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Act.0 プロローグ

登場人物紹介


黒山・ディアラ(16)

 黒軍二年、切り込み隊長。赤茶の髪に黒い瞳。融通が利かない性格で使用武器は二丁拳銃。誰にも言えない秘密を抱えている。イタリアと日本のハーフ、留学生。



千羽京(17)

黒軍、帝都立大和皇国軍事高等学校三年、諜報部。

赤茶の髪に赤眼、普段からニコニコしている。ディアは食えない彼の様子から「のっぺらぼう先輩」と揶揄している。無類の動物好き。



坂木花蓮(15)

ディアと同じ高校、黒軍に所属する1年生。軍の参謀を務める。赤茶の髪に黒い瞳。物静かな性格で使用武器は斬馬刀。胸に昔負った傷跡が残っている。

所謂、オペレーター、ディアのサポートに回ることが多い。戦闘が得意ではない



飯田千鶴(17)

ディアと同じ高校に所属する3年生。参謀所属。黒の髪に碧眼。使用武器はメイス。左耳にピアスを付けている

 今回、ディアラの実力査定のために作戦に付き添うことになった。


「夢を見たんだ」

 彼はそう言いながら、「夕陽」という名前の通りの優しい笑みを浮かべる。

「そこは白も、黒も、赤もない。まっさらな日本でさ」

 彼が見つめるのは、目の前に広がる戦場。

 日没前の赤い夕焼けが、血に塗れた荒野を照らしていた。

 白軍と黒軍が大きくぶつかったそこには、使い手をなくした武器が転がり、無残にも息を引き取った者の腕や、足が散乱している。

 夕陽は金と蒼のオッドアイで、静かに戦場を眺めていた。

「軍事演習もない、ただ、退屈な高校生活を送っている僕が、つまらなさそうに生きていて」

 なんだ、夕陽も戦闘狂じゃないか。

 退屈という言葉を聞いて、ディアラは水を差す。

 夕陽の語る夢の話が自分にとっては――平和を知る自分にとっては、聞くに堪えない話であったからかもしれない。

「君ほどじゃないよ」夕陽は視線を戦場からディアラに移す「けど、きっと、退屈だろうね、何もやりたいことがなくて、ただ、生かされるのって」

 けどね、君が来るんだ、高校に留学生として!

 宝物を親に自慢するような夕陽の物言いに、思わず、ディアラは頬が赤くなるのを感じて、照れ隠しに、あっそ、と気のない返事をして目を逸らす。

「君はね、夢の中でも自分勝手で、頑固で、自由奔走で、それに、僕は振り回されて、迷惑かけられて」

 そこまで、夕陽は語ると口を噤んだ。

 夢のことを思い出して幸福に浸っているのだろうか? それとも、目の前の現実を見て、絶望しているのだろうか?

 沈黙の意味が分からずに、ディアラは夕陽の方を向いた。

 その時、戦場に、撫でるような風が吹く。

 夕陽の長く伸ばしている白髪が、風で後ろに流される。

 なびいた髪は、レースのカーテンのように沈む太陽にかかり、キラキラと黄金色の光を反射する。

 そんな彼の横顔は、子を見つめる母のような穏やかな瞳で、ここではない、どこか遠くの世界を見つめているようだった。

 ディアラは絵画のような風景に、思わず言葉を失う。

 しばらくして、夕陽はディアラの視線に気づいたのか、再びこちらに振り返る。

 風でなびいた髪を掻き上げながら、笑った。

「そんな、幸せな夢だったんだ」

 

・・・


「また、サボりかい? 感心しないね、ディア」

 頭上から聞こえてくる声で、まどろみから目覚める。すると、ディアラを覗き込むように、ニコニコと愛想笑いを浮かべた、いけ好かない顔があった。

 最悪の寝覚めだ。

 ディアは直前まで、幸せな、穏やかな夢の中に居た気がしたが、それも思い出せず、台無しだとうんざりする。

「こっちのレベルで言えば、俺は大学までの過程を終えているんですよ、授業なんて無意味」

 そう言いながら上半身を上げると、ディアラは大きく伸びをして、あくびを一つ。

 南から吹く、気温よりも暖かい風に、寝起きの鬱屈とした気分が払拭されていくのを感じる。

 場所は屋上、その給水塔の上。

 春先の心地よい暖かさを全身に感じ、昼寝に耽るには絶好の場所である。

「それで、わざわざ人が気持ちよく寝ているのを邪魔しに来るなんて、何か用事でもあるんですか? のっぺらぼう先輩」

「あれ、おかしいな? 授業をさぼっているディアが責められることはあっても、僕が責められる謂れはないと思うんだけど」

 相変わらずニコニコと、しかし、おどけた様子で言って見せる先輩に、ディアラは面倒くさそうに頭を掻いた。

 ディアラは無言で左腕の学ランの袖をめくると、耐久度に定評のある腕時計の文字盤を見て、言った。

「同罪ですよ、まだ、六限の途中でしょう?」

「いやいや、僕は仕事でディアを探してたんだよ、サボりと一緒なんて、ひどいじゃないか」

「兵士は休むことも仕事のうちなんですよ」

「学生の本分は勉強だよ」

「イタリア人はシエスタの時間をとっているわけで」

「郷に入っては郷に従え、ここは日本、日本にシエスタなんてありませーん」

 はい、僕の勝ち。

 どこか、自分を誇るような、イラッとする笑みを浮かべる先輩に、ディアラはため息をつきながら、ホールドアップ。

「はいはい、俺の負けですよ」

 そして、下半身のバネだけで跳躍し、その場で立ち上がった。

 千羽京、諜報部に属す、ディアラの一つ上の先輩である。

 赤茶の長い髪を後ろで一つに纏めている優男で、普段からニコニコしていて女生徒からの人気が異常に高い。

 ニコニコした表情からたまに除く、無表情の瞳は赤。

 腰に下げている鞭は武骨で何の装飾もない。

 ディアラと同じ学ランを纏っているが、襟につけられた階級章はディアラよりも二つ線が多い。

 つまり、彼の階級はディアラの二つ上の大尉である。

「それにしても、いくら特務で留学生だからって、授業に出てなきゃ、卒業できないだろうに」

 ディアラは降りてきた前髪を鬱陶しそうにかき上げながら、京に答える。

「卒業ねぇ、確かに、しなきゃいけないんだろうけど」ふと、ディアラは左に下げているジグザウエルP266に視線をやった「それ以上に、一つやりたいことがあるかな」

 京はディアラの視線の先に気付いて、それがなんであるのかを察し、話を別の方向へと変える。

「あれ? そっちが、しゅらいえんくらいえだっけ?」

「ちがいますよ」そう言いながら、ディアは右の腰に掛けられているホルスター、その中の黒いデザートイーグルを叩いた「こっちがシュライエン・クレーエ」

 んで、こっちが。

 そういいながら、同じように左のホルスターを叩く。

「ソルレカランテですよ」

 両方のホルスターに収まっている二丁の黒い拳銃。

 その二つがディアラの武器であり、相棒であった。

「いいねぇ、かっこいいねぇ、僕もなんか、この鞭に名前でもつけようかなぁ」

「鞭ねぇ」

 ディアラは京が戦っているところを、まだ、見たことがないが、鞭自体の戦い方は想像に容易い。

「エレファンテナーゾとか」

 ディアラは武骨で何の飾り気もない鞭をみて、そして、長身である京の長い腕から繰り出される鞭での打撃を考えてパッと思い付いた名前を口にしてみた。

「良い響きだね、どういう意味なの?」

 京も、存外まんざらでもなく、嬉しそうにディアラに詰め寄る。

 ディアラは特に悪気もなく、答えた。

「象の鼻」

「……流石に、却下」


・・・


 ディアラが京に連れていかれたのは、やはりというか、ディアラが属している大和皇国鎖環連合、その帝都多摩支部幕僚室であった。

 そもそも、ディアラが属している高校も大和皇国鎖環連合の学生軍人が所属する学校であり、特にディアラは軍人としてイタリアから派遣されているわけであるから、この幕僚室にも何度も足を運んだことがある。

 ディアラと同じ学生軍人が、はたまた、学校を卒業し正規軍人となった大人たちが、ディアラの横を追い抜き、すれ違う。

 学生軍人であれば、男なら軍服である軍装学ラン、女なら軍装セーラーを纏っていて個人で若干の差異はあれど、その全員が胸に大和皇国鎖環連合軍の証明である「八咫烏」を模した紋章をつけていた。

 黒い学ランとセーラー、そして、紋章である黒い烏。

 これが、黒軍と呼ばれる所以である。

「諜報部千羽大尉、一般部隊黒山特務少尉参上しました」

 廊下に並ぶ扉の一つ、第伍会議室とかかれた部屋の前で、京が中にいるであろう参謀に声をかける。

「おまちしておりました、中にどうぞ」

 返ってきたのはディアラにとって聞き覚えのある女性の声。

 まさかと思いながら部屋を覗くと、案の定、扉の向こうに居たのはディアラのオペレーターを務める坂木花蓮であった。

「まさか、花蓮がここにいるとは」

 驚きを露わに、ディアラは部屋に入りながら目の前の少女に声をかけた。

 赤茶の髪に黒い瞳、フレームの細い眼鏡をかけていて、髪はカチューシャでとめている。

「はい、今回は参謀での決定で、私が本隊以外の皆さんに作戦の概要をお伝えすることになりました」

 静かだが耳あたりの良い凛とした声、ディアラは通信機越しに聞こえてくる彼女の声も好きであったが、こうして、生で聞く声が増して気に入っていた。

 勿論、ディアラは花蓮の声がどこか弾んでいるのには気付かなかったが。

「本隊、以外、ね」

 ディアラは、含みのある花蓮の言葉に部屋の中を見回した。

 花蓮、ディアラ、京、そして、もう一人。

 花蓮と同じように、会議室の椅子に腰かける女性がいた。

 体の凹凸がはっきりしたラインが強調されるような、ぴっちりとした軍装セーラーを纏っている。

 ショートの黒髪に意志の強そうな吊り目気味の碧眼。左耳には赤いピアス。

「遅かったじゃない、千羽君」

「おや、飯田君がここにいるとは」

 その人物は不満そうに机に頬杖をついたまま、片手をあげて京に挨拶。

 どうやら、京と飯田と呼ばれた女性は知り合いらしく、ディアラは京に紹介しろと無言の視線を送る。

「あぁ、ディアは初めてだったね、こちらは同じ諜報部で中尉の飯田美鶴君」

 美鶴は京のその言葉に席から立ちあがると、ディアラに片手を差し出す。

「初めまして、噂はかねがね黒山特務少尉、死神のタランテラ、それとも、線香花火、どちらで呼べば?」

 そう問いかける美鶴が浮かべる意地の悪い笑みに、ディアラは京と似た何かを感じて辟易とする。

「好きなようにどうぞ、中尉」

 肩をすくめて、諦めたようにディアラは美鶴の手をとった。

 どうして、諜報部にはこういう奴が多いんだろうな。

 口には出さずにディアラは心の中でため息をついた。

 死神のタランテラ、線香花火はどちらもディアラに付けられたあだ名であった。

 前者は主に、白軍から恐れられてつけられた異称、後者は味方からつけられた蔑称である。

 花蓮は美鶴の物言いに少し、むっとしたようだったが、当の本人であるディアラは特に何かを思った様子はなく、いつものように飄々としていた。

「それで? 花蓮准尉。今回はどんな任務なんですか?」

 京は注意の逸れた花蓮の意識を引き戻す。

 花蓮は不意を突かれた様に少しあたふたとするも、すぐに取り繕い、指令書と思しき紙を取り出した。

「今回の任務は相模山中に発見された白軍の拠点基地の破壊なんですが、黒山少尉には本隊が後ろをつくための囮となってもらいます」

「は?」

 ディアラは思わず口から出た声に失礼だとは自覚したものの、しかし、作戦の内容がどう考えても奇妙なものだったので、そのまま言葉を重ねた。

「いや、俺は確かに切り込み隊長だし、そういうところに一番槍ってのは得意だけどさ、かといって、一騎当千持ちの奴らみたいな無双は無理だぞ?」

 一騎当千持ち。

 化け物のような身体能力と武器との親和性、そして、そこから生まれる怪物じみた強さ。

 長い内戦が続きその中で生まれた突然変異、新しい人類の可能性とも言われている。

 そして、化け物じみた強さを持つ彼等は白、黒、両陣営とも重宝し、一騎当千の称号が与えられる。

 ディアラも一度だけ一騎当千持ちと戦闘したことがあるが、あれは悪夢であったと、思い出すことすら憚れる。

「分かっています、しかし、今回は黒山少尉の一騎当千授与の話も上がっていて、それの査定も兼ねた案件なんです」

「はぁ? 俺が、一騎当千持ち?」

「そうよ、そして、今回の任務であなたに付いて、実力を測るのが私なの、よろしくね」

「査定? 一騎当千とか、少しまぁ、待ってくれよ、俺が? なんかのドッキリか?」

 ディアは途中で挟んだ美鶴の言葉を無視して、驚いた様子を隠さずに部屋の中にいる三人の顔を順に見る。そして、三人誰もが嘘をついているような素振りを見せないことから、嘆息。

「マジ?」

 白々しく、薄桃色の桜の花びらが、窓の外で散っていた。


・・・


 作戦開始は二0:00(ふたまるまるまる)。現地までの集合は本隊と別ルートで向かえとのこと。

 その間にディアラは軍装学ランなどの支給装備を受け取り、準備を整えていた。

「すいません、茶番にお付き合い頂いて」

 二丁の拳銃のマガジンを軍装学ランの内に装備中、耳にはめた通信機から花蓮の声が聞こえる。

 少しすまなそうに彼女の声が沈んでいるのが分かると、ディアラは苦笑を浮かべた。

「いいや、会議室で嘘の作戦聞かされた時はビビったけど、なるほど、俺向きの作戦で納得いったよ」

 むしろ、お礼を言いたいくらいなんだけどな。

 最後の一言は心のうちにとどめておきながら、ディアラはホルスターで眠るジグザウエルP226に視線をやった。

 戦闘狂だね、命がいくつあっても足りないよ?

 ふと、どこからか、柔らかい、聞き慣れた声が、聞こえた気がした。

「そう言ってもらえるのはありがたいです」花蓮は安堵したのか、声はいつもの調子に戻っていた「しかし、今回の任務、敵は未知数ですし、ディア先輩が危険なのは変わりありません」

 花蓮は会議室の時と違って、彼をディア先輩と呼んだ。

 これは、ディアラが彼女に言ったことだ。本当はディアで良いと言ったのだが、難易度が高すぎます! と怒られて今に至る。

 難易度ってなんだ、日本語は難しい。

「敵ねぇ……別にそこらへんはいつものことだしさ、どうでもいいんだけど」ディアラは最後のマガジンに弾を詰める「目的だけがはっきりしない感じかなぁと、少し思うんだけど」

「と、言うと?」

 ディアラは必要になりそうな分だけのマガジンを装備し終えたのを確認すると、接近戦用のサバイバルナイフを鞘から取り出し、刃を確認する。

「敵の目的がよくわからん、あちらさんにメリットがあるとして、何かがさっぱり」

「なるほど、確かにそれは検討されましたが、敵の敵は味方というほど単純ではありませんし、単純に消耗を狙っているのかと」

 それにしても、それだけにしては違和感があると思うのだ。

 しかし、ディアラはその違和感の正体がわからず、言葉を飲み込む。

「一応、他にも思い当る節がありましたが――いえ、これ以上の邪推はディア先輩の任務にあまり良い、影響がありませんね」

 花蓮は何かを言いかけたが、それ以上続けず中断。

「失礼しました、忘れてください」

「いいよ、別に」

 律儀な花蓮にディアラは再び苦笑。

 参謀で後輩というのもあって、先輩相手は難儀なものだろうと。

 本当はもう少しだけ、ディアラの分析は足りていなかったが。

「ところで、極度の方向音痴であるディア先輩に言ってなかった事があります」

 ふと、花蓮が、種明かしをするマジシャンのように声音を高くする。

 嫌な予感がしたディアラは、取りあえず、装備をすべて終えたのを確認すると花蓮の声に耳を傾けた。

「作戦地域には敵への妨害のために妨害電波を発生させます、きちんとした通信機器ならともかく、ディア先輩が携帯するこの小型の通信機は使えなくなります」

「……つまり?」

 かの偉人は、悲劇と知り、悲劇を為すことが最も悲劇的であるという言葉を残した。答えを知りながら、問うディアラがまさにそれであった。

「ナビゲートなしでの無事の帰還、祈っております」

「……Cavolo」

 ディアラは、とりあえず、追加の装備としてコンパスを要求しに行くことにした。


・・・


20:00。

 満月が照らす、鬱蒼と生い茂る森の中。

 ディアラと今回の査定を行うらしい美鶴は、作戦開始を目標地点の少し遠く、敵の拠点を確認できる藪の中で迎えた。

 敵の拠点は、話に聞いていた「白軍が昔に放棄した施設」そのものの外観であった。

 正面に大きな門が一つ。周りは三メートルほどの壁に囲まれており、長く放棄しているためか、蔦が生い茂っている。

 相模山中と言っても、拠点を置いていた場所なだけあって、そこら辺一帯は平地になっていて、壁の向こうに覗く建物は廃病院のような不気味さを秘めていた。

 幽霊でもでそうな雰囲気だな。

 ディアラは隣の美鶴に目配せを送ると、突撃のタイミングを計る。

 軍装セーラーに身を包む美鶴が腰に掛ける武器はメイス。しかし、どうやら、ただのメイスではないらしく、柄の部分にいくつかボタンがついていることを見るに、何か特殊なギミックがあるようだ。

 一応再三、美鶴には言っておいたが、美鶴には手信号を送っておく。

 邪魔だから、後ろに居ろ。

 了解、様子を見て、追随する。

 それだけ確認すると、ディアラはやぶの中から駆け出した。

 正面に見張りは居ない。外から見ただけではただの廃屋にしか見えないが、門の上についている監視カメラが起動していることから、恐らく、電子的なセキュリティだけで防衛していた感じか。

「室内戦なら楽なんだけどな」

 左右のホルダーからそれぞれの銃を引き抜く。セーフティーを解除、監視カメラを壊す必要もないのだが、引き金をひく。

 左の9mmパラベラム弾、右の.50AE弾が打ち出され、それぞれ、乾いた発砲の音とともに監視カメラを破砕。

 そのまま、警戒されないように足を止めずに門を駆け上がり、着地。転がり、口の中に多少の砂が入り込む、勢いを殺して起き上がると、そのまま目の前の廃屋へ駆け抜ける。

 口内の不快感、唾を吐きながら周囲の様子を確認。

 門から廃屋までの通用道は、ざっと、百メートル程度と言ったところか、いくらかの輸送手段があったのだろう、舗装しきれていない箇所にいくつかの轍の跡が残っている。見るにジープか、トラック。

 しかも、その轍の跡は新しい。最近、ここから撤退したようだ。


 案の定、中はもぬけの殻か。


 それでは、どうするか、ディアラは廃屋に至るまでに考えを巡らせる。

 室内戦なら確かにこちらの方が圧倒的に有利だが、それ故、相手が不利を悟って逃走されると面倒だ、ここは日本人らしく正々堂々というのが、一騎打ちに持ち込めるのかもしれない。

 そう、結論付けたディアラは、廃屋に入る一歩手前で足を止める。

 そして、背後に振り返り、追随しているであろう美鶴の方へ振り返った。

「思ったより速いな」

美鶴は、ディアラの背後の五十メートル付近、丁度、ディアラが立っている廃屋の入り口と門との中間地点付近に居た。

すぐに、足をとめたディアラに気付いて、彼女も足を止めた。

「何か問題が、少尉?」

 そっと、美鶴が右手を腰のメイスの柄に添える。

 ディアラはそれを確認しながら、わざとらしく、無警戒に肩をすくめる。

「問題があるのは、こっちじゃなくてそっちでしょう」言い終わる前に、ディアラは左手のジグザウエルの照準を美鶴に合わせる「赤軍のスパイさん」

 発砲。乾いた破裂音、ジグザウエルの銃口からマズルフラッシュ。

 明かりが一つもない暗闇の中で、一瞬だけ、お互いの表情が映し出される。

 両者とも、狩るものが浮かべる、愉悦の笑顔。

 美鶴はディアラが銃を構えると同時に、横に飛んでいた。動きはメイスなんて重そうな武器を抱えている割に早い。

 銃弾が空を切り、後ろの舗装したコンクリートにめり込む。

「イタリア人ってのはレディには優しいって聞いたけど、いきなり、銃弾を放ってくるなんて、大概ね!」

「悪いね、男尊女卑が顕著な日本の血が半分入ってるんだ」

 ディアラは、満月しか光源のない暗闇のため、捉えづらいが、駆ける美鶴に照準を合わせようとする。

 しかし、思ったより相手の動きがはやく、すぐに、近くの大きな瓦礫の後ろに隠れられてしまう。まるで、危険を察知したネズミのようだ、ちょこまかと、鬱陶しい。

 学校の校庭と言ってしまうと過剰すぎるが、それの半分の広さはある敷地。加えて、瓦礫の破片が転がるここは意外と遮蔽物が多い。

 地の利という面ではお互い五分五分であるはずだ。

「それにしても、流石、黒の諜報部隊は優秀ってところかしら、上手くやっていたつもりなんだけど」

「泳がされていたんだよ、飼われていることに金魚は気づくほど賢くないだろ」

 

 

 今回の正式な任務の概要は至極明快、黒軍に入り込んでいた赤軍のスパイ、飯田美鶴の排除である。

 白軍の拠点基地への攻撃というのは、美鶴が持ち込んだ情報から参謀に提示された作戦だ。逆に参謀、諜報は美鶴が何か企んでいると踏み、調査。加えて、美鶴の作戦に乗っているふりをして、美鶴の排除に切り出すことにした。

 暗殺部隊でなく、自分が駆り出されるのは恐らく、美鶴に悟られないようにするためか。勿論、狙撃手あたりはどこかに控えているのだろうが。

 ディアラは目の前の瓦礫を見つめ、顔を出そうとする美鶴を左のジグザウエルで牽制。戦いに動きがなければ、今はディアラの方が圧倒的に優勢であった。

「そう、警戒して撃ちまくるのやめてくれないかしら? 満足に話もできないじゃない」

「話? 俺はスパイと話したいことなんてないけどな」

 勿論、嘘だ。ディアラは美鶴に聞きたいことが山ほどあった。

「私にはあるのよ、それが、今回私が任された使命」

 俺に何かを話すことが任された使命?

 ディアラは勿論、美鶴の言葉には疑心暗鬼だったが、彼女の得物では到底自分への攻撃が叶わないことを考え、銃を下した。それに、今回の赤軍の目的も気になっていた。

「分かった、聞いてやるよ、その代わり俺の質問にも答えてもらう」

 美鶴はメイスを右手に下げ、瓦礫の後ろから、ディアラの前に姿を現す。

「どうも、死神さん」美鶴の顔には余裕の笑み「別に長い話じゃないわ、それにあなたにとって悪い話でもない」

「勿体ぶった言い方はやめろ、撃ち抜くぞ」

「まぁ、怖い怖い」やめろと言ったのに撃ち抜いてやろうか「そう、怖い顔しないで、単刀直入に言うわよ、黒山君、良かったら私たちの味方にならないかしら?」

 黒軍やめて、朱に交わるなんてどうかしら?

 美鶴は、蠱惑的な微笑を浮かべながら、ディアラにそう言った。

「は?」

 ディアラはあまりにも突拍子のなさすぎることに、言葉を続けようとする美鶴を撃つか悩んだが、堪えた。

「私のリーダー、それも偉大な方が、あなたの事、気に入っているのよ」

 美鶴の言葉に見えるのは羨望と嫉妬。彼女は心底、自分のリーダーとやらに惚れているらしい。

「それに、黒山君にとっては黒軍が掲げる日本の独立なんてどうでもいいでしょう? イタリア人のあなたにとって、思想的に近いのは私たち赤軍のはず」

 赤軍。

 白にも黒にも属さない、独自の価値観を持つ第三勢力。

 そのほとんどが、個人での活動がほとんどだが、赤軍の中で人が集まり、組織として成り立つこともある。美鶴もどうやら、どこかの組織に属している赤軍の一人のようだ。

 ディアラは美鶴のその言葉を鼻で笑った。

「まぁ、確かに、黒軍の目的なんてどうでもいい、加えて、白軍の思想は従っているばかりで気に食わねぇ」

「やっぱりね、あなたの本心は思った通りだわ」

 美鶴はディアラの返事を好意的なものと解釈し、少し、警戒を解き、ディアラに近づこうとする。

「なら、私たちの仲間に、偉大なるお方の元で日本の代理世界大戦の現状を憂う、私たちとともに」

 美鶴はディアラに手を伸ばす。

 ディアラは片目を閉じながら、気だるげに銃口を美鶴に向けた。

「なんか、勘違いしてないか?」

 左手のジグザウエルを発砲。狙ったのは美鶴の足元付近。美鶴は驚いたのか、過剰にバックステップを踏み、後ろに下がった。

「何を!」

「あぁ? だれもてめぇらの仲間になるなんて言ってねーよ、思い込みが激しいんだよ、更年期障害じゃねぇのか、ババア」

 美鶴はディアラの言葉に歯噛み、怒りを隠さずに大声で怒鳴る。

「ほざくな坊主! 黒でも、白でも、赤でもない、じゃあ、お前は誰の味方のつもり!?」

「愚問だな」ディアラは静かに、美鶴の言葉を叩き切る「俺は俺の味方だ」

「平和な国でのさばった、痛みの分からぬ人間の屑がッ」

 ディアラは煽りに煽った、美鶴の怒りが最高潮に達しているのを見て満足。これで、逃走という手段をとることはないだろう。

「強がっていられるのも今の内! 黒軍の本隊は今頃、白軍の奇襲にあっているはずよ!」

 美鶴が突然叫び出したその言葉に、ディアラはなんとなく、付き合うことにした。



 美鶴曰く、今回の赤軍の作戦は、もう一つの目的があったらしい。黒軍に白軍の情報を流す、そこで、黒軍が組み立てた白軍強襲の作戦を、白軍に伝える。

「今頃、黒軍の本隊は白軍の奇襲に壊滅間近ってところかしら?」美鶴はあざけるように、ディアラを笑った「勝った気でいたの? そもそも、のこのこ作戦に乗った時点で黒軍は大打撃を受けるようになっていたのも知らずに」

 ディアラはあまりにも美鶴が得意げに話すものだから、種明かししようかどうか少し悩んだが、知らずに死ぬのもかわいそうだと思い、ディアラはついでに煽ることにした。

「知ってるよ、てか、黒軍はそれも込みで動いてるぞ」

「なっ」

「むしろ、うちらは、あんたらのその作戦を使って、奇襲しようとしている白に、奇襲しているはずさ、そうでなくとも、壊滅なんてことにはなってねぇよ」

 どうやら、少し、黒と白を舐めすぎていないだろうか、目の前のヒステリック女子は。

「まぁ、赤には分からねぇよな」ディアラは面倒くさそうに頭を掻く「烏合の衆ごときが、何十年も組織として動き、昔から根回しをつづけ、それを引き継ぎ利用している黒と白の組織力に勝てるわけないって」

 所詮、赤軍が組織として動いたところで、白軍、黒軍に勝てるわけがない。それも、目の前の美鶴は分かっていない、驕っている部分がある。

 結局、使い捨ての駒だろうな。

 ディアラは目の前の美鶴が、組織からどういう使い方をされたかに検討をつけた。

 ということは、本当に俺への勧誘が目当てだったのか、それとも、当て駒?

「それとも、偉大なるお方は、それも分からないほど、耳と耳の間になにもつまってないのかな?」

「貴様ッ! 与那嶺様を愚弄する気かッ!」

 美鶴の血管が破裂した音が、ディアラのところまで聞こえるかと思うくらいの怒気。美鶴は唸り声をあげ、ディアラとの距離を詰めるために疾走を開始した。

 美鶴の怒りからの行動に、ディアラは勝利を確信した。ぶん殴られる前に、こっちが相手を撃ち殺すのが先だ。しかも、直線で向かってくるとは、撃ってくださいと言っているようなもの。

「あばよ、まぁ、死んであの世で――」

 しかし、ディアラの思惑通りに事は運びそうもなかった。

「死ねッ!」

 美鶴がディアラへの殺意を放つと同時に、右手のメイスを刺すように、ディアラに向かって突き出す。二、三十メートルある距離をメイスが届くわけもない。しかし、バンッ、という乾いた音とともに、メイスの先端、丸い鉄球の部分が打ち出された!

「げっ!」

 そんな、遠距離攻撃があんのかよ!

 ディアラは射撃体勢からすぐに攻撃をよける為に横に飛ぶ。見ると、メイスの鉄球部分からメイスの棒までリールが伸びている。一度きりの隠し技というわけでもないらしい。

 ディアラは着地したら、間髪入れずに美鶴を撃てるように目を離さずにいた。

 結果、それがディアラの命を助けた。

「避けられるものかッ!」

 ディアラが横に飛んだのを見て、美鶴は柄にあるボタンを操作。鉄球の横側面から空気が噴射され、意思を持っているかのように、曲がる。

 鉄球の軌道が唐突にディアラを追うものに変化、空中でディアラに鉄球の殴打が襲い掛かる!

「ッ」

 咄嗟に両手の拳銃で鉄球を受け止める。が、勿論、空中で踏ん張りの効かない彼に、それを受け止めきることは叶わない。

 胸の前で受け止めた拳銃ごと鉄球がディアラを打つ! 痛みとともに、肺が突然の衝撃に呼吸を拒否。呼吸ができない、死ぬほど痛い、てか、死ぬ!

 そのまま、ディアラは後ろに吹っ飛ばされ、廃屋の壁にぶつかる。

 背中に衝撃、ガクンと意識がブラックアウトしそうになるが、食いしばって堪える。前を向く。

 リールが巻き取られ、美鶴の手元に鉄球が引き戻されるのが見える。距離を詰めている彼女の姿も。

 ディアラは左右の拳銃で狙いを定めずに、というか、定められずに適当に発砲。

「チっ」

 美鶴が鬱陶しそうに直進を止めた。横に進路をとり、瓦礫の後ろに避ける。

 美鶴は瓦礫を上手く使って銃弾を避けながら近づくと、一気にディアラに肉薄した。

「砕け散りなさい!」

「嫌だね!」

 左側面から美鶴のメイスがディアラに迫る! ディアラは風を切ってくるメイスを左手の拳銃で受け止めた。受け止めきれるわけもなく、衝撃を緩和した程度にしかならない。

 脇腹から体内に響く鈍い音。内臓にまで激痛の棘が刺さる。あばら骨が逝った。

 ニヤッとむかつく笑みを浮かべる美鶴。

 調子に乗るなよ。

 ディアラは右手の拳銃をナイフに持ち替える。逆手持ちにしたナイフが、美鶴のあごの下から上へ疾走!

 美鶴は視認していたナイフをよける為に頭を仰け反らせる。軍装セーラーの胸の部分だけが裂かれた。左のメイスの圧力が弱まる。

 メイスを押し返して、ディアラは美鶴の腹を蹴って後ろに下げる、彼も反動で距離をとった。

 仕切り直しだ。

 今度は正確に美鶴を狙い撃つ。ついでに、避ける軌道をとるであろう方向にナイフを投擲する。

 避けた先にナイフがすでに放たれているのを見て、美鶴の表情が歪んだ。

「鬱陶しい!」

 ナイフだけは想定外だったのか、美鶴はディアラが繰り出した凶刃を無理な姿勢で避けざるを得なくなる。

 ディアラはその隙に距離をとることを選択、両手の拳銃のリロードの必要もある。後ろの美鶴を視認しながら、駆け出した。



 シュライエン・クレーエの装弾数は七発、ソルレカランテは十五発。

 ディアラはどう戦うか考えて、一番確率の高いであろう展開を想定し、リロード。

 右のデザートイーグルには先端が「人」の形をした貫通弾が装填される。

 空になった二つのマシンガンをそのまま地面に落とすと、距離をとった美鶴に向かい合う。

 勝負は一瞬、一回で決める。

「距離をとったところで変わらないわよ!」

 美鶴の叫び声とともに、再びメイスが前に突き出され、鉄球が射出される!

 空気の噴射音、風を切り裂き、鉄の拳が急接近。

 ディアラは前回と同じように、横に飛んで回避。勿論、鉄球が追尾するが、反撃を捨てることを選択し、近くの瓦礫の後ろに転がり込む。

 瓦礫と鉄球がぶつかりコンクリートの破砕音が響く。しかし、瓦礫を砕くまでには至らない。

 ディアラ自身、鉄球をその身に二度、受け止めていたが故に、鉄球自体は普通のメイスに比べて、威力が低いことに気付いていた。恐らく、中に何かしらのギミックが入っているため、重量が軽い。鉄球の部分に至っては、鉄の殻に囲まれている程度であろう。

 美鶴自身の健脚もあるのだろうが、すばしっこいのには、見た目よりメイスが軽いという原因もある気がする。

 現状、厄介なのは追尾する致命のメイス、そして、狙いをつける前に回避する美鶴の動体視力。

 だが、たかがその程度だ。

 不意をついた先ほどの一撃で決めきれなかった美鶴に勝利はない。

 ディアラは瓦礫を美鶴との間に挟んだまま、駆け出した。



 美鶴は瓦礫で自身の攻撃が避けられた後、姿を見せずに逃げ出すディアラに、苛立ちを感じていた。

 彼女自身、ディアラは想定していなかったが、組織の計画が看破されていたことで、もしかしたら、ディアラは援軍を待つために時間稼ぎをしているのではないか? 何か、自分を追い込むような次の作戦があるのではないかと怯えていた。

 故に、ここで、逃げるディアラを追い、仕留めるのは、彼女にとって最優先事項となっている。

 与那嶺様に自らの失態を晒すわけにもいかない。あの人に失望されたくはない。

「逃げるな! 小僧!」

 打ち出した鉄球をリールで巻き取り、回収しながら疾走。

 瓦礫を避けて、再び、メイスの射出攻撃で仕留めようとする。

 しかし、瓦礫の横から飛び出そうとした美鶴の、鼻先を掠めるように銃弾が飛来。

「――なるほど」

 美鶴は感心したように呟くと、再び瓦礫の影に隠れるようにして疾走を再開。

 避けられないように、当たりに来させると言った所か。

「おもしろいわね」

 美鶴は目の前の瓦礫――その奥に居るであろうディアラを見据えて、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「まぁ、そう簡単にはいかないか」

 避けられるならば移動先に攻撃を置いておけばいい。

 ディアラが先ほど、ナイフで美鶴の体勢を崩させたのとやっていることは同じである。

 しかし、そうやすやすと、これで終わり、というわけには行かないようだ。

 現在彼は距離を取るのを止めて、美鶴が駆けてきているだろう瓦礫に向かって、銃口を構えていた。左右どちらから飛び出してきても、正確に、美鶴を撃ち抜くことができる。

 ならば、力比べだ。

 ディアラは、瓦礫の左右に牽制として発砲した。



 左右に牽制として弾が走る。美鶴は瓦礫の横からは飛び出せないことを悟る。

 しかし、駆ける美鶴には段々と瓦礫が近づき、決断を迫った。

 どちらにしろ、障害物さえなくなればこちらのものだ、これ以上避けられるのも面倒に違いない。

 ならば、次の攻撃は不可避の一撃にすればいい。

 美鶴は決断し、すぐ、近くまで瓦礫が近づいたのを確認すると加速。

 瓦礫に突っ込むように疾走し、瓦礫の手前で跳躍、瓦礫を足場にもう一度、跳躍。

 必殺は上空に躍り出た。



 左右ではなく、瓦礫を飛び越えるように跳躍、高く空中に飛んだ美鶴を見て最上級の笑みを浮かべた。

「狙い通り!」

 左手のジグザウエルをホルスターに戻すと、右手のデザートイーグルを両手で構える。

 狙うは、満月を背景に空中に躍り出たちょこまか女。

 自慢の動体視力も空中では発揮できない!



 美鶴は空中に躍り出ると、上空から両手で銃を構えたディアラを見下ろした。

 地上から地上を狙おうとすれば、どうしても、瓦礫やその他の遮蔽物に隠れられてしまう。

ならば、遮蔽物のない空中から狙えば追尾するメイスは必中となる。

勿論、美鶴はディアラの攻撃が回避不能になることは理解していた、しかし、そのようなこと、先にディアラを砕けば、無問題!

「終わりよ! 砕け散りなさい!」

 美鶴の吠えるような雄たけびとともに、メイスが、必中となった必殺がディアラを狙い撃つ。



「同じ手ばっかり、そう何度も効くか!」

 ディアラは今夜何度も聞いた射出音を聞くと、満月を撃ち抜くようにデザートイーグル、シュライエン・クレーエの引き金を引き絞る。

 換装されている弾丸は貫通弾。

 密閉性の高いデザートイーグルから、自動拳銃の中でも最強の威力を誇る拳銃から、傘が開くようなマズルフラッシュ!

 弾丸はそのまま一直線に美鶴の必殺へと向かった。



 満月のみが照らす暗闇の中、二人の殺意が激突する。

 ディアラが放った一撃は美鶴のメイスの中央に着弾すると、そのまま、貫通は叶わず、弾丸はつぶされ、地に落ちる。

 しかし、続けてもう一発、黒い(シュライエン)(クレーエ)が鳴哭し、寸分違わぬ箇所に着弾すると、弾自体は貫通することは叶わないが、美鶴のメイスにひびが走る。

 そして、三発目。

 ディアラが放った貫通弾は、二射と同じ箇所に着弾。

 ヒビが走ったメイスはその鋭い一撃に耐え切れるわけもなく、貫通。

 空中で鉄球が破砕、中のギミックを砕き、そのまま勢いを落とし切らずに美鶴の右肩、メイスを握る手の肩の骨を喰らう。弾丸は、そのまま美鶴を抜けると、月に肉片と血が飛び散った。

 二人は同じ笑みを浮かべたまま、しかし、片方は武器を手放し地に落ち、片方はただ銃口越しに月を見つめる。

こうして、決着は三発の銃弾によってつけられた。



 空中でディアラの銃弾に穿たれた美鶴は、バランスのとれぬまま彼の後ろに落下する。

 ディアラは三発の連射に熱を持った相棒の、戦いの余韻に浸るように硝煙を吹き消した。

「無駄に身軽だったから行動は読みやすかった」振り向き、地で悶える美鶴に銃口を合わせる「それに、隠し手をあぁも何発も見せびらかしたらな」

 すでに、肩から出血をはじめ、血だまりを作り始める彼女の左足を撃つ。銃声とともに、美鶴の悲鳴が相模の山に響く。

 ディアラは勿論警戒を怠らずに彼女に近寄ると、美鶴は言葉なく、ディアラを睨み付けた。

「まだ、殺さねぇよ、それより続きだ、なんなら、答えるなら命までは取らないと誓ってもいいぞ」

 睨み付けていた美鶴の表情が微かに緩む。ディアラは美鶴の返事を聞かぬまま、質問を始めた。

「お前の目的は俺の勧誘で間違いないのか?」

 美鶴は一瞬何かを悩むようにディアラから目を逸らした。しかし、自分が助かる道がこれしかないと悟ると、口を開く。

「……えぇ、そうよ、あなたは私たちの組織でも一目置かれている」

 先ほど、美鶴が話した内容となんら変わりはない。それでは、理由も先ほどの通りなんだろう。

「じゃあ、なんで、今、このタイミングで勧誘なんだ?」

 組織が使い捨て程度に美鶴のことを考えてなかったとしても、美鶴という黒軍に居たスパイを、こうもあっさり切り捨てるのは流石に不自然である。

 ディアラが何故? と考えるのも至極真っ当な疑問であった。

「知らないわよ、私は指示に従うのみ」

「なるほどな、末端に伝える様な事ではない、か」

 必要がなくなった、もしくは、このタイミングで俺にアプローチをかける必要があったか。

まぁ、こういうことは、千羽先輩あたりに働いてもらえばいいだろう。

「最後だ、赤軍の長身の男だ、顔に傷のある、チャクラムを操る奴を知っているか?」

 ディアラは美鶴に悟られないように、声の抑揚を抑えて尋ねた。

 しかし、美鶴は彼の言葉に目を見開き、何かに気付いたように口の端を吊り上げて笑った。

「クククククククッ、キャッキャッキャッ!」

 その声は壊れた人形のように不気味で、ディアラは顔をしかめる。

 対して、美鶴は興奮を隠しきれない様子で続けた。

「そうか! そういうことだったのか、お前があの人の顔に傷をつけたのか!」

 ディアラは美鶴の明らかにその男を知りえている様子に、思わず、食って掛かった。

「知っているのか!?」

「えぇ、知っているとも! 与那嶺様が懸念し、そして、私たちの組織の真の頭目」そこまで話した美鶴の表情から笑みが消える「なるほど、与那嶺様がお前を気にかけていたのはそういうことか……」

 美鶴はディアラを無視してぶつぶつと何やら考え事をし始める。

ディアラは質問から意識が離れる美鶴に業を煮やして、撃ち抜いた肩を踏みつけた。

「答えろ! その男の名前を!」

 短い苦悶の声を上げた美鶴は、再びディアラを見つめ、得意になったような笑み。

「アンタが知ったところで、あの化け物には勝てない」

「お前が決めることじゃねぇ」ディアラは美鶴の額に銃口を押し付けた「それに、だとしても、俺の気がすまねぇ」

 しばし、値踏みするように美鶴の瞳が彼を覗く。

 そして、呆れたようにため息をつくと、ディアラが待ち焦がれた、その名を呟いた。

「坂上紅季、赤軍の一騎当千持ちよ」

 坂上紅季。

 その名前を頭の中で反芻すると、彼の体には武者震いが走る。

 思い出すのはあの男が持っていたチャクラムから響く、耳鳴りのような音。

 ディアラの仲間を、親友を切り捨てた、あの男の得物。

 何度、今まで、何度、思い出してきただろうか。

 あの日のことを。

 あの男が奪っていった仲間たちのことを。

「ヒヒヒヒッ、ハハハハハッ!」

 ディアラは地に悶えたままの美鶴を無視して、ようやく、敵の情報が掴めた嬉しさに高笑いを浮かべた。

 ようやくだ。

 やっと、俺の戦争が始められる。

 ディアラは笑い声をあげて、天を仰いだ。

 ディアラは今にも泣きそうな顔で、天井の月を仰いだ。



 美鶴は肩の激痛、左足の感覚が希薄になっていく中、目の前で自分から注意を逸らしているディアラを見上げた。

 この坊主は、散々、こけにしてくれた。私の与那嶺様に対する忠義を踏みにじり、あろうことか、与那嶺様の勧誘すら断るなど。

 このまま、生かしておくことなどできはしない。

 彼女は、動く左手で、スカートの中に忍ばせていた小銃を引き抜く。

 どうせ、私はこのままでは黒軍にとらえられる。ならば、目の前の坊主を殺し、殺された方が本望。

「しねぇぇぇぇ!」

 至近距離で、美鶴の最期の殺意がディアラに牙を剥いた。

 もう一度だけ、相模の山中に銃声が響いた。



 ディアラは夜空に響いた銃声を聞き、我に返る。

 勿論、足元で美鶴が銃を引き抜いたのには気付いていたが、殺さないと約束した。それに、もはや、彼にとっては彼女など石ころ程度の興味もない。

「妄信的で組織は使いやすかっただろうな」ディアラはふと、そこで、組織の名前を聞くことを忘れていたのに気づく「あぁ、ミスった、折角、情報をもっと引き出せるとおもったのになぁ」

 呟くディアラの足元では血だまりが致死量を超えて広がる。

 そして、彼の足に縋りつくように、脳天を撃ち抜かれた美鶴がこと切れていた。

「俺、は、誓ったけどな、他は知らん」

 ディアラは相模の山の中、美鶴を撃ち抜いたであろう狙撃手の方に視線をやった。

 森の中で一瞬だけ、キラリと何かが反射したような光が見える。

 先ほどまでの喧噪はどこへやら、戦いの終わった戦場は、ただ、静寂だけが支配していた。

「……帰るか」

 興奮が冷めたディアラはその場で大きく伸びをすると、廃屋から立ち去る。

 取りあえず、回収地点までは徒歩で下山しなくてはならない。

 頼みの綱であるコンパスを胸のポケットから取り出そうとして。

「ん?」

 ポケットの中からとりだしたコンパスが、どれかの一撃でペシャンコにつぶされているのに気づく。

 勿論、本来のコンパスとしての使い方はもう叶わないだろう。

 ディアラはつぶれたコンパスを地面に投げつけると、片手で顔を覆い、天を仰いだ。

Stronzoくそったれ

 

 ・・・


「黒山・ディアラ特務少尉! 今回の任務での功績を称えて、中尉への昇級を命ずる!」

 後日。

 場所はディアラの通う帝都立大和皇国軍事高等学校の校長室。

 普段の学ランとも軍装学ランとも違う、式典用の礼服に身を包んだディアラが、軍の幾人かの幹部の前に立ち、中尉の階級章を授与されていた。

 一騎当千授与は嘘って聞いたけど、こっちの話はきいてねぇぞ。

 ディアラは確認出来なかったが、後ろに控えているであろう京のニヤニヤ顔が容易に想像につき、ため息の一つでも付きたくなった。



「おめでとう、ディア」

「おめでとうございます、ディア先輩!」

 ディアラの簡単な昇級式が終わったあと、外では花蓮と京が待っていた。

 色々、言おうと考えていた皮肉があったが、二人の祝辞に、ディアラは素直に「ありがとう」と答える。

「いやー、それにしても、異例のスピードでの昇格だね」

「そうですよね! 私、こんなに短期間で中尉にまで昇格する方初めて見ましたよ!」

「やめろ、ほめても何にも出さねぇぞ」

 彼自身、特になにもめでたいとは感じていなかったのだが、外野がこうも嬉しそうにしていると、背筋がむず痒くなってくる。

「まぁ、相変わらず、帰還には相当苦労していた見たいだけどね」

 一言多い京のニヤニヤ顔。

 しかし、なんとなく、ディアラは、今は、それに取り合う余裕があった。

「正直、あの女の一撃で一番効いた攻撃だったな」

 思い出し、相模の山中で遭難しかけたのには、流石のディアラも泣き言の一つも、言いたくなったものだ。

 出ていた月で大体の方角はとっていたから、なんとか、自力で合流地点につけたのだが、あと少しでMIA(死亡扱い)になっていたかもしれない。

 そんな、苦い思い出に思いをはせていると、花蓮が遠慮がちに口を開いた。

「あ、あの! ディア先輩のお祝いなのに、変かも知れないのですが、どこか、ご飯でも食べに行きませんか?」

 何かを堪える様に、上目遣いに花蓮はディアラの様子を窺った。

 ディアラは花蓮の提案に、たまには、いいかと乗ることにする。

「昼は少し用事……というか、行きたいところがあるから、夕飯でいいか?」

「いいですよ! むしろ、夕飯に行きましょう!」

 食い気味の花蓮にディアラは思わず一歩下がる。

「あ、あぁ、よかった」どうせなら、多い方がいいだろう、ディアラは京の方に振り向く「そうだ、京もよかったら……ってあれ?」

 気づけば、京の姿がどこかに消えていた。

「仕方ないな、あの先輩は、まぁ、メールでも出しとけば」

 そうやって、ディアラが携帯を取り出そうとしたとき、花蓮が遮るように口を開いた。

「千羽先輩は、なんか、諜報の仕事が――よくわからないですけど、忙しいって言ってましたから!」

「そうか、まぁ、なら仕方ないな」

 変な時にはひょっこり顔を出す癖に、いつも、タイミングが悪いな。

 ディアラは京の気遣いに気付いているわけもなく、花蓮の言葉を鵜呑みにした。

 そのあと、花蓮と待ち合わせ場所、時間を決めた後、ディアラは「行きたいところ」に足を運ぶ。

「ところで、ディア先輩が行きたい所って、どこなんですか?」

「あぁ、なんつーか、報告かな」

 なんとなく、墓参りという表現は似合わないとディアラは思った。


・・・

 

「よう」

 ここに来るたび、思うことだが、ここだけ、別世界の一部なのかと錯覚してしまいそうになる。

 騒がしい、凄惨で、時に、穏やかで、慈愛に満ちた。人の心をもてあそぶ、忙しない世界の中にいるはずなのに。

ここだけは、いつも、静かで時が止まったように、変化を意識させない。

「久しぶりだな、夕陽」

 ディアラが足を運んだのは、都内の端に作られた軍人墓地。

 小高い山の斜面を切り開かれ作られたそこには、数えきれない墓標が立ち並ぶ。

 特に、この時代、身寄りの居ない学生軍人なんてものは珍しくもなく、ディアラの親友が眠るそこも、そのような学生が多く葬られている一角であった。

 小さい、ただ、名前を刻んであるだけの寂しい墓標。

 東山夕陽。

 ディアラの元同級生で、同部隊所属の学生軍人のひとり。

 そして、ディアラが持つ、ソルレカランテの元の持ち主。

「ついに、二階級特進したお前に並んで、俺も中尉になったよ」

 ディアラは途中の花屋で買ってきた、白い菊の花を添え、彼の墓標の前にしゃがむ。

 線香と蝋燭を立てて、火をつけて手を合わせる。

 報告、なんて言ったものだが、結局、ディアラは口を開こうとするが、そのすべてを飲み込み、静かにしまい込んでいた。

 言いたいことに、話したいことは、数え切れないほど湧き上がってくる。

 しかし、目の前には肝心の話したい相手が居ないのだ。

 そもそも、彼は死後の世界など信じるには現実主義者だった。自分の行為が自己満足であり、生きている者が、確認のために行っている作業にしか過ぎないという自覚があった。

 だから、何も言わない。

何も、言えない。

勿論、そうと知りつつも、彼の中では思いが溢れていく。

 お前が居なくなったあと、ルームメイトは結局来ないままなんだ。最近、参謀の後輩と仲良くしてるんだが、お前が見たらビックリするぐらい俺の事尊敬してくれてるんだ。相変らず方向音痴でさ、任務は楽勝だったけど帰れなくて死にかけたよ。そう言えば、お前が気にしてた花の奴は、一騎当千になって俺なんかより活躍してるよ。

 手を合わせるディアラは、視界を閉ざした瞼の裏に、懐かしい姿を思い浮かべ、何度も、心の中で呟いては、返ってくることのない返事を待った。

「……」

 春の緩やかな陽光と、暖かな風に包まれながら、ディアラは長い間沈黙のまま、手を合わせていた。

 しかし、何かを振り払うように目を開けると立ち上がった。

 目の前の墓標はただの石に過ぎない。

 いつまでも、自己満足に浸っている時間が惜しい。

 それよりも、自分には追うべき男の名前が刻まれたのだ。

「また、来るわ」

 最後にディアラはそれだけ、言葉にする。

 そして、静かな夕陽の墓標から戦場へと踵を返すのであった。


 ・・・


 店内にはジャズの名曲、ビル・エヴァンスのWaltz For Debbyが古びたレコードから流れていた。

 息子のために送った優しいピアノの音色は、軽快に店内の雰囲気を盛り上げている。

 ディアラはカウンターに座り、ちびちびとカクテルを口にしていた。少し、早めに来すぎたせいか、まだ、花蓮の姿は見えない。

 店内を見渡せば、日本人よりも圧倒的に外国人が多かった。聞こえてくる談笑もディアラの母国語であるイタリア語、ドイツ語が多い。

 それもそのはずで、この店は日本に来ている大使や留学生をターゲットにした、所謂、接待用の飲食店である。ここにいる日本人は、政治家や軍の幹部、その他富裕層がほとんどだろう。

 ディアラ自身、一度は会話した覚えのある留学生の姿も見受けられる。

 しかし、ディアラは留学生の中でも珍しく、戦場に出たがるタイプのため、あまり、他の留学生とは仲が良くなかった。

 というのも、普通は留学生というのはディアラのような戦闘員としてではなく、お客様として日本にくるからだ。

 日本にくる留学生のほとんどは次男坊だったり、ディアラのように正妻以外の子であったり、本国ではないがしろにされやすい身分の男子が多い。そして、大半が適当に戦闘に参加して、適当な戦果をあげて、本国に帰った時にその実績を利用し生き残る。

 結句、日本には箔付けのために来ているのがほとんどで、それ以上の思い入れもないだろう。

『平和な国でのさばった、痛みの分からぬ人間の屑がッ』

 ふと、美鶴に言われた言葉を思い出す。

 ディアラはまったく共感することができないとは自覚しつつも、彼女も彼女なりに日本という故郷の、今の現状を憂いていたのだろう。

「代理世界大戦ね……」

 これも、美鶴が言っていた言葉だ。だが、少し俯瞰して日本という国を見ることが出来れば、容易に理解できる。

 日本の独立を願い、打倒宗主国を掲げる日本人至上主義の黒軍。今の日本では独り立ちは難しいと考え諸外国の庇護のもとで、日本という国を建て直そうと考える白軍。

 日本対宗主国。外側から見れば単純な構成に見えるかもしれない。

 しかし、実際は違う。

 黒軍自体も実際は様々な国から支援を受けている。

 資源が枯渇している日本という国で、そもそも、自力だけで経済を維持、どころか、戦線を維持するなど不可能に近い。

 イタリア、ドイツなどの旧枢軸国に加えて、植民地支配を受け、日本もその独立を助けた東南アジア、その他、トルコなど様々な国が黒軍のバックにはついている。

 そして、白軍は旧連合国、EU諸国を始めとしたその他の国々から。

 赤軍だって、よくわからないが、中国系、ロシア系などの支援を受けている組織があるなどの話も聞く。

 そうした、様々な国が日本というチェス盤の上で、白のキングと黒のキングをお互い詰ませないように、絶妙なお遊戯として遊んでいるのだ。

 ディアラも表向きは留学生だが、本国からの命令は黒軍の監視とその報告である。

 いわゆるスパイ。

 別に敵国に潜り込んでいるわけではないので、気楽にやっているが。

 それに、俺よりも優秀なスパイはもっと上に配属されているはずだ。

 空になったグラスを見つめて、ディアラは一人思索にふける。

 そういえば、夕陽も平和な国にしたいと言っていたなと。

 俺はあの男とけじめをつけたら、何をすればいいのだろうか。

 グラス越しに、ディアラの前には赤い色をした、ビールカクテルがおかれる。

 ディアラは顔をあげ、マスターの視線がこちらに向いているのを確認すると、どうやら自分に出されたのだと悟る。

「俺は頼んでないが」

「はい、あちらのお客様からです」

 そういって、マスターはディアラの横。

 五つほど席を挟んで座る、一人の女性を見やる。

 ディアラもつられるように視線を移し、そして、思わず見惚れた。

 バラのような真紅の美しいドレスを着た、育ちのよさそうな令嬢。釣り目で少し厳しそうにも見えるが、雰囲気は優雅で、お店と雰囲気がマッチしすぎているからか、逆に、話しかけづらい。

 腰のあたりまで長くのばしている髪は、烏の濡れ羽のように美しい。

 ディアラは胸の鼓動が早くなっているのに気づき、自嘲気味に笑みを浮かべる。

 イタリア男子が女性にリードされるなんて情けない。

 一つ息をついてから、ディアラは声をかけようと口を開きかける。

 しかし、丁度、彼女もディアラの方を向くと、静かな微笑を湛えながら彼の先を制すようにグラスを掲げた。

「――」

 その声はとても小さく、ディアラに届く前に店内のわずかばかりの喧噪にかき消される。

 ディアラは彼女が何を言ったのか聞き返そうと、今度こそ、彼女に何かを言おうとした時だった。

「すいません! ディア先輩、待ちましたか?」

 ディアラの後ろから聞きなれた女性の声が彼に掛けられた。

 振り向くと、そこにはディアラの待ち人である花蓮の姿があった。

「あぁ……いや、俺が早くに来すぎただけだよ」

 見ると、普段のセーラーではなく。彼女の細い肢体を強調するすらっとした黒いドレスに、初雪のように白いショールに身を包んだ花蓮が、少し頬を上気させてそこに立っていた。

「それに、花蓮も十分早い」

 ディアラは隣の席に彼女が座るように手で促し、店内の時計を確認しながら言った。

「そ、そうですけど……今日はディア先輩の昇進祝いですし」

「花蓮が先に来ても、一人じゃこの店には入りにくいだろ」

 取りあえず、ディアラはあらかじめ頼んでおいた料理を、用意し始めてもらうようにマスターに告げる。

「花蓮、飲み物は?」

「ディア先輩、日本では飲酒は18歳からなんですよ」

「あぁ、そういや、そうだったな」

 銃は撃てるし、戦場にも出るのに、お酒はダメってのは変な国だな。

 ディアラはそんなことを思いながら、ノンアルコールのカクテル、プッシーキャットを彼女には注文する。

 ちなみに、イタリアでは16歳から飲酒は合法である。

「先に始めちゃってましたか?」

 花蓮はディアラの目の前に置かれているグラスを見つける。

 ディアラは入っているレッドアイを見つめ、ふと、思い出したように先ほどの女性のほうに振り返る。

 すると、そこには空になったグラスが一つと代金が置かれているだけであった。

 ちらっと、店内を一周するが、女性の姿はない。

「いや、丁度、いまからだな」

 女性の前でほかの女性の話をするのはタブーである。

 それぐらいは心得ていた。

「それにしても、ドレスで来なくてもよかったのに」

 花蓮の姿は、髪の毛も普段とは違う纏め方をしていて、年の幼さは身を潜め、十分、大人の女性としての色香を醸し出していた。

 加えてもともと容姿も良い。

 ここに来るまでに、きっと、多くの男性の目を引いてきただろう。

「えぇと、そうでしたか、やっぱり、孫にも衣装ですよね」

 ディアラの言葉に、何を勘違いしたのか花蓮は落ち込んだようで肩を落とす。

 そういう意味で言ったわけじゃなかったんだけどな、とディアラは言葉を探す。

「そうじゃなくて、大したドレスコードなんてない店なんだから、もっと、気楽な服装で良かったって言いたかったんだ、綺麗なドレス、出すのも、着た後も大変だろう?」

「でも、やっぱり、お祝い事ですから」

 少し、気を持ち直したのか花蓮は微笑を浮かべる。

 ディアラは花蓮の姿を見て、思ったことをそのまま続ける。

「どっちかというと、礼服とはいえ軍服で来た俺が申し訳ない」困ったように笑う「こんに、綺麗な大人の女性が来たのに、隣に座るのが一人の坊主だったら、他の男からすぐに声かけられるからな」

 昇級式が終わってから、ディアラはそのまま墓地に行き、そして、花蓮との待ち合わせのお店に来た。恰好も軍服のままだ、とても、ドレスの女性の横に並ぶ姿ではない。

「き、綺麗!?」

 花蓮の声が驚いたように弾み、顔を真っ赤にするとディアラから視線をそらし、俯く。

 見た目は、すっかり大人の女性になっても、どうやら、中身はまだまだ少女のようだった。

 小声で花蓮は「普段は唐変木の癖に……こんなところで、イタリア男子みたいに軟派なんて」とぶつぶつと呟いていたが、勿論、彼は気づくわけもなく。

「花蓮って意外とこういうのに弱いんだな」

「からかいました?」

「本心だけど?」

 花蓮は再び、ディアラの言葉に恥ずかしそうに一旦伏せるが、反撃とばかりに真っ赤な顔をあげる。

「ディア先輩も死神なんて呼ばれてるくせに、意外です」

「そりゃ、是非、デートに誘いたいくらい美しい女性が隣に座ったら、口説きたくもなるもんさ」

「もう! からかわないでくださいよ!」

 ぷい、と花蓮は視線をディアラから怒ったように逸らして見せるが、満更でもない様子は彼女の口元から漏れている笑みから明らかだった。

「わりぃ、わりぃ」

 ディアラは笑いながら花蓮に謝る。

 ディアラの謝罪にすねかけた花蓮が機嫌を直す頃、丁度、頼んだ飲み物が出される。

「じゃあ、先輩の昇進祝いに」

「先輩思いの後輩に」

 二つのグラスがお互いに掲げられ、静かに祝杯をあげる。

 花蓮はそのまま、爽やかな柑橘類の抜けていくような香りを口元に。

 ディアラは、女性が着ていたドレスと同じくらい赤い、ビールをトマトジュースで割ったレッドアイを口元に持っていこうとして。

 ふと、女性が彼に告げた、ディアラが聞き返そうとした言葉を思い出す。

『タランテラの死神さんに』

 彼女は自分のことを知っていたのか。

 ディアラはよぎった考えに、グラスの下にあった紙製のコースターを、花蓮に悟られないようにテーブルの下に持っていく。

 そして、コースターをひっくり返すと、案の定、裏に文字が書き込まれていた。

『坂上紅季、組織の名前は(あかみ)(とり)

 気づけば、店内の音楽は同じエヴァンスのmy foolish heartに切り替わっていた。

 「私の愚かな心」その想いの愚かさをいたわるのか、愚か故の想いなのか、ピアノが奏でる優しくも儚い音色。

 ディアラはもう一度、彼女が座っていた席に視線をやる。

 綺麗な花には棘があるとは、よく言ったものだ。

 再び、ディアラはグラスを掲げると、誰も居ない席に向かって祝杯をあげた。

「俺の戦争に」


あとがき


・感想

久しぶりに熱をもって筆を取れたというか、学生の頃の執筆スピードであたれたというか。前半だけですけどね、えぇ。

・執筆スピード

 書き終わる書き終わる詐欺というか、異世界ものは全然進んでません。半分書き終わったところですが、もうやるきありません、新人賞にむけて、また別の考えないとだめかなぁ

・異世界もの

 と、いいつつも、とりあえず、一章は全部書こうと思います。流石にね。

・一章

 今回のは一章の前、プロローグという位置づけのお話でした。「こんな話やで」って言う感じ。雰囲気掴めてもらえていたら大成功ですかね。

・大成功

 最近ですが、ようやくというか、今更というか、やっと、なんとか納得のいく文章が書けるようになってきました。なんでしょう、やっぱり、読み手の意識というのは大切なのかもしれません。

・読み手

 この話をどれだけの人が目に通してくれるかはわかりませんが、ここまでお読みいただいた方に最大級の感謝をば。

・感謝

 そして、なにより、企画の存在を布教してくれた友人と、武器、戦争ヲタクで知識のない僕に武器の知識を色々教えてくれた友人、いつも、推敲手伝ってもらう友人に。

・戦争

 あなたの戦争が、決して思い半ばで終わりませんように。


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