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アラサー、リア充から転落しました  作者: おじぃ イラスト:mononofu
8/10

運命

 再会した金曜日から8日経ち、私と七ツ屋くんは、


『好きな歌手はいる?』


『うーん、雑食かな? 色んなのを聴くよ』


『そうなんだ。私と同じだね! 世の中には素敵な音楽がたくさんあるもんね!』とか、


浜見平はまみだいらの新しいショッピングセンターはもう行った?』


『このまえ紫音ちゃんと行ったよ!』


 なんてLINEで他愛ないやり取りをしつつ親睦を深め、更にSNSでもつながった。けれど私も七ツ屋くんも、タイムライン上にはあまり浮上しない。


 文字でのやり取りはお互いどこかぎこちなくて、通話をしたり、タイミングが合ったときは同じ電車で帰っていた。実際に会って心を通わせるのがいちばん性に合っているようだ。


 私も七ツ屋くんも中学時代から住所は変わらず、スケジュールの合った3月25日の土曜日、ちょうど‘元カレ’にフラれた時間帯、二人で浜辺を歩いていた。


 先月よりほんの少し暖かくなった茅ヶ崎の渚。風は涼しくもまろやかで、東に江ノ島、三浦みうら半島。西に富士山ふじさん伊豆いず半島。打ち寄せる波の泡沫うたかたは、いつもと変わらず砂浜を撫でるように洗ってゆく。


 きょうは浜辺を歩く人が多く、各々がこの場所ならではののんびりしたひとときを満喫している。


 あぁ、海にはあまり行かないけれど、いい場所に育ったんだなと、数キロ沖に浮かぶ烏帽子岩えぼしいわをぼんやり眺めながらたそがれる。地元ゆえにかえって意識しなかった素敵に気付き始めて、感覚が研ぎ澄まされてゆくのをいま確かに、肌や心で感じている。 


 元カレがまだ茅ヶ崎に住んでいたころから別れるまでの10年間、この海岸を歩いたのは数えるほどで、デートのほとんどがゲームセンターや遊園地、変わり種では車で隣町、平塚ひらつかにある標高181メートルほどの山、湘南平しょうなんだいらへ連れて行かれて鉄塔から夕陽を眺めるなんてこともあった。


 けれど元カレは‘こんな絶景スポット知ってる俺すごい’みたいなドヤ顔で自分の世界に入り浸り、俺はこういう景色が大好きなんだよ。なんつーか、ロマンチックで綺麗で? などとマシンガントークを展開して、せっかくの景色を台無しにされた。あれは好きな人だとしても、なんだかがっかりだった。居合わせた人たちもうるさくてさぞ迷惑だったと思う。


 ちなみに湘南平は小学校の遠足や、家族でヘールボップ彗星を観に行ったときにも登っていて、湘南に住む多くの人が知っている名所。


 きっと私たち、別れて良かったんだなと、もうずいぶん前からそう思うようになっていた。


「私ね、2月にここで、元カレにフラれたんだ」


「え?」


 突然の告白に、七ツ屋くんはわずかに口を開けて困り顔をした。


 当の私もどうしてこんな台詞が漏れたのか、よくわからなかった。


「それで、つらかったの?」


「うん。でもね、なぜだか別れてから仕事が早く進められるようになったり、疲れが溜まりにくくなったり、調子は良くなったの。不思議」


「そうなんだ。なら、まぁ悪くはない、のかな?」


「だね。むしろ運気上昇だよ!」


「良かった。ならこれからはきっと、いいことがたくさんあるよ」


「ふふふ、もういいことあったよっ?」


 聞いていていい気はしないであろう失恋話を七ツ屋くんはいつも通り聞いてくれて、すんなり気持ちを楽にしてくれた。それを期待して、私は甘えてしまった。


 元カレの話を七ツ屋くんにするのは、これっきりにしよう。


 そもそも日頃から後ろ向きな話をしても幸せが遠ざかるだけ。過去は過去としてそこから学んだことは誰かが困ったときのために留めておくとして、次のステージへと気持ちを切り替えよう。


 それにいまの私には、新たな悩みがある。


 このままずっとOLを続けていても退屈や、困難へ立ち向かうことに意義を感じられない理不尽の連続で、マンションか庭付き一軒家を購入してほのぼの暮らせるほどのお給料も貰えない。昇進してもストレスが増すだけで面白味のない日々が続くビジョンが容易に描けてしまう。


 ならいっそのこと七ツ屋くんがお店を開いたらそこで雇ってもらい、アイデアを提案したり自由闊達じゆうかったつに意見交換をしながらいきいきとした日々を過ごせたら、なんて思うようになってきた。


 競争が激しい飲食業界の、しかも個人店ではきっと多くの困難が待ち受けている。でも現状よりは有意義な日々を過ごせると、なんとなくそんな気がしている。


 つまらない会社でも、安月給でも、安定した収入が得られて尚且つ残業代の未払いが生じていないから、それが私を繋ぎ止める粘着力は自分でも驚くほど強力だったりする。でも気持ちは、確実に前のめりになっている。



 ◇◇◇



 8日前の夜、僕は人生で好きになった何人目かの女性と電車内で中学の卒業式以来ぴったり11年ぶりに再会した。


 内灘綾乃さん。中学時代と変わらず容姿端麗な彼女は、しかし露骨に疲れを見せていた。


 彼女は大人しいか活発かと問われたら間違いなく後者で、厳しい家庭なら「ああいう子と付き合ってはいけません」と指導されるグループに属していた。確かに問題児の多いグループではあったけれど、彼女だけは、どこか違った。簡潔に言えば、やんちゃだけど付き合っても道を踏み外す恐れのない純粋で思いやりのある子だった。


 例えば家庭科実習でうっかりお皿を落として割ってしまったとき、真っ二つになったそれに向かって「ごめんなさい、いままで学校のみんなの役に立ってくれてありがとう」なんて言ったり、生ゴミやカラスに捕食された小動物の残骸を校庭の隅にスコップで穴を掘って供養するような、優しい人。


 そんな彼女が、心身ともにボロボロになっていた。いや、だからこそ傷つきやすいのだろう。


 内灘さんの虚ろな目や外食時に‘いただきます’を言うのが変なことかもと心配するあたりから、現在彼女の人間関係はどんなタイプが主なのか透過してくる。付き合う人によって、人は大きく変わる。どんな環境下であってもそれに左右されない強い意志を持たなければならないと遺した哲学者もいるけれど、おおよその人はそこまで強くない。人間なんて弱くてちっぽけな存在だ。だから一国のトップでさえ困窮すれば暴力的手段に及ぶ。


 何かあったのかなと、再会した日にカフェで二つばかりの事情を打ち明けてくれた後も、僕は彼女をずっと心配していた。


 そしてたったいま、彼女の最も重いと思われるストレスファクターを打ち明けてくれた。


 生きていれば大概、それが例え明るく前向きがトレードマークの彼女にだって、つらく病む日もあるだろう。学校や社会生活で植え付けられる印象なんて、当人のほんの片鱗へんりんに過ぎない。


 中学時代の同級生からは大人しい蕎麦屋の息子という印象を抱かれているであろう僕だって、ガヤガヤしたお世辞にも綺麗とは言えないラーメン屋に行って気さくな店主と世間話をしたり、怒りに任せて怒鳴るときもある。


 表裏がないにしても気持ちが明るい日もあれば、暗い日もある。そんなの当たり前だ。人間にギャップがあるなんて、当たり前なのだ。


 交際経験のない僕にとって失恋がどれほどつらいものなのか具体的には理解できないけれど、つらく苦しいに違いない。


 しかし内灘さんは彼氏と別れてから運気が上昇したという。この意味を僕は瞬時に理解したけれど、敢えて云わなかった。それは彼女自身がいつか気付くだろうし、僕が伝える事柄ではない気がした。もし気付かなかったとしても、内灘さんの幼馴染み、浅野紫音さんがズバッと云うだろう。もう云っちゃったかな?


 また、彼女は彼氏と過ごした10年間を無駄なものだったと悔いているようだけれど、そんなことはない。後味の悪い思い出になってしまったとしても、その10年間には内灘さんにとって貴重な財産になりるものがたくさん散りばめられているはずだ。なんとなく過ごしてしまった時間も、決して無駄ではない。この先の人生で、彼女はそういうことも学んでゆくだろうと、同い年なのに僕は上から目線で推察した。


 恋愛に限らず、人生には出会いと別れがある。出会う人の中には自分と誰かをつなぐキューピッドのような役割を持った人もいて、彼はおそらく、それに当てはまるものと思われる。


 内灘さんには幸せな人生を送るため運命的に出会う人がいて、その人と出会えたか、出会う手筈が整ったから、つなぐ役目を終えた彼とは別れのときを迎えたということだろう。


 だとしたら、僕と内灘さんの再会は来るべき運命だったのだろうか。今後の人生において、何か重要な意味があるのだろうか? それとも僕にも彼女と他の誰かをつなぐ役割があるのだろうか?


 僕は恵比寿の蕎麦屋で修業をしていて、内灘さんと同じ湘南新宿ラインで通勤しているけれど、僕が普段乗る車両は2号車、内灘さんは最後部の15号車だそうで、同じ電車を利用していた日もあるだろうけれど、人混みの中ではその存在に気付かなかったと思う。


 あの日僕が新宿しんじゅくで映画を観なければ、内灘さんの作業効率が上がって早めに退社できていなければ、同じ車両に乗り合わせて隣の席に座りはしなかっただろう。


 不思議なことだけれど僕にもお世話になっている蕎麦屋さんと出会うまでの間、一時的に交流のあった人が何人かいて、そこへ至るプロセスで彼らには距離を置かれた。


 しばらくは面白くない気分だったけれど、日が経つに連れて、彼らとの出会いもまた大事な一幕だったのだなと、人生という無駄なき物語をしみじみ味わっている。


 内灘さんは僕と波打ち際を歩きながら「ふふふ、もういいことあったよっ?」と楽しそうに語尾を跳ね上げて言ったので、


「いいことって?」


 と僕は反射的に返した。


「うーん、内緒! あ、そうだ! お蕎麦屋さんのお話、色々聞かせてよ!」


「えっ、教えてくれないの?」


 はぐらかされた。この段階で僕は内灘さんとの心の距離感を覚えた。この先も何かある度こうしてはぐらかすならば、僕も距離を置いた話し方をすべきだろうか。


「いまはね!」


 僕は溜め息をつくも、これはプラスに捉えて良いはぐらかし方だと判断し、距離を置くと関係が悪化するパターンだと直感した。だから僕も、実直に彼女と向き合おうと思う。


「そう。なら、いつか聞かせてね」


「うん、いつかね!」


 内灘さんの表情は半月前が嘘のようにすっかり生気を取り戻していた。いきいきと美しい彼女を、どうやら僕はまた好きになってしまったようだ。

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