ヤマンバ宅建設中
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
あれ、あの店なくなっちゃったんだ。
数年ぶりに地元へ帰ってくると、その変わりように目を見張っちゃうことしばしばだよ。今みたいに更地を目の前にしていることもあれば、建物の形はそのままに別のお店が入っていたり、はたまたアパートに取って代わられていたり……。
パラレルワールドに迷い込むって、こんな感覚かも知れないね。9割がた知っているものばかりなのに、意識しないと通り過ぎてしまう1割の違いに気がつくと、置いてけぼりを食らったような気持ちになる。
これが2割、3割と増えると、パラレルワールドじゃなくて「異世界」だなあと僕は思うんだ。嫌でも変化が目につくんじゃ、そこは記憶に知る世界とはいえないってね。
新しく生まれる、姿を現すって世界にとって大事だと思うんだ。その世界に元から住んでいる生き物たちにとってもね。
ある日、ひょっこり現れた存在をめぐる話。ちょっと耳に挟んだものがあるのだけど、聞いてみない?
僕の父がまだ小さくて、祖父母の家で暮らしていた頃。
路線バスが数時間に一度。軒先に鉢の巣ができることもあるという、父の感覚では田舎だったらしい。家のすぐ裏手に広がる山には、クマが出るからあまり入らないようにと、注意を受けることが何度もあった。
実際、車道のあちらこちらに「熊出没注意」の看板が立っている。
そうはいっても、恐れを知るにはまだまだ若い父。休日になると、近所の友達と待ち合わせて、こっそり山へと足を伸ばすことがあったとか。
さほど標高は高くない山だが、時々振り返って、葉の間から見え隠れする家屋の姿を確認しないと、方向を見失ってしまいそうだったと父は語る。
当時は10月。落ちて、だいぶ地面を黄色く染めたとはいえ、まだまだ樹冠に茂る赤や黄色の葉っぱたちは、陽の光を遮るに十分な版図を誇っていた。父たちもそれに負けじと、じわじわと自分たちの既知領域を広げつつ、山の奥へと入り込んでいたんだ。
そして10日。当時の体育の日のこと。
父は一緒にいた友達のひとりと、山中にたたずむ大きなあばら家を見つけた。
火事に遭ったのか、骨組みが残るだけ。けれど、組んである骨自体は汚れがこびりついているものの、ひびや苔や焦げ跡といった、長い歴史を感じさせる要素が見られない。
ちょっと前にここまで組んだが、何かしらの理由で取り残されている、といったところか。
幅はちょっとしたアパート並み。柱の数で判断しても、部屋の数は一階だけで10はくだらない。屋根の高さ的に二階建てだろうから合計20余りの部屋ができるだろう。
もしも個人が住むのなら、ちょっとした豪邸だ。なのに、どうしてこのように不便な山奥に作ったのだろうか。
「ヤマンバの家だったんじゃないの?」
「いやいや、ヤマンバの家だったらもっと狭いだろ。俺が見た話だと、子供を閉じ込めた部屋の隣で包丁研いだり、お歯黒つけたりしてんだぜ。こんな広かったら、目につかないところでやるだろ」
「昔話なんか、あてにならないじゃん。子供をたくさん閉じ込めるためにでかいんだよ。食糧庫と一緒で」
「普通に逃げられるだろ。それともヤマンバ『管理人』は複数いるのか? 見張り番、研ぎ番、料理番みたいに」
いっちょ前に考察を始める、父と友達。もっと詳しい調査をしたかったものの、ここまで真っすぐ来たわけじゃないから、山に入ってそれなりに時間が経っている。暗くなるまでに戻らないと危ない。
父たちは手近な木に石で傷をつけながら、そろりそろりと山を下っていったんだ。
あばら家のことは親をはじめ、誰にも話さなかった。山に入ったのがバレると、うるさく説教されるのが、見えていたからね。
次の休み。寝坊を堪能していた父は、家の外から自分の名前を呼ぶ声に目を開ける。ほどなく祖母が部屋に来て、件の友達が遊びの誘いをしてきたことを告げた。
もうちょっと寝させろよと思いつつ、男ならではの早着替えで、数分後には友達と対面する父。新しめの長袖トレーナーに長ズボンを履いた友達は、まだ寝ぼけ半分の父の手を取り、ぐいぐいと引っ張っていく。
家々から離れて、大人の姿も見えなくなったところで、友達は父に話す。あの「ヤマンバ宅」に変化があったと。
連れてこられた「ヤマンバ宅」。どこが変わったかは、父にも一目瞭然。
以前は骨を通して、向こう側に広がる木々や山肌を見ることができた。それが今では家の奥に茶色く大きい板が現れ、壁となって視界を阻んでいるんだ。誰かが家に手を加えている。
ヤマンバが近くにいるかも、と周囲を必要以上に警戒しつつ、そろそろと壁面がある側へ回り込む父と友達。茶色くのっぺりとした壁を前に、手近な木の枝を拾ってつついてみる。
壁の表面がわずかにうねったものの、そこでストップ。ぐいぐいと枝を押し付けるも、枝の方が耐えきれずに折れてしまった。
壁は土っぽいものでできている。それも固まりかけで、作りあがってから間もない。
父たちはひっそりと行われる家の工事と、それを進める何者かの存在へ、にわかに興味が湧いてきたんだ。
それからというもの、休みの日に時間が取れると、父と友達は「ヤマンバ宅」の建設を観察するようになった。
遊ぶことそのものは許されたものの、依然、山に入ることに関しては禁令が緩むことはない。アリバイ作りもかねて、大人たちの目につくところで遊ぶことに終始した日もあった。
工事の進み具合はというと、何度かに渡る監視の結果、数日ごとに部屋の仕切りが作られたり、畳が敷かれたり、床の間が設けられたりというペース。
すでに家の三方は壁が作られていたが、残る一面は縁側の骨のみができており、内部が充実していく。
「作業する身としても、出入りが楽な方がいいだろうしな」と父も友達も納得。
周囲の警戒は怠らなかったが、相変わらず父たちが見ている前で工事が行われることはなく、建設を進めているのが何者かも分からなかった。
そして11月の半ば。紅葉がすっかり落ち切って、裸になった木々に囲まれながら家の体裁が整った。
縁側も出来上がり、雨戸もしっかりと閉められているが、玄関と思しき箇所の引き戸は開けっ放し。更に近づくと、奥からはお湯をぐらぐらと煮立てている音が聞こえてくる。
どうやら「ヤマンバ」はすでに、家の中で暮らしているらしい。
父と友達は顔を見合わせた。「お邪魔してみるか?」と友達はこそっとつぶやく。
工事の期間中、父は友達と一緒に、ヤマンバに関する話を片っ端から確かめていた。
人を食べる恐ろしい鬼女として書かれるものもあれば、福の神や守護神のように伝えられる話もある。悪とも善ともつかない存在で、コンタクトを取ることはすなわち博打。
父と友達の話し合いは、数分で結果が出た。
博打を打つ、という方向で。
「ごめんくださ〜い」と、玄関の引き戸を軽くとんとんと叩きながら、声を出す二人。
出てきたヤマンバがどのような容姿であれ、自分たちを招き入れようとするなら逃げて、歓迎しなさそうなら追い返されない限り、話を聞こうと決めていた。
最初に甘い顔をするなら、それは策略。怪訝そうな態度を取るなら、腹黒さは前者に劣る。そのような判断基準だったとか。
ところが、何度か呼びかけても、中から応答がない。手が離せないのかもしれないが、相変わらずお湯を沸かす音は止まなかった。その音源は、玄関からさほど離れていない部屋からと思われた。
「罠だな」と二人は判断する。
音が気になって、開きっぱなしの玄関から足を踏み入れたが最後、勝手に戸が閉まって出られなくなるパターンだ。むざむざ、相手のテリトリーに踏み込む必要はない。
作戦を変えた二人は、外回りに家を巡る。雨戸のひとつひとつに、あらかじめ用意していた自分たちの腕ほどもある太めの角材を引っかけ、開かないかどうかを確認していった。
向かって右端の雨戸に手ごたえ。横にずらすと、数十センチの縁側を挟んで、六畳間が露わになる。工事の間も目にしていたが、中央にいろりがあることをのぞけば、社会の資料集で見た書院造の一室にそっくりだ。
互い棚や床の間には何も置かれていないが、いろりの自在鉤に黒いやかんが掛けられており、その下で赤々と薪の火が燃えている。
お湯の音もそこから聞こえる。上を向いたやかんの口も、盛んに湯気を吹いて――。
二人は気がついた。一見したところ、やかんは白い煙を吐いて、部屋の奥をけぶらせているように思えるのだけど、違う。
湯気は動いていなかった。普通は後から後から湧き出てくる後続に、口から離れた先達は空気に溶け、口に近いところは絶え間なく湯気の白さが、更新されていくはず。
その動きがない。止まっている。いや、むしろあれは「描かれている」と言うべきか……。
思うや、目の前をさっと何かが横切る。
それはローラー跡を思わせる、かすれた緑色の一閃。それがいっぺんに雨戸、縁側、部屋全体を隠し、カメラのフラッシュを焚いたかのごとく、いつまでも視界に像が残り続ける。
「逃げよう!」と父と友達は家と反対方向へ駆け出した。その手に握った角材も、線に触れた部分が、緑色に「削り取られてしまっていた」から。
逃げながら後ろを振り返る二人は、あの緑色の線によって、次々と塗りつぶされていき、形を失っていく家を、目の当たりにする。でも、足を緩めることはできない。
緑色がこちらまで飛んできていた。先ほどとばっちりを受けたつま先から、靴の生地が消えて靴下がのぞいている。もしも身体に浴びたら、ひとたまりもないだろう。
息も絶え絶えに山を下りた二人は、あの緑色が身体のどこにもついていないのを何度も確かめて、その日以降、山にはもう近寄らなくなったとのことだよ。
「あれはヤマンバの家じゃなく、誰かが『絵に描いた』家だったんだろう。それを父さんたちが原因になったかわからないが、気に入らなくなって消しにかかったんだろうな」
父はそう話していたよ。