。魔物が跋扈するこの世界。負のオーラが漂うこの空気感で人間の心が荒んでしまうのは仕方のないことだ。人々は今もなお、混沌に陥れられているのだ。


 しかし、だからといって僕まで吞み込まれてはいけない。僕はこの世界を救う勇者だ。世界に光を取り戻す存在が闇に負けてはならないのだ。


「さあ、きょうもだいじょうぶですよ。ごしゅじんさま!」


 レイチェルが笑いかけてくれる。

 そうだ。きっと僕は大丈夫だ。僕のそばにはいつだってレイチェルがいる。彼女が笑いかけてくれるからこそ、今の僕が僕でいられるんだ。だからきっと、だいじょうぶ。


――


「ねぇ、さっきの人、なんだか一人で変なことをブツブツ言ってたわよ。ダイジョブ、ダイジョブって……」


 婦人が隣を歩いていた夫に声をかける。


「あぁ、これだけ大きな街だ。ああいうおかしなやつもいたって不思議じゃない。それより、あんまり関わり合いになるんじゃないぞ。下手に絡まれてお前が危険なことになったら心配だ」


 そう言って、夫は婦人の肩を優しく引き寄せる。


「私だって、せっかくフォグナルタまで遊びに来たんですもの。あんな変な人なんて見ていたくないわ。それに、いざとなったら助けてくれるんでしょう?」


 当たり前じゃないか。と夫は婦人に笑いかけた。


「それに、この街は優秀な警備団の人たちが巡回してくれている。ここに来るまでの旅路を護衛してくれたのも彼らだろう? そう大したことも滅多に起きないだろう。あんまり変なところに入り込むんじゃないぞ。大事なお前を失いたくない」


 そう言って夫は婦人の髪を優しく撫でた。婦人は夫に優しく微笑みかける。


「えぇ、そうね。大丈夫よ。いつもありがとう」

人って主観でしか物を見ることはできないけれど、それを離れて客観的な事象を捉えることが出来るようになれるかどうかでその人の価値って変わるんじゃないかと考えています。


彼はきっとそれに気づいているのでしょう。だから彼はきっとだいじょうぶなんだと思います。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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